第290話 夜の闇が深まる中、勇者が魔王に明かす決意
――亜里奈とキッチンで別れた後、俺は……。
リビングでアイス食べつつテレビをつければ、たまたまやっていた、エジプトの遺跡調査を扱ったドキュメント番組を……。
千紗の親父さんもこんな仕事してるのかなー……とか、遺跡ってどの世界でも基本ダンジョンだったよなー……とか思いながら、しっかり鑑賞してしまい――。
ふと気付けば約束の時間になっていたので、冷えた麦茶のグラスを3つ載せたお盆を手に、部屋に戻ると。
やっぱり、と言うべきか――すでに。
中では、真夏のパジャマ代わりにと、昨日母さんと亜里奈が買ってきてた甚平を着た銀髪の美人がくつろいでいた。
「おい、勇者……窓のカギがかかったままであったぞ?」
「え? あれ、俺、外してなかった?」
裏手のじっちゃんばっちゃんの家に居候しているハイリアは、夜中に俺に用があるときはいつも、宙を浮遊して、窓から入ってくる。
建物の位置関係的に誰かに見られるような心配もほぼないし、その方が早くてラクだからだ。
そんなわけで、コイツが来ると分かってるときは、いつも窓のカギを外してるんだけど……どうも今夜は、それを忘れてたらしい。
……まあ、こうしてすでに部屋に上がり込んでることから分かるように、解錠の魔法ぐらい朝飯前のハイリアにしてみれば、特にそれが問題になることもないんだけど――。
「まったく、余計な手間をかけさせる。
……大方、おスズのことでも考えて気が緩んでいたのであろうが」
しっかりとお小言をくらってしまった。
「……うぐ……っ」
しかも、少し前の千紗との電話で、明日一緒に宿題しようって約束したのも、それを楽しみにしているのも事実なもんだから……。
そんなことはない!……なんて、断言出来ない俺。
それと――千紗と言えば。
今日、俺はハイリアたちに、大事な相談をするつもりで――。
その結果がどう転ぶか、とか考えてたせいで、ついカギのことを忘れてた――ってのも、多分ある。
「……で、聖霊は聖霊で――遅刻か?」
「ああ、それなら……多分、こっちに来るタイミングを計ってるんじゃないかな。
――30分ぐらい前、亜里奈、お茶を飲みに起きてきてたから」
テーブルに置いてやった麦茶で唇を湿らせてからの、ハイリアの問いに……。
さっき、亜里奈とキッチンで会ったことを話す。
アガシーは、亜里奈と同じ部屋で寝てるから、亜里奈が寝入ったのを確認してからじゃないと、こっちに来られないわけだけど……。
……亜里奈のやつ、今夜は特に目が冴えてる感じだったからな……。
あの調子だと、まだ眠りが浅かったりして、アガシーも動くに動けなかったりするかも知れない。
「ふむ……亜里奈が、な……。
そうして、眠れずにいたりすることは昔から多いのか?」
「ん? いや……普通に、ときどきは、って感じだと思うぞ。
基本、亜里奈は小さい頃から、寝付きも寝起きも良かったからな」
……なんせ俺、今じゃ起こされたりしてるわけだし。
あ、いや、でも俺だけじゃなくて……!
うち、母さんも父さんも、たまに亜里奈に起こされてるぐらいなんだよな〜……。
「……ふむ。
まれに――ならば、特に問題はないか……」
「ああ。取り敢えず、まるで寝られないとか……そういった話は聞かないな。
……だいたい、今なら、アガシーが気付いて教えてくれてるだろうし――。
それにそもそも、亜里奈、ここのところ身体の調子はすこぶる良さそうだしさ。
――あ、でも……」
さっき亜里奈が話してくれた『ヘンな夢』のことを思い出した俺は……ハイリアにも語って聞かせる。
もちろん、俺自身が見た夢じゃないから、実際にどれぐらい正確に伝えられているのかは疑問なんだけど……。
神妙な顔で話を聞き終えたハイリアは、いつものように、ふむ、と唸る。
「……確かに、なんとも判断しづらいものだな。
『所詮はただの夢』と断じるには、少し引っかかるというか……。
あるいは……グライファンの一件以来、流れ込む闇のチカラが細っていること――そして、亜里奈自身、最近は体調が良いということも鑑みれば……。
追い付かれても安心する、というのは、亜里奈が無意識のうちに上手くそのチカラをさばくことが出来ている――ということなのかも知れん、が……」
こいつにしては珍しく、歯切れの悪い物言いだ。
……まあ、又聞きの、しかも夢の話ともなれば、それも仕方ないところだろう。
「ともあれ、その夢の話については、ひとまず胸に留めておこう。
何も無ければそれで良いが、何がどこでどう繋がるか分からぬしな……」
「……そうだな」
相鎚を打つ俺の脳裏を……キッチンでの別れ際、俺に何かを言おうとしていた亜里奈の姿が過ぎる。
結局は、「夜更かしするな」ってだけだったものの……多分、アイツが本当に言いたかったのはそんなことじゃないと思う。
……あるいは、もしかしたら……。
この夢についてとか、何か他に気にかかってることがあったのかも知れないな……。
うん……いずれ機を見て、また俺の方から聞いてみるか。
「で、だ……勇者よ。
亜里奈の件はもちろん気になるが……そもそもキサマが今夜も我らに招集をかけたのは、その話をするのが目的ではあるまい?」
「ん、ああ……」
そこで改めて、ハイリアから話を向けられた俺は――。
もう一度、頭の中で考えを、胸の奥で気持ちを整理して――麦茶で軽く喉を潤してから、口を開く。
「実は、俺――千紗に。
俺のこと、クローリヒトのこと……打ち明けようかと思って――さ」
「……ほう……?」
驚いているのか、そうでもないのか……イマイチ判断がつかない調子で、ハイリアは小さく声をもらした。
だがどちらにしても、口に出してしまった以上は、引っ込めるわけにもいかない。
言うべきことを言うしかない――と、俺はさらに続ける。
「偶然でも、白城に正体を知られちまっただろ?
だから……このまま、一方で千紗には隠し続けるのは不誠実なんじゃないか、って――。
信じているからこそ、打ち明けた方がいいんじゃないか、って――そう思えて。
……もちろん、千紗を巻き込みたくなんてないさ。
しかも千紗自身、親元を離れて広隅に来たぐらい、大事な『家業』があって――それで大変なのも分かってて。
だからそんなところに、いきなりこんな、勇者だ何だってトンデモ情報押し付けて心を掻き乱すような真似、しない方がいいんじゃないか、とも思うんだけど……。
でも……。
昨日千紗をさらったチンピラが、何らかの闇のチカラの影響を受けてたみたいに……黙ってても、その手の危険にさらされるかも知れないんなら……。
やっぱり、少なくとも俺のことは話した方がいいんじゃないか――って。
千紗なら……そりゃ、すぐにってわけにはいかないかもだけど――でもきっと、信じて受け入れてくれると思うし……さ」
「で――余や聖霊に伺いを立てるつもりだった、というわけか」
「……ああ。
お前たちのことまでは話さないとしても――無関係ってわけでもないんだし、やっぱりそれがスジだと思ってさ。
でも結局は俺のワガママみたいなもんだから、もし反対だって言うなら――」
「好きにすれば良かろう」
俺の言葉尻に被せる形で……ハイリアはあっさりそう言い切った。
そして、何ら気負いも無い様子で、悠々と麦茶のグラスを傾ける。
最低でも、一言二言の苦言は飛んでくるかと、内心身構えていた俺は……そのあまりのあっけなさに、むしろ困惑してしまっていた。
「……なんだ?
鳩が豆鉄砲を食らっても、恐らくはもう少しマシな顔をするぞ?」
「あ、いや、だってさ……」
「何のことはない、いずれそう言い出すだろうと思っていたから――な。
……恐らく、聖霊も同様であろうよ……彼奴と同じというのもシャクだが」
ただの麦茶が、なにか上等な酒にも見えるような……そんな優雅な仕草でグラスを軽く回し、口元で微かに笑むハイリア。
……ここ、オシャレなバーじゃなく単なる一高校生男子の部屋で、しかもコイツが着てるのもブランドのスーツどころか、〈雲丹栗〉で特価の甚平に過ぎないんだけどなあ……。
なんなんだ、このスマートな雰囲気は……。
昼間の衣装合わせのときも思ったが……恐るべし、全方位型美人。
「そ、そうか……」
なんかもう、俺は素直に首を縦に振ることしか出来なかった。
アガシーにも、ちゃんと確認を取る必要はあるけど……ハイリアの言葉からすれば、概ね問題ない――ってことか。
「とにかく……ありがとな」
「礼を言うことでもあるまい。
……もっとも、拒否もせぬゆえ、好きなだけ感謝してくれて構わぬが?」
「ふん、もう言わねーよ」
ハイリアの軽口に応えながら……少し肩の荷が下りた気持ちで、俺も麦茶をすする。
……さて――。
許可を得たなら得たで、いつ、どんな風に千紗に話すのか……ってことだけど……。
やっぱり、話すと決まったなら、早い方が――
……そんな風に、次の問題を考え始めた――ちょうどそのとき。
ベッドに放り出していた俺のスマホが、着信を告げた。
「――っと、なんだ? こんな時間に……」
反射的に手を伸ばして拾い上げれば――。
ディスプレイに表示された相手は、今まさに俺の思考の中心にいた……千紗だった。
――思わず、心臓が跳ねる。
……どうする……このまま勢いで話してしまうべきか?
でも、まだ頭でしっかり整理も出来てないのに?
それに、さすがに電話口はダメだろ?
じゃあ……明日か?
そもそもこの電話が、明日の予定のキャンセルかも知れないのに――?
いろいろな考えが脳裏に閃き……思わず瞬間、手が止まるも。
まず出なければ始まらないと、当たり前のことに遅れて思い至り――慌てて通話ボタンをタップする。
「もしもし、千紗? どうかし――」
明日、急用が入った――とか言われても、あからさまに落ち込んだ対応とかしないようにしないと……。
なんて、気を取り直しつつ、のんびり電話に出た俺の耳に――。
『あ――ゆ、裕真くん――っ!!!』
千紗の、明らかに異質な――悲痛な叫びが、突き刺さって来た。
『ど、どうしよ、どうしようっ、ウチ……っ!』
あの千紗が……今にも泣き出しそうな声で、うろたえている――?
緊急事態と察した俺は、のぼせたような甘えた思考を一気に切り捨て――。
努めて冷静に、改めて千紗に問いかけた。
「……落ち着いて、千紗。何があった?」
『お、おばあちゃん……おばあちゃんが!』
「うん――ドクトルさんが?」
『おばあちゃんが……っ!
おばあちゃんが、意識不明で病院に運び込まれた、って――!』




