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第二話:ウィンチェスター子爵家

 交流室でのささやかなパーティーが終わり、じゃあね、と別れを告げてから、ロビンは自室に戻った。少しばかり後ろ髪を引かれそうになるが、もう解散してしまった後だ。どうにもならない。


 ロビンは自分の部屋で大きな荷物を持って、杖を振る。イメージするのは自身の実家。術式が展開され、空間がぐにゃりとねじ曲がるのがロビンの目に映り、そして、見慣れた屋敷の前に転移した。


 本当に、嫌になるほど見慣れた景色だ。学院に入学するまでの十四年間、この屋敷で過ごしたのである。ウィンチェスター子爵邸宅、その場所であった。


 玄関の扉に備え付けられたドアノッカーを掴み、何度かゴンゴンと扉に打ち付ける。ややあって、ウィンチェスター家に仕える使用人の一人が扉を開け出てきた。ロビンの顔を見て、驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべ、彼を迎え入れる。


「ま、ロビン坊ちゃま。学院がお休みになるとは伺っておりましたが、随分お早いお帰りで」


「ま、色々訳があってね。兄上達は?」


「坊ちゃま達は、お仕事ですよ。学生と違って式典があってもお休みにはならないみたいで」


 その言葉に、ロビンは少しだけ胸をなでおろす。関係が改善されているとはいえ、幼い頃から何度もひどい仕打ちをしてきた彼らに会うのは、ロビンにとってストレス以外の何者でもない。


「そっか、じゃあ父上は?」


「執務室にいらっしゃいますよ。呼んできましょうか? あっ、いえ、そうですよね、その前に、マリアを呼んできますね」


 マリア。ロビンの母親である。使用人がロビンの大きな荷物をよいしょと持ち上げ、エントランスの片隅に置くと、足早に屋敷の奥へと向かっていった。


 ロビンはエントランスをぼんやりと眺める。本当に嫌になるほど見慣れた景色である。この場所にはできればあまり帰ってきたくはなかった。ウィンチェスター子爵夫人達の自分を疎ましく見るその目を思い出す。兄たちから受けた数々の仕打ちを思い出す。


 それらは、ロビンの尽力によってすっかり影を潜めたのだが、それでもロビンにとってその思い出は今でもトラウマとして心にずっしりと存在感を放っている。そんな思い出となっていた。


 そんなことを少しだけおもだしながらぼうっとしていると、ロビンと同じ黒い髪を質素なカチューシャで留め、まだ若さを少しだけ残した身綺麗な女性がエントランスの奥から走り寄ってきた。


「坊ちゃま。お早いお帰りで」


「うん。マリアも、元気そうでなによりだよ」


 ロビンがウィンチェスター子爵の庶子として遇された、その瞬間から母親との関係は、お互いに愛がありつつもいびつな関係となってしまっていた。マリアは公の場でロビンの母として振る舞うことを許されず、ロビンも母親を「母さん」と呼ぶことは許されなかった。


 マリアを呼びに行った使用人が、少し遅れてやってくる。


「もう、マリアったら。いくらロビン坊ちゃまが帰ってきたからって言って、急ぎすぎよ! あ、坊ちゃますみません」


「いや、大丈夫。僕なんかにそんな畏まる必要はないよ」


 ロビンがニコリと笑う。だがその微笑みは空虚なものであった。


「積もる話もありましょうから、どうぞ、そちらのお部屋へ」


 使用人がエントランスの左側にある客間を手で示す。ロビンはその使用人の気遣いにありがたみを感じながら、マリアを見遣って、小さく頷いた。マリアもそれに応え、二人は客間に入った。使用人が扉をゆっくりと閉め、ようやく二人きりになれた。念の為ではあるが、ロビンが杖を振って消音の魔術を使う。


「ただいま、母さん」


「おかえり、ロビン」


 二人はニッコリと顔を見合わせて笑い合う。


「魔術学院はどう? 楽しい?」


「うん。色んなことが勉強できて楽しいよ。それに友達も沢山ではないけどできた」


 普通の親子の会話。しかしながらそれが許されるのは、こうして二人きりになった場のみであった。幼い頃は、自身の境遇を、そしてそんな境遇を作り出した父親を恨んだこともあった。だが、十四年。十四年の歳月があれば、もうそんなのは慣れっこであった。本来人間としてそのような状況に慣れてはいけないと誰しもが口を揃えて言いそうなものだが、時間とは時にして残酷なものなのだ。


「どんな友達ができたの? お母さんに教えて?」


「えぇっと。あ! カーミラって言ってね。すごい綺麗な女の子なんだけどさ。最近その子と友達になったよ」


「カーミラ、って、ジギルヴィッツ公爵家の?」


 マリアが驚いて目をひん剥く。


「うん。公爵家の」


「……すごい方とお友達になったのね。失礼なことはしてない?」


 マリアの心配は当然のものであった。彼女は平民。公爵家など雲の上の存在である。名前だけは貴族の使用人である手前知っている。だがそれだけだ。彼女からすると貴族とは、恐ろしく、敬わなければ即座に切り捨てられてしまう、そんな存在である。それが公爵家となればなおさらだ。


「してないよ」


 多分、とは口には出さなかった。彼の朴念仁な性格が、ともすればカーミラにとって失礼という言葉に当てはまるかもしれないのだが、ロビンにはそんなことわからない。


「それなら良かったわ。ま、ロビンは礼儀作法も分かってるし、マナーにも詳しいからあんまり心配する必要はないわね」


 ふふ、とマリアが微笑む。


「それと、グラムって奴と、ヘイリーって子と、あと平民舎のエイミーって子とも仲良くなった」


「平民舎の? 貴族舎の学生と平民舎の学生は交流が無いって聞いてたけど、そうじゃないの?」


「あぁ、学院長が夏休みに交流会を企画してね、その時に仲良くなったんだよ」


 生まれてから今まで、こうやって母親と親子らしい会話をしたのは何度だろうか。普通は数え切れないほど会話するのだろうが、ロビンとマリアに普通の親子の会話がなされるのは、二週間に一度ぐらいだった。


「お友達がたくさんできたのね。ロビンはぼんやりしてるし、なんだか何もかも諦めたような顔を時々するものだから、お母さん心配してたのよ」


「たくさんではないけどね。心配し過ぎだよ、母さん」


 ははは、とロビンが笑う。つられてマリアも、ふふふ、と笑う。


「母さんは酷い扱いは受けてない?」


「えぇ。母さんはただの使用人ですもの。奥様方も旦那様も見て見ぬ振りよ。旦那様はたまーに、意味ありげにこちらを見てくるけどねぇ……。ま、ロビンがいなくなってもおんなじ。変わってないわ」


「そっか。僕がいなくなって、母さんに危害を加えたりとかしないかちょっと心配だったけど、それなら良かった」


 本心である。学院生活を楽しみながらも、時折心配になったものだ。何度か手紙を送ったりだとか、そんなことも考えたが、魔術を使えないマリアが返事を返せるわけもないことに気づいて、やめたものだ。


「……ところで、ロビン。何かあったの?」


「何が?」


「だって、あんた。すごく泣きそうな顔してるよ?」


 流石だ。ロビンは舌を巻いた。それと同時に、この鋭さに少しだけ嫌気がさした。腐っても母親である。息子の変化にはすぐに気づく。


「い、いろいろあってさ」


「話せないことなのね? 話せる範囲でいいから話してみなさい」


 本当に鋭い。母親の力は偉大である。マリアがゆっくりとロビンに近づき、そしてその身体をぎゅうっと抱きしめる。


「なんか、すごく悲しいことがあったんでしょ?」


 本当に敵わない。ロビンは自分の涙腺が決壊するのを感じた。後から後から涙が溢れてくる。マリアはいつだってロビンの考えていること、感じていること、全て見透かす。それが母親というものなのだ。


「……く、詳しいことは言えないから……かいつまんで、話すね」


 ロビンはもう我慢できなくなってしまって、母親に自分の話を聞いてほしい、とそう思ってしまった。全ては話せない。だが、自身の感情を吐露することはできる。


「うん」


「……大切な人が、僕に色々教えてくれた人が、死んでしまったんだ……」


 アレクシアの死に顔を思い出す。アレクシアの最後の言葉を思い出す。自分に才能があると言ってくれた女性。師匠と呼べる、そんな女性。脳筋で、スパルタで、それでも、自分を誇りに思うと、確かに言ってくれた女性。


「も、もっと何かできたはずなのに。何も出来なかった……。何もかも与えてもらうばかりで、何一つ返せなかった」


「そっか。悲しかったね。辛かったね」


 ロビンの感情が伝染したのか、マリアもいつの間にか泣いていた。マリアには、ロビンが具体的に何を経験したのかはわからない。だが、ずうっと何もかもを諦めたかのような瞳をしていた息子が、こうして人目もはばからず涙を流しているのだ。この子の涙を見たのなんていつぶりかしら、ともらい泣きをしながらも思う。四歳の時点でもうロビンは泣くということをしない子供に育っていた。


「僕のことを誇りに思うって言ってくれたんだよ……。こんな僕を。そんな人が、死んで……死んじゃった」


 次第に嗚咽を上げるロビンを、マリアが強く強く抱きしめる。息子がどれだけ悲しんでいるのか、痛いほどに伝わってきた。きっと、この子にとって、本当に大切な人で、本当に良くしてくれた人で、そしてずっと守ってきてくれたんだね、と思った。そして、そのもう亡くなってしまっていない、誰ともしらないその人に、マリアは心から感謝の思いを捧げるのであった。






 ややあって、ロビンの涙腺はようやく落ち着きを見せた。十六歳の少年、ともすれば青年とも呼ばれそうな大の男が母親の胸の中でわーんわんと泣き叫んだのである。ロビンは顔から火が出そうであった。


「か、母さん。ごめん。情けないから、さっきのは忘れて」


「いーえ、忘れません。ロビンが涙を流すのを見たのなんていつぶりかしら」


 一転してニコニコと笑顔になるマリアに、ロビンは増々顔を真っ赤にする。


「だから忘れてって!」


「いやよ。心のアルバムにもう保存済み。観念することね!」


 この優しくて陽気な母親が、ロビンは大好きだった。母親のことを嫌いになる子供なんて多くはない。例え普段親子として触れ合えなくても、二人の間には確かな絆が存在していた。


「……楽になった?」


 ニコリと微笑んで、マリアがロビンに問いかける。あぁ、もう嫌だ。本当にこの人はなんでこんなに鋭いのだろうか。それが母親というものなのだが、ロビンは生涯それを理解することはできないだろう。彼は男だ。母親にはなれない。


 楽になった。あの日、あの時からずっと沈み続けていた気分が、母の抱擁によって幾分かましになった。表に出すわけには行かず、心の奥底にずうっとしまい続けていたその感情。それを一瞬にして見破り、そして僅かにではあるが、取り払ってみせた。


「……うん。ちょっとだけ。ありがと」


「ならよし! 男の子なんだから、あんまりくよくよしちゃいけないわよ!」


 ロビンの肩をバシバシと叩いて、そして、ふふふ、と笑う。


「悲しいことの数だけ楽しいことが起こるわ。人生ってそういうふうにできてるのよ」


 マリアが得意げに右手の人差指を振ってロビンに笑いかける。


「その人との出会いはロビンにとって大切な思い出?」


「……うーん、どちらかと言うと最悪な思い出、かな」


「なにそれ」


 あはは、と笑う。


「でも、その人と過ごした日々は、ロビンにとって大切な思い出でしょ?」


「うん」


「じゃあ、そのロビンの大切な人の魂は、ロビンの中に入って、そして受け継がれていくの。その人はいつだって、あんたの心の中にいるのよ」


 おや、とロビンは疑問に思う。メーティス教にはそんな教義は無かったはずだ。


「母さん、それって何教?」


 マリアが増々得意げな顔になって、ニヤリと笑いながら告げる。


「マリア教よ。母さんの独自の宗教」


「なにそれ」


 あはは、とロビンが笑う。久しぶりに心の底から笑えた気がする。恥ずかしいので言わないが、心の中でもう一度だけありがとう、と呟いた。


「さ、親子の触れ合いはこれでおしまい。旦那様に会ってきなさい。あんたのこと、待ってるよ」


「そうだね。父さんにただいま、って言ってくるよ」


「あんな人でも、あんたの父親だからね」


 そう言って、ロビンの背中をパーンと叩く。痛みは無いが、温もりが十二分に感じられる右手だった。


 そうして、二人は客間を後にしたのである。親子の時間はおしまい。


 これから、別の親子の時間が始まるのである。






 クロード・ウィンチェスター。ロビンの父親、その人である。彼は今日も今日とて、自身の領地に関する様々な書類仕事を一心に片付けていた。あぁ、美女が恋しい。こんなつまらない仕事はほっぽり出して、美しい女性と一夜を共にしたい、とぼんやり考える。その悪癖のせいで、何度痛い目をみたのか覚えていないが、それでも懲りないのが彼の凄いところでもある。


 そんなふうに心の中でぼやきながら書類仕事に精を出していると、不意に執務室の扉がノックされた。扉の向こうから聞き慣れた使用人の声が聞こえる。


「旦那様。ロビン坊ちゃまがお帰りですよ」


 その言葉に、一瞬にして少しばかり心が浮き立つ。ロビンは優秀だ。まるで自分の子供ではないかのようだ。少しばかり達観した目が気になるが、そんなことはどうでもいい。ウィンチェスター子爵は、ともすればダメな父親と言われそうな父親っぷりではあったが、そんな彼なりに、確かにロビンを愛していた。


「入っていいぞ」


 子爵のその言葉に、扉がゆっくりと開き、ロビンがゆっくりと執務室に入ってくる。子爵はもう我慢の限界だった。息子愛が抑えられないのである。


「ロービーン! 父さんはお前に会えなくて寂しかったぞ!」


 うおおおおお、とロビンに走り寄っていく子爵。整えているとは言え髭を蓄えた中年の男性が満面の笑みで近寄ってくるのである。正直暑苦しいことこの上ない。だが、ロビンが拒否する間もなく、ウィンチェスター子爵はロビンをハグするのであった。


「え、えっと。父さん。ただいま」


 苦しいし、暑苦しいんだけど、とは声に出さない。


「おう! おかえり! ロビン!」


 ひとしきりロビンを抱きしめたあとで離れ、自分の息子の顔をじっくりと見る。おや、と思う。顔つきが二年前とは全然違っている。これはマリアにも分からなかった変化であった。男ならではの、というやつである。


「……ロビン。お前、一皮剥けたな?」


 ロビンは、自分の父親が「一皮剥けた」と言い始めると、それが下ネタにしか聞こえないような気がして、小さくため息を吐いた。


「学院で何があったのかは、把握できる範囲で分かっている。だが、父さんはお前の口から聞きたい。色々あったんだろう? 教えてくれないか? お前の顔が男の顔になっている、その理由をさ」


 子爵がウキウキとした様子で、ロビンに問いかける。先程までは母と子の親子の時間。


 そしてここからは、父と子の親子の時間である。


 いびつな形ながらも、彼らは確かにロビンを中心とした家族なのであった。

ロビンのお母さんとお父さんが登場しました。

マリアもウィンチェスター子爵も、なんだかんだでロビンを愛していて、立派な大人で、立派な親です。それ以上にロビンにとって、子爵夫人達や、兄達から受けた仕打ちがトラウマになってしまってはいますが。


ウィンチェスター子爵もだらしない性格ではありますが、優秀な人です。

自分の息子達の中で一番優秀なのがロビンであるということがわかっていて、そしてそれを兄達の手前、表に出さないように慎重に行動していることも知っています。

ともすれば、子爵が一番可愛がっているのは、ロビンなのかもしれません。夫人達や、兄たちの手前、それを表立っては表現しませんが、二人っきりになるとデレデレです。


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