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世界の果てへ 1

 俺はトコマを引き上げ梯子につかまらせると、眼下を見下ろしてみた。

 暗い都市が、おぼろげにも月光に浮かんでいる。太平洋岸の地域は大部分が海水につかってしまっている。このままいけば、世界が沈没するのも時間の問題なのかもしれない。


「トコマ、お前から上がれよ」


 トコマの耳元で大声を出す。しかし彼女は反応を見せない。髪の毛で顔が隠れていたため表情までは確認できなかったが、うつむき加減に黙り込んでいる。

 とりあえずは自分が先に上がろうと考え、俺はゆっくりと梯子を上った。

 機内は非常に狭かった。二人がけのシートが三列あったが、通路がないため移動は困難。操縦席の隣には既に何らかの荷物が置かれていたし、最後尾には小田留が座っていたので、どうやら俺たちは自動的に中ほどの席になりそうだ。

 俺はなかなか上がってこないトコマに手を貸そうと、機内から体を乗り出した。するとそこにはガタガタと震えるトコマの姿があった。

 この時点でようやく思い出す。トコマは高所恐怖症なのだと。

 焦った俺は直ちにトコマの手をつかみ機内へと引き上げる。そして心が落ち着けばという思いで背中をさすってやった。

 トコマは俺の方に寄りかかり、しばらくは定まらない視線を宙に漂わせていた。ほどなくして彼女の全身から力が抜けた。そうかと思えばそのままへたり込むように俺の脚の上で意識を失った。

 俺はそんなトコマを座席に座らせると、ここでようやく後方へ、小田留の方へと顔を向ける。

 目が合った。小田留は両手をシートの背もたれの上にのせて、こちらを潤んだ瞳でのぞき込んでいた。


 ――生きている。動いている。小田留がそこにいる……。


 心の中に息苦しいほどの感情が押し寄せ、一瞬声を出すことができなくなってしまう。

 正直俺はこの腕で思いっきり小田留を抱きしめたかった。抱きしめ、生きていることを喜びたかった。だがこの限定された狭い空間ではそれは無理だ。なので俺は手を伸ばしそっと小田留の頬に触れた。彼女はその俺の手を優しく包むように握った。

 心の中で自分自身に言う。


まだだ、と。まだ終わっちゃいないんだ、と。


そう、小田留は小田留であるが、まだ本物じゃない。俺たちの住む、俺たちの世界の小田留に返してあげなければ、そこに俺の求める小田留はいないのだ。


「何も聞かないでほしい。とにかく俺と一緒にきてほしい。小田留はある場所にいかなければならないんだ」俺は言った。


 すると一瞬不自然な間があいた。エンジンの音がうるさく、声が届かなかったのかなとも思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。

 その間小田留は左斜め下辺りに視線を落とし、手で頭を押さえるようなポーズを取っていた。


「小田留、とにかく何も聞かずに、俺についてきてくれるか?」もう一度聞く。

「分かりました。将陽に、ついていきます」


 今度はすぐに返事が返ってくる。

 小田留の答えに安堵した俺は、彼女の目を見つめながら、一度だけゆっくりと頷いた。


「おう、取り込み中のところ悪いんだけどよ、いいか?」


 操縦席に座る龍之介が言った。


「ああ、もちろん」

「これから一体どうするんだ?」

「俺たちはこのままこの飛行機で、あの霧に包まれた例の大陸に渡るけど。龍之介はどうする? どこかで降ろした方がいいか?」


 すると龍之介は小さく笑った。


「降ろすって、どこにだよ。もうすぐ地上沈んじまうんだぜ」

「まあそうだけど。じゃあどうする? とりあえず一緒にくるか?」

「そうさせてもらうぜ。ガイド継続だぜ」

「了解。じゃあこのまま謎の大陸の方へと飛んでくれ。ちなみに、どれぐらいかかる? いや、どれだけいける?」


 質問に対し、龍之介はしばし黙考する。


「荷物もほとんどねーし、この飛行機だったら三千キロぐらいだな。謎の大陸の東岸が、確かハワイの近くだったはずだから、ちょうど大陸の真ん中付近でガス欠だ」

「時間は?」

「燃料ギリギリまで飛んだ場合、今は風に向かって飛んでるから、そうだな、四十時間ってところだ」


 俺はポケットから携帯電話を取り出し制限時間を確認。残りの時間は五十四時間ジャストであった。何事もなくうまくいけば余裕。どこかで少しでもつまずけばギリギリといったところだろうか。

 そして俺はまたもや不安に襲われる。トコマは大陸にいけばいいと言っていたが、そこが最終目的地ではない。大陸はあくまでも大地であり、扉やゲートなどといった、潜り抜け、通過するものとは違うからだ。つまりその広大な大陸のどこかからエクジットになり得る建物、あるいはそれに近しい何かを探し出さなければならないのである。


 できるのか? この限られた時間の中で……。


「で、大陸のどこら辺に向かって飛べばいいんだ?」


 考え込み、黙ってしまった俺に向かい龍之介が聞いた。


「とりあえず、大陸中央に向かって飛べるだけ飛んでくれ」

「了解。あ、あと……」助手席に置かれていた紙袋を差し出す。「一応いりそうなもん買っといたから。食糧とか毛布とか、その他いろいろ」

「……つか、お前初めから同行する気満々だったろこれ!」

「あ、ばれた? そりゃーだってよー、例え世界が存続したとしてもよー、地上じゃ俺もう犯罪者だからね。居場所なんてねーんだよ」

「それに関しては俺たちが巻き込んだようなもんだから、何にも言えない。まあとにかく、ありがとう。マジで助かるよ」


 俺は礼を言い、中をあらためてみる。

 袋の中には毛布が二枚、数日分の食料、ペットボトルの水、ウェットティッシュ、そしてライトや双眼鏡等が入っていた。俺は毛布と幾らかの食料を後ろの席へ、小田留へと渡した。もう一枚の毛布はトコマへと、包むようにかけてやった。


「ところで」俺は龍之介に聞いた。「飛行機の操縦なんだけど、ぶっ続けはきついよな? 多分俺も操縦できるけど、どこかで交代するか?」

「いや、いい。丸二日ぐらいなら寝なくてもいける。つーかこれが俺にとっては人生最後のフライトになるわけだろ? だったらむしろ交代なしで最後の最後まで操縦桿握っていたいわけよ」

「分かった。じゃあ頼む。だけど、もしもきつくなったら言えよ」


 その後はしばらく誰も何も話さなかった。龍之介は真剣に飛行機の操縦をしていたし、トコマは俺の足元でスヤスヤと眠っている。小田留に話しかけようかとも思ったが、ここを現実世界だと認識しているだろう彼女に、一体どのようなことを話せばいいのかよく分からなくなり、結局は黙ることにした。

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