エピローグとこれから
俺が現実への帰還を果たしたのは十月三日であった。トコマが俺の夢にドルーフィムーリドを展開したのが六月中旬、小田留が俺を救うためにチェイサーとして進入したのが七月中旬、その後ドルーフィムーリド内で病院から脱走した小田留と再会したのが十月初め。つまり俺は梅雨の季節を越え、夏を跨ぎ、約四ヶ月間も病院のベッドで眠り続けていたということになる。
ただし現実世界への帰還後、すぐに退院することは叶わなかった。検査入院ならびに経過観察、そして若干のリハビリなどと、なんだかんだで入院生活は十月いっぱいにまで及んだ。退院後、あれやこれやといろいろあり、結局復学したのは小田留とほぼ同時期、十一月中旬であった。
ある日、進路指導室に呼び出された俺と小田留はこのような現実を突きつけられる。それは出席日数と単位の不足による留年であった。
小田留は俺に、「また一年、一学年をよろしくお願いいたします」と冗談っぽく言ったが、その顔には若干戸惑いの色が浮かんでいるように見えた。
同級生や俺の面倒を見てくれている親戚は、「ヤベーな……。まあ、頑張って」とか「将来就職に影響するかも……」など、物凄く悲観的な言葉を口にし、高校で留年などとんでもないことだ、といったようなネガティブな雰囲気を目に見えて醸し出していた。
これら状況を見て一つ思うことがあった。それは、人を不幸に飾り立てるのは当人ではなくまわりの人間なのだということ。そして、当人がポジティブに捉え歩き出そうとするのを、まわりの人間が悲劇を押し付け、可能性に水を差すのだということだ。
いろいろあって、本当にいろいろあって、若干価値観がずれてしまっているのかもしれないが、
――生きている。命があって、物を見て、感じることができる。
それは幸せだし、物凄く尊いじゃないか、と、とにかくそう思われてならない。それに比べたらたかが一年の留年など、一体何がそんなに悲観することがあるのだろうか?
*
季節は年末。とある師走の金曜日だ。この日も小田留は夕食を作りに――食べに――俺の所へとやってきた。
本日は季節に相応しく鍋であった。
俺たちはお互い向かい合ってテーブルに座ると、手を合わせて「いただきます」と言い、食事に手を付け始めた。
「あれからトコマからなにか連絡あったりしたか?」俺は自然と聞いた。
「なにもないです。将陽の方はどうですか?」
「こっちもなんもなし。トコマの連絡先分かんないからどうしようもないよな」
「きっと、トコマにもいろいろあるんですよ」
「例えば?」
「トコマはナビゲーターをやると言っていましたよね? それはつまり、今まで属していた組織とは決別して、敵対する側につくということです。だからこう、なんかいろいろあるんですよ」
「なるほど」
と、ここで、突然玄関のチャイムが鳴った。
俺と小田留は自然と顔を見合わせた。
「こんな時間に、誰でしょうか?」
「全く見当がつかない」
「まさか、トコマ?」
「まさか。龍之介とかじゃないか? 金曜は家で飯食うの知ってるし」
「ではなにか賭けましょうか?」
「オッケー」俺はサムズアップする。「でも何を?」
「トコマだったら私の勝ち。将陽は私の言うことを何でも聞く。龍之介君だったら将陽の勝ち。私は将陽の言うことを何でも聞く」
「面白い。のったぜ、その勝負」
俺は茶碗をテーブルに置くと一度コンロの火を切った。そしてダイニングを出ると、廊下を玄関へと進んだ。
玄関に着くと、俺はドアの取っ手をつかみ小田留を見た。
「じゃあ開けるぞ」確認するように言う。
口元に笑みを浮かべた小田留が、頷いて答えた。
そして俺はドアを開け放つ。
そこにいるだろう大切な少女と、
再び巡り合うために――。




