第317話 その大きな手が、兄であり、勇者であるのか
――いつの間にかお昼寝しちゃってたあたしは、そのとき、またヘンな夢を見た。
これまでも何度か見てきた……黒い影が迫ってくる、そんな夢。
1ヶ月ぐらい前……それを初めて見たときは、とても怖いものだった。
迫り来る影に捕まれば、あたしという存在は消えてしまう――。
そう感じられたから、確信めいたものがあったから……。
夢の中を、必死になって逃げた。逃げ続けた。
――そして最近、また似た夢を見るようになった。
身体の調子が、妙に良くなって……朝岡のところのテンテンとアガシーの〈念話〉が聞こえるようになったのと、ちょうど前後するぐらいの頃から。
一度、お兄にもちょっと話したけど……。
同じような黒い影に追われる夢……なのにそれは、以前のような怖さがまるで無くなっていて。
逃げようとは思うのに、捕まっても、怖いどころかむしろ安心すると分かるような……そんな、似ていながら印象のまるで正反対な夢。
ううん、そもそも……あらためて思えば『黒い影』は、見た目はホントにそれしか言いようがない、似たものだけど――どこか、違うモノって気もする。
そうして……ついさっきお昼寝のときに見た、同じような『ヘンな夢』は。
その二つの『黒い影』が、一つになって迫ってくる――そんな感じのものだった。
そして、夢の中であたしは……。
どういうことか、もう『逃げよう』なんて、ゼンゼン考えてもなくて。
妙な安心感すら覚えるような影も。
あたしを消し去ろうとするような影も。
逆に、あたし自身が呑み込もうとするような……そんな雰囲気があって。
そう、だから……何よりも、あたしが。
あたしこそが、一番深くて暗い、『闇』そのものになったみたいな――
「……おーい、亜里奈ー?」
やっぱり、これって……。
テンテンとアガシーが話してた、あたしに『闇のチカラが流れ込んでる』ってことと、関係があったり――
「亜里奈、おーい、聞こえてるかー?」
「え――えっ!?」
……すっかりと、夢のことを思い耽っていたあたしは……。
間近で聞こえるお兄の声に、反射的に背筋がぴょんと伸び上がった。
「あ、ごご、ゴメンお兄、ボーッとしてた……なにっ?」
「いや、買い物、どこから手ェ付けるかってだな……」
――あ、そうだ……。
今あたしは、お兄と2人で……晩ゴハンの材料の買い出しに、商店街に来てたんだった。
ちょっと早い時間だけど、雲行きが怪しいし、雨が降らないうちにって。
「大丈夫か? お前、またカゼでも引いたんじゃないのか?」
「だ、大丈夫だから! まだちょっと、寝ボケ気味なだけだから!」
心配そうな顔でこっちを覗き込み、さらにおデコに手を当てようとするお兄を追い払うみたいに……あたしは、首と手をブンブン振った。
「は、恥ずかしいってお兄!
あたし、そんなちっちゃい子じゃないんだから!」
「わーったよ」
そんなあたしの防衛線を軽々とかわして……お兄は。
おデコを目指していた手を軌道修正して――苦笑混じりに、あたしの頭をそっと包み込むように、くしゃりとなでていった。
……むう……。
なんか、その……ムカつく。
お兄にあしらわれたみたいな形になったこともだけど……。
こうやって頭をなでられた、ただそれだけで……なんか、ついさっきまで考えてた夢のこと――。
その得体の知れない感覚の、何て言うか、不安みたいなものが……明らかにラクになったって言うか……。
安心、しちゃったみたいな……そんな感じなのが……なんとなく、ムカつく。
「……で? 改めて聞くけど、なに買うんだ?」
「あ――ん、っと……。
今日は、メインはハンバーグにしようと思うから……そんな感じで。
ああ、あと、お米も買わなきゃ。せっかくお兄がいるんだし」
「お、ハンバーグか〜! ちょうど肉食いたいと思ってたんだよなー。
……よし、じゃあそれを念頭に店を回ってくか!」
――そんなこんなで、改めてあたしたちは兄妹2人、商店街を巡り始めた。
なにせ、小さい頃から馴染みの商店街だから、どこのお店も知り合いで、行く先々で声を掛けられるわけだけど……。
今日の話題は主に、『お兄とあたしが珍しく2人だけで買い物に来てること』だった。
「そっかー……。
そう言や、こうやってお前と2人だけで晩メシの買い物するの、久しぶりかもなー……」
買い物袋を全部持ってくれてるお兄が、お肉屋さんで買った揚げたてコロッケをパクつきながら、ちょっと感慨深そうにつぶやく。
あたしも、晩ゴハンに影響しないようにって、半分だけにしたコロッケ(もう半分はお兄にあげた)をちょっとずつ食べながら、うなずいて同意した。
「うん。最近はあたし1人か、ママとかアガシーといっしょのときが多いからね」
……中でも多いのは、やっぱりアガシーだ。
今日だって、「アガシーちゃんは?」って何度も聞かれたぐらいだから。
「そうだなー……。
昔は、おつかいに出る俺にお前がくっついて来る、って感じだったのになー。
……それが今や、こうして俺が荷物持ちとしてくっついて来るんだもんな」
「もう……だからさっき言ったでしょ、お兄。
あたし、もうそんなちっちゃい子じゃないから、って」
「……そっか」
「そうだよ。
だって、お兄に彼女さんが出来るぐらいなんだよ?
そりゃあ、あたしだって大きくなるよ」
「ははっ、それもそうか」
「……まあ、その、だからって別に……。
お兄と買い物に出るのがイヤ、とかいうんじゃない……けど」
「おう。ありがとな」
お兄は、買い物袋をコロッケを持った手の指に移して……空いた手で、またあたしの頭をくしゃっとなでる。
一見ぶっきらぼうだけど、優しい――。
お兄の頭のなで方は、いつもそうで……。
――って、だから……!
もうちっちゃい子じゃないって言ってるのに、こんなのでほだされちゃダメだってば!
あたしは、お兄の手を振り払う勢いで、頭を上げた。
「あ、あとはお兄、お米なんだけど……!」
「わーった。んじゃ、植田さんトコだな」
そんなあたしの態度も、お兄はゼンゼン気にした様子もなく……いつも通りの調子で、馴染みのお米屋さんに向かって歩き出す。
で、そのお米屋さんはちょうど、あたしたちがやって来たのと逆方向、駅に近い方の商店街出口近くにあるんだけど……。
「……おおっ?
そこをゆくのは、赤みゃんに亜里奈ちゃんじゃないか! よっす!」
「よ~裕真、お前らも買い出しかよ?」
そこで偶然、見覚えのあるおねーさんおにーさんと出会った。
……おキヌさんとイタダキさんだ。
「お前らも、ってことは……おキヌさんたちも買い出し?
……デートじゃなくて?」
「「 違わい! 誰がコイツなんぞと! 」」
お兄の何気ない発言に、2人は揃ってお互いを指差しながら全否定。
……って、妙に気が合ってるけど。
でも実際、この2人ってどうなんだろ……?
良くケンカしてるイメージあるけど、だからこそ、逆に相性は悪くなさそうな気もするっていうか……気が置けない、みたいな。
それに、こんな風にいっしょにお出かけとかもしてるんだし。
う〜ん……?
「実は今日もまた、マモルんの晩メシ作ってやろーと思ってさー」
――あたしがそんなことを考えてる間に、おキヌさんはお兄に事情を話していた。
もっと盛り上がってるかと思ったら、意外とマジメな感じに。
「昨日、アタシたちがみんなでドクトルさんのお見舞い行ったの、赤みゃんも知ってるだろうけど……。
そのとき、なーんか、マモルんにイマイチ元気が無いような気がしてなー。
……で、まあ、どーせコンビニ弁当とかばっかで、ロクにちゃんとしたもの食ってないんだろうし……。
ここは一つ、この舎弟想いのおキヌねーさんが、美味いモノたらふく食わせてやろう!……ってことになったわけだ」
「それは分かったけど……なんでダッキーが?」
「おいこらテメー、だからダッキー言うなって――」
「知らなーい。勝手に付いてきたんだよ、この野良頂点」
「――って、ぅおいコラ! おキヌ!」
「はっはっは、じょーだんだろが。
……ま、マジメな話、1対1で晩メシを――ってのは、ちゃんとした彼女にでもやってもらえ、ってなわけだ、どっかの誰かさんみたいにさ。
――なんで、食材買い出しの荷物持ちを条件に、マテンローを召喚して〜……あとでウタちゃんも合流する予定になってるんだ」
「……なーるほどなー……」
「で、まあこうして運良く赤みゃん――つーか、亜里奈ちゃんに出会えたわけだし。
良かったら、馴染みのお店とか紹介してくんない?」
……と、いうわけで。
お米屋さんでうちの分のお米を買ってから、あたしたちは……。
来た道を戻りつつ、おキヌさんに知り合いのお店を案内してあげることになった。
豆腐だけはやっぱり自前で用意してきてて、それで色んな豆腐料理を作るらしいおキヌさん……。
その要望を聞いて、お店を回って……それにつれて、どんどんとイタダキさんが持つ荷物が増えていって――。
そんな、いつもとまるで違うことになった買い物風景が、もの珍しくて。
それに、お店を紹介したり、料理や食材についての話をするたび、おキヌさんに感心してもらえるのも……なんだか、ちょっと大人になったみたいで、嬉しかったりした。
――そうして……。
「アタシは、直に聞いたわけじゃないから詳しく知らないけどさー……。
ウタちゃんの地獄耳情報によると、マモルん、実家の方とあんまり折り合い良くないみたいだし……。
元気なさげだったのも、お盆近付いて、実家からいっぺん帰ってこいとか言われてるせいなのかなー、とか思ったりしてさ」
「衛のヤツ、成績とかはバカじゃねーけど、逆にヘンなところでバカだったりするっつーかよ〜……。
オレ様も詳しいことは知らねーんだし、なんか言ってやろうってつもりもねーけどよ……でもホレ、ちょーっとバカ騒ぎすりゃ、テメーの悩みなんざちっぽけなことだったって気付くだろー、ってなモンよ。
――なーんてよ、いや、さすが頂点たるオレ様だよな……!
ダチへのこのさりげない気遣い、我ながらホレるぜ……!」
「……うん、まあ……。
その最後の一言で全部台無しにしてるあたりが、さすがお前だよな」
――そんな風に、お兄たちが、衛さんのことを話しているのを聞いてる間に……。
お互い買い物を終えたあたしたちは、商店街の入り口に着いていた。
衛さんの家は、朝岡の家の近くらしいから……ここからは、あたしたちとは別方向だ。
「さて、ンじゃここまでかー。
――亜里奈ちゃん、今日はありがとな!
おかげで良い店知れたし、良いモノ買えたしで、実に有意義だった!」
「あたしも楽しかったです。
……今度、あたしにも豆腐料理教えて下さいね」
「おーよ、任せときな! おスズちゃんと一緒に、我が奥義を伝授してやるぜ!
――でもって、赤みゃんよ……」
身長的にはあたしよりちょっと大きいぐらいなんだけど、しっかりとお姉さんっぽくそう答えてくれたおキヌさんは、続いて、お兄に振り向く。
「……おスズちゃんのこと、よろしくな」
「ああ、分かってる。絶対、俺が支えるから」
「だよなあ……言うまでもないか。
――ああ、それと、あともう一つ」
「ん?」って首を傾げるお兄に、おキヌさんはちょっと申し訳なさそうに……苦笑混じりに告げる。
「マモルんのことも、さ。
アイツ、アタシたちよりも、赤みゃんの方が色々と打ち明けてるみたいだし……ちょっと気に掛けてやってくれるかい?
……なんか、赤みゃんにばっか頼っちまって、さすがのアタシも心苦しかったりするけど……」
それに対してお兄は――。
まるで迷惑がったりすることもなく、気持ちよく笑っていた。
そう……いかにもお兄らしく。
「分かってる、けど別におキヌさんが気にすることじゃないって。
……友達なんだからな」
「あ〜あ〜……出たぜ、裕真お得意の小っ恥ずかしい発言。
まーったく、これだから『勇者』ってヤツぁよ〜」
「ふん、ザンネンな発言よりゃマシダッキー」
イタダキさんが、わざとらしくせせら笑いながら……荷物で手が塞がってるから、ツッコミ代わりにお兄を爪先で軽く蹴ろうとするのを――。
同じく足でいなしつつ……お兄も、鼻で笑い返していた。
「おーおー……ヤローどもが、ガキのようにじゃれ合っておるわ」
「……なんだかんだでこの2人、付き合い長いですから」
呆れたような物言いで、でもどことなく楽しそうにお兄たちのやり取りを見ながらのおキヌさんのつぶやきに、あたしも実感を込めた言葉を添えた。
「さて……と。ンじゃ、行くぞマテンロー!
――それと赤みゃん、我らが『勇者』として、さっき言ったこともよろしくな!」
「おう、任せとけって!」
やがて、イタダキさんを連れて、あたしたちの家とは別方向に歩いて行くおキヌさん。
その別れ際に残した言葉に、手を振りつつ力強く答えるお兄。
そしてあたしは、同じように2人を見送った後……思わず、お兄の顔を見上げていた。
――勇者……か。
イタダキさんとおキヌさんが言った以上に、その言葉が本当の意味でお兄を表しているのを――あたしは、知ってるから。
だから……あの、『夢』。
あれがただの夢なんかじゃなくて、あたしが、何か――。
そう、何か、危険な存在だったとしたら……。
お兄は、あたしを――――
「……ふあっ!?」
……思わず、あたしはヘンな声を出してしまう。
なぜかと言えば……突然、頭にお兄のおっきな手が置かれたからだ。
あたしが、すっごく暗いことを考えてたのを――邪魔するみたいに。
いろんな世界を、たくさんの人たちを、守り抜いてきた……おっきな〈勇者〉の手が。
「お、お兄……っ!?」
「ん? いや、なんとなく……な」
あたしの反応を気にすることもなく……そのまま、また、あたしの頭をくしゃくしゃとなでる。
――たったそれだけで、何かもう、無性にホッとしちゃったこと……。
それを勘づかれるのがイヤで、あたしは反射的にうつむいてしまう。
「こうした方が良いような気がしたんだよ。
――イヤか?」
「…………。
髪の毛、くしゃくしゃになる」
「ん。そっか、悪い悪い」
「もう……!
そう言いながら、手、離さないし……!」
……結局、その後しばらくして、お兄は手を離しちゃったけど。
それから家に帰り着くまであたしはお兄に、『とりあえず頭なでておけば何でも誤魔化せるとか、雑に考えてるんじゃないか』――とか、アレコレ文句を言いまくることになった。
ううん、別に、照れ隠しとかじゃなくて……。
そう、このお買い物の間に、3回もなでられたからってだけで……!
でも……そのお陰で、これ以上、イヤな考えに囚われることもなくて。
どんよりした曇り空とは、対照的な……穏やかな気分で。
あたしは、お買い物を終えられたのだった。




