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第六話:カーミラの両親の慟哭

 無言の時間が続いた。公爵も公爵夫人も、じっとロビンが話し始めるのを待っているようだった。ロビンは困ってしまった。何から話せばよいのかさっぱりわからないのだ。


 できる限りショックを少なく、そんな話し方を心がけようと思った。のだが、如何せんカーミラとの出会いが出会いである。始めから話し始めると、尤も公爵夫人がショックな事実を最初に述べる事になってしまう。クッションも何もあったもんじゃない。


 そんなふうにロビンが話しあぐねていると、彼の様子をよそにカーミラが小さく呟いた。


「お父様にはもう私自身から伝えています。ですので、お母様にもまずは私からお伝えしたいと思ってるのです……」


 リュミエールが何のことだろう、と不思議そうな表情を浮かべる。


「お母様……。お父様にも同じことを最初に言いました。約束、してくださいますか?」


 父に受け入れてもらえたからか、今度はためらわずはっきりと問いかけることができた。


「カーミラ。何を約束すればいいの?」


 公爵夫人が優しげな微笑みを浮かべ、カーミラを見る。


「決して驚かないと、そして。そして、それでも私を愛してくれる、と」


 リュミエールが、変わらない微笑みで、その言葉に返事をする。


「カーミラ。貴方は、どんなことがあっても私達の可愛い娘よ」


 カーミラは父と同じような言葉に少しだけ安心するが、それでも事実を述べるのには少しばかり躊躇してしまう。目を泳がせて、何度か口を開き、閉じ、を繰り返す。公爵が、頑張りなさい、という思いをふんだんに込めた視線でカーミラを見つめた。


 ロビンは言葉をつまらせたカーミラに近づき、そっとその背中に右手を添えた。ロビンから話すことができなかったのだ。せめてこれぐらい、ちょっとした勇気を与えてあげるくらいはしたい。それが彼女の勇気になるのかはわからないが。


 だが、ロビンの目論見通り、その右手の温もりが、カーミラに小さな勇気を与えた。


「私は……。私は、もう人間ではありません。吸血鬼です」


 彼女は父親に見せたように、瞳を紅に染め、そして爪を伸ばし、翼を生やし、頬を釣り上げて発達した犬歯を顕にした。その姿に、公爵夫人が少なからず驚きに目を見開く。


 だがそれも数秒だった。夫人は、その吊り目気味の目を細め、ツカツカとカーミラへ歩み寄る。


 怒られる、と思った。カーミラが目の前の母親にきつく叱られたことは数え切れない。そんなとき、リュミエールはこの様な表情をする。カーミラは思わず目を瞑った。頬を張られる。もしくは、頭を叩かれる。そう思ったのだ。それは学院入学前までの夫人の厳しい訓練。その経験に基づく反射的な行動だった。


 だが、カーミラの予想に反して、ビンタも頭を叩かれる衝撃も無かった。


 ただただ、夫人はゆっくりと優しく、カーミラを抱きしめた。


「言ったでしょう? カーミラ。貴方はどんなことがあっても、私達の可愛い娘。それは変わらないわ」


 辛かったわね、ずっと悩んでいたんでしょう、と優しくリュミエールがカーミラにささやく。


「っ! お、お母様……。私……。ずっと、ずっと、辛くて……。なんでって、ずっと思って……」


 カーミラの眦からポロポロと涙がこぼれ落ちる。その様子に、それでも優しげな微笑みを崩さないリュミエールが、カーミラを抱きしめる力を強める。


「良いの。泣きなさい」


 優しくリュミエールが白銀の少女に耳打ちする。


 だが、リュミエールはその優しげな微笑みとは裏腹に、腸が煮えくり返る思いであった。それは自身に対する怒りだったのかもしれない。自分の娘の運命に。そして、それを止められなかった自分に。カーミラに話すことを躊躇させてしまう、そんな自分と彼女の関係に。実に様々なものに対して心の底から怒りの感情を抱いていた。


 一方でカーミラは、その優しい抱擁に、父に打ち明けたときと同様、わーんわんと泣き出してしまうのだった。






 カーミラが泣き止むまでは、数分程かかった。ひとしきりカーミラが泣き終わった後、リュミエールはゆっくりと彼女から離れ、そしてその顔をじっと見つめる。


「どういう経緯でそうなったのかは、グレゴリウスからゆっくり聞くわ。それでいいわよね? 貴方?」


「あぁ、後でゆっくりと話すよ」


 そう、今日の目的はその話をじっくり聞くことではない。それだけならば、ロビンはこの場に居なくても良いのだ。


「ロビンさん。貴方が娘の支えになってくれたのね。私には分かります。ありがとうございました」


 公爵夫人が頭を下げる。自分よりも身分の高い人間に頭を下げられるというその状況に、ロビンはすっかり恐縮してしまった。


「い、いえ。偶然、というか、なんというか。あの、頭を上げて下さい」


「いえ、一人の母親として、貴方にはちゃんと謝意を示さなければなりません」


 リュミエールはロビンの言葉では頭を上げそうになかった。それだけの深い感謝の念を彼に抱いていたのだ。本来であれば自分、もしくはジギルヴィッツ公爵が率先してやらなければいけないこと。それを彼が肩代わりしてくれていたのだ。彼女はカーミラとロビンの距離感から、そう推し量っていた。


「リュミエール。ロビン君が困っているよ」


 グレゴリウスが苦笑いしながら、夫人を諌める。その言葉にようやく、リュミエールは顔を上げた。


「ロビン君。君とカーミラが出会った、その経緯を話してくれるかい? 僕は今日、それをとても楽しみにしていたんだよ」


 ニッコリと公爵がロビンに笑いかける。リュミエールも優しげな微笑みを彼に向けた。ロビンはその笑顔に、もう大丈夫だ、と全ての経緯を話すことに決めたのだった。


「あれは、初夏の夜でした……」


 ロビンは話した。「学院の吸血鬼」、その噂を確かめるため、悪友に連れられて、学院の旧館を探索したこと。途中で悪友とはぐれたこと。そして、そこで小動物――それがネズミであったことは濁した――の血を啜るカーミラと出会ったこと。


 周囲と壁を作っていた公爵家のご令嬢が、噂とは違って想像以上に気さくだったこと。そして、次の日の夜もカーミラと約束し、旧館で会ったこと。


 色んなことを話したこと。そして、彼女が友達がいないということに少なからず寂しさを覚えていたのを知ったこと。「友達を作ろう」と提案したこと。カーミラならすぐに友達が沢山できると思ったこと。


 ロビンの数少ない友人を、片っ端からカーミラに紹介したこと。誰もが自然とカーミラと友だちになり、そして、彼女の交友関係が徐々に広がっていったこと。


 自称婚約者のアリッサの提案でリュピアの森に素材採集に出かけたこと。そこでヘルハウンドと遭遇したこと。あわや全滅、というところで、カーミラがそいつをやっつけたこと。


 アレクシアという怪物処理人が、カーミラを殺しに学院に潜入してきたこと。彼女に学院の授業の中で筋力強化の手ほどきを受けたこと。そして、自分が人質になり、カーミラとアレクシアが闘ったこと。


 なんとか、事態が収集し、学院長の取り計らいで、アレクシアと仲直りをしたこと。


 夏休みになったら、カーミラの人気が学院で急上昇していたこと。カーミラに自分も知らない、沢山の友達ができたこと。夏休みの最後、カーミラがヴァンピール教団とかいうカルト宗教に誘拐されたこと。アレクシアの尽力と学院長の取り計らいによって、事件が解決したこと。


 アレクシアの立場から、エライザにカーミラが吸血鬼だということが知られてしまったこと。そのため、エライザから様々な無理難題を押し付けられたこと。


 王家直轄領にある遺跡に怪物を退治しに行ったこと。


 その後、帝国にロビンとカーミラとアレクシアの三人が間諜として遣わされたこと。


 帝国が王国に近い内攻めてくるという情報を得たこと。そして、逃げ帰る途中でアレクシアが帝国の騎士団長に殺されてしまったこと。


 エライザにそのことを報告したこと。自分とカーミラが帝国との戦争に駆り出されるだろうこと。


 全てを話し終えて、ロビンはふーっと深呼吸をした。長い長い話になってしまった。時間はすっかり昼過ぎ。もう数刻で日が暮れる時間帯だ。


 ロビンは、カーミラに誓った言葉や、自分の活躍などは恥ずかしいのである程度端折って話した。それでも、この濃厚な数ヶ月を語り始めると時間がかかるものだ。


 公爵は、カーミラから聞いたあらましとは角度の違った視点から語られたその話に、時には驚き、時には微笑み、興味深げに聞いていた。


 一方で初めてことの経緯を耳にしたリュミエールは、終始驚きっぱなしであった。


「……ロビンさん。本当に貴方はカーミラの支えとなって下さったのですね。改めて申し上げます。ありがとうございます」


「い、いえ。あの。カーミラは僕にとっても大切な友達ですから……」


 「友達」。その言葉に少しだけカーミラが眉をひそめた。私は友達だとはおもっていないんだけどなぁ、という顔である。その実、ロビンも彼女のことはただの友達だとは思っていないのだが、如何せん彼らのその想いはお互いに伝わっていない。


 リュミエールが頭を上げる。ロビンとカーミラが目にした彼女の顔は並々ならぬ怒りに染まっていた。


「おおよそ、貴方達に何が起こっていたのかは理解しました。しかし、エライザ王女は……許しがたいですね……」


「……リュミエール。くれぐれも早まった真似は」


「わかっています。カーミラが吸血鬼だということが握られている以上。私達にできることはありません」


「うん、分かっているんならいいんだ」


 公爵夫人は、顔に手を当て、ぐにゅぐにゅと揉みほぐした。怒りを顕にした顔を、普段どおりの顔に戻すためだ。


 顔を揉みほぐし終えた夫人が、その切れ長の目でロビンをじいっと見つめる。ともすれば睨みつけられているとでも思い違いしてしまいそうな鋭い眼差しに、ロビンは何を言われるんだろう、とドキドキした。だが、その口から発せられた声は酷く優しい色に染まったものだった。


「ロビンさん。これからも、娘のことをよろしくお願いいたします」


「も、勿論です」


 リュミエールは、もう一度ロビンに一礼すると、カーミラを見遣った。


「カーミラ。ロビンさんは長いこと私達にお話をして、お疲れです。客室にご案内して差し上げなさい。そうね、今日は泊まっていってもらいましょう。夕飯時になったら、使用人に呼びにいかせます」


「わかりました、お母様」


 じゃ、ロビン、着いてきて、とロビンに声をかける。ロビンは、失礼します、と一礼して、カーミラの背中を追いかけた。


 二人がダイニングから出ていった。それを確認してから、リュミエールはジギルヴィッツ公爵にふらふらともたれかかった。おっと、と公爵がその身体を支える。


「こんな状況になっているとは露とも知りませんでした。私……親、失格ですね」


「いや、そうじゃない。ことは僕たちの預かり知らぬところで全て動いてしまっていたんだよ。君が責任を感じる必要はない」


「でも……」


 リュミエールがその眦から、ゆっくりと涙を流した。


「どうして、どうしてあの娘がこんな目に合わなければいけないのですか? 心優しい、普通の女の子なのに! 恨んでしまうのです。いけないと分かっていても。神々を、恨んでしまうのです……」


「僕も同じ気持ちだよ」


 公爵の目にも涙が湛えられていた。


「数日前、カーミラから全てを聞いたんだ。どうして僕たちの娘が、って思わずにはいられなかった」


「どうして! どうして!」


 夫人が叫ぶ。奇しくもその叫びは、先程公爵がかけた消音の魔術により、夫人と公爵以外には聞かれることはなかった。


「受け入れるしかない……。と思った。でもどうして受け入れられようか……。あの娘はこれから、永遠を生きていくんだ。その気持を、その苦しみを、僕たちがどうやってわかってやれる!?」


 リュミエールが泣き崩れる。公爵がすすり泣く。


「……唯一、幸いだったのは。ロビン君。彼がカーミラと出会ってくれたことだ」


「えぇ。そうですね。彼には感謝しても、しきれません」


「あぁ。あの娘がこうまで過酷な運命を押し付けられて、それでも今こうして元気に僕たちの目の前に立っているのは、彼のおかげだ」


 それにね、と公爵が夫人を見つめる。


「どうやら、僕たちの娘は恋をしているみたいだ」


 誰になんて、言わなくても分かるよね? と公爵が涙を流しながらニッコリと夫人に微笑みかける。


「あの娘には、相応しい伴侶を僕たちが用意してあげるつもりだったよね。でも、そんな必要なかったみたいだ」


「……えぇ、そうですね。それだけが、唯一幸いだったことです」


 二人のすすり泣く声は、その後もずっと部屋に響き渡った。






 カーミラに案内されてロビンはジギルヴィッツ公爵家、邸宅の客室に入った。勿論カーミラも一緒である。


「……あー、緊張した!」


「えっと、ごめんね? お父様がロビンに会って話したいって聞かなくて」


「いや、僕もカーミラのご両親には会ってみたいな、と思っていたからそれはいいんだけど」


 緊張するかしないか、というのは話が別である。自分よりも爵位が上の人間に囲まれて、格式張った形ではないが報告を迫られるというのがここまで緊張することだとは思わなかった。エライザへの報告は、緊張というよりも彼女への嫌悪感が心の内を占めていたためそれほどでもなかったのだが。


「お母様も仰ったけど、今日は泊まっていってね。夕食は皆で食べることになると思うわ。……ロビンにはちょっと緊張させちゃうかもだけど。ごめんね」


「いや、いいんだよ。うん。お邪魔じゃなければご一緒させてもらうよ」


「邪魔なはずないでしょ」


 カーミラがニッコリとロビンに笑いかけて、じゃ、準備ができたら使用人が呼びに来ると思うわ、と言って部屋を出ていった。


 ロビンは自身の実家とは比べ物にならない豪華なベッド――少しばかりその豪華さに躊躇したが―ダッシュに横になる。そのベッドの柔らかさに驚きながらも、カーミラの両親に思いを馳せた。


 公爵も、夫人も、立派な人格者だった。カーミラがあんな性格になったのも十分に頷ける。


 そして、二人がカーミラのことをあっさりと受け入れてくれたこと。そのことに、まるで自分のことのように心から安心する。うん、もうカーミラは大丈夫。一番大切なはずの両親に受け入れてもらえたんだ。これから数十年は彼女も安心して生きていけるんだろう。エライザに押し付けられる無理難題についてはこの際置いておいた。


 だが、その後は? ふとロビンが疑問に思う。ご両親が亡くなって、その後で僕も、グラムも、アリッサも、ヘイリーも、エイミーも死んで。その後、カーミラはどうすればいいんだろう。せっかく理解者をたくさん得たのに、彼女はまた一人ぼっちだ。


 ――僕が。僕がカーミラと同じ永遠を生きていけたら良かったのに……。


 この時からだった。最初は半ば冗談で――言った時は真剣そのものではあったが――「眷属になりたい」なんて告げた、その言葉が、ロビンの中で確かな望みとして芽生え始めたのは。






 ロビンはその後、ジギルヴィッツ公爵邸で、夕食を摂り、一泊すると、丁寧にカーミラの家族にお礼と挨拶を述べて、転移の魔術で実家へ帰った。


 実家へ帰った途端、ニヤニヤしながら父親が「どうだった? どうだった? ヤッたか? ヤッたのか」と聞いてきたため、うんざりした表情を存分に父親に見せつけてから、「なんもあるわけないでしょ」と言った。


 そして、数日が過ぎ、いよいよ戴冠式の日がやってきた。ロビンは当然欠席である。自宅に軟禁されているとも言う。今頃カーミラが式典に嫌な顔をしながら出ているのかなぁ、と思いながら彼は自室でゴロゴロとするのであった。

カーミラのご両親に、ちゃんと色々と話しました。

ジギルヴィッツ公爵夫人も、勿論人格者です。ですが、その性質はどちらかというとアレクシアに近いかもしれません。

つまり、鬼教官でスパルタです。そのスパルタっぷりは多分描かれないでしょうが。


次回、戴冠式です。エライザが公式に女王となります。

あのサイコパスエライザ様が、遂に全ての実権を握ります。

どうなってしまうのでしょうか!


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