第66話 グローバル・スタンダード
活動報告にも書きましたが、基本的に今後は毎週水曜の投稿予定です。
東京府 東京
外国の特許事情に関する情報が外務省に集まってきた。江戸時代を通じて、日本には専売という制度が存在した。産業保護といった面が強かったものの、水戸納豆や醤油の組合などが当時から存在したのは事実だ。しかしこれは特許ではない。現状福澤諭吉殿が『パテント』として特許を紹介しているので、日本でも発明特許を保護しようという動きは出ている。諸外国の特許権を守る意味でもこれは必要だ。
ただ、今秋までに渡米予定の森有礼殿はこの問題について困り顔だ。
「実はどこが管轄すべきか揉めておりまして」
外国との照会なども考慮すれば外務省で請け負った方がいいと彼は考えているが、人手が足りない。司法を担当する刑部省は条約改正にむけて刑法と治罪法の整備に忙しい。
「刑部省も徳川の下で諸法度を運用していた人材を招聘していますが、完全に新しいものをつくらねばならぬので」
「手が足りませぬか」
「とはいえ刑部省としては自分たちの管轄が減るのは困るでしょうし」
正直に言えば、刑部省の下に特許庁をつくって外務省と連携してもらえればそれでいいのだが、特許庁をつくる余裕もないのだろう。
「ひとまず専売略規則は来月から施行しますが、パテントに一番詳しいのが福澤殿、開成所出身の神田(孝平)殿くらいで」
神田殿は西洋の官僚に関して研究していた開成所の教授だ。その関係で新政府にも早々に招聘されている。
「健次郎殿は誰か詳しい人をご存じないか?健次郎殿はどちらかというとパテントを利用する側でしょうし、中に入るのはあまり宜しくないでしょうから」
「盛岡の藩士以外に知り合いなどほとんどおりませぬが」
「確かに健次郎殿は元服前でしたな」
「元服は盛岡でと言われておりますので、当分幼名のままでございます」
戸籍法の整備も刑部省と維新政府によって進んでいるらしいが、このまま岩倉使節団に派遣されるとなると戸籍完成後に士族の兄から独立した家をたてる時に平民になるという史実の原敬ルートがとれることになる。その意味ではこの状況はあながち悪くない。後日相談だが、麻子様を平民にしてしまうのは問題になるかを確認しておきたい。昨日南部利剛様から日付指定の呼び出しがあったので、ほぼ間違いなくそのあたりの話だろう。
「オランダではちょうど特許法が廃止されたそうで、オランダの条文も和訳をしておりますが、ヨーロッパでは議論が巻きおこっているようですな」
「列強における最大の覇者であるイギリスとアメリカが廃止しない以上、国際標準は特許法の存続です」
調べてもらったところ、イギリスでは特許申請の簡素化や申請費用の減少が決まっていたようだ。イギリスは特許を申請しやすくしていることになる。その後を考えれば、イギリスに倣うのが正解だろう。
「まぁ、我が国が一番商取引を行う相手もイギリスですからね」
「そうですね。なんとか人材を集めて部署をつくらねば。今は和訳に高橋殿が協力してくれていますよ」
「高橋って、仙台藩の?」
「ええ。アメリカ帰りの苦労人ですよ。一昨年の帰国後に私が匿っていたのですが、その語学力は頼りになります」
以前同じ部署だったので少し話したが、高橋是清だ。アメリカでの体験談が俺が前世で知っていた話と完全に一緒だった。
「高橋殿ならパテントについて任せられるのでは?」
「いやぁ、彼だけでは人不足です」
「高橋殿の仙台藩の伝手は辿れませんか?敗戦の責を負って今も牢にいる異国の藩士もいると聞きましたが」
仙台藩からも女子教育に参加すると利剛様から連絡がきて、先週そのメンバーが盛岡藩下屋敷に挨拶に来た。片倉景範(伊達政宗重臣の子孫だ)の娘や大槻玄沢の孫娘が来たのだが、挨拶の後仙台藩などの状況を調べてもらった。あまり処罰された人間は多くないものの、処罰された人間は所領没収などで困窮している可能性が高い。
「今入牢している玉蟲(左太夫)殿や大童(信太夫)殿なら、仙台藩での外国との商取引や渡米経験を生かしてくれると思います」
「佐幕派だった方々ですか?」
「ええ。会津藩や越後諸藩との交渉を務めた人物です。切腹した但木土佐と違い、所領没収のみで東京にて牢屋暮らしです」
「となると、赦されるには政府の許可が要りますね」
「有徳な人物ばかりなので、少し西郷様にかけあってみます。長岡含め、佐幕派だった藩にもまだ埋もれた人材がいないか調べねば」
森殿はあまり省庁の垣根を意識せずに特許整備を急いでくれている。こちらとしても俺たち兄弟が今後発明する技術に特許が取れないと困る。いずれ発明される技術を先取りしているだけなのだから、囲いこんで偽物をつくる業者が生まれたり最低限特許料を欧米列強から回収できなくなったりすると困るのだ。
「工部省はパテントには関わらないことが決まっているので、外務と法務でまずは法の検討。その後管轄する局の設置でしょうな」
「特許局ですね」
「左様。東京には提供いただいた藩邸が多くございますからな」
うまく機能して製紙やガラス、セメントあたりで手をつけている技術が保護できるのが一番だ。
「それと健次郎殿。アメリカに行く日が決まりました。夏です」
「おお、おめでとうございます」
アメリカで少弁務使として働くことが決まっていた森殿。国内の仕事も多かったので今まで先延ばしだったが、日取りが決まったらしい。
「アメリカで健次郎殿をお待ちしていますよ」
「元服していることもありえますが」
「そもそも南部への婿入りもありえますしね」
しまった。その可能性は考えていなかった。その場合自分は華族になるのか?それはちょっと困る。
「まぁ、名前が変わっていたら早めに教えていただけると助かりますな!」
そう笑っている森殿だったが、利剛様に確認しなければという思いで俺の頭はいっぱいだった。
♢
製紙・印刷業は東京で今できることがない。アメリカ・イギリスに行くとして、その時までに『英語ができる』『各種マナーを知っている』以外の武器が欲しいと兄に相談をしたのだが、兄は趣味だったというゴルフを薦めてきた。この時代、当然だが日本にゴルフは存在しない。先日イギリスに帰国したチャールズ・リッカービィも名前は知っているがプレイ経験はないと言っていた。アメリカ人貿易商のウイリアム・ドイルは名前も知らなかったので、どうやらまだメジャーなスポーツにはなっていないようだ。野球もウイリアム・ドイルは知っていたがリッカーヴィは知らなかった。サッカーでさえウイリアム・ドイルは知らないのだ。世界的なスポーツ競技はこれから生まれるのだろう。
とにかく、イギリスとアメリカでの手土産にと思って木挽き職人に野球のバットとゴルフのクラブのミニチュアをお願いすることにした。お土産代わりなので相手に通じればいい。見た目が大事。我々はそちらのスポーツに理解がありますよとアピールすればいいのだ。
イメージの絵を持っていくと、木挽き職人は少しうなっていた。バットはアオダモ、ゴルフクラブはパーシモンと呼ばれる柿の木で作っていたそうなので、それらで材料を指定した。
「あまり柿の木は使ったことがないんですが、小さすぎるのも加工に時間がかかりますよ」
「あ、これくらいの大きさで大丈夫です。イギリス人やアメリカ人へのお土産にしたいので」
「メリケンかい?だったら手は抜けねえ。異人にも俺らの腕、見せつけにゃぁ!」
やる気になってくれたのはありがたいのだけれど、船で運ぶものだからあまり繊細にしすぎないでほしい。木挽き職人は今後どうしたって仕事が減るだろうから、今のうちに木製バットやテニスラケットやゴルフクラブの職人、そして楽器職人として抱えこみたいのだ。目指せ文化・芸術のコングロマリッド。とはいっても『普通の産業』を育てるのが優先にはなるんだけれど。何もしないでいるとどうしたってこっちの分野は遅れてしまうから仕方ない。
せっかくなら森有礼殿が訪米する前にバットのミニチュアだけでもとお願いしてきた。銀座周辺の木挽き職人はあまり残っておらず、木場のある深川周辺に移住した人もいると聞く。守田座などがある繁華街といっていい木挽町は木挽き職人の町ではなくなりつつある。外務省に行く前に寄ったが、かつては長屋があったと言われた場所にその面影はなかった。江戸時代だけで見ても、町の様子は変わり続けていたということだろう。
駕籠でいつもの人に外務省まで運んでもらう。1度ぼったくりの駕籠屋にあたったことがあるのと、攘夷士族に待ち伏せされて襲われかけたことがある。そういったことがおきないよう、盛岡藩士が護衛として一緒に移動してくれている。大村益次郎のような大物ではないとはいえ、外国人と仲の良い盛岡の若造と目の敵にされている部分はあるのだ。
無事に外務省に到着すると、寺島宗則殿がいつもと違って忙しそうに書類に追われていた。
「どうされましたか?」
「おお、健次郎殿。ちょうどよかった。当分こちらに来る日を増やしていただけるか?」
「それは構いませぬが……何か喫緊の仕事でも?」
「実は政府が刑法典をまとめましてな。急ぎ各国語に翻訳をして条約交渉に用いたいのです」
そこにあったのは『新律綱領』と書かれた冊子。新政府として仮で運用されていた刑法から、これに変更となるようだ。
「まだ全てを確認はできていないが、イギリスの『コモン・ロー』という考え方はちょっと形にできそうにないというのが参議の判断だよ」
「まぁ、あれは長く運用されてきたからこそですし」
「フランスとドイツの法典を読んだだけで理解できるわけでもなし。翻訳作業が終わったとはいえ、やはり清の法典を基本にせざるをえなかったようで」
「そうですか」
「なんとか『法の不遡及』だけは原則行わずとしましたが、法の未整備による問題をイギリスから指摘されるのは目に見えておりますな」
一足飛びに旧刑法にいくには法律学の理解が足りていないということだろう。色々な人に聞いた感じボアソナードも来日していないので、法律の専門家がいないのだ。俺自身も六法全書なんて持ったこともないわけで。今回は基本的な考え方として法の遡及適用は不可くらいしか伝えられなかった。
「ひとまず、こちらの英訳を頼みます」
示された6ページほどの部分に木製のしおりを挟む。まだ外には出せないそうなので、自分がよく使う作業室に向かうことにする。
「あ、健次郎殿。品川宿にいなかったからと部屋に大島殿がきていますよ」
「大島殿が?ありがとうございます」
盛岡藩の釜石製鉄を整備した大島高任殿。今は新政府で盛岡藩が主導していた製鉄所の整備を新政府が引き継いでおり(相変わらず予算は盛岡藩の収入からだが)、その流れで彼は釜石と東京を往復していた。
部屋に入ると、大島殿がにこやかに待っていた。洋服に身を包んでおり、この後工部省に行く予定なので私的なことは後で夕食の時にと言われた。
「直記殿のおかげで高炉の更新と転炉の試験運用を始められたよ。薩摩の御姫様とも仲睦まじそうだし、流石は原の跡継ぎだ」
「それは何よりです。そのあたりはよく知らぬもので」
「むしろ製鉄のことまで健次郎殿が分かっていたら困る」
少しおどけたように大島殿が言う。
「煉瓦を用意するのが大変な代わりに、鋼をつくるのに熱を加えずとも良い状況になったのはありがたい」
「鋼って熱なしで造れるのですか?」
「正しくは高炉で熱した鉄ならば鋼にできる、かな。わざわざ輸入した鉄以外の鉱石を入れる理由はわからないが」
兄は「日本の鉄は燐が足りないから転炉が使いにくいんだ」と言っていた。同じ資源でも鉱物の成分が違うのは当然だから、そのあたりは任せている。転炉の仕組みも兄が大まかな仕組みを説明しつつ、定期的に横須賀製鉄所にいるお雇い外国人フランソワ・レオンス・ヴェルニーの助言を受けているそうだ。
その後大島殿は工部省に向かい、俺は翻訳の仕事にとりかかった。夕方に今日の予定範囲を終えると、大島殿が工部省のある赤坂からこちらに戻ってきていた。
「上野で鍋でも食べよう」
「あぁ、山下ですか」
「まだまだ寒いからね」
がん鍋は江戸時代の数少ない肉食文化だった。牛鍋が少しずつ話題になっているが、まだまだ庶民には普及していない。がん鍋は割と定番だ。その中でも有名なのが上野の料理屋山下なのだ。
近場なのでさっさと移動し、2人で鍋を囲む。武家社会では同じ鍋を一緒につつくのははばかられているのだが、大島殿はもうそういう文化には頓着していない。鍋は温かいうちに食べるのが美味しいのだ。
「意外と牛鍋屋は裕福な平民の方がよく食べているらしいね」
「武士はまだまだ肉食に抵抗があるのでしょうね」
「口に入るものも変えないと彼らの体格には敵わぬよ。攘夷と叫ぶなら相手を知らねばね」
「むしろ我が国の醤油でいい塩梅に味付けして彼らの文化を塗り替えるくらいの気概が欲しいところです」
「それはいい。そういう気概が必要だ」
たっぷりの京菜(水菜)と一緒に肉を頬張る。今日獲れたがんは噛み応えがある。脂は少なめで、野生で鍛えられた肉のうま味が感じられる。
「そういえば、姫様にプリンを食べさせたとか」
「プリンだけでなく、試作したジャムや紅茶もこの前味わっていただきましたよ」
「イギリスの上流階級は紅茶が大好きだって話か」
「ええ。そのあたりの事情もふまえて」
「姫様は甘い物が好きだそうだ。殿が喜んでおられたよ。自分の分も用意してくれると尚いいと」
輸入物は高いのであまり多くは仕入れたくないのだが。
「必要な金は用意してくださるそうだ」
「次回から必ず」
自腹じゃないなら問題ない。藩からの支給金が増えて困ることもない。
「それと、直記殿に側室を、という話になっていてね」
「へぇ。それはそれは。兄上に」
「東京で活動している健次郎殿はどうしても目立つ。だから縁談が盛岡藩に複数来ている。しかし嫡男は直記殿。健次郎殿が外向きに動く上、藩内の他家と縁を強くしてもらおうって話になってね」
「まぁ、めでたいことは何よりです」
「あとは、健次郎殿がいない原の本邸の管理も任せたいという話もあってね」
兄が喜ぶかは知らないが。あの桜を管理してくれる人がいないと困るのは確かだ。
「そちらが決まる頃には麻子様との件を殿が内外に発表することになるから」
それで呼び出しがあったわけか。
いよいよ年貢の納め時、というほどの年齢でもないか。
史実でも最初の専売略規則は対応する人手不足もあって、正式な出願を1件も受けられずに廃止されています。実際の特許関係は1884年に本格施行され、高橋是清が初代局長に就任しています。
健次郎はこの流れをうまく加速させつつ、自分がいくつか特許を確保しようとしているかんじです。




