第35話 倒幕運動は西から、大政奉還は北から (中)
遅くなりました。申し訳ありません。
肥後国 熊本
熊本藩に派遣された薩摩藩家老の小松帯刀は熊本藩主・細川喜延と家老・米田虎雄との直接会談に臨んでいた。
「柳川藩も中津藩も、幕府の、そして唐津藩の行いには不信感が大きいようで」
「我らも幕命に従って小笠原様に従った。しかし小笠原様は小倉を見捨てた」
唐津藩の小笠原長行は幕府老中として九州方面軍を率いた。しかし、結果としてこの九州方面だけが敗れ、小倉を奪われたことで幕府軍は長州と痛み分けに近い結果となった。長行は停戦の前に九州諸藩の不信を招き、熊本藩含む各藩の撤収に繋がった。
「とはいえ、薩摩が参戦していれば勝てたのだがな」
「さて、それは仕方ありませぬ。そもそもこの出兵自体に無理がありました故」
「ふん。まぁ良い。過ぎたことだ。今重要なのは今後だ」
「そう言って頂けると助かりまする」
これまでに4回会談を重ねていた中で、小松帯刀の誠実さを知っていた細川喜延は多くを言わず本題に入る。
「で、幕府と戦う気なのだろう?」
「さて。しかし帝の御意向を正しく反映させられる国であるべし、と我が藩は考えております」
「それは当然だ。しかし、だからこそ先帝が幕府に政を預けるとされたのは重いことだ」
「とは言え、幕府を我らが頼れるかは分かりませぬ」
実際、長州征討での幕府の動きは西日本諸藩を疑心暗鬼に陥らせるのに十分だった。もし外国が攻めてきたら、その時幕府は援軍をくれるのだろうか。長崎に近い平戸藩や柳川藩はそんな考えにいたっていたし、福岡藩では一時佐幕派が掌握していた藩論が二分する程度には揉める状況になっていた。
「さればこそ頼れる政府が必要、という事でございます」
「それはその通り。だからこそ、帝の委託は重い、という事だ」
熊本藩は暗に『朝廷との連携、帝の意思』を求めた。薩摩藩はこうした密議で『帝の密勅をえる』ことができれば薩摩藩に味方するという藩を増やし、広島藩・中津藩などに加え、府内藩の在藩家老らを味方につけていた。そのため、薩摩藩は次の一手として『討幕の密勅』に関する活動を開始するようになっていく。
♢
陸奥国 盛岡
夏。幕府は迷走を続けていた。
神戸開港の勅許をえたものの、その強硬な姿勢は七侯の不信を招いた。七侯のうち島津久光・伊達宗城らは佐賀藩の鍋島直正を七侯に加え、将軍徳川慶喜と9名での合議で重要議題を決定することを求めたそうだ。しかし徳川慶喜はこれを拒否した。慶喜は長岡藩前藩主の牧野忠恭を参加させて自身の味方となる藩を増やそうと逆提案し、その露骨な手法に批判が集まった。そのいずれの動きに対しても山内容堂は日和見し、京にいながら体調不良を理由にほぼ出席しなかったらしい。
そんなわけで、土佐藩は幕政にも薩摩藩の動きにも一切関与する姿勢を見せていない。これに困ったのが亀山社中の坂本竜馬であり、中岡慎太郎だったようだ。彼らは大政奉還と七侯会議を利用して諸侯会議の設立を狙っていた。彼らは佐賀藩の副島種臣と協力し、土佐藩・佐賀藩で大政奉還の提案を狙ったものの、山内容堂が首を縦に振らなかったため、七侯ではない佐賀藩も浮いてしまっていた。何より、土佐藩の態度に信用を置けない佐賀藩以外の諸藩は、土佐藩の脱藩浪士でしかない坂本竜馬の意見に耳を傾けることはなかった。そこで、コネのある盛岡藩に坂本竜馬は話をしにきたのだった。正確に言えば、坂本竜馬の仲介で後藤象二郎・福岡孝弟が盛岡を極秘裏に訪ねてきた。俺は端も端でなぜか会談内容の筆記手伝いをさせられていた。後でこれを英仏訳しておくためらしい。それは俺のやる仕事なのだろうか。不思議だ。
「(楢山)佐渡様、既に幕府のみに全てを委ねることは出来ぬと佐渡様はお分かりの筈。より多くの藩が参加し、かつ徳川を守るためには大政奉還以外ございませぬ」
大政奉還は数年前から各方面で主張されてきたものだ。越前藩の改革者・横井小楠や勝海舟ですらこの考えを提案したことがあるのを俺は知っている。公武合体を主軸とした幕府はこの考えを受けいれなかったが、形式上徳川幕府を解体して公議を政治の唯一の中心とする考えは昔から存在していた。
「しかし象二郎殿、今の幕府が風前の灯火というならともかく、幕府は健在と言えずとも未だ勢力十分かと」
「真でしょうか?四国・九州は大いに荒れておりまする」
奥羽諸藩を見慣れていると津軽藩以外は順調に見えるわけだが、実際は西日本では稲作が壊滅的な状況だ。収穫されるのが安い米のため大坂・京などの町人の生活は安定しているものの、農村部の収入は壊滅的になりつつあるようだ。彼らは既に各城下町の米蔵を襲い、米の買上げ価格の増額を求めている。貿易によって生活必需品でさえ価格の上昇が見られる中、綿布と米だけが低止まりしているためだ。農村の生活は安定しない。しかし米は足りているため価格が上がらない。そして西日本の米は余剰米のため買いたたかれる。その悪循環が、西日本全体の景気を悪化させていた。これは史実より恐らく悪化した部分だ。俺たちの介入で、日本全体は豊かになっているが、西日本にその恩恵は及んでいない。
「幕府は諸藩の支援をする余裕もなく、地方は財政の悪化に苦しんでおります。故に、諸藩を救えるだけの強い国を目指さねばなりませぬ」
「象二郎殿、しかしだ」
「幕府は自力で何とかすべしと申される。それは至極当然。しかし、藩の財政がどうにもならなければ、幕府はその藩を取り潰すでしょうか?」
「それは」
「取り潰して、新たに誰かが大名となりましょうか。借財は幕府が何とかできるでしょうか?できぬでしょう。幕府は既に他国にすら莫大な金を借りている」
そう。財政の破綻で改易となった大名は過去いない。その前に一揆などを理由に改易にするからだ。しかし、昨年から西日本で頻発する一揆に対し、幕府は何も反応していない。調停さえできずにいる。だから、各藩の不信感は増している。
「既に九州の大名貸しは誰にも金を貸しませぬ。大坂でさえ東国の大名にしか貸そうとしませぬ」
「だからこそ、我が盛岡藩が担保することで長州は金が借りられた」
「左様にございます。大名貸しはもう金を回収するのみ。中には先日の戦費を賄うため、藩士の禄を半減させた藩もございます」
大名貸しは金の回収に困る状況から、もう誰かに貸そうとしなくなっていた。その中で資金調達できた長州藩は優位に立っている。表面上は大名貸しが長州藩に金を貸した、という話だが、西国諸藩は驚いたそうだ。もう誰も金を貸してくれないから。外部向けには薩摩藩が支払い保証したということになっているので、薩摩藩はその風聞を利用して味方を集めているらしい。
「それでも幕府は改易させず、何もしませぬ。もう幕府だけに任せるのは無理なのでございます」
「しかし、公方様がそれで頷くか?」
「七侯会議にて盛岡藩よりご提案いただければ、薩摩藩は賛同いたします。土佐も、我が殿を必ずや説き伏せまする」
「うむむ」
そこまで話したところで、佐渡様は南部利剛様を窺うように見た。話すべきことは話したので殿に決断を願いたい、ということだろう。
「象二郎とやら、これは何のための提案だ?」
「はっ、帝のため、この国のためにございまする」
「ではならぬな。公方様に提案する以上、公方様のためにならねば」
南部利剛様はそう告げる。
「公方様のためにならぬのに、何故公方様が受け入れるのか。まず、公方様のためになる案を持って参れ」
その言葉に、後藤象二郎の肩は小さく震えていた。利剛様が退席された後、彼らが退席する際に顔が見えたが、その表情は悔しさと焦りをにじませるものだった。
♢♢♢
会談後、南部利剛と楢山佐渡は2人で話し合っていた。
「殿、もう大政奉還の話は受けぬことにいたしまするか?」
「いや。もう一度あの男が来たら話を聞く」
「やはり」
「ああ、幕府が限界なのは事実だ」
この2人は、いや、東中務含め大部分の家老衆も幕府は限界が来ていると思っていた。
「豊臣を滅ぼした時、天草の乱を鎮めた時、幕府は譜代と旗本で戦う力があった。しかし今はもうない。今のままでは、幕府と旗本こそ不幸になる」
「誰かが幕府を一度畳まねばならぬのですな」
「うむ。それに、幕府がなくなれども大名は残る。大名は大半が公方様と共に歩む道を選ぶだろう」
実際、東北諸藩は親幕府的な藩が多く、落ち着いていた。京に滞在していたとはいえ、西国の不穏な空気までは実感できない距離にいた彼らには、急激に幕府から離れつつある西国諸藩の考えは届くわけもなかった。
「何より、この非常時に全てを負わされる公方様も不憫よ。多くの藩で支えながら帝とともにこの国を守る。そのための大政奉還でなければ、な」
山内容堂は積極的に大政奉還に動かず。藩士が主導して賛同する藩を増やし、提案までお願いしようという腹積もりです。
各藩の動きについては史実とほぼ準拠ですが、若干変わっている藩もあります。たとえば広島藩あたりは史実より財政が悪化しているのでちょっとだけ親薩摩藩よりです。
この頃の史実盛岡藩は楢山佐渡が1866年の飢饉による財政悪化で心身体調がすぐれないまま家老職復帰⇒東中務と財政健全化の方法で対立した上佐幕と勤王で内部抗争⇒東中務謹慎というグダグダをやっている最中だったので、幕府の状況を客観的に見ている余裕も京周辺の情報を集める余裕もありませんでした。余裕があればこの程度は動けるくらい優秀な人がどの藩も揃っています。




