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第十二話:帝国の企み

 帝都。その宮殿の最奥にある、皇帝の執務室。帝国宰相が、ガルダンディアの沈みきった表情を見咎める。


「ガルダンディア陛下。いかがなされましたかな?」


「いえ、その」


 その浮かない表情に、宰相はすぐに彼が何に悩んでいるのか見当をつけた。


「次の作戦について、ですな」


「……はい」


 ガルダンディアがその美しい金髪をさらりと揺らして、宰相を見つめる。


「作戦の重要性は理解しています。ですが、王国の民とはいえ、未だ兵士にもなっていない子供たちを襲うのは……」


「リチャード参謀閣下の提案です。陛下のご心配される気持ちは痛いほどに伝わってまいります。ですが、ご辛抱を」


 この作戦は重要なのだ。王国との戦争は長期戦となることは必至。帝国と王国の国力は現在、拮抗している。一進一退の攻防が続くだろう。


 先の戦闘における敗北についても、当然ながらいち早くガルダンディアの耳に入っていた。心優しい皇帝は、想像以上の帝国兵の死者の多さに涙を流した程である。


「それに、相手を子供と思ってはなりませぬ」


 宰相が諭すように微笑む。


「子供ではなく、魔術師です。年若いとは言え、一筋縄ではいきませぬ。それに……」


「……わかっています。理解も、納得もしています」


 そう、彼は理解も納得もしていた。だが他ならぬ彼の優しい性根が、果たしてそれで良いのかと、未だに疑問を持っているのである。


 そして、もう一つ。誰にも話していない、いや話せないが、ガルダンディアにはある直感があった。


 この作戦は恐らく失敗する。


 その結果、また少なくない帝国の兵を失ってしまう。そのことがガルダンディアは悲しいのである。


 だがそんなことどうして言えようか。海千山千の帝国参謀である、リチャード・グラスマンが入念に入念を重ねて練った作戦なのである。それを自身の直感のみで、失敗するからやめろなどと。どうして言うことができよう。


 彼の直感。それは彼の直近の家臣が全て知っていることである。だが所詮直感なのである。そこに経験はない。根拠もない。証拠もない。何一つ揃ってはいない。


 軍の全てを動かすのに、己の直感が如何に力不足であるのかを、ガルダンディアは良く理解していた。そして、その直感がどれだけ軍の規律等を乱すのかについても。


「心配なさるな。陛下。ことは騎士団が中心となって当たります。ジョー騎士団長であれば、確かな戦果を持って凱旋することでしょう」


「……はい」


 ふと、あの気さくな騎士団長ともう会えなくなるのではないか。そんな予感がした。自身の直感について外れてほしいと願ったことは数え切れない。だが、彼の少しばかり短めの人生のなかでこれほどまでに外れてほしいと願った予感はこれが初めてであった。






 作戦の全容は、騎士団の中でも中枢に位置するものだけに伝えられていた。


 作戦の概要はこうだ。まずは、乱戦によって散り散りになった帝国兵、その残党を集める。リチャード参謀の予想によれば、十数名から数十名程度の兵士が、逃げ遅れ王国の中に隠れ潜んでいるはずだとのことである。


 逃げ遅れた帝国兵らと合流した後は、一時機を待つ。当然王国も、死んだ帝国兵、捕虜とした帝国兵、そして逃げた帝国兵。それらの数が合わないことに気づくだろう。その可能性は無論無視できない。そのため、騎士達には慎重な作戦行動を命じられていた。常に周囲を警戒すること。王国の兵に見つからないこと。痕跡を何一つ残さないこと。中でも痕跡を残さないこと、これが厄介極まりない命令であった。人間が生きていく時、当然食事を摂るし、排泄もする。歩き回りもするし、寝たり起きたりもする。その全ての痕跡を完全に消し去ることは非常に難しい。だが、帝国騎士団はよりすぐりの精鋭である。隠密行動の訓練も十二分に受けていた。


 機を待ち、ちょうどよいタイミングで、リュピアの森を抜けフィリギスの丘へ向かう。勿論その際も隠密行動を厳命されていた。具体的には、消音の魔術と遮光の魔術を用いて、ゆっくりと移動する。二つの魔術も万能ではない。そのため、騎士団達は匍匐前進で目的地に向かう必要があった。街道を避け、ぐるりと迂回しながら向かうのだ。一週間、ともすれば二週間はかかるだろう。


 目的地であるフィリギスの丘にたどり着いたら、作戦の肝とも言える奇襲が決行される。目標はリシュフィール魔術学院。レイナール連合王国唯一の魔術教育機関である。一時間を目安に魔術学院を制圧。その後、魔術学院に在籍する全ての魔術師を掃討し、転移の魔術によって帰還する。


 それが作戦の全容である。


 奇しくも、エライザの立てた四つの予測。その四つ目が帝国騎士団の狙いそのものであった。


 極力音を立てないように、極力痕跡を残さないように、慎重に行動する帝国騎士団。その拠点に、王家直轄領を隅から隅まで回り、逃げ遅れた帝国兵を探す役割を与えられた騎士団員が、帝国兵を連れて合流する。


 帝国騎士団がリュピアの森に拠点を構えてから、全ての逃げ遅れた帝国兵を助け出すのに僅か三日であった。


 こじんまりとしたテントのなかで、ビリーが副団長からの報告を受ける。


「逃げ遅れた帝国兵は、恐らく全て回収いたしました。数にして二十三名です」


「おう。王国兵に見つかって殺されてなくて何よりだ」


「はい、ですが今後の作戦行動の中で彼らの練度の低さが問題になる可能性がございます」


「うーん……。まぁなんとかなるだろ。見捨てて行く訳にもいかんしなぁ」


「そうですよねぇ」


 二人が少しだけ頭を抱えたその時、騎士団員の一人が泡を食ってテントの中に飛び込んできた。


「で、伝令。王国の大隊がすぐ近くまで迫っております」


「お、ご苦労。平和ボケしてやがると思っていたがなかなかやるな。誰が指揮してんだ? まぁいいか」


 ビリーが短く刈り上げた頭をボリボリと掻いて、副団長を見る。


「副団長。場所を移すぞ。迅速に、かつ慎重にだ」


「はっ」


 かくして、拠点移動の命は迅速に全ての兵に伝達される。


 時間にして五分。彼らが自身たちの痕跡を消し去り、そして始めからそこにいなかったかのように、霧がはれて散るかのように、音も立てずに移動し終えた時間である。






 リュピアの森に向かうように命ぜられた大隊。その大隊長は、与えられた命令に首を傾げたものだった。


 先の戦闘は、王国の大勝利である。少なからず王国側にも死傷者が出たとは言え、なんだかよくわからない内に、敵の本隊が壊滅し、そしていつの間にか帝国兵が撤退していったのだ。


 本当によくわからない。よくわからないが、王国の大勝利であるということは、この大隊長にも理解できていた。


 だからこそ、リュピアの森に向かえ、というその命令が理解できなかった。


 逃げ遅れた帝国兵がいるであろうことは、大隊長ではなくても誰しもが予測できることだった。得てして大軍が撤退する時、追撃から免れようと、本来行くべきではない方向に逃げていく兵がいるものである。それが、職業軍人ではなく、平民や農奴から強制的に徴用された兵であればなおさらだ。


 だが、そんなものはどうでもよいのではないか、とそう考えていた。見つけたら、見つけたその時に殺してしまうなり、捕虜としてしまうなりすれば良い。


 彼の逃げ遅れた兵士達に対する認識はその程度であった。


 なのでどうしても、この作戦行動には納得がいかない。リュピアの森を探索してなんになるというのだろう。逃げ遅れた残存兵がここに拠点を構え、王国に牙を向くなんてありえない話である。


 大隊を率いて森を探索することは不可能ではないが、多少困難な作戦であった。まず、定期的に襲ってくる野獣や魔獣が鬱陶しいこと。そして、比較的狭いと言われているこの森でも、遭難する可能性が十二分にあること。その二つが彼に与えられた作戦を少しばかり困難なものとしていた。


 これが、小隊であれば、ともすれば五人程度の集団であれば、これほどの小さな森を隅から隅まで探すのは時間はかかるが難しくはない。だが、彼が率いる大隊の練度は口が裂けても優秀であるとは言えなかった。規律正しいとは言えない隊列。決して強いとは言えない野獣や魔獣に苦戦する末端兵達。そしてそんな野獣や魔獣に負傷する兵の出現。その度に隊の中でも数少ない魔術師を動員し、治癒させるのだ。


 彼は本日何度目かわからないため息を、隊員たちには聞こえない程度に吐いた。


 そろそろ、森の中心部まで到達する。それまでに、どれだけの小さな小さな苦労があったか数えしれない。


「うわぁ! 狼だ!」


 ほら、まただ。大隊長は、頭を抱える。狼程度にうろたえる兵士が何処にいるというのだろうか。混乱し始めた隊をまとめ上げるために彼は大声を上げる。


「隊列を乱すな! 冷静に対処しろ! 相手はただの獣だ!」


 末端兵達が、四苦八苦しながらも襲ってきた狼を追い払う。それだけで数分から十数分かかるのだ。その度に大隊は足を止めざるをえなくなる。彼らの進軍は亀にも比喩されそうなスピードであった。


 狼の襲撃を数度いなした頃だろうか。ようやっと、森の中心部分にたどり着いた。


「ま、そうだよなぁ」


 大隊長がため息と共にぼそりと呟く。勿論他の兵達には聞こえないように気をつけることは忘れない。


 何もない。何もないのだ。


 大隊長は、中隊長を集める。


「作戦は終了。森には何も無かった。これより帰還する」


「はっ!」


 その命は、速やかに中隊長から小隊長、分隊長にまで伝わり、そして隊全体に伝達された。リュピアの森に派遣された大隊は踵を返して、森を後にするのであった。






「行ってくれたな」


「そうですね」


 ビリーと副団長が地面に伏して王国兵の動向を見守る。他の騎士団や、逃げ遅れた帝国兵はとっくに数百歩程西に拠点を移し、息を潜めていた。この場にいるのは騎士団長と副団長のみである。


「ほんっと。平和ボケしてるのかしてねぇのか分からねぇ兵どもだな」


「全くですね。森に大隊が近づいていると聞いた時は、敵ながらあっぱれと感心しましたが、こうもあっさり引き返されると、拍子抜けもいいところですね」


 息を潜めながら、騎士団長と副団長が呆れた顔をする。


「多分だな。指揮官は優秀なんだよ。俺らの動向を把握してやがる奴が何人か……いや一人かもしれねぇな。そんな奴がいる。それが誰かはわからねぇがな」


「仰るとおりですね」


「だから、あの大隊も多分嫌がらせ以外の何者でもねぇ。鼻っから王国の指揮官様はあの大隊が俺らを見つけられるなんて思っちゃいねぇだろうよ」


 正鵠を射る。そんな予測だった。一つだけビリーが予想だにしていないことがあるとすれば、その指揮官と呼んだ人物が、他ならぬレイナール連合王国女王のエライザであることであろう。


 ビリーの予測は概ね正しい。エライザは嫌がらせもしくは牽制以外の目的を一切もたずに、大隊をリュピアの森に派遣した。それは、エライザが予測した他の拠点に差し向けた大隊についても同じことが言える。


 ただの牽制。「王国は貴様らの動向など全てお見通しだぞ」という、明確な意思を伝えようとしているのである。


 そしてその意志は、確かにビリーに伝わっていた。


 自身を頭が悪いといってはばからない彼ではあったが、その実軍事行動における直感と洞察力については人並みはずれたものを持っていた。確かに彼は数字が苦手である。読み書きも少しばかり危うい。だが、こと闘争、戦、任務、そういった場面において状況を把握し、的確に判断する、その一点については見事であると言わざるをえなかった。


「この作戦。俺たちが思っている以上に慎重に勧める必要がありそうだ」


 ビリーのその言葉を皮切りに、二人は去っていく王国兵達に悟られぬよう、音も立てず慎重に、移動先の拠点に戻っていくのであった。






「どこにも帝国兵の拠点らしき痕跡は見つからなかった……ですか。分かってはいましたが、やりますね。帝国の蛮族共も」


 エライザが一人執務室で、複数の報告書に目を通しながら呟く。どうせ何も出ては来ないだろう、そう予測していた。見つかったらめっけもんである。嫌がらせと牽制。元からそれ以外の何の意味も持たない兵の派遣であったのだ。


 だが、集まっている帝国兵達には伝わっただろう。少なくとも、何名かは帝国の動向を予測している人物が王国にも存在する、ということが。


「……本命はリュピアの森」


 根拠はない。だが、女王はそう予測していた。なぜなら、自分が逆の立場ならそうするからである。


 王宮の騎士団については、リシュフィリアの街の近辺に陣を張らせている。魔術学院で異変があればすぐに駆けつけられるようにだ。


 それに、帝国はきっと侮っている。魔術学院に勤める教師達の実力を。


 彼らは、教師という一見なんの戦闘力も持たなそうな魔術師である。だが、ハワード・ジョーンズ学院長。彼が集めた人員の優秀さときたら眼を見張るものがある。


 当然ながら、学院長本人も並々ならぬ実力を持った魔術師である。


 未熟な学生の数名、いや、数十名程度は死傷するかもしれないが、それを差し引いても帝国騎士団を叩き潰す、もしくは捕虜とする、それにはそれだけの価値が存在するのだ。


「さ、お仕事お仕事」


 その内情を知っているものは口を揃えて「天才である」、とそう評価する今上の女王陛下。彼女は報告書を机の隅に放って、また自身の執務へ戻るのであった。

王都直轄領に潜んだ帝国の騎士団達。その動向のお話です。

王国の兵士は平和ボケしていて正直使い物になりません。

一方で帝国は、常に内乱の鎮圧などで挙兵したりしているため、兵の練度は王国とは比較になりません。


エライザが先見の明がありすぎて怖いですね。

彼女は軍事に関しては素人です。が、こと他者がどのように考え、実行するか、ということに関しては素晴らしい洞察力を発揮します。、

それは当然軍事というステージでも同じなのです。


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