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第十三話:学院の再開

 キンズプレンズ平原における帝国軍との戦いから、三週間ほどが過ぎた。帝国軍の侵攻は、またたく間に王国全土に知れ渡ることとなり、またその戦勝も同様に知れ渡った。


 王国の民衆は、自国の勝利に少なからず胸をなでおろし、そして喜んだ。誰しもが帝国を侵略国家であると、蛮族であると、そう捉えており、王国が帝国の占領下に置かれることに対しては不安感を覚えたのである。尤もキューベスト領は未だ帝国の占領下に置かれているのだが。


 帝国軍との戦いでの勝利。その三日後には、魔術学院の再開の知らせが、学生たちに届けられた。帝国との戦時下に突入したとは言え、学徒達の教育、あるいは新たな魔術師の創出は国の大きなミッションであり、それをストップする理由にはならないし、してはならない。


 ロビンは、実家に帰省したときと同じ様に、新型の転移の魔術によって学院から少しばかり離れた平原に転移した。


「魔術学院も、一ヶ月ぶりぐらいか……」


 感慨深くもあり、そして複雑な思いもあった。色々あった。色々ありすぎた。そして、何よりも彼の心多くを占めていたのは、帝国騎士団長への復讐心であった。


 勿論、他の誰にも、その感情は悟らせぬよう努力した。


 特にカーミラがロビンのその復讐心に感づいたら、と考える。優しい彼女のことだ。心を痛め、ロビンを説得したり、「復讐なんてためにならない」などと言うことだろう。だが、違う。違うのだ。彼はあの鬼教官と訓練ばかりして過ごした過酷な日々を、心から大切な思い出だと思っている。そして、自分を褒めてくれる、認めてくれる、そんなアレクシアを心から尊敬していた。大好きだった。


 ――そんな彼女を殺したあいつが、生きていていいはずがない。


 先日の帝国軍との戦いでは取り逃がしてしまった。


 王国も同様ではあるが、帝国軍も少なくない打撃を受けたはずである。次の戦端が開かれるのはいつになるのか。それはロビンには推し量れなかった。だが、キューベスト領を占領しているとはいえ、立て直しの時間は膨大であるに違いない。


 その次の戦。そこで何が何としても奴を殺す。ロビンはそのように決意していた。そして、その機会が戦ではなく別の場で与えられるかもしれない、そのこともよく理解していた。


 数分ほど、この一ヶ月程度の出来事を思い返し、ぼうっと佇んでいたロビンだったが、とりあえずそんなことは置いておいて、学院に向かうことに決めた。ゆっくりと歩を進めていく。


 門番に少しばかり会釈をして、学院の門を抜ける。貴族舎の玄関が目に映った。馬車が列をなし、学院に属する貴族の子女達が次々と降り、そして玄関をくぐっていく。それを横目で見ながらロビンは玄関へゆっくりと歩いていった。


 ロビンが目にした馬車、その中でも三つ目の馬車から、見覚えのある顔が降りてきた。


「あ! ロビン! 久しぶり!」


「うん、久しぶり。アリッサ」


 一ヶ月前と変わらない。そんな彼女の姿に、ようやく日常が戻ってきたのだということをなんとなく実感する。今は自身の中で煮えたぎる復讐心も、その他の様々な感情も、置いておいていいかな、なんて思った。


 玄関を抜け、ロビンとアリッサが連れ立って寮へ向かう。


「アリッサは実家でどうしてたの?」


「そんなことを私に聞くとは、ロビンもまだまだ私への理解が浅いね。ずーっと魔法薬作ってたに決まってるじゃん」


 趣味に没頭する、というのは良いことである。良いことであるのだが、目の前の少女は少々行き過ぎなのではないか、と彼は思った。


「えっと、君らしいね」


 とはいえそんなことを言う必要もない。とりあえず無難な返答をしておいた。


「ロビンは?」


「あぁ、僕はずーっと家に軟禁されてたよ。ま、しょうがないよねぇ」


「それは大変だね。だーいじょうぶ! 私がお婿さんにもらって、ホワイト領をちゃんとロビンに継がせてあげるから」


 冗談もほどほどにしてくれ、とは思ったが、声には出さなかった。あはは、と愛想笑いを浮かべる。


「ところでさ、帝国軍が侵攻してきたんでしょ? 大丈夫なのかな?」


 アリッサが何気なくロビンに問いかける。


 勿論ただの雑談でしかない。だが、その言葉が彼に戦の地獄のような惨状を思い出させた。あのときは、興奮していて露ほども思わなかったが、よく僕今生きてるな、とぼうっと考える。


「ロビン?」


 少年からの返答が返ってこないことに、心配そうな顔で自称婚約者がロビンの顔を覗き込む。


「あ、あぁ。ごめん。ちょっとぼーっとしてた。帝国の侵攻ね。キューベスト領はまだ占領下にあるみたいだけど、先の戦いは王国側の大勝利だって、そういう話だよね」


「私もそう聞いてる。でも怖いなぁ。戦争かぁ。まぁ、私達は学生だし、王国の兵士さん達を応援するぐらいしかできないよねぇ」


「そうだね……。頑張って欲しいね」


 自身がその戦争に参加していること。そんなことはおくびにも出してはいけない。ロビンは無難な返事をするに留まるのであった。


 他愛もない話をしながら、数分程歩くと、寮の入り口までたどり着いた。


「ねぇねぇ、後で皆にも手紙を送ろうと思うんだけど、再会おめでとうパーティやろうよ」


「あぁ、いいね。授業は明日からだもんね。時間は昼過ぎぐらいからかな?」


「うん。お昼ごはん食べながらこの一ヶ月何やってたかお喋りするの。じゃ、後で手紙送るからね~」


 ばいばい、と手を振ってアリッサが女子寮へ向かう廊下を歩いていった。


 その後姿を見送ってから、ロビンも自室に向かって歩き出す。


 自室に着き、背負っていた荷物をドサリと下ろすと、ロビンはベッドの上に横になった。荷物の整理をしなければならないのは理解しているが、なんとなくやる気が出なかったのだ。


 しばらくぼーっとする。ぼーっとしながらもエライザの言葉を思い出す。帝国の次の標的、それが魔術学院である可能性がある。女王は「魔術学院への襲撃」という可能性を、四つの選択肢の内、最後に示した。そのことに意味がある。そう思わずにはいられなかった。


 僕の力で、この学院の皆をどれだけ守れるだろうか。


 それが彼の考えていることの一つであった。


 そして、もう一つは、帝国騎士団長。その存在である。アレクシアの仇を討つ。それは彼にとって決定事項であるのだ。


 そんな風にぼーっとしていると、ロビンの部屋に控えめに装飾された手紙が届いた。アリッサからである。内容は「今すぐ交流室に集合!」と、それだけであった。なんともまぁ失礼ともとられかねない手紙ではあるが、その手紙が彼ら仲良し六人組の浅からぬ付き合いをそのまま証明していた。


「さてと」


 行きますか、と呟いて、ロビンは交流室へ向かった。


 仲良し六人組が久しぶりに揃った再会おめでとうパーティーは、非常に楽しく、ともすれば荒んだ考えに陥りがちなロビンに束の間の休息を与えてくれる。そんなパーティーであったことは言うまでもなかった。


 皆笑顔だった。再会を喜び、そしてそれぞれが休みの間何をやっていたのか話し合う。笑顔が絶えず、皆が皆お互いを慮り、それでいて無礼講。確かな友人同士のやりとりがなされたのであった。






 学生達が学院に戻って来た次の日。授業の前に朝会が開かれた。大広間の壇上に学院長がゆっくりと登り、黒曜石のような目を少しばかり悲しみに染めながら話し始めた。


「特別長期休暇はいかがだったかね。戴冠のパーティに参加したものも少なくないだろう。王国はエライザ女王陛下を戴き、また少しずつ変わっていくだろう。しかし、そんな中でも変わらないものがある。それは諸君らが魔術を、学問を、きちんと学ばなければならないということだ。

 帝国が攻めてきたのは皆の知るところだろう。しかし、学生である諸君らの今すべきことは、この学院で研鑽し、知識を深めることだ。そのことを努々忘れないようにしてほしい。

 次の夏。学院を卒業するものもいる。帝国との戦時下だ。あるものは戦に駆り出されるだろう。あるものは戦のための魔術研究に携わるだろう。

 平和な時代が続いた。諸君らにとっては、平和な時代が当たり前で、これから来る帝国の進軍に恐怖を抱くこともあるかもしれない。

 平和とは貴重なものだ。諸君らは、この魔術学院の中でだけでも、その平和を確りと噛み締めて、そして生活していってほしい。

 そして、今から言っておく。卒業し、戦に参加しようと考えている者たちへ。止めはしない。それを止める言葉を儂は持っていない。だからこそ、儂の望みをその胸に刻み込んでほしい。『戦争で死んではいけない』。自分の身を守ることを最優先に。それだけが儂の願いだ。

 さて、少しばかり重苦しいスピーチとなってしまい、申し訳ない。

 諸君らは今日から始まる授業に、真面目に取り組むように。学生の本分は勉強だ。そのことを忘れてはならないよ。

 最後に、退職したロドリゲス先生の代わりに、魔獣と魔法生物の授業を担当する教師を紹介する」


 学院長がそこまで言って、一つだけ小さくため息を吐き、そして壇上から降りていった。入れ替わるように新任の教師が、緊張に顔を強張らせながら控えめな挨拶をし始めた。


 ロビンがぼうっとそれを見ていると、斜め後ろから、つんつんと突かれた。なんだろうと思って振り向くと、グラムであった。グラムが少しばかりロビンに近寄り耳打ちをする。


「ロドリゲスのことなんだけどな。退職したってのは嘘らしい。本当は死んだって、そんな話だ」


 お前にだけは伝えておかないとと思って、とグラムが付け足す。この男は本当に情報を仕入れるのが上手い。学生の誰もが気づいてはいないだろう。だが、その情報はロビンにとっては禁忌そのものであった。


「……知ってるよ……」


 自然と右手を握りしめる形となる。顔がこわばっているのが自分でも分かる。だが、グラムはそんなロビンの様子を、アレクシアを悼んでいる、そういう風に受け止めてくれたらしい。


「……そうか。悪かったな。嫌なこと伝えて。お前の師匠だもんな。無神経だった」


「……いいよ」


 彼は、ぼそりと呟いたロビンの言葉を聞き、これ以上のちょっかいは無用とばかりに、自身が居た場所に戻っていった。






 朝会が終わり、授業が始まる。いつもどおりの日常である。ロビンにとってはその日常がなんともありがたかった。


 真面目に授業を受ける。その忙しさによって、嫌な思い出。自身の復讐心。何もかもを忘れさせてくれる。


 右隣に座るカーミラをちらりと見る。勤勉な彼女の性格をそのまま表すかのように黒板とノート、その間を金色の瞳がせわしなく往復していた。一方で左隣に座るアリッサは、退屈そうにあくびをしていた。今は、歴史学の授業。彼女は魔法薬学以外に興味がない。


 ロビンも授業に集中する。今は集中することが、何よりも彼の心を鎮めてくれる。


 ただ、いつもどおりの日常ではあるのだが、その実、休暇前とは明らかに違う点があった。教室にいる学生が、少しばかり浮足立っているのである。


 当然だろう。休暇前とは違い、今は帝国との戦時下なのである。戴冠のパーティに参加していた学生も少なからずいるだろう。なにしろ戴冠のその日に帝国の侵攻、それが伝えられたのである。参加していた学生にとっては、トラウマものであろう。


「ラドク先生!」


 歴史学の授業を続けるロニー・ラドクに、一人の学生が手を挙げる。


「何かね?」


「帝国との戦争は、いつまで続くのでしょうか」


 歴史学の教師であるロニーは、その質問に少しだけ鼻を鳴らす。黒板に向けていた身体はそのままに、学生の問いかける。


「今行っている授業に関係があるかね?」


「……確かに関係はありません。ですが、皆不安に思っています」


 それは教室の大多数の学生らの心の声を代弁したものだった。ロビンはカーミラをちらりと横目で見る。彼女としては、貴重な授業の時間を邪魔されたことに対して、幾分か思うところがあるらしい。小鼻を膨らませていた。ロビンは心のなかで少しばかり苦笑いを浮かべる。


「先生は、昔軍役に就いていらっしゃったのですよね。見解を教えていただけませんか?」


 少しばかり熟考し、話すべきか悩むように顔を伏せ、数十秒ばかり難しそうな顔をした後で、ロニーが小さくため息をつく。


「……わかった。では、私の見立てを話そう。とは言っても、私が軍に属していたのは遠い昔のことだ。私の意見全てを鵜呑みにしないように」


 ロニーは黒板に向けていた身体を、教室の学生たちに向ける。そして、教室中の学生たちの顔を見回した。


「帝国の軍事力は圧倒的だ。それは歴史が証明している。メガラヴォウナ山脈より北の民族は、そのどれもが決して軍事力に乏しい民族ではなかった。山脈より北は、その位置の違いはあれど、王国と比較して魔獣に対する驚異が段違いだ。

 帝国はその数多の民族を侵略し、そして自国の領土としてきた。それは帝国の高い軍事力に裏付けされた歴然たる事実である。

 一方で王国は、この二百年程平和な時代が続いている。確かに東方諸国、その同盟国の小競り合いに軍を出征したことは何度もある。しかし、大きな戦というものはしばらく起こっていない。

 普通に考えれば、王国が劣勢であることは間違いない」


 そこまで話して、歴史学の教師が、ふーっ、と深く息を吐く。


「だが、先日の帝国との戦で、王国は圧倒的とは言えないが勝利を収めた。王国も勿論帝国を仮想敵国として考え、そして準備をしてきた、とそう私は考えている。なればこその、先日の勝利だ。

 つまるところ、大きな軍事力を持った帝国に対抗する手段が王国にも存在するということだ。

 ……だが、そうだな。戦争がいつまで続くかは、私にもわからない。これは私の予想でしか無いが、帝国の軍事力、王国の軍事力、それらは拮抗していると考えている。恐らく長い長い戦争となるだろう」


 ロニーが教室中の学生たちを見回す。


「今の回答で不満があるものはいるか?」


「……いえ、十分です」


 最初に手を挙げた学生が、そう言って、ゆっくりと席に座る。


「帝国との戦争。貴君らにはまだまだ関係のない話だ。この話はこれで終いだ。さ、授業を続ける」


 そう告げて、ロニーはまた黒板に向き直るのであった。

授業が再開しました。束の間の平和な日常にほっとするロビン。

描写していませんが、カーミラも授業の再開をとても喜んでいます。


非日常から日常へ。それは戦争へ参加した二人にとって、とても貴重な時間なのだと思います。


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