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平民宰相の世界大戦 ~原敬兄弟転生~  作者: 巽未頼
明治四(1871)年
74/109

第74話 新年にうたう

後半は兄の直記視点です。

 東京府 東京


 年が明けた。1871(明治4)年だ。政府も宮中も完全に西暦で動くようになり、時間感覚がずれずにすんで助かるようになった。


 麻子様と新年の挨拶をする。利剛様への年初の挨拶の後、個別に呼ばれての挨拶だ。会うのはクリスマス以来だ。

 キリスト教圏ではクリスマスの方が重視されるため、その文化を知る意味もかねて鶏肉の照焼きを用意して一緒に食べたのだ。

 手でつかみながら食べるという文化に驚いていたが、まぁ少しずつ慣れてもらうしかない。

 来週には和訳聖書が手に入る予定だ。多少なりと俺自身確認しつつ全員でキリスト教文化を知っておくべきだろう。


「まさか新年を江戸……東京で迎えるとは思いませんでした」

「おそらく、あまり盛岡に戻ることはできないかと」

「それは旦那様が東京住まいになるからですか?」

「そうですね。それもありますし、しばらくアメリカに渡る時期もありますし」


 盛岡のことは兄に任せる形になる。俺が帰るのは15年以上後の選挙の時になってもおかしくない。第1回衆議院選挙がいつになるかわからないが、そこで久しぶりの帰郷だってありえる状況になってきた。


「祝言はいつだとお考えで?」

「あ」


 そういえばそういうこともしなければいけないのか。


「旦那様?」


 いつになく抑揚のない声に顔を上げるのが怖くなる。これは絶対怒っている。まずい。


「もう祝言をあげた心算ですか?」

「いや、えっと、その」

「それとも、お忘れですか?」

「……申し訳ございません」

「正直なので、新しい年の始まりに相応しいことをして下さったら許します」


 新年らしいこととはこれいかに。お年玉?でもお年玉でお金は戦後の文化と聞いたけれど。

 とりあえず、品川で用意した伊達巻を渡す。砂糖も惜しまず使って美味しく作ってもらった。


「伊達巻だけですか?」

「えっと」


 アメリカ人の留学生が新年になると『蛍の光』の英語版を歌っていたのを思いだす。あれはこの時代にもある風習なのだろうか。他の習慣と言えば何があっただろうか。


「アメリカでは新年に歌を歌うんですよ」

「詩ですか」

「ちょっと歌ってみますね」

「私に、ですか」

「他に誰がいますか」


 聞かせる相手なんて目の前にしかいないでしょうに。ちなみにうろ覚えだ。


「Should auld acquaintance be forgot,

 and never brought to mind?」


 音程さえ微妙な記憶の中で、アメリカ人が教えてくれた曲を歌う。正直思いだすのに必死で麻子様の顔を見る余裕はなかった。

 歌い終わって息を整えつつ、麻子様を見る。目をぱちぱちと何度も瞬きながら、絞り出すように口を開いた。


「わかりません」


 それはそうか。


「アメリカで新年にみんなで歌う歌ですね。昔を懐かしみつつ新しい年を祝う内容です」

「そういう、歌ですか」


 その瞬間、日本で『うた』と言えば詩の方がメインだったことを思いだした。冷汗が背中に吹き出してくるのを感じる。正月の寒さなんて吹き飛ぶレベルに、危機感が体を震わせた。こうなれば、改めて詩を、どんな詩を?俺詩なんて前世含め作ったことないのでは?慌てて大学時代に課題で扱った和歌を詠むことにした。恋歌だった気がするが、まぁ関係的に問題ないはずだ。


「潮干れば 葦辺に騒く 白鶴の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに」


 万葉集の1句だったはず。俺はメジャーどころである柿本人麻呂を扱ったが、恋歌ではなかったのでこういう時に使えない。悪い意味ではなかったはず。少なくとも、自分を鶴に例えて君になかなか会えなくて寂しい的な感じだったはずだ。季語的にも問題ないはず。


「えっと」

「万葉集の詩なので、自分で作ったわけではないのですが」

「意味をわかって仰っていますか?」


 詩の意味はある程度わかっているつもりだけれど。袖で目元以外を隠してしまった麻子様に、何かまずいことはしたか不安になる。


「いじくさり」


 麻子様は伊達巻を受け取って、そのまま奥に帰ってしまった。

 そのすぐ後に、その場にいた女中から詩を聞いた利剛様がやってきた。食べかけの伊達巻を片手に俺の前に座る。

 手に持っていたかけらを食べ終えると、俺の方を向いて少し呆れたようなため息をつく。


「罪作りだな、健次郎」

「何か麻子様に粗相でもしましたでしょうか」

「まず、鶴は南部の家紋にも入っている」


 そういえば南部家の家紋は鶴だった。


「しかも、健次郎が今住まいにしている品川は干潟のある宿場町だ」


 あ。


「そして、帝は今江戸城におられる」


 つまり……。


「品川とこの屋敷で住まいが離れている麻子に会いたい思いを、帝にも伝えたいと申しているようにしか読み取れぬぞ」

「あー……」

「まぁ、いつか健次郎が帝に拝謁を許される程の男になるのを期待しているぞ」


 伊達巻の礼を言って、そのまま利剛様は部屋を出て行った。


 しばらく、ここに来るのは控えたくなった。


 ♢♢


 陸奥国 八戸


 新年の祝いは簡略化された。これは藩主である利剛様が東京にいるためだ。一族の方々も東京に住んでいるため、挨拶すべき相手がいないのだ。大参事である楢山佐渡様が利剛様からの手紙を読み上げて終わりであった。

 その後、島津のお殿様からも妻宛てに手紙が届いているとのことで別途呼び出され、楢山佐渡様と南部監物様の待つ部屋に通された。


「本年も宜しくお願いいたしまする」

「うむ。直記殿には昨年も釜石の件で助けてもらった。今年も八戸と釜石で頼みたい」


 こうして八戸にも新年の挨拶を行い、そのまま八戸の製紙工場に向かった。

 動力に蒸気船製造で学んだ蒸気機関を導入し、北海道の石炭を使用。アメリカから買ってきた円網式抄紙機とプレス機を使用し、大量の紙が作れるようになった。機械の操業はマニュアル化してあり、日新堂の藩士が常駐しなくてもなんとか稼働するようになってきた。


 ただ、クラフトパルプの管理はさすがに日新堂の出身者が中心になって管理している。八戸は石灰も鉱山から回収できるのでソーダ回収ボイラーを再現できているが、安全な工程だけというわけではない。ステンレスが未開発だから一部設備の腐食も早い。


 サイクルの中で手に入る二酸化炭素を炭酸水にすることができるかを現在試行錯誤中だ。炭酸水は酒に合わせたり、北海道や津軽・八戸で栽培を開始しているりんごをフレーバーに加えて外国人向けに販売することを計画中だ。


 函館の造船所で働いていた平野富二殿が八戸に戻ってきたとの報告をうけたので港に迎えに行く。港はジョージ・アルノルド・エッセルというオランダ人の土木技師に設計を計画中だ。防波堤を造り、安定的に都心部や函館と結べる状況を整えていきたい。


「久しぶりですね、平野殿」

「おお、わざわざお迎えいただいたのですか。申し訳ない、直記殿」

「お元気そうで何より」

「こちら新年に数の子の醤油漬けです」

「おお、お願いしていた」

「魚肥に卵は混ぜないようで、函館では安く出回っておりましたよ」


 新年は数の子を食べるのが兄弟そろっての楽しみだ。東京にも送るように頼んだから、いまごろ健次郎も楽しんでいるはずだ。健姫も去年数の子の醤油漬けに喜んでいた。ニシン自体はどうしても魚肥の材料扱いされることが多いらしく、食用にするのはあまり一般的ではないようだ。


「津軽藩が廃藩を申し出たので、一部の士族が北海道開拓に加わったそうですが」

「ええ。元々百姓出身の手先の器用な者が造船所に集まっておりますね」

「それ以外にも昨年秋から始まった屯田兵の募集にもかなり参加してくれたとか」

「小樽や根室に多数参加したようで。津軽に残ったのは林檎農家と桑・養蚕農家が主ですね」


 『いわてっこ』が栽培できない以上、今津軽地方で農家をやる人間はどんどん減っている。廃藩されたことで士族は大部分が新政府からのわずかな禄だけしかもらえなくなっているので、屯田兵の募集にいち早く応じたり縁故を辿って英語を学んだりして生き残ろうと必死な人が多い。藩主だった津軽つがる承昭つぐあきらは婚約していた関白・近衛このえ忠煕ただひろ様の娘と破談となった。熊本藩との血縁から藩主の隠居を免れていたとはいえ、借金含めどうしようもなくなったのだろう。近衛家側は問題ないとしていたそうだが、収入減と賠償金が重なって家中に迎えられなくなったようだ。


「しばらく函館には戻らずに、ゆっくりさせてもらいます」

「ゆっくり羽を伸ばして、英気を養ってくだされ」


 新政府も津軽からは年貢収入が見こめないために税制の抜本的な改革が必要という意見にはなっているようだ。ロシアとの国境交渉も大詰めらしく、担当の榎本武揚と黒田清隆が春になったらロシアに行くらしい。


「そういえば、健次郎殿と姫様のご婚姻が決まったと聞きましたぞ。おめでとうございまする」

「忝い。健姫もその話を聞いて少し明るさを取り戻してくれた」


 昨年の秋、私の妻である健姫の父である日置島津氏の島津久徴様が亡くなった。島津本家隠居され、鹿児島でゆったりと生活していた中の突然の訃報だった。今年の春にはこちらに顔を出すという手紙をいただいた直後のことで、健姫もショックだったようだ。

 彼女には一度実家に顔を出すかと聞いたが、「今はまだこちらでやることがございます」と断られた。ちょうど姫が身重になったところだったからだ。日置島津氏の当主となった義兄の島津久明殿は「墓前に孫の顔を見せに来てくれ」と言ってくれた。軍務少参事を務める久明殿は、久留米藩の騒動もあって葬儀以外北九州で働き詰めらしい。それもあって少し落ち着いてから来てほしいというのもあるようだ。


「健次郎殿の留学の話がありましたが、直記殿はご留学なさらぬので?」

「私は機械をいじっているほうが性に合っておりまして」

「確かに。某と気が合いますからな」


 飛行機で気軽に行ける時代に慣れた身としては、月単位で海外に拘束されるのはまっぴらごめんだ。ジャンクフードもない時代、日本食も制限されるんじゃ海外に行きたくはならない。そのうち健次郎が洋食を食べられる環境を作ってくれるだろう。

色々な影響で史実よりちょっと亡くなる時期などがずれています。私は基本的に「誰かが何か違う行動をすれば同じことはほぼ起きない」という前提で作品を創るので、生没年にも少し影響が出ることがあります。今回で言えば、本来戊辰戦争で長期出陣したはずの島津久徴が、戊辰戦争が早めに終結したことで体力消耗が減ってその分半年ほど長生きしたという形です。


私の別作品である『斎藤義龍~』の漫画版単行本の予約がAmazon様などのネットと一部書店様で開始されました。

もし宜しければお手に取っていただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] カルト的な人気を誇るオランダ人の版画家のお父様が登場しましたが、苗字の読みが微妙に違うので気が付かない人が多いかも。
[一言] 聖書なんかよりもっと解りやすい欧洲文化紹介の本でもないものかね? 別にキリスト教徒になるわけでもなし、態々聖書を読むのもな
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