第55話 挙国一致を願う者たち
期間が空いてしまい申し訳ありません。少しずつ投稿頻度を戻せるように頑張ってまいります。
後半は三人称視点になります。
東京府 東京
世の中の情報というのはやはり政府の中枢に近い方が手に入りやすい。情報化社会に生きていた前世ではわからなかったが、情報の速度と確度で見るとその差は歴然だ。そして、だからこそそういった情報の波に振り回されて腰を据えて進めたいことがなかなか進められないのも事実だ。
まさに今そんな状況だった。国内外の情報が押し寄せて、東京の開成学校は身動きがとれずにいた。
「で、アメリカの軍艦は戻ったのだな?」
「は。朝鮮側は軍校らが主に対応したようで」
「まぁ、彼らは使節の格を重んじる故な」
3年前、ジェネラル・シャーマン号という商船が李氏朝鮮との交易を求めて朝鮮半島へ向かった。しかしこの船から誰も戻っておらず、昨年春にアメリカは海軍のジョン・C・フレイバーガーを軍艦で派遣していた。それ以前にも照会を依頼したらしいが、鎖国中の彼らはほぼ反応せず。そのため、難破して朝鮮半島に到着していないのか、到着したのかすら不明なのだ。
しかし、派遣されたメンバーは正式な外交使節ではなく、あくまで情報収集を目的とした軍人だった。元南軍出身のフレイバーガー艦長は敗戦側の海軍軍人であり、権限などを与えられたわけではなかったのだ。結果として、正式な使節ではないならと朝鮮側の両班はほとんど対応せず。代わって警察官にあたる軍校の役人が対応したそうだ。成果らしい成果のなかったアメリカは、怒りに任せて朝鮮半島に兵を送るのではないかとみんなが恐々としていた。
「欧米各国は正式な交渉の前に下交渉としてあまり身分の高くない実務者を派遣することが多いです。逆に国家間交渉には必ず一定の格を求めるのが清や朝鮮ですね」
「そういうことだ、新次郎殿。アメリカとて、当初は我が国にも軍人や商人を送ってきた。我らはペルリがプレジデントの親書を持っていた故徳川幕府が対応したが、こたびのアメリカの軍艦にはプレジデントが関わっていないらしい」
まさに『文化の違い』だろう。とはいえ、全員行方不明ではアメリカ側もどうしようもないのだろう。大統領からの何かしらの委任状などがあれば話も変わったのだろうが。
「横井殿も亡くなり、下手人は捕えられたそうですが」
「まさか、横井殿のことを開国を推し進めた論者と誤解しての乱行だったとは」
横井小楠の死。襲撃事件の後亡くなった横井小楠は熊本藩における木戸孝允・西郷隆盛的な立ち位置の人物だった。彼の死は熊本藩が新政府で主導的な立場を握ることができなくなったことを示している。現在一強といえる薩摩藩とそれに続く長州藩・福岡藩・広島藩・佐賀藩・熊本藩という関係性から、熊本藩が若干脱落する形になる。秋田藩と熊本藩がやや立場が弱いといった関係か。
「新次郎殿、アメリカの公使との対談はこの文字におこしたものが全てかな?」
「はっ。おそらくアメリカも当分はおおきく動けないのではないかと」
「アメリカも内戦が終わって間もない。今海を越えて軍隊を派遣する力はない、か」
アメリカは南北戦争が終わってからあまり時間がたっていない。今軍隊を動かすのは南の情勢が不安定になるからまずしないだろう。
「朝鮮も運がいい。時期によっては大軍に国を滅ぼされていただろうに」
「南米でも戦が続いているとのこと。当分アメリカは動かないでしょう」
現在の開成学校は後々の外務省設立への準備の一部も担当している。そのため諸外国の情報も入ってくるのだが、現在の南アメリカ大陸ではアルゼンチンやブラジル、ウルグアイがパラグアイと戦争をしているらしい。サッカーのワールドカップ予選かと最初は勘違いしそうになった。
ヨーロッパはスペイン王の空位もあって混乱が続いている。俺の知識ではもうすぐ普仏戦争が始まる筈の時期だ。この時期に早期に内戦を終わらせて国体の変更を終えられた史実日本は幸運というほかない。そして、この段階で欧米諸国の本気を見ることができなかった李氏朝鮮にとって、ジェネラル・シャーマン号のことは不運な出来事だ。真相は知らないが、もし攘夷的な行動が行われたとするならば、日本の明治新政府に対する李氏朝鮮の態度もむべなるかなといったところだ。
「以前、朝鮮はフランスの軍艦を打払っている。そのことが彼らの欧米への強硬姿勢を助長しているのだろう」
幕府のフランス外交に関わり英仏への滞在経験もある塩田三郎という人も開成学校に来ており、彼は3年ほど前にあったというフランス軍艦による江華島の占領事件について教えてくれた。俺の前世での認識では李氏朝鮮には外国がほとんど関わっていないイメージだったが、実際はロシア・フランス・イギリスなどが既に接触しているらしい。しかし、攘夷思想の強い朝鮮はこれに応じていないとのことだ。
「危ういな、朝鮮。あの地がイギリスやフランスの植民地とやらになれば、我らも喉元に刃を突きつけられる」
「しかし、今はまだ朝鮮に感けている余裕はありませぬ」
「然り。今は国内をまとめねば」
諸外国を見た人ほど、欧米諸国との国力の差を痛感している。だからこそ今の干渉されない奇跡を理解し、有効に使おうと必死なのだ。
「新政府からは公使との交渉について翻訳の依頼も来ている。健次郎殿にも手伝って頂く」
「はっ」
当分は盛岡に帰れないだろう。だからこそ、東京でできることも探していかねばならない。
♢♢♢
東京府・江戸城
東京への行幸で帝が滞在する江戸城にともにやってきた諸藩の主要人物だったが、東京への奠都を目指す方針は暗黙の了解となりつつあった。公家出身者には反発も強く、岩倉具視は彼らの反発をおさえるために「遷都ではない」と度々発言していた。公家の中には陰陽寮の土御門家などの京都での権力復活を目指す勢力もあった。彼らを不必要に刺激することを避けるためにも、東京には首都が移らないとされていた。
そんな中、西郷隆盛と木戸孝允は(彼らから見て)若手の薩長藩士との話し合いを行っていた。そのメンバーは井上馨や伊藤博文、そして薩摩出身の森有礼だった。
「森の申す事はわかる。大島(高任)殿だけでなく、南部の育てた人材は必ず役に立つ」
「じゃっどん、秋田の面々がいい顔はせぬ」
森有礼はイギリスから帰国後、外国との折衝を担当する外国官権判事を勤めていた。東京で仕事をする中で盛岡出身の人材の豊富さを知った彼は、積極的な登用を訴えていた。
「しかし西郷さん!」
「見た。おまんが言いたいあの瓦版は一通り読んだ。よく外国のことがわかった」
「新聞です!あれはイギリスにあった新聞そのものです!それを自力で作りだしたのです!その見識は絶対に我が国に必要です!」
「だからこそ、その童だけにせんな。秋田から出仕した(佐竹)大和どんと(戸村)大学どんに新設される大蔵省で働いてもらうが、あまり秋田は人を出せぬ」
西郷は秋田藩や広島藩などに配慮する面もあってあまり盛岡藩を重用しない方針だった。島津と南部に血縁があるからこその厳しい態度だった。
「西郷さん、あまり贔屓はよくない。幕臣にも評判のよい盛岡の知識人は取りこまねば」
「しかし」
「それに、広島の(野村)帯刀殿は敗れた諸藩含め挙国一致たるべしと申された。他藩もそうであろうよ」
広島藩の先代家老・野村帯刀。広島藩の中でいち早く勤王派として動き、広島藩士・辻将曹の会計事務科へ推薦した人物だ。広島藩の重鎮であり、大参事就任の要請を断り、隠居した。彼の言葉で連合諸藩は敗北した旧幕府や東北諸藩の人材も盛岡藩の人材も、優秀であれば新政府に積極的に登用すべしという形にまとまった。
「わかりもした。岩倉さぁはこちらで何とかいたしもす。元々帝は御所の警護をしていた盛岡兵に情けを示しておられもす」
「ありがとうございます!」
数人の若手が頭を下げたところで、西郷と木戸は目くばせをしあってにやりと笑った。全ては彼らの筋書き通り。軍における優位を確立した今、旧幕府出身も東北出身も積極的に登用して諸外国と対抗したい時期にきていた。その流れを若手の陳情という形で彼らはつくりあげることに成功した。長州藩は資金援助を受けた恩を返し、薩摩藩は身内びいきという批判を受けずにすむ。完璧といっていい展開をつくれた2人は、早速既に説得を終えている岩倉の元に向かった。
いかにも重そうな足取りで。
外国情報が入ってくる場所でひとまず働くことになった健次郎。
一方、新政府内では挙国一致の政権づくりへ、そして政府の主導的立ち位置を求めて綱引きが続きます。
史実でも幕臣らを新政府に招き入れていますが、その動きが外圧にあると私は考えておりますので、この部分は史実との変更点はないです。ただ、この請願あたりから維新三傑の次世代が少しずつ台頭してきています。




