第26話 伝わらないもの、伝えたい思い
ちょっと遅くなりました。今まででは長めです。
陸奥国 八戸
盛岡藩は大量の船を手に入れたものの、これらを扱える船乗りや船長が当然のように不足していた。そのため幕府関係の航海術や操船術を知る人間を派遣してもらうことになった。最初にやってきたのは吉村富次郎という人物だ。今年の春まで自身が船長を務める船の沈没で八丈島に滞在していたらしい。リハビリをかねて半年間、盛岡藩で航海術などを指導してもらうことになった。俺は日新館で今年から新たに船員候補生として就学し始めた10歳以上の武士(こちらが船長候補となる)と町民を連れて八戸の湊にやってきた。兄が不在のため、兄と俺の教える学級が一時的に他に吸収されているため俺の仕事がないためだ。俺より年上も普通にいるので、実際の引率役は幼馴染の那珂氏に養子入りした荘次郎殿(数え15歳)だ。
「吉村様は幕府のお役人だったのですか?」
「長崎の役人の次男ですな。兄が後を継ぐので、何か他の事をせねばと本木昌造様の下で長崎製鉄所に務め、船乗りに」
「本木昌造様!あの本木様ですか!」
「ご、御存知ですか。それはそれは」
活版印刷を国内で普及させる上でこの人物を語らずに話が進まない。
「実は活版印刷機をフランスから買ったのですが、使い方がわからぬという部分がありまして。日新館でも困っていたのでございます」
「おお、であれば長崎で学んだだけですがお役にたつやも知れませぬな」
習練を見学しつつ大島殿に先程の件を話すと、追加で給金を払って印刷関係も指導をもらえることになった。日新館の長岡安之助殿を主に印刷チームが結成され、個別で行われていた指導を教科書式に変更することが決まった。教科書を作って初等教育を均一化しつつ、専門的な教育を今後も可能にするための作業だ。冬で学校以外の作業がないのも幸いした。
「船乗りの教育と印刷でいただける禄が幕府でもなかなかもらえない程なので、このままここで働きたいですな」
「幕府の方は宜しいので?」
「うーん、現状某の船がないので、船長もできるこちらで働いている方が。腕も鈍りませんし」
「うちは船が結構増えましたしね」
「今度蒸気船も来ると聞きましたし、蒸気船の船長になれるならどこでも喜んで務めますよ」
彼は彼で俺が英語フランス語が話せるということで大人相手と変わらない対応をしてくれる。まぁ本人も数え20歳と若いのが理由だろうけれど。
「石炭が蝦夷で採れるのは大きいですよ。英吉利も自国で石炭がとれるから蒸気機関で発展したので。大国はみな石炭と鉄が採れます」
「バーミンガムですね。フランスならアルザス=ロレーヌです」
「そんな名前だったかな?某はそこまで学がないので。しかしお詳しい」
「各国のことも学ばねば正しく通詞が務まらぬので」
「そういう向上心こそが異国の言葉を覚えるのに必要なのでしょうね」
自身が操る船が座礁して八丈島まで流されたのに、なおも船に乗りたいと思える方が十分向上心があると思うけれど。
♢♢♢
安芸国 広島
広島の国泰寺で、幕府と長州による2回目の会談が行われていた。
「何度も申すが、別に多くは求めておらぬ。毛利公親子と家老衆が出頭し、頭を下げる事よ」
「しかし、既に藩内の久坂(玄瑞)ら、主だった者は既に討たれておりまする」
幕府から派遣されていた永井尚志は難しい立場になっていた。長州藩は少しずつ強気になっており、幕府内部は意見がまとまっていなかった。条約勅許をめぐる動きの中で徳川慶喜と松平容保は阿部正外ら無勅許での兵庫開港を決めた幕閣を批判し、朝廷の力を借りて謹慎させていた。朝廷は慶喜らを幕府の中でも信用するようになり、京都を中心に活動する公武合体派の徳川慶喜・松平容保ら一会桑派閥と江戸を中心に活動しフランスの助力で朝廷と距離をおく派閥の対立が深刻化していた。彼は両者の時に矛盾する条件をまとめるという無理難題を押し付けられていた。一会桑派閥は長州が再度恭順となることを第一に派兵を求め、江戸派閥はフランスの後援で武力をもって長州を一撃せんと訴えていた。
「このままでは幕府も本気になりますぞ」
「困りました。既に我等、幕府に従うことは再三示しておりますに」
「ならば毛利公を京に派遣されませい」
「近頃はお体が優れぬ故、萩を離れるのは難しいかと」
のらりくらりといった交渉に悩みながらも、武力衝突を避けようと永井は必死だった。彼は広島に駐屯する幕府および諸藩の兵を見ていた。西国諸藩は米価の低迷で収入が不安定になっており、その士気は明らかに低迷していた。たとえ幕府軍がフランスの武装をえているとはいえ、他藩は装備・練度・士気全てが劣っていた。永井は可能な限り戦わずに長州の降伏にもっていきたかった。しかし、長州の態度は最後まで変わらなかった。
物別れに終わった第2回会談を終えて、永井は陣屋で諸藩の様子を報告した新選組の近藤勇に小さくつぶやいた。
「誰も広島の現場を見ておらん。戦はこの地で行われるのに、上方と江戸で争っている。これでは戦にすらならぬ」
「もう少し頼りになる藩をせめて呼ぶしかないのでは?」
「薩摩の動きが不穏故、京の兵は動かせぬ。となると、追加で奥羽から兵を呼ぶしかないが」
「奥羽は魯西亜から蝦夷を守る役目がございますれば」
「左様。会津以外は動かすのに忍びない」
「最近西洋の装備を多く買い求めている長岡藩に追加の援兵を願うとか」
「そうだな。越後諸藩は余裕がある。追加で兵を頼むよう上方に連絡するか」
彼はせめて威嚇するに十分な練度・武装の藩を追加しようと考えていた。恐らく彼の願いは正しく京にも江戸にも伝わらない。幕府内部に幕府を滅ぼしたい者がいないからこそ、彼の思いは伝わらない。
♢
収穫が終わり、全国的に『いわてっこ』の豊作が進んでいた。信濃や東海各地でも『いわてっこ』による収穫増が進み、米が余るという不思議な現象が発生していた。逆に、『いわてっこ』を育てていない東日本地域では米の価格が暴落した。農民でも買える値段になり、奥羽諸藩の農家では白米を食べる人々も出てきている。そういった旧米が大規模に東海道経由で購買力のある奥羽越諸藩に吸われ、代わりに『いわてっこ』が横浜と箱館からイギリスに流れている。
その煽りを受け、弘前藩は収入が激減して一揆が発生したらしい。長州征討の関係で西廻り海運が利用できなくなり、敦賀湾からの陸上輸送で大規模に米が運ばれているらしい。当然だが陸路は輸送費が上がるため、大坂のみ米価が高騰しているそうだ。長州征討の兵も軍米を必要としている関係で顕著のようだ。全体的に、東日本から滋賀までは豊作で米価安定、西日本は平年作だが戦争の影響で値上がりという状況となっている。
うちの藩はイギリス・フランスから買った船などを使って直接江戸に米を運んでおり、江戸の米価は安定し続けていた。幕府は盛岡藩に君沢型の船を4隻と翔鶴丸の譲渡を条件に米を5万石分譲り受けた。この米で混乱する一部地域に米を届けた幕府は何とか長州征討の準備を再開したそうだ。ちなみに弘前藩は秋田藩に救援を要請し一揆を鎮圧した。秋田藩から米を借りて救い米を出すことでなんとか事態を収束させたようだ。しかし一時は5000人規模の一揆になったらしく、処罰をしようにも大規模すぎて一揆指導者に手が出せなかったとか。攘夷論者が増えて脱藩した弘前藩士が江戸や大坂、京などに出没しているという噂も流れている。
そして、年末までに長州藩には大規模な武器が流れたらしい。亀山社中がグラバーと協力して流したようだ。ミニエー銃とゲベール銃が合計5000丁ほどらしい。ただし、これでは長州も戦いに不安があるとか。このあたりはイギリス側からえた情報だ。通詞としてそれらの報告を南部利剛様に伝える俺。現場には、金不足で盛岡の支援を求めるある男が訪れていた。
「というわけで、イギリスは何とかあまり干渉せずに、しかし帝を中心とした新しい政府に期待したいと考えているそうでございます」
「英吉利はどこまでこの動きに関わっている?それによって我等も動きを変えるぞ」
利剛様は明確に警戒感を示してそう答える。
『イギリス政府は一連の動きにどこまで関与しているのか?内政干渉は看過できない』
『あくまで商会から薩摩の依頼で動くのみでして。期待は期待でしかありません』
あくまで期待をこめて商会の売り先を選ぶだけ、ということか。これについては利剛様も少しはほっとしたようだ。
続いて、来訪者に話が及ぶ。佐渡様が対応する。
「で、そなたは何のために来た、亀山社中の西郷伊三郎」
「こたびはお会いできて恐悦至極ぜよ」
西郷伊三郎という亀山社中の副社長的な人物、らしい。特徴的な高知弁だが、土佐藩の浪士だそうだ。写真で見た顔とそっくりなので、100%坂本竜馬だ。背も他の武士より高い。竜馬は色々な別名を名乗っていたと聞くし。
「実はうちに金を出資して欲しいぜよ。うちが持っている船で蝦夷地の石炭運びを手伝う故に」
「佐渡、どう見る?」
「薩摩藩からも、この者は優秀だから便宜を願いたいと」
「うーむ、信用できるのか?」
まぁ、正直に言えばこの時点の坂本竜馬はぽっと出の土佐藩脱藩浪士だ。世間的な地位があるわけでもないし、薩長同盟もまだ成立していない。勝海舟の下で学んでいた経験があるというだけだ。
「大島、日新館で亀山社中とやらについて何か聞いたことはあるか?」
「いいえ、分かりませぬ。健次郎殿がご存知でなければ」
「ふむ。健次郎は?」
なぜそこで俺に話がふられるのか。
「確か神戸で勝海舟様に航海術を学んだ方が多いとは伺いました」
「ほう。それは確かに悪くないな」
正直、うちの藩は今借金もなく経営状態は抜群にいいだろう。うち以外に出資とかできる藩はないと思われる。大島様が許可を得て発言する。
「むしろ、西洋船の扱いを吉村富次郎と共に教えてもらいたい」
「ちゃちゃちゃ。大島様にそう言われたらぜひやらせて頂くぜよ」
亀山社中の船舶購入を支援する代わりに、うちの船員育成に亀山社中から新宮馬之助と池内蔵太が派遣されてくることになった。長崎貿易にもうちが関与できるようになった上、長州との関係が深い亀山社中のおかげで盛岡藩の米が九州にも売れるようになった。まぁ結果的にこの繋がりも悪いものにはならないだろう。
三連休は投稿多めになる予定です。
船を失った吉村富次郎こと平野富二。そして亀山社中との縁。少しずつ繋がりが出てきています。
長州藩は財政的な苦しさから史実より入手した鉄砲の数が減っています(7300⇒5000)。また、江戸・大坂での世直し一揆は米の増産によって結果的に回避されました。そして長岡藩などの動員数が史実より増える分、西日本の藩は史実以上に弱体化しています。これらがどう結果に結びつくかもお楽しみに。




