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平民宰相の世界大戦 ~原敬兄弟転生~  作者: 巽未頼
慶應四・明治元(1868)年
52/109

第52話 慶喜の矜持

少しずつ投稿していきます。お付き合いいただけると幸いです。

 出羽国 酒田


 庄内藩は1866年に改革派、すなわち反幕府派の家老・藩士を処罰しており、藩論はほぼ佐幕で統一されていた。この点は秋田藩との戦いで大きな影響を与えた。藩論を一致させた秋田藩・庄内藩は互いの全戦力を互いの戦線に投入し、互角の戦いをくりひろげた。新庄藩からの攻勢にも対応し佐幕派の中で最も激戦を戦い抜いた庄内藩だったが、箱館から逃走した旧幕府海軍から弘前藩の敗北を聞くこととなった。

 庄内藩家老・松平親懐(ちかひろ)は一報をうけて急遽主要家臣を集め、藩主酒井忠篤(ただずみ)と今後について話し合うこととなった。


「秋田藩の仲介で弘前藩は新政府に降伏する」


 藩主の一言で、親懐以外の家臣たちは各々一言感想を述べる。


「想定よりやや早うございますな」

「仙台藩が及び腰になったせいで、盛岡藩への圧力が弱かったのでは?」

「秋田藩の弘前藩国境にいた兵はどの程度の数か知りたいな」

「幕府海軍はひとまず北越支援に向かってもらうが、盛岡藩の軍艦はこちらに来るのでしょうか」

「盛岡藩が秋田藩にこれ以上援軍を送れば我らも危うい。仙台藩にもう少し自ら動くよう申してもよいかと」

「いや、そもそも会津藩が兵を一切動かしていないのが問題ではなかろうか」

「ない袖は振れぬ。我らだけで出来ることを考えることが肝要」


 庄内藩には北越赦免を求める動きに関わった仙台藩の動きが小さいことと、会津藩が一切動かないことに反発する藩士が多かった。しかし、現実的に考えて両藩を動かすために何かする余裕はない庄内藩の現状を彼らは理解していたので、自分たちでできることをすべきという考えが強かった。

 一通り意見がでたところで、家老の親懐が口を開く。


「今のままでは長岡藩が耐えきれぬ。最前線の藩は収穫もままならぬ様子。本来なら援軍を送りたい、が」

「我らにその余裕はない」

「殿の申された通りだ。我らに余裕はない。薩摩は新たに一万に及ぶ援軍を出発させたと喧伝している」


 その言葉に、知らなかった前線に常駐していた面々が渋い顔になる。北越諸藩は防戦とはいえ優位に戦っている。しかし諸藩は人手不足で不作がほぼ確定している。戦い続ければ消耗で勝てなくなる。とはいえ薩摩などの新政府軍もこれ以上長く戦う気と庄内藩も思っていない。長引くほど国内や諸外国から不安視されると考え、藩兵を大規模に投入してでも北越諸藩に勝とうと考えていた。


「薩摩藩らが本気になれば北越諸藩も、薩摩藩らも互いに無事ではあるまい。それは望まぬはず」

「今ならばある程度の条件も引き出せましょう」

「会津藩には仲介を頼んでいる。あとはどこまで動いてくれるかだが」

「現状がよいとは会津公も思ってはおりますまい」

「であろうが、問題は会津殿の周りだな」


 現時点で会津藩では家老級家臣含む6人が切腹することで責任をとる姿勢を新政府側に示していた。これ以上動いて藩主に追求が及ばないようにしている彼らがどこまで動くは未知数だった。


 ♢


 陸奥国 盛岡城


 今日も今日とて護衛に勤しむ。山階宮やましなのみや晃親王様に入った報告を聞けるので状況把握には都合がいいが、毎度毎度気がぬけない。藩主様と2人きりの会話している部屋の護衛は重要すぎる。


「前公方が?」

「はっ。北越諸藩と庄内藩らを許してはもらえないか、と」

「それを言えば徳川藩にも多少の責が及ぶであろうに」

「彼らを自領に宛がわれた地に迎えることも辞さぬと申したとか」


 どうやら徳川慶喜が水戸から新政府に北越諸藩への寛大な処分を願いでたらしい。本来自分が駿府で保有するはずだった石高から北越の藩を3つ受け入れ、本来の移封先も調整して実高からの石高減少をおさえる案らしい。徳川慶喜は70万石まで石高を減少させ、北越諸藩は実高ベースでは3割ほどの石高減少ですむ状況となる。越後の6割を新政府の直轄とできるため、新政府は税収の増加が見こめる。徳川宗家が損をすることで全体をまとめようという案だ。


「懸念されるのは東海道の諸藩が強固に徳川でまとまることにございまする」

「しかし、そもそも徳川に渡す地だったならば問題なしとする向きもある。各地に徳川第一とする藩が散らばるよりは良いのではないか?」

「これ以上戦を続けても被害ばかり増え、諸外国に付け入る隙を与えかねないのも事実ですし」

「越後に入った西郷らはどうするつもりなのか聞きたいが、我らとしては異存なきことは伝えてもらいたい」

「はっ」


 どうやら秋になる前に戦自体は終わりそうだ。


「弘前藩は六万石に減じて移封となる。移封先は実高八万石で安房。代わりに桑名藩が八万石を津軽藩として移封し、それ以外の四万石が盛岡藩預かりとなる予定だ」

「桑名藩は今北越諸藩にかなりの藩士が合流しております故、致し方なしかと」

「何より、柏崎の藩士を藩主が説得できずに柏崎を追い出された。これが問題視されてな。柏崎の領地が没収の上、桑名の要地も任せられぬとして津軽へ移封と決まった」


 桑名藩は柏崎に飛び地を持っていたが、ここに佐幕派藩士が結集して新政府に抵抗している。桑名が新政府軍に占領されていたため、降伏後の居場所としてここに向かった桑名藩主・松平定敬は柏崎に集まる佐幕派に抵抗しないよう説得を試みたそうだ。しかし藩士たちはそもそも桑名にいることがほとんどない養子の藩主に反発した。御輿として一時幽閉されていたらしいが、なんとか脱出し新政府に保護されたそうだ。実質的に藩を統制できない松平定敬に、新政府は桑名という東海道の要地を任せられないと判断して移封処分を決定したのだ。まぁ、実質的に盛岡藩預かりである。


「長岡藩始め諸藩も実高を考慮した移封にできるだろう。本来実力で要求を通すというのも正しくはない。それを忘れずに処分を示さねばなるまい」

「しかし、北越諸藩も多くの藩士が失われました。それ自体が十分罰ともなりましょう」

「そうだな。そうなれば良いが」


 実際問題として西南戦争が今後起こるかはわからないものの、西南戦争のような武力による現状改変を求める動きになりかねない。それは阻止しないといけないことは新政府の人間もわかっているのだろう。このあたりは諸外国との関係もあって難しいところだ。


 ♢♢♢


 常陸国 水戸城


 薩摩家老の小松帯刀は病をおして水戸城で徳川慶喜との会談に臨んでいた。


「申し訳ございませぬ。座るのも痛むもので」

「その状態でよく来て下さった」

「いえ。おそらく、これが最後の奉公と考えておりもすので」


 船と輿で運ばれたが、小松帯刀は息切れや足の腫瘍で人前に出られる状態ではなかった。既に年内での参与辞任を心中で決めていたが、北越戦争を終わらせるまでは死ぬ気で取り組むと決めていた。


「それほどの覚悟を見せられれば、こちらも願いに答えるしかあるまいよ」

「では」

「うむ。使者に幕臣を連れて行くと良い。彼らの言さえ聞かぬなら、北越の藩は徳川の敵となる、と伝えてもらって構わぬ」


 徳川慶喜直筆の降伏を促す文書。慶喜が自らの領地を削ってでも条件を北越諸藩有利にしたことを記し、速やかに武装解除するよう伝えていた。そして、これを幕臣として北越の藩士と交流のあった面々を選定。これを派遣することとした。条件面の提案は慶喜からだったが、文書や使者の件は小松帯刀からのお願いだった。そして、彼の病状を知った慶喜は、その覚悟を知って全面的に応えた。


「これで、必ずや戦を収めまする」

「日ノ本のために、お任せする。たとえそれで徳川が島津の下になろうと、な」

「はっ」


 徳川宗家はこの和睦に向けた動きで駿府70万石まで石高が減る。それはつまり、薩摩藩の表高より下になるということだ。それは避けられた戦況でありながら、しかし北越戦争を終結させるため、徳川慶喜はそれを許容した。

 薩摩藩の一員として、本来であればこういう動きをすることはありえない。しかし、死を悟った小松帯刀という男は、最後の自分にできることとして徳川慶喜の力を借りた。この文書と使者が長岡藩に到着すると同時に北越戦争は停戦となり、北越諸藩は武装解除を受けいれることとなったのだった。

徳川慶喜という人の国家観は以前言った通りなので、徳川家の存続や島津氏との勢力争いより日本の植民地化回避などに視点がいってしまいます。近代国家の元首であれば正しい選択ですが、封建国家の領主として見れば彼の判断は多分間違っています。しかしその考え方が、結果的に北越戦争を終わらせるという彼の矜持になりました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 小栗と河合継之介が生存しているか気になる。 失うには惜しいですが。 [一言] 思ったより被害軽くて良かった。 函館戦争が起こらずに済んだなら戦費が史実より五十万両は少なくなるかな?…
[一言] 最後の将軍が慶喜公だから何とか軟着陸できたというのは史実でもあるのですが、そもそも14代が慶喜公なら、もっとうまく行ったのではと思ってしまうのが歴史のifですよね
[一言] 更新お疲れさまです。 盛岡藩四万石の実質加増だけど経済的な利益を得るのは先になりそう。 南部としては一部でも津軽藩から土地取り返せたのだから感情的には嬉しいでしょうね。 慶喜の仲裁案もあっ…
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