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平民宰相の世界大戦 ~原敬兄弟転生~  作者: 巽未頼
明治三(1870)年
68/109

第68話 女学の祖と稲田騒動

 東京府 東京


 印刷会社を任せる人材として伯母の嫁いだ工藤の伯父が東京にきた。奉行職を務めた真面目な人で、伯母のつねともども横浜に移住してくれる予定だ。

 伯父は外国人と話せるわけではないのだが、伯父を支えるために人手を用意できた。日新堂で英語を学んだ那珂なか通世みちよ殿が上京している義父の下で勉強しにくるので、週3日だけ印刷会社の業務を手伝ってくれることになった。東京で語学を習っている若い盛岡藩士も勉強を兼ねて手伝ってくれる予定だ。

 名目上の会社社長という立場は工藤の伯父にしつつ、株式を俺と兄で確保してしまう形をとっている。会社法も何もないとはいえ、契約書で人事権もこちらに掌握している。問題はないだろう。


 それ以外にも、福澤諭吉殿に頼まれて旧幕臣含め数名を会社で雇うことになった。彼らには自分たちで紙面を作る段階で「誰にでも読めるわかりやすい文章」を「口語体」で書くという仕事をお願いしている。文語体の新聞はそれはそれで作るのだが、口語体の新聞は先行者優位を築くために今のうちから準備したいところだ。


 対価として得ている塾から派遣された教師と教材で、女性陣の学習も始まった。新政府の大学(内容を聞く限り文部省の前身だ)が学習課程について知りたいと見学を希望しているらしい。まだそこまで進んでいないのでとりあえずお断りしておいた。

 初回は利剛様直々に見学。寺島宗則殿や福澤諭吉殿もいる中、女性陣の挨拶を受ける。当然だが俺以上に緊張した様子だ。特に津軽藩の渋江しぶえ水木みずきは家柄的により緊張の度合いが強そうだった。


「津軽藩侍医、渋江しぶえ抽斎ちゅうさいの娘、水木と申しゃます」


 かんだ後で絶望的な表情になっていたが、それを指摘するような変な人間はいない。


「長岡藩家老、稲垣藤吉郎の次女、喜戸と申します」

大槻おおつき磐渓ばんけいの娘、雪と申します」

「徳川家元奥医師、桂川かつらがわ甫周ほしゅうの娘みねでございます」

「中津藩士の中上川なかみがわ才蔵の娘、澄と申します」


 まぁこんなかんじで一気に自己紹介だ。先に到着していた仙台藩や会津藩の女性、そして盛岡藩の女性陣も再度挨拶。小石川養生所の肝煎きもいり(担当医師)小川良意殿も娘を参加させたいということで参加するようになっている。人数多すぎていちいち覚えるのも大変なので、勉強中は紙を折って作った名札を各人の机に置くことにした。

 自己紹介の後は勉強する部屋へ移動した。下屋敷の板の間を1部屋、椅子と机を用意して作られた学習室。

 黒板も机も椅子も、この時のために用意した特注品だ。バットやゴルフクラブのミニチュアを作った時に世話になった職人に依頼したものだ。

 見たことがない女性もいるようで、どうすればいいのかと困惑しているのがわかる。

 そして、事前に伝えていた麻子様が座ってみせ、盛岡藩の女性陣が他の女性陣に座り方を教える。

 全員が席に座ったのを確認した上で、話を始める。


「まず、学習にはこちらの黒板を用います。ここには文字を書けます」


 そう言ってから俺自身の名前をチョークで黒板に書く。

 チョークは一関藩の領内で試掘をしてもらっている石灰を使っている。一関藩は伊達氏の一族である田村氏の藩だったため、戊辰戦争後に2千石を没収された。実際は『いわてっこ』の普及で実高4万石を超えていたため大きな問題にはなっていないが、減収分を一部賄えるよう領内の石灰を使ってチョークの製造を始めてもらっている。小学校の設立が開始したら、一関藩がもつ石灰鉱山から東北・関東各地にチョークが供給される予定だ。

 黒板は仙台藩で採取される松煙を粉砕して糊に混ぜたものを木版に塗っている。仙台藩と一関藩で共同で製造してもらうことで、東北・関東全域での販売を目指している。


「それと、こちらに用意した雑記帳を使ってください。『ノート』と呼びます。書くのはこちらの鉛筆です。中の黒い部分で書きます」


 ケミカルパルプの試作品で作った紙束を紐でまとめたものをノートとし、輸入した鉛筆を使ってもらう。筆ペンも考えたけれど、多少鉛筆で洋風の筆記に慣れてもらってからの方がいいだろう。

 エンピツはのちのち国内生産しなければならないと思いつつ、今は輸入で我慢だ。

 そう思っていると、仙台藩の片倉景範殿の娘である福殿が鉛筆を見て口を開いた。


「鉛筆、確か父上が献上品を見たと申しておりましたね」

「仙台藩はどちらから買われたのでしょう?」

「あ、そうではなく、藩士の誰かがイギリスの物と同じ物を作ってみたとかで」


 日本人 (だけではないが)はそういう新しい物を模倣しようとする。その精神は大事だ。そこからオリジナルを目指すのが技術発展の王道だから。


「その藩士の方、ご紹介いただけると!」

「あ、えっと」


 流石に判断ができないのか、後方で座って見ていた仙台藩士の付き添いをちら見する。慌てて仙台藩士が「すぐに殿にお伝えいたしましょう」と言ってくれた。この時代の女性にそういうことを頼むのは無理があったか。


「ありがとうございます」


 その藩士と福殿に丁寧にお礼を伝える。しかし、鉛筆作りを既にしている人が、しかも仙台藩にいたなんて。ぜひ協力を仰がなければ。

 女性陣がペアで動くことで盛岡藩と他藩の垣根も下がる。うまく交流して人脈を広げてくれるといい。

 少し方言で話がかみ合わない時もあるようだが、まぁそれはそれ。少しずつ標準語をつくる動きも出るだろうし、どうせこれから英語の勉強で多言語の学習になるのだ。多少は誤差だろう。


「とにかく、この道具を使って勉学を進めます。使いきったら新しい物を用意しますので、絶対に遠慮せずに申し出てください」

「旦那様、書き間違えた時はどうすれば?」

「えっと、本当はこちらの消しゴムを使いたいのですが、まだ輸入が安定していないです。ですので書き損じにこうして取り消し線をひいていただければ」


 麻子様が口元をおさえて視線をこちらからそらした。どう考えてもこの呼び方は俺をからかっている。


「麻子様、講義中はその呼び名を控えていただけると」

「あら、それは失礼いたしました」


 どことなく楽しそうな声色の麻子様。盛岡藩からきている大島殿の娘スケさんは随分楽しそうだ。この空気感で講義をし続けるのか、と気恥ずかしいやら焦るやらでなんとも言えない気分だ。


 その後も距離感の難しさを感じつつ1時間の講義を行った。多少打ち解けるのを優先したが、欧米文化について少しずつ情報を伝えていければいいと思う。

 終わった後の南部利剛様は満足気だった。他の見学した面々は特に話をしなかったものの、後で寺島殿と福澤殿に聞く限り悪い感触ではなかったという話だった。


 ♢


 夏。

 淡路島の処遇などをめぐって関西では結構なもめ事になっているらしい。聞いた話、阿波の大名だった蜂須賀氏の管轄だったらしいが、淡路島を所領としていた稲田氏は蜂須賀氏やその家臣と微妙な関係だったらしい。

 今政府が行っている戸籍に関する動きの中で、蜂須賀氏は稲田氏の家臣を士族と扱わなかったらしい。実は初期の新政府では士族と卒族という2つに武士が分かれており、卒族は士族の下とされていた。で、稲田氏家臣は卒族扱いされたわけだ。

 春には盛大に揉めていたようだが、情報の伝達速度の関係などもあって最近になって俺にも情報が入ってきた。

 稲田氏は蜂須賀氏の『客分』として淡路島を管理している(という主張)であり、戊辰戦争では積極的に新政府に協力してきたらしい。どちらかというと保守的で佐幕派に近かった蜂須賀氏は新政府に協力した稲田氏をあまり良く思っていなかったようで、両者の家臣は微妙な関係になっていたそうだ。

 廃藩置県まで推し進めたい新政府としても面倒な状況なのだろう。薩長がそれほど強い状況ではない中、徳川氏から養子に入っている蜂須賀氏に強く出にくい状況がある。12代将軍徳川家慶の甥が現在の当主なので、下手な処分は佐幕派による第二の奥羽越列藩同盟を招きかねない。

 新政府では急きょ大阪に鎮台を設置することを布告し、薩長中心の御親兵に加えて秋田藩・広島藩などから構成した大阪駐屯部隊を整備しているそうだ。特に警戒しているのが蜂須賀氏と血縁のある紀州徳川氏・東海道の徳川慶喜・尾張徳川氏なので、桑名藩から没収した領地にも部隊の設置を検討しているそうだ。


 戊辰戦争が終わるのが早かった分、まだまだ不満が燻っている。農民は『いわてっこ』のおかげで収穫が安定し、その不満はほとんどない。一揆や打ちこわしがほぼ沈静化しているおかげで表面上は安定している。新政府が『いわてっこ』の普及に協力したこともあり、西日本ではむしろ農民から新政府への支持が高いらしい。

 しかし武士層の不満はおそらく本来より高い。士族反乱への流れ次第では岩倉使節団の出発も遅れるかもしれない。俺は俺のやるべきことをやらないといけないが、史実の知識をあまり頼りにしすぎないほうがいい段階に来つつあるのかもしれない。

一応女性陣の一部紹介

南部麻子(南部利剛娘、盛岡藩)1858年生

大島スケ(大島高任娘、盛岡藩)1857年生

西郷細布(西郷頼母娘、会津藩)1852年生

片倉福(片倉景範娘、仙台藩)1860年生

渋江水木(渋江保妹、津軽藩)1856年生

中上川澄(福沢諭吉姪、中津藩)1858年生

桂川みね(桂川甫周娘、幕臣)1855年生


全員は書きませんが、こんなメンバーです。

チョークと黒板は義務教育のスタンダードになる前に国産体制を整備しつつ、仙台藩や会津藩に殖産興業のヒントを渡している感じです。

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