第58話 婚姻同盟って明治になっても残るらしいですよ
後半3人称です。
東京府 東京
盛岡藩藩主・南部利剛様が東京に到着した。2日後には江戸城で各大名を集めた版籍奉還の会議がある。その前に、秋田藩と盛岡藩の参政(以前の家老の一部)が薩摩藩参政の西郷隆盛に呼ばれた。上屋敷にてそれに随行するように言われたので、つい疑問が口から出た。
「その大事な場に参加せよ、というのがわからぬのですが」
「いや、健次郎。これは西郷殿の意向でな」
盛岡から来た参政の野田親孝様はこちらを宥めるようにそう言った。
「西郷様の?」
「この度、我が藩が力を入れてきた日新堂で学んだ藩士を新政府でも採用したいとのことでな。七名がまず従事するのだが、健次郎殿には引き続きお願いしたいことがあるとのことで」
その話に本人も参加しろ、ということなのだろうか。
「そういうことでしたら」
「すまぬな。おそらく今の開成所の手伝いが期間延長となるのだろうが」
その程度ではたしてあの西郷隆盛に呼ばれるかな?という考えはあるけれど。
♢
先に参政だけの話合いがあるため、江戸城の一角で手持ち無沙汰に待っていた。明後日の会議は旧大名や公家が一堂に会した会議だそうで、江戸城内は大騒ぎだ。周辺を様々な大名家や旗本出身の人々が準備に奔走しているのがわかる。部屋の前の廊下をバタバタと走る足音は木の床のきしみとともにこちらを気にする余裕もない状況であることを感じさせる。
10分ほど経過しただろうか、1人の女性がお茶を運んできてくれた。大奥がなくなったのに、江戸城内に女性がいるのに疑問を感じていると、疑問が顔に出ていたらしく、女性が苦笑しながら答えてくれた。
「宇和島の伊達のお家でご奉公している者でございます。人手が足らぬということで」
「あぁ、議定をお勤めの藩主様のお方でしたか。これは失礼をいたしました」
「お気になさらず」
そのまま女性はこちらより深く頭を下げると、部屋を出て行った。伊達宗城。宇和島藩主にして明治維新で数少ない「能動的に活躍した藩主」だ。明治維新以後も求められた大名出身者は実は多くない。島津の藩主忠義公も、その実父久光公も要職にはついていないし、長州の毛利敬親様も版籍奉還後に亡くなるはず。新政府に望まれて残るのはすごいことなのだ。
その後、自分の感覚では30分くらい何もなく、その後小姓らしき人物に呼ばれて西郷様や野田様のいる部屋に向かった。
部屋に入ると、その場にいる5人の人物が全員難しい顔をしていた。眉間にしわが寄っているのは西郷様。怒りの色が見えるのは野田様だ。そして両者を宥める様子なのは、白髪交じりながら背筋がピンと立った人物だった。
「噂の神童殿か。議定の伊達羽林である」
「お初にお目にかかります。開成所にて英語の翻訳をしております原健次郎にございます」
「実は、神童殿に岩倉らとともに欧米に渡ってほしくてな。その相談をしていたのだが」
そう言った伊達宗城様は、小さく溜息をつく。そして口を開いたのが、野田様だった。
「それは健次郎殿が決めること。それより、健次郎殿のご婚姻については、既に我が殿の麻子様が」
「しかし、我らとしてはこれからの新政府と南部をつなぐ役目を健次郎殿に期待している部分もあってな」
俺の知らない間に俺の結婚話がもめていた。『岩倉とともに』ということは岩倉使節団だろう。これは先日の森有礼様の話より具体的だが、岩倉使節団として外国に行って時間的に問題ないかがポイントだ。森様の提案については個人的にお雇い外国人を探すという案を兄から提案されている。自分たちだけで手が足りるわけでもないし、現状存在する技術の導入だけならお雇い外国人を探して技術指導を頼むのは現実的と言えば現実的だ。新政府への働きかけも、森様か岩倉使節団か、いずれにせよ参加していれば許可をえやすいはず。俺の時間というリソースを割く価値は十分ある。逃げる気持ちも少しありつつ、一言だけ話す許可をえる。
「えっと、差し出がましいことを申すようですが、岩倉様と欧米に行くのであれば、当分婚姻などは厳しいかと考えますが……」
「ではその使節に麻子様もご参加いただきましょう!夫婦御一緒に行くのであれば問題ございませぬよね!」
いや、現状で夫婦になった覚えはないのですが。あと、それは野田様が決めていいことなのでしょうか。
そして、会話はひたすら伊達宗城様と野田親孝様の間で続く。
「野田殿としては、ご正室は南部のお家から、ということなのですね」
「左様。ここは譲れぬ部分にございます」
「であれば、他家の者を側室に、というのはいかがか?」
「そこはお相手の格次第かと。他家の藩主様のご親類ではお相手に失礼ですし、足軽の娘では原の家に合いませぬ」
「それはご尤も。あくまで我らは新政府と南部の融和をお手伝いしたいだけですので」
こういう時、子どもというのは無力なものだ。俺の意思はおそらく何1つ意味をなさない。麻子様は立場上好きな結婚相手を選ぶことは難しいだろう。そういう意味では、まだ顔もわかるし話したことのある同年代の俺はましな結果だ。だが、俺のもう1人のお相手にとってはどうだろうか。政略結婚丸だしな今回の案は、その女性にとって幸福なものになるだろうか。まぁお前が頑張れと言われてしまえばその通りなのだけれど。
「それとは別として、我ら御一新にて共に戦った藩同士、血縁は強くしたく」
「間違いございませぬ。実は殿のご嫡男のお相手を探しておりまして」
「実はうちの煕が」
後で聞いたところ、伊達宗城様はわざわざ時間を作って来ていたらしい。そこまでの重大事扱いは悪くないが、『平民宰相』を目指す身としてはあまり大仰な結婚はしたくないのだけれど。
とりあえず、岩倉使節団への参加は前向きに検討ということになった。野田様は「殿に麻子様のご参加を注進してまいります!」と意気込んでいた。
♢♢
盛岡・秋田との会談後の夜。伊達宗城ら議定・参与が6人集まっていた。岩倉具視・大久保利通・辻維岳(広島)・木戸孝允・渋江厚光(秋田)による会談は、とても穏やかに進んでいた。話の主体は伊達宗城と岩倉具視である。参与たちは今回の件では各藩の代弁者でしかないため、名前が出ないかぎり口をはさむことがない。
「これで分家も含め、よい塩梅となりましたな、岩倉殿」
「まぁ、仔細は任せる」
「家と家がうまく交流できる形になりましたので。あとは例の盛岡藩家老の次男」
「そう。原健次郎。その者、参加すると申したか?」
「まぁまぁお待ちを。大久保、いかがか?」
聞かれた大久保が、今回の話し合いの顛末をふまえて答える。
「まずは廃藩後もこちらとのつながりを強くするべく、秋田か、こたび秋田と揉めた津軽をつなぐかをすべきかと」
「南部は姫を使節団に送ると申しておった。そこまでの覚悟ならば、側室も欧米に向かうことができる者にすべきだな」
「まさしく。その点では、秋田の家老家ではない方がよいかと」
「秋田から誰か使節に向かう者はいたか?」
そう聞かれ、渋江厚光が答える。
「家老の小野岡(義礼)の嫡男が留学予定ですので、使節団と一緒に向かう形になるかと」
「津軽は?」
「誰も。困窮で藩士を派遣する余裕もないでしょうから」
伊達宗城は少し考える素振りを見せる。岩倉具視がその様子を見つつ、辻維岳に目配せを行う。辻はうなづくと、口を開いた。
「森枳園という医師がおります。福山藩の医師ですが、先代公方(徳川家茂)も診た名医にございます。彼が一時師事した渋江抽斎という者が津軽の元藩医でして」
「ほう」
「津軽が安房に減封となった上、抽斎自身も既に亡くなり、妻子が江戸で困窮しているとか。森が開成所に援助を求めていたようで」
岩倉具視は事前に辻維岳が調べていた情報から、森枳園が支援している渋江抽斎の七男保が英学を学びたがっていることを知っていた。そして、その妹である水木は武家に嫁いで安定した生活を望んでいることも聞いていた。
「あまり津軽とのつながりは強くなく、さりとて津軽の者。困窮も元は父の死でございますれば、あまり健次郎殿に恨みもないかと」
「いかがかな議定(伊達宗城)」
「家老などあまり高すぎると南部の姫と軋轢が生まれかねない。さりとて他の藩士では恨みが出かねない。他藩とのつながりもあり、分別もありそうなよい提案ですな」
「津軽の藩士から見ても、資金援助で藩士を支援しているのは悪いことではない」
(逆恨みされる場合もあるだろうが、それは何があっても恨みを深める者ども。無視してよし)
岩倉具視は使節団に通訳として健次郎が加わることを最重視していた。若年ながら通訳として活躍する若者。しかも新聞で欧米文化に詳しいことも間違いなし。現地で非礼となることもそうそうない。しかも盛岡藩は資金的にも余裕があるので、大島高任含め3名の使節団派遣が決まっている。派遣時期は新政府の構想が優先であり、廃藩置県までのロードマップを描く彼らにとって使節団派遣はまだ絵に描いた餅だ。しかし、10年近くこの使節団派遣を画策してきた岩倉にとって、使節のメンバーとして欧米に詳しい人材は今の段階から確保しておきたいことだった。
「武家のことは任せる。とにかく、原健次郎を使節の1人として連れていけるようにだけ手配を頼む」
「お任せください、岩倉様」
逆に言えば、岩倉に使節団の準備という点で譲歩していれば公家の新政府への大幅な参画を抑えられる。新政府に加わった諸藩出身者は、岩倉を満足させる意味でも版籍奉還などと並行して彼の願いを叶えているのだった。
岩倉使節団自体が本格始動するのは廃藩置県に目途が立ってからです。しかし、岩倉自身は「会計外交等ノ条々意見」(1869)という提言で史実でも新政府設立早々に使節団派遣を主張しています。今回の動きは、その動きと関連して新政府への取り込みを計画したものになっています。




