世界の真実 2
前方より吹き抜ける風がトコマの髪をサラサラと揺らした。彼女はどこか悲しげな顔でうつむき、手に持った和傘をクルクルと弄んでいる。
トコマが事の顛末を話し始めたのは、それから間もなくであった。
「私はな、一度死んでいるんだ。いや、実際に死んだとかではなく、極めて近しい状況に陥ったというのが正しいだろう。言うなれば死という世界を潜り抜けてきたといえる」
「言いたくないのであれば、言わなくてもいいんですよ?」小田留が後方から言った。
「いや、私もきっと、もう大丈夫だから」トコマは目を閉じて小さく頷く。「幼い頃、確か幼稚園に入る前ぐらいだ。私は親により、断崖絶壁から暗く渦巻く奈落のような海へと突き落とされたんだ。どうやら家計が火の車だったらしく、子供を育てることに、そしてなによりも自分たちの将来に希望が持てなかったかららしい。つまりお金が、お金を稼ぐ手段方法が、絶望的になかったんだよ。私は今でもはっきりと覚えている。忘れることなんかできるはずがない。彼らは泣き喚き暴れる私を殴りつけ、何度も何度も殴りつけ、最終的にはごめんなさいという欺瞞に満ちた言葉を呟いて、弱った私をそのまま崖の下へと放り投げたんだ」
ここでトコマが鼻をすすった。泣いてはいないようだ。
「だが私は奇跡的にも生きていた。瀕死の状態で浜に打ち上げられた私はすぐさま病院へと搬送、なんとか一命を取り留めた。そしてその後に私は、自分の中に二つの変化を認めた。一つは私が獏に、いや漠という能力を手に入れたということ。もう一つは、人を信じるという心を失ってしまったということだ。特に後者については致命的だった。この世で生きていくというのは、結局のところ人間とのつながりを利用するということだからだ。社会に適応し、仕事をこなし、生きる糧を得る。これらは全て根底に人間関係があるんだよ。人を信用できない。人との繋がりを許容できない。これは極端に言えば死を意味するといっても過言ではない。だがある日のことだ。私にある情報が舞い込んだ。それは漠の力を利用し金を稼ぐことができるという情報だった。もちろん私はすぐにそれに食いついたさ。生きるために金は必須だからな。そして私は仕事を斡旋する組織、絵十清水に登録。夢の中に侵入し、そこで発生するエネルギー、Dエレナジーの収集を始めたんだ。いい仕事だったよ。基本人と接することはないし、その中では私自身がトップなわけだから、上からグチグチ言われることもない」
「そのDエレナジーって、どうやって集めるんだ?」俺は疑問に思い聞いた。
するとトコマは胸元に手を突っ込みある物を取り出した。それは以前見せてもらった古い懐中時計であった。
「夢の中にこの懐中を持ち込めば、自動的に溜まってゆく。エレナジー収集はその夢の質と、滞在時間によって変わってくる。つまり人を選び、長く夢世界にとどまれば、その分たくさんのエレナジーが収集できるというわけだ。だが人の眠りは短く、良質な夢を見ることなど稀だ。だからだろうな。この業界には裏技が存在した」
「それがドルーフィムーリドってわけか」
「そうだ」トコマは頷き視線を落とす。「これは非常に効率的だった。良質な夢を見る者を見つけ、その世界に軟禁する。つまり質的にも、滞在時間的にも、全てにおいて通常のやり方を凌駕したんだ。一度便利で楽なやり方を知ってしまえば、人はもう戻れない。一気にそれが主流になったらしい。私が組織に入った時には既に、それ以外の方法は古典的な手法になっていた。だがここで問題が発生した。漠の能力を使ったこれまでの仕事、またやり方を、逆手に取った新たな商売が台頭し始めたんだ。つまり、ドルーフィムーリドで苦しむ人たちを救う商売だよ。彼らはナビゲーターと名乗り、ドルーフィムーリド被害者の親族等に対して、法外な現金を報酬に仕事を始めたんだ。必然的に彼らは我々の敵となった。同じ漠という力を持ちながら、我々とは敵対する道を選んだんだから当然だろう」
「なんか、血なまぐさいな。でもきっと、それが世の中なんだよな」
「戦うしかなかった。抗うしかなかった。我々はドルーフィムーリドをより巧妙にし、エクジットを隠し、ナビゲーターでさえ出られないよう設計等に力を注ぎ、日々奮闘した。つまり煩わしくなったんだよ。仕事が。そんなある日、私は偶然にもある発見をする。それはおそらくは私が一番初めに発見したものだった」
「発見?」とっさに聞いた。
「極々稀に、人は夢の中で夢を見るんだ。そしてその夢の中の夢に対してもドルーフィムーリドが展開できるというのを発見した」
「夢の中の夢……」
これを聞き俺は、今回俺たちに起きた大体の事を理解した。
「何もかもが新しく、また何もかもが未開の世界に対して、私はとある仮説を立てた。本来のドルーフィムーリド内で、そこが現実と信じているのならば、夢の中の夢で展開されるドルーフィムーリドは全く別の、それ自体で固有のドルーフィムーリドとして展開されるのではないだろうか? というものだ。そして私は勇気を出し、この新たな試みに踏み出した」
トコマは俺の顔を見ると、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「将陽、君の体を使ってだ」
トコマが俺の方に顔を向けたため、向かい風に煽られた横髪が幾らか彼女の顔にかかってしまう。俺はそれを手で払うようにして直してやると、「続きを」と言い、先を促した。
「私はこの、夢の中の夢に展開するドルーフィムーリドを利用し、我々の敵、ナビゲーターをなんとかできないだろうかと考えた。そして将陽の夢にとどまり続け、世界を見続けたある日、私はあることに気が付いた。それは将陽の見ている夢が極めて現実世界に近いということだった。どこが違うのかを見つけるのが困難であるほどに、だ。そのすぐ直後だ。とある計画を思いついたのは」




