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第十五話:学院への襲撃

 門番、というのは退屈な仕事だ。リシュフィール魔術学院。その門番を務める男は、欠伸を押し殺しながらぼうっと突っ立っていた。なんでも先日帝国が攻めてきたらしい。王国は戦時下にある状況だ。だが、そんなことは学院には関係ない。少なくとも彼はそう思っていた。


 久しぶりの遅番である。この仕事は生活リズムが狂いがちだ。どうしても睡魔が襲ってくる。門番は今度は押し殺すことができずに、大きく欠伸をした。門の逆側で同じく門番の任に就いている男がそれを見咎めた。


「おい。流石に欠伸はするなよ」


「仕方ねぇだろ。久々の遅番だ。それに、この魔術学院を襲ってくるやつなんてそうそういねぇだろ」


 いつもどおりの何気ない会話だ。だが、大きな違いがあるとすれば、それが男達の最後の言葉だったことだろう。次の瞬間、後ろに忍び寄っていた帝国特務隊隊長、ウィル・スワンと、帝国騎士の一人が、彼らの喉をマナで作られたナイフで掻ききったのである。


 ごぽごぽと、溺れたような音を口から発しながら、門番達が驚きに目を見開く。だが、頸動脈を断ち切られた彼らの意識は、自身が死んだという、その事実すらも認識することができずに瞬時に意識を刈り取られた。


 ウィルが無機質な瞳で地に倒れ伏した門番を見遣る。だが、次の瞬間、彼はその無機質な瞳を驚きに染めることとなった。


 門の向こう、その場所から、真っ赤に輝く閃光弾が空に打ち上げられ、そして大きな音を立てて爆発したのだ。嘆息する。どうやらこの魔術学院で教師とやらに就いている人間どもは、馬鹿ではないらしい、と。


 若い騎士の一人がが不安げにウィルを見遣る。襲撃がバレたのである。奇襲はこの時点で失敗だ。どうするべきだ、という意味をふんだんに込めた視線であった。ふん、と鼻を鳴らして、ウィルはその視線を無視し、ゆっくりと歩き出した。


「計画に変更はない。障害はすべて排除する。行くぞ」


 人員はウィルも含めて、十名にも満たない。だが、練度の高い帝国騎士団と、自身がいれば、どのような状況でも計画の遂行に支障はない。その自信があった。


 ウィルのハンドサインを合図に、門をくぐり、二班の構成員が貴族舎の前提へなだれ込んだ。






 一、二、三……九人か。多勢に無勢。ロニーは門からなだれ込んできた敵を見て、冷や汗を流した。彼は確かに優秀な軍人として、軍役に就き、その辣腕を発揮してきた。だがそれは過去の話。鈍りに鈍った自分が、目の前のいかにも練度の高そうな兵達にどれだけ対抗できるかは正直わからない。


 とはいえ、ここでの自身の役割を彼はよく理解していた。時間稼ぎ。間もなく、いや、もはやすでに魔術学院中の教師達が、学生たちを守るべく、この闖入者らを打ち倒すべく、動き始めているはずだ。増援はすぐに来る。貴族舎の前庭で隊列を組む闖入者をロニーは睨めつけた。


「……貴様ら。ここが神聖なるリシュフィール魔術学院であると知っての狼藉か? 何者だ」


「……これから死ぬ者に対して名乗る名など無い」


 闖入者の中でも飛び抜けて実力の高そうな黒尽くめの男が、ボソリとロニーの問いかけに返答する。他の者達の出で立ちは見たことがある。帝国の騎士団だ。素早く黒尽くめの男以外の騎士達がロニーを取り囲んだ。


「このロニー・ラドク。戦場では疾風迅雷とまで呼ばれた男だ。易易と打ち倒せるとは思うな」


 その言葉に、黒尽くめの男が声を上げて笑う。


「では、その実力。見せてもらおう」


 ロニーを取り囲む騎士達、そして黒尽くめの男が一斉にロニーに襲いかかった。


 だが、彼も元は歴戦の勇士。その的確に人体の急所を狙いすました攻撃に内心冷や汗をかきながら、それでもその全てを剣と化した杖によって捌き切る。ほう、と黒尽くめの男が嘆息する。


「口だけではないようだ。いいだろう。私はウィル・スワン。貴様を殺す男の名前だ」


 覚えておけ、と無機質に言い放ち、ウィルが地面を蹴った。






 ロニーから念話を受け取った学院長の判断と指揮は実に迅速だった。学院に務める教師は、ハワードを含めて五十四名。その全てに、念話の魔術を杖に記憶させておくことを彼は義務付けていた。一般的に王国ではマナー違反とされているこの魔術であったが、それでも緊急事態の時の情報連携には重用されていることも事実であるのだ。


 念話を受けた教師陣が、一斉に転移の魔術を利用して各自の持ち場に移動する。帝国式の転移魔術は、リシュフィール魔術学院の教師たちにも漏れなく配布されていた。


 今日の当直が、過去に軍役経験のあるロニーであったことに、心の底から僥倖を感じる。他の教師であったならば、敵襲に、その違和感に、何一つ気づくことなく学院は一網打尽にされていただろう。


 ハワードは、自分以外の教師を全て動員して、学生たちの避難誘導と闖入者の撃滅に当たらせた。学院長である彼は、教師寮にとどまり各教師達からの報告を受け、そして指揮をする、その役目に徹することに決めたのだ。


 そして、また彼はこの教師寮にも敵が襲ってくることを当然ながら予測していた。恐らく襲撃してきた者共は帝国の人間だろう。戦争が長期化すれば、学院の教師たちも動員されることは想像に難くない。それだけ本学院の教師達はハワードがよりすぐった精鋭揃いであった。勿論全ての教師が兵として十二分に活躍できるわけではない。しかし、その知識、知恵、技術を活かす使い方は幾通りも考えられた。傷病者の治療、破損した建造物の修復、魔術の発展、技術指導。彼らを失うことは王国にとっても大きな痛手である。ハワードはその老練した経験から、王国にとっての最善の策を選択していた。


 自らの頭の中に飛び交う念話。常人であれば頭痛でも起こしそうな膨大な情報量を意にも介さず、それらを捌き、的確に指示を出す。そして指示を出しながら、寮の入り口、その場所まで彼は移動した。


 今は深夜。寮の玄関を出ると、辺りはすっかり真っ暗であった。今日は新月。奇襲にはうってつけである。常人であれば見過ごしてしまいそうな暗闇に紛れた集団、ハワードはその十名弱の闖入者の存在を確りと捉えていた。


「ふむ。リシュフィール魔術学院の教師全てを相手にするのに、十名も揃えないとは、なかなかどうして舐められたものだ」


 ハワードの言葉を聞いて自身らの存在を看過されたことがわかり、特務隊副隊長、特務隊隊員、そして騎士達が、彼を素早く取り囲む。リシュフィール魔術学院のハワード・ジョーンズ。その名前は大陸中に轟いている。だが、どうだろう。こうして見ると、何処からどう見ても耄碌しかけている老人ではないか。副隊長がニヤリと笑う。


「貴様には恨みはないが、任のため早急に死んでもらう」


 学院長が深くため息を吐く。


「……帝国の者達よ。一つ言っておこう」


 ハワードが普段は優しげな光を携えた黒曜石のような真っ黒な瞳を鋭く光らせて、自身を取り囲む帝国の人間たちを見回す。


「儂はただただマナの多いだけが取り柄の、平凡な人間だった。才能などこれっぽっちも持ち合わせてはなかったよ。どの属性にも適正は無かったし、魔術一つ使えるようになるのに、他人よりも数倍かかった」


 老練の魔術師が懐から杖を取り出す。


「貴君らからすると、馬鹿げた話であろうな。……二百年だよ」


 杖をゆっくりと振りかざす。


「二百年もかかったのだよ。笑えるだろう? この王国に現存する全ての魔術を極めるのにだ」


 彼を取り囲む者達にとって不幸だったこと。それは、ハワード・ジョーンズが腐っても二百年を生きる化け物であるということ、そのことに思い当たらなかったことであった。彼らが取るべき行動。それは、この場から一目散に逃げ出すこと、それ以外にないのである。


「器用貧乏であると、笑ってくれても良いんだぞ」


 だが、笑う暇は与えない。学院長は、無詠唱で幾重もの殺傷力の高い魔術を杖からほとばしらせる。それは一秒にも満たなかった。副隊長が驚きに目を見開く。このすぐに折れてしまいそうな老人が、少しの風で吹き飛んでしまいそうな老人が、自身が知る限りのどの魔術師よりも卓越した技術によって、一瞬の間に騎士団員達を殺し尽くしたのである。


「さて、残るは君だけだ。十二分に悔いてから、死になさい」


 副隊長の意識は、ハワードのその言葉を最後に刈り取られた。もうその意識が戻ることはない。






 貴族舎の寮は男子寮、女子寮共に三階建である。自室で眠っていた学生たちは、ロニーが放った閃光弾、その爆音に皆が皆飛び起きていた。貴族舎に遣わされた教師は六名。それぞれが男子寮、女子寮の各階を駆け抜けながら、学生たちに避難を呼びかける。爆音が起こってから数秒後だ。実に迅速な対応であった。


 当然ながらロビンも、学院中に響き渡る轟音に飛び起き、そして僅か数秒で着替え、杖を懐にしまった。扉の向こうから、聞き覚えのない教師の避難誘導の声が聞こえる。その声色は焦燥に満ちてはいたが、それでも学生たちを何があっても守らんとする決意に染まった声であった。


 扉を開けると、何事かとざわめきながら、男子学生たちが廊下に各々立ち尽くしていた。見覚えのない教師――恐らく他の学年の担当教師なのだろう――が大声で叫ぶ。


「当直のラドク先生から、この魔術学院に奇襲をかける者達を発見したとの通達がありました。これは訓練ではありません。各位、急いで寮を出て、大広間へ避難しなさい!」


 その教師の対応は実に的確であった。ともすれば恐慌し始めそうなその情報を、落ち着いていて、それでいて急かすような声色で避難を促す。また、上級生達――多分四年生だろう――が、「先生に従え! 急いで非難するんだ」と各学生に声を掛け続けたのも功を奏したのだろう。


 時間にして数分。学生たちが大広間へ避難するのに有した時間である。


 学生たちが大広間へなだれ込む。平民魔術師達との交流会にも使われたその広間に、少なくない数の貴族舎の学生たちが収まった。大広間には、数名の教師が予め待機しており、焦る学生たちを宥めすかし、落ち着かせた。


「学院に侵入した敵は学院の教師全てで対処している。諸君らは何も心配することはない」


 この顔はロビンも知っている。彼の学年の魔法薬学を担当する教師、ダン・マーサラだ。


 一通り避難を終え、教師達が学生の点呼を始める。学生一人一人の名前をダンが呼び、そして学生がそれに対して返事をする。


 そんな様子を眺めながら、ロビンはある一つのことを考えていた。この襲撃。恐らく帝国騎士団の仕業だ。騎士団長の人好きのする笑顔が頭に浮かぶ。今すぐにでもここから飛び出していきたい。その衝動を抑えるのに彼は必死だった。知らず知らずの内に右の拳に力が入り、掌に爪が食い込む。


「おい、ロビン。なんかお前すげぇ顔してるぞ? 怖いのは分かるけど、学院の教師どもは、あの狸親父の選りすぐりだ。心配いらねぇって」


 いつの間にかロビンの近くに居たグラムが、彼の顔を見咎めて、落ち着くよう声をかける。彼は、うん、そうだね、と心ここにあらずな返答をした。


 心配そうに自身を見つめるグラムを尻目にぎりと歯を食いしばる。だが、ここは学院の教師達に任せるのが最適解である。そんなことロビンにもよくわかっていた。


 だが、次の瞬間、その最適解が最適解ではなくなった。突如悲鳴じみた声が聞こえたのである。聞き覚えのある声だ。聞き覚えがあるというレベルではない。他ならぬヘイリーの声だった。


「せ、先生! カーミラ様、カーミラ様と、アリッサが、アリッサがいません! いませんの!」


 カーミラとアリッサが!? ロビンの心の中が瞬時に焦燥に染まる。カーミラなら大丈夫だ。真の吸血鬼として覚醒した彼女が易易と何者かに打ち倒される未来は予測し難い。だが、アリッサはどうだろう。彼女は攻撃魔術が得意ではない。つまり、闘う術を何も持っていないということだ。


「ヘイリー・ウィリアム! 落ち着きなさい! すぐに迎えに行きます!」


 三年生の点呼をとっていた教師が、ヘイリーを落ち着かせようと声を上げる。だが、その声はもはやロビンには届いていなかった。


「あ! おい! ロビン!」


「ウィンチェスター! 何処へいくのですか?」


 グラムと顔の知らない教師が、ロビンを引き止めようとする。だが無駄だ。瞬時に全身の筋力強化と脳の強化を施した彼のスピードは、無論のこと、誰も止められない。


 ロビンは猛スピードで大広間を抜け出し、そして女子寮に走り去っていった。


「……ッ! ロビン!」


「ハ、ハンデンブルグ! 貴方まで!」


 そして、グラムがそれを追いかける。彼はロビンの悪友。一人で死地に向かっていくロビンを見過ごすことはできなかったのである。






 時間は数分前に遡る。カーミラも当然ながら、響き渡る轟音に飛び起きた。ベッドに寝そべってはいなかったが、幸いにも眠りについてはいなかった。素早くネグリジェを脱ぎ捨て、ソファに乱雑に置かれた制服に着替える。杖を懐に入れ、扉の向こうから聞こえる教師の声に耳を傾けた。


「……学院に敵襲とのことです! 学生たちは直ちに大広間へ避難しなさい!」


 敵襲。エライザの言葉が思い出される。小さい頃から交流があったエライザの癖をカーミラはよく分かっていた。それは、一番重要なことを最後に話す、ということである。


 王女は四つの可能性を上げた。その最後の可能性、それが魔術学院への襲撃である。帝国の魔の手が迫っているのだ。やっぱりこうなった。カーミラはエライザの顔を心のなかでぶん殴る。


 先の帝国との戦闘の際にこっそりと拝借していた鉄仮面を被り、長い白銀の髪をその中に収める。そして、その後で吸血鬼の力を開放した。それだけで、彼女に届く情報は普段の数十倍にも達する。学院に存在するありとあらゆる違和感を探った。侵入してきた人間達の実力がそれほどでもなければ、おとなしく避難しよう、とそう決めて。


 帝国からの闖入者は、全部で四十五。九名ごとに分かれてこそこそと教師寮、貴族寮、平民舎、平民寮に向かっている。また、貴族舎の玄関前では、既に戦闘が始まっているようだ。その戦闘に気づいた次の瞬間、教師寮の玄関付近に居た十数名の反応が薄くなった。教師の誰かがやっつけたのか、はたまたその逆か。恐らくどちらもだろう。薄くなった反応の中には、カーミラが感じたことのあるマナと感じたことのないマナが混在していたのだ。


 そして、彼女は気づく。四十五人いる襲撃者の中に、一度会ったことのある人間が一人いることに。恐らくこれは帝国騎士団長のビリー・ジョーだろう。ゆっくりとしかしながら慎重に貴族寮に向かっている。ロビンが早まった真似をしないか少しだけ心配になった。


 だがそれ以上に彼女が見過ごせないと感じたのは、大凡人間とは思えない邪悪なマナを持った存在が貴族舎の前庭にいることだった。


 学院の教師達が、並々ならぬ実力を持っていることはカーミラも理解している。だが、あいつは殺せない。学院の教師がそれこそ束になっても、だ。


 カーミラは、自室の窓を開け、飛び降りる。貴族舎の玄関までは走って数秒程だ。鉄仮面もしている。正体がバレることはない。


 この危機を、この状況を、なんとかできるのは自分だけだ。いかにも真面目な彼女らしい義務感によって、白銀の少女は動き始めた。

遂に帝国による魔術学院への襲撃が始まりました。

今回の話は大人たちが頑張る話が中心です。

当然ながら、学院の学生を守るのも、教師の仕事の内です。大人たちは学生たちをなんとか守ろうと奮闘します。


しかしながら、そんな大人たちの奮闘をよそに、単独行動を取る馬鹿がいますね。

はい、仲良し六人組の数名です。

ロビンはアリッサを助けること、そして少しの復讐心。

グラムはロビンを心配して。

カーミラは、学院全てを守ろうとして、それぞれ動き始めます。

団体行動の出来ねぇ奴らだ。



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