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第十四話:嵐の前の

 授業が始まって一日目の夜。ロビンが魔族言語の勉強も終わらせて、ベッドに寝そべりボケッとしていると、何かが窓を叩く音がした。あぁ、いつもどおりカーミラだな、と思い、よっこらせとベッドから立ち上がって窓を開ける。今は初冬。開けた窓から突き刺すような寒い風が入ってきて身震いする。大陸の南に位置するため、一年を通して温暖な気候である王国といえども、冬の夜は肌寒い。


 開けた窓から無数のコウモリが窓から入ってきて、そして白銀の少女へと姿を変える。何度も何度も見慣れた光景だ。


「こんばんは。カーミラ」


「こんばんは。ロビン」


 カーミラが彼女専用の椅子を、よいしょと持ち上げて、ロビンのベッドの前に置く。ゆっくりと椅子に座ってから、白銀の少女が意味ありげにロビンをじいっと見つめる。


「どうしたの?」


 普段は冴えているロビンの洞察力だが、今日に限っては目の前の少女が何を考えて自分を見つめているのかさっぱりわからなかった。なにか聞こうとしている、ような気もする。だが、それは彼女の数分間に渡る葛藤により、遂に彼にはカーミラの真意を測ることはできなかった。


 ややあって、ただただロビンを見つめていたカーミラがゆっくりと口を開く。


「……ねぇ、ロビン。私に話してないこと、あるでしょ」


 やっぱり何か聞きたいことがあったのか、とロビンは得心した。だが、話してないこととはなんだろう、とロビンが首を傾げる。カーミラに嘘は吐いていないし、隠しだてするような事も特にしていない。


「話してないこと、だとちょっと違うわね。私に言えないようなこと、考えてない?」


 そこまで言われた気づいた。その感情は胸の奥の奥にしまって隠していたつもりであった。だが、浅からぬ関係を築いていた目の前の少女には何もかもお見通しであるらしい。咄嗟にロビンは目をそらす。


「……考えてないよ」


「嘘」


 金色の瞳がいつになく真剣にロビンの真っ黒な瞳を見つめる。ロビンの目はすっかり泳ぎきってしまっているが、それでもカーミラはじいっとロビンを見つめ続ける。


 その美しい色彩の金色の瞳に、あぁ、言い逃れできないな、とロビンは思った。


「ロドリゲス先生の仇。討とうとしてるんでしょ?」


「……」


 答えは沈黙。ロビンは彼女の真剣な眼差しに返答することが出来なかった。カーミラが小さくため息を吐く。


「……確かに先生が殺されたのは悲しい。私も、あの男が憎い。殺してやりたい」


 でも、白銀の少女が続ける。


「やめて。お願い」


「……どうしてわかったの?」


 カーミラの問いかけに絞り出せたのは、何故、という逆質問。それだけだった。今まで見つめられるままに見つめ返していたその金色の瞳からそっと目をそらす。


「隠してるつもりなんだろうけど……。ロビンってわかりやすいのよ。ずっと難しい顔してる」


 飽くまでその瞳から目をそらして、顔をわずかに伏せて、苦笑いを浮かべる。あはは、と乾いた笑いがロビンの部屋にこだました。


「そんなにわかりやすかった?」


「……えぇ」


「敵わないな。君には」


 腰掛けていたベッド。上体を倒して、ドサリと寝転ぶ。右腕で目元を覆う。ともすれば泣いているようにも見えるかもしれない。


「今でもさ」


 ボソリと呟く。ロビンにとって、これは独り言だ。それ以外の何物でもない。聞いてもらいたいとも思っていない。だが、カーミラは真摯に返事を返す。返してくれた。


「うん」


「今でも、瞼の裏から離れないんだよ。ロドリゲス先生の死に顔が」


「うん」


「耳から離れないんだよ。ロドリゲス先生の、あの時の悲鳴が」


「うん」


「ありがとう、って言ってくれた、その声が」


「うん」


 カーミラからロビンの表情は、うかがい知ることができなかった。だが、確かに彼は泣いていた、とそう感じた。涙は流していないのかもしれない。でも、確かに泣いていたのだ。


「だから……その約束はできない」


 ごめん、と付け足す。


「えっとさ……。ここでカーミラに、『そんなことはしない』って約束するのは、簡単なんだよ。でもさ……」


 ことそのことに関して、嘘は吐きたくなかった。


「もう、もう言わなくていいよ。分かった……」


 カーミラがロビンの独白を遮る。気持ちが痛いほど伝わってきたからだ。カーミラも同じ気持ちである。ビリー・ジョー。あの男を目の前にして、自身も正気を保っていられるかは、正直わからなかった。ロビンが人間を殺す。その事自体はカーミラの中でなんとか整理がついていた。彼女と違いロビンは筋力強化の才能があるだけの普通の人間である。殺さなければ殺される。そんな場所にこれから何度だって駆り出されるだろう。


 でも、あの男はダメだ。殺さなければは殺される、ではない。相まみえた瞬間に、ロビンの死がほぼ確定するのだ。


 しかしながら、ロビンのその気持ちを、復讐心という人間として当然の感情を、綺麗さっぱり失くしてしまう方法もカーミラには見当がつかなかった。


「……ごめん……」


「いいの」


 カーミラがその瞳を少しだけ潤ませる。ゆっくりと立ち上がり、ロビンが寝転がっているベッド、その左隣に腰掛ける。少しだけ躊躇しながらも、彼のその左手をそっと握りしめた。


 唐突な彼女の行動に、あたふたしたのは他ならぬロビンだった。少し前の父親の言葉が蘇る。カーミラが僕のことを好き? 冗談だろ? だが、そんな疑問も白銀の少女の右手の温もりにすっかりと押しつぶされてしまった。なんて温かい手なんだろう。彼女が吸血鬼? 初めて会った夜、何度も、幾度も疑った事実。それを数ヶ月越しの今、改めて疑うことになった。


 カーミラがロビンの部屋の壁を遠い目で見つめる。


「ねぇ。ロビン」


 カーミラが危惧していること。それはロビンが何処かに行ってしまうのではないか、というその一点だった。奇しくも、アリッサがロビンの婚約者を自称し始めた、その理由と同じだった。


「じゃあさ、これだけは、これだけは約束して?」


「……なぁに?」


「あの夜。私に誓ってくれた言葉」


「うん」


「絶対に破らないで」


 お願いよ、と言って、カーミラがロビンの左手を握る力を強くする。何処にも行かせない。そんな決意を込めた右手だった。


「……あの夜の言葉は、僕の存在そのものだよ。何があっても破りやしない」


 ともすれば、こっ恥ずかしくも感じられそうなロビンの台詞に、カーミラが満足気に微笑んだ。未だに右腕で目を覆い隠すロビンを見遣る。


 握りしめていた左手からゆっくりと右手を離し、そしてその手でロビンの右腕を優しくどかした。ロビンの瞳がカーミラの方を向く。


「……ん」


 ただ唇を合わせるだけの口づけ。この間の雪山でのもののような忙しないものではない。ゆっくりと、そう、とてもゆっくりとした時間だった。アリッサに怒られるなぁ、と少女はぼんやりと思う。ごめんなさい、と思う。だけども止められない。止まらない。


 数十秒程だろうか。二人の影がゆっくりと離れた。


「……約束ね」


 そう言って、カーミラはまたコウモリに姿を変えてロビンの部屋を出ていったのであった。


 ロビンは、自身の唇をそっと撫でる。最初のときと比べて、確かな現実感があった。顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。ぼうっとした頭で思い浮かべたのは、父さんにまた怒られるなぁ、と、そんなくだらないことだった。今夜は眠れそうにない。次に彼はそんなことを思った。


 なお、余談ではあるが、自室に戻ったカーミラが、きゃー、きゃーと叫び声を上げ、顔を真っ赤にしながら、ベッドの上で足をバタバタとさせたのは言うまでもないことだろう。






 リュピアの森から二週間。学院が再開して五日ほど経った夕暮れ時。途中、何度か王国の警ら兵に見つかりそうになったが、時にはやり過ごし、時には暗殺し、そしてようやっとここまで来た。


 危惧されていた合流した帝国兵の練度の低さについても、なんとか騎士達が彼らを助ける形で隠密行動は成り立っていた。


 フィリギスの丘。その草むらに、七十名弱の騎士団及び帝国兵が息を潜めて学院を見下ろす。今は夕暮れ。消音の魔術と遮光の魔術を使っているため、周囲からは何もないただの丘に見えているだろう。幸いにも近づいてくる人影もいない。


「さて、と。こっからどうするんだっけか?」


「本国から合流部隊がやってきます。つい先程、念話の魔術でリチャード参謀に目標地点に到達したことを連絡しました」


「オーケー。ってことは、もうそろそろ、その合流部隊ってのがやってくる頃合いか」


 声を潜めて、ビリーと副団長がひそひそとこれからのことについて話し合う。


「なんでも、暗殺やら斥候やら間諜やら、そういった薄暗いことに特化した部隊なんだとか」


 副団長が顔をしかめてビリーに告げる。確かに彼らも、暗殺、斥候、間諜、様々な任務をこなす。だが、それでもだ。騎士としての矜持を確かに持っていた。任務は任務。しかし、それでも騎士道精神というものは持ち合わせていたのだ。


「薄暗いことに特化した部隊、とは言い得て妙だな」


 突如背後から掛けられた声に、ビリーと副団長が振り返る。気配を感じることはできなかった。いつの間に居たのだろう。十名程の真っ黒な装束に身を包んだ者たちがそこには居た。皆が皆、地面に伏せた状態で、音もなくそこに現れていたのだ。


「確かに、薄暗いなぁ。格好が」


 ビリーがにやりと笑う。皮肉ではない。ただ感想を言ったまでである。


「あ、いや、失礼。騎士団長のビリー・ジョーだ」


「特務隊隊長のウィル・スワンだ」


 特務隊。正式名称を、帝国参謀直轄特殊任務特化部隊。リチャード参謀の直属の部隊であり、その存在は限られた人間のみに開示されている。


 噂には聞いていたが、全く無愛想な連中だ、とビリーは思った。無愛想も無愛想。無愛想というよりも、全員がその顔を真っ黒な覆面で覆っているのだ。愛想が無いとは別次元と言えるのかもしれない。


 そして、僅かな違和感を感じた。このウィルとか言う男。マナの流れが常人とは違う。これは、そう。人間ではない。ふぅん、と心の中で納得し、しかしながらビリーは何も言わなかった。


「失礼。これからの計画については、貴君らから伺えと命ぜられておりまして。計画をご教示願えませんでしょうか」


 副団長が、未だにニヤニヤしているビリーの代わりに、ウィルに尋ねる。特務隊隊長は、低い声で唸るように告げる。


「計画は今夜決行だ。幸い今日は月もない。奇襲にはうってつけだ」


「月の無い夜、か。確かに、うってつけっていやぁうってつけだなぁ」


 ビリーが人好きのする笑みを浮かべて、ウィルを見る。ウィルはそんなビリーをちらりと見遣り、懐から魔術学院の見取り図を取り出し、広げた。


「部隊は五つに分ける。一つ目は教師の寮を制圧する隊、一班だ。二つ目は貴族舎を制圧する隊、二班。三つ目は貴族舎の寮を制圧する隊、三班。四つ目は平民舎を制圧する隊、四班。最後は平民舎の寮を制圧する隊、五班」


 ウィルが学院の見取り図を一つ一つ指差しながら、隊の構成を説明する。


「で? 誰が、どの班に行くんだ?」


「特には決めていない。この場で決める」


 その言葉に、ビリーがよっしゃ、と小さくガッツポーズを取る。


「じゃあ、俺は三班にさせてもらう」


 彼の頭の中には、ともすれば頼りなさげにも見える、筋力強化使いの少年の顔が思い浮かんでいた。彼は天才だ。そのことはビリーも十二分に理解していた。男子三日会わざれば刮目して見よ、と言うが、筋力強化の天才である彼がこの数日間でどのように成長しているのか、多いに興味があった。そして、それ以上に自分を見つめる怨嗟の目。その目に惹かれた。内乱の鎮圧、今までの幾多の戦、その中であんな目をした人間は山ほど居た。そしてその誰もが、恐るべき実力の持ち主だった。


 つまらない任務だと思っていたが、少しばかり楽しくなりそうだ。ビリーは笑みを深くする。


 ビリーの表情を気づきつつも、知らないふりをして、ウィルがぼそぼそと低い声で告げる。


「ふむ。承知した。では私は二班へ。特務隊の副隊長を一班とする」


「オーケー。じゃあ、副団長。お前は五班だ」


 騎士団長が、副団長に向かってニヤリと笑う。


「ちょっ、勝手に決めないでくださいよ」


「良いだろ? 平民舎の寮だ。簡単な任務だろ」


「そりゃそうですけど」


 不承不承といった面持ちで副団長が承諾する。


「特務隊の残りは、四班、五班に回す。後は好きに決めろ」


 その言葉にビリーが短く刈り上げた茶色い髪をかきむしる。


「うーん。そうだなぁ。騎士団員の十名と帝国兵の生き残りはここで待機。隠密行動だ。少数精鋭のほうが良い」


 現状を的確に分析した発言に、ウィルが少しばかり驚きに目を見開く。帝国の騎士団長はボンクラである。そんな噂がまことしやかに流れていたのだ。


「……噂通りの馬鹿ではないらしいな」


「いんや、俺は馬鹿だよ」


 俺は馬鹿でいい。それはビリーの口癖であった。馬鹿だからこそ死地に笑って飛び込んでいける。馬鹿だからこそ、先陣を切って、敵を一人でも多く殺し尽くすことができる。


「じゃあ、細かいところを決めていくかぁ」


 作戦会議は、夕日が姿を消し、辺りが真っ暗になるまで続いた。






 その日の当直は、歴史学の授業を担当するロニー・ラドクだった。見回りの時間だ。ロニーは当直室の椅子から立ち上がると、杖に光を灯し、松明代わりにしながら、当直室を出た。


 当直室は、教師寮の一番貴族舎側にある。当直ルートは単純だ。まず貴族舎の外周を一周。その後、貴族舎の中を見て回る。その後平民舎ヘ向かい、外周を一周。そして平民舎の中を見て回る。勿論寮の中も――学生たちの自室には当然ながら入ることはないが――全て巡回する。


 当直室を出て、貴族舎をぐるっと一周する。貴族舎の裏庭に差し掛かった時、なんとも言えない違和感を感じた。十年前程、軍役に就いていた時、そうその時に何度も感じた違和感である。


 えてしてこの様な直感は当たるものである。ロニーはそのことをよく心得ていた。彼の脳味噌がカーンカーン、と警鐘を鳴らしているのである。その感覚は久しく感じていない感覚だった。


 敵襲だ。駐屯していた時。軍務の合間の僅かな休息に身を委ねていた時。戦闘が一段落し、周囲の人間達がほっと胸をなでおろした時。そんな時、何度もこの違和感を感じた。


 その後の彼の対応は迅速だった。一般的にはマナー違反とされる念話の魔術で、学院長に連絡をする。「何かがおかしい。確信は持てないが、良くないものがもうすぐやってくる気がする」と。


 学院長からはすぐに返事が来た。「分かった、全ての教師を叩き起こす。ラドク先生はそのまま周囲の警戒を続けてくれ」と。その返事は、ロニーの実力を学院長が心から信頼している、その証であった。


 杖は常に二本以上携行すること。それは軍に属している者にとって常識であった。過去に軍務に就いていたロニーにとっても当然ながらそれは常識である。杖を失った時にもすぐに戦線復帰できるし、複数の魔術を同時に行使することができる。松明代わりにしていた杖を左手に持ち替えて、もう一本の杖を懐から取り出す。右手の杖をマナの剣に変化させ、周囲の僅かな変化も見逃さないように警戒した。


 敵が侵入してくるとしたら、門からである。それ以外はありえない。学院を囲う塀は高く、中に入ろうとするならば必然的に正面から突破することとなる。彼は足早に貴族舎の玄関の前、門の目の前に向かった。


 彼は臨戦態勢を整え、貴族舎の門を睨みつける。門の向こうには門番がいるはずだ。何かあれば彼らが大声を出すはずだ。


 数分経っただろうか。ともすれば、自身の早とちりだったかもしれない、とも思えた。だが、次の瞬間、門の向こうから小さな「ぐげっ」という声と、ごぽごぽと溺れるような音が聞こえた。ロニーも、戦場に居たものなら誰しもが何度も聞いた音だ。首を切り裂かれた音。そういう死に方をするものは、あんな音を出す。


 ロニーは、左手の杖を振りかざし、上空に向かって信号弾を打った。学院における緊急事態の合図である。信号弾が爆発し、轟音が鳴る。その音は魔術学院全域に、ともすれば、リシュフィリアの街まで聞こえそうな程に大きく響いた。

またカーミラがロビンにキスしやがりました。

あの朴念仁に、カーミラは不釣り合いだと思います。私も。

男なら自分から押し倒すとかしやがれ!

いや、すみません、取り乱しました。


いよいよ、帝国の人間が魔術学院を襲います。

物語はクライマックスへ。

ロビンとカーミラ、そして仲良し六人組達。

それぞれが何を為し、何を思うのか、ご期待いただければと思います。



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