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第一話:学院の特別休暇

 ロビンとカーミラが学院に戻ってきてから約一週間後。学院中の学生――勿論貴族舎、平民舎は別々であるが――が大広間に集められ、学院長から特別休暇についての話がされた。


 学院長からの説明は簡潔であった。アーノルド、デズモンド両殿下の葬儀が行われる。そして併せて、エライザ王女殿下の戴冠式が行われる。貴族舎の子女らは、任意ではあるが式典へ参加することが認められている。その準備のため、学院は長期の特別休暇に入る。それだけであった。


 特別休暇は今日、この朝会が終わった瞬間から始まる、とのことである。各自、実家に帰省する準備をするように、と言葉少なにハワードが告げる。


 また、併せて本学院の教師である、アレクシア・ロドリゲスが一身上の都合により辞職することになったことが、ついでのように付け足された。ロビンとカーミラは、学院長のその説明に、ただただ顔を伏せることしか出来なかった。


 大切な人を失った悲しみ。それは、日々の忙殺の中で、日常の中で、忘れ去ったかのように思えてもふとした瞬間に思い出し溢れ出す。夜寝る前、一人になった時。トイレに行き一息ついたとき。風呂に入っている時。数え始めるときりがない。


 アレクシアの死を知っているのはこの学院では、ロビンとカーミラと学院長だけだ。調べれば彼女がいない不審さについてはすぐに分かるだろう。だが、彼女のことをそこまで親身になって調べる人間がこの学院にどれほどいるだろうか。それほどまでに、彼女は他者との交流を自ら断っていた。例外は仲良し六人組ぐらいだろう。


 朝会が終わり、貴族舎の学生たちが思い思いに自分たちの部屋へ戻る。ロビンとカーミラもアレクシアのことを思い出してしまったせいか、足取りは重かったが、それでもゆっくりと寮へ向かう廊下を連れ立って歩いた。


 ばいばい、と小さく手を振り、ロビンとカーミラが別れる。ロビンは自分の部屋が嫌に遠くに感じられた。ただただ足取りが重い。ようやっと自身の部屋に入ると、ベッドに横になり、ふーっ、と大きく息を吐いた。


 一週間、学院の日常によって忘れかけていたが、思い出してしまった。本当に色々有りすぎた。今は何もやる気にならない。ただただ眠っていたい。だけど、眠れる気は全くしなかった。ぼうっと天井を見上げる。


「……ロドリゲス先生……。僕は、カーミラを守れるでしょうか。貴方の仇を、取れるでしょうか……」


 その独り言は、誰にも聞かれることはなく、か細く響いた。






 その晩。ずうっとベッドに横になってぼけっとしていたロビンだったが、窓をコツンコツンと叩く音に意識が浮上した。緩慢な動きで窓に向かい、そして窓を開ける。


 いつものようにカーミラがコウモリになってやってきた。いつもどおり、彼女専用の椅子を部屋の隅から移動させる。人間の姿に戻ったカーミラが、沈み込んだ表情で椅子に座る。


 ポツリとカーミラが呟く。


「……私、ロドリゲス先生と、もっと仲良くしておけばよかった」


 その呟きに対する冴えた返答をロビンは持っていなかった。


「……そっか」


 よって彼が返答できたのはそれだけである。「そっか」、その一言だけ。アレクシアの死。学院長の言葉によって強制的に思い出されたそれは、歴然たる事実として彼らの心にずっしりと重たく居座っていた。


「……もっと早く、何もかも許してあげればよかった。嫌な子ね、私って」


 それは、カーミラ自身も気づかずに放った、赦免を望む言葉だった。話をした相手に、自身を肯定してほしい。違うよと言ってほしい。そんな言葉。ロビンがこの後どのような内容を返事するのかなんてカーミラにはわかりきっていた。でも、その言葉を切望した。


「そんなことないよ。カーミラは優しい。そんなの僕が一番良く知ってる」


 ほら、望み通りの答えが返ってきた。でも、それでも、カーミラの心は晴れなかった。


「うん……ありがとう」


 無言。静かな時間が続いた。彼女の死を悼む、そんな沈黙だった。ひとしきり黙りこくった後、流石に間が持たなくなり、ロビンが静寂を破った。建設的な話をしなければこの部屋ごと悲しみの海に沈んでしまいそうだと感じたのだ。


「……ところでさ、あの、カーミラのご実家に僕がお邪魔するって話なんだけど」


「あ、うん。どう? 検討してくれた?」


 少しだけ、悲しみから思考が逸れた。人間誰しも、ちょっとしたきっかけで、感情を別の方向に向けることができるものだ。


「父が何ていうか、ってところかな。僕はジギルヴィッツ公爵に会うことに、特に嫌だとかそういうことは思ってないよ。っていうか一回会ってるしね。公爵は僕のこと気にもかけていなかっただろうけどさ。……多分父も、『是が非でも行ってこい』って言うはずだと思ってるんだけどね」


 公爵家からの招待。子爵家からすると、それは命令に近い。そう取られないように、身分の差から強制とならないように、ジギルヴィッツ公爵は飽くまで子供同士の話から入らせた。だが、当然のことながらロビンの父はそうは思わないだろう。


「ま、そうよね。なんか、ごめんね」


「いや、僕はカーミラのお父様とはちゃんと話してみたかったから、望むところだよ」


「そ。なら良かったわ」


 カーミラの言葉を最後に、また沈黙となる。ちょっとだけ晴れた感情も、会話が終わってしまえば、元の木阿弥である。


 ややあって、カーミラが口を開いた。


「ねぇ」


「なんだい?」


「ロビンのお父様って、どんな方?」


 唐突に尋ねられたそれに、ロビンはどう答えればよいか悩んでしまった。彼の父親は、人間として褒められた人格を持っているわけではない。使用人に遊び半分で手を出して妊娠させ、そして生まれたのがロビンだ。少なくとも女性関係にだらしない性格なのは確かだ。


「……僕が妾腹だってことから、ある程度想像はつくと思うけど、女性にはだらしない人だよ」


 苦笑いを浮かべて、答える。両手で数えられる程度であったが、父親と二人で遠出することがあった。その度に、旅先で綺麗な女性を見かけると声を掛けるのである。小さなロビンをほっぽり出して。もはや病気なのではないかと、幼心にもロビンはそう感じたものだ。


 ロビンのその言葉に、ふふ、とカーミラが小さく笑う。


「なんていうか、ロビンとは正反対ね」


「反面教師にしてるのは確かかもね。……でも、弁護するわけじゃないけど、優しい人だよ。うん。多分そう」


「ロビンが優しいのはお父様譲り?」


 僕が優しい? まさか。ロビンは頭を振った。


「僕は優しくなんて無いよ」


「優しい人間は、自分のことを『優しい』なんて口が裂けても言わないわ。今の言葉があんたが優しい人間だっていう、明らかな証拠よ」


 わずかに微笑んだカーミラ。月の光に照らされたその顔は、なんとも幻想的にロビンの目に映った。


「……そうかな?」


「そうよ」


 また会話が止まりそうになってしまった。慌ててロビンは、次の言葉を探す。


「えっと、父の話だったよね」


「えぇ」


 ロビンは自分の父親。その人となりを思い出す。


「女性にだらしなくて、それでも優しい。そこまでは言ったかな。あとは、友情に篤くて、熱血漢、かな?」


「熱血漢?」


「そう、なんか事ある毎に『うおおおおおお』なんて叫んでたよ」


「なんだか、本当にロビンとは真逆ね。優しいところ以外は」


 カーミラがまた声を上げて笑う。つられてロビンも少しだけ笑った。鬱々とした感情は少しばかり残ってはいるが、殆どが影を潜めていた。


「あとは、お調子者で、おっちょこちょい、かなぁ。だから、しょっちゅう浮気してても、許されてる。しょうがないわね、って。唯一中々許されなかったのが、僕の時だね」


 避妊の魔術ぐらい使えただろうに、なぜそれをしなかったのだろうか、とよくロビンは考えていた。どうせ忘れていたのだろう。ウィンチェスター子爵は自他共認めるおっちょこちょいである。だが、今はそのことに少なからず感謝していた。そのことがなければロビンは生まれておらず、そして目の前のこの白銀の少女とも出会えていなかったのである。


 ロビンの口から次々と吐き出される、彼の父親への諸評に、カーミラがいよいよクスクスと笑い始める。


「浮気性なところは減点ポイントね。でも、私もロビンのお父様に会ってみたいわ」


「うーん、それは遠慮してほしいかも。緊張で父が倒れるかも」


「それもそうよねぇ」


 子爵家と公爵家の間には絶対的な溝がある。爵位の壁という、王国の仕組み上取り外すことの出来ない大きな溝だ。とはいえ、ホワイト伯爵とウィンチェスター子爵のように爵位を超えた仲という例外もあるにはある。だが、今回ロビンがジギルヴィッツ公爵にお呼ばれしたことははっきり言って異常事態なのである。


「あぁ、でも父さんなら……父なら、君と会った瞬間に君を口説き始めるかもしれないな」


 どうだろう、実際にその場面を見ないとちょっとわからない、とロビンは苦笑いをする。つられてカーミラもクスクスと笑った。ロビンも白銀の少女の美しい笑顔に、苦笑いから一転して、あはは、と笑い始めた。


「……ありがと、少し気分が晴れたわ。正直眠れなかったの」


 ひとしきり笑った後、カーミラがボソリと呟く。


「それは僕もだよ。こちらこそありがとう。なんとか眠れそうだよ」


「ならお互い様。じゃ、私そろそろ帰るわね」


 じゃあね、と手を振り、カーミラがコウモリに変化して窓から出ていった。カーミラにはああ言ったが、ロビンはまだまだ眠れそうになかった。結局眠りにつけたのは、朝日がちらりと顔を覗かせる頃であった。






 次の日。ほぼ早朝まで起きていたにも関わらず、二時間ほどの睡眠時間で起きてしまったロビンは、眠気の残る頭と身体に鞭打って、帰省の身支度を整えていた。


 他の学生とは違い、帝国式の転移の魔術があるため気は楽だ。長い間馬車に揺られていると、尻が火を吹くように痛むのである。あの痛みから開放される、それだけでもこの魔術の価値は素晴らしいと感じる。


 そんなこんなでわっせわっせと、帰り支度をしていると、不意に窓に何かがぶつかる音がした。今は朝。カーミラなはずはない。であれば、配達の魔術だろう。ロビンは窓を開けた。真っ白な白鳥が部屋の中に入り、手紙へ姿を変える。アリッサだ。


 手紙には、「暫く会えなくなるし、皆で集まらない? 交流室で」と書かれていた。以前送られてきた手紙と違って、内容的に仲良し六人組全員に送られたものだろう。提案を受け入れる旨を手紙にしたため、配達の魔術で送り返す。


 ややあって、すぐに返事が返ってきた。時間は今日の昼過ぎ、であるとのことだった。了解、了解、と思いながら、帰り支度を整える作業に没頭する。支度が完全に終わったのは、昼食時であった。約束の時間だ。


 ロビンは部屋を出て、鍵を閉めると足早に交流室へ向かった。


 交流室には、すでに仲良し六人組のロビン以外の五人が集まっていた。


「ごめん、遅くなったかな」


「そうだよ! 遅いよ、ロビン!」


 アリッサがニコニコと笑いながら、ロビンを突っつく。


「じゃ、皆揃ったことだし、しばしのお別れパーティーね!」


 机にはどこから集めてきたのか、色とりどりの軽食やお菓子が所狭しと並べられていた。わいわいがやがやと、それらを口に運びながら談笑する。


「そういえば、エイミーはどうするの?」


 カーミラがふと疑問に思い、平民舎の少女に声を掛ける。


「私も実家へ帰ります。リシュフィリアの街なので、歩いても一日あれば着きますから」


 実家へ帰省ともなれば学院の馬を借りていくわけにもいかない。馬は基本的にはその日の内に、長くても二、三日以内で学院に返却する必要がある。そういうルールだった。


「そっか、リシュフィリアの街までとはいえ、歩いて帰るのは大変そうね。気をつけてね」


「はい、ジギルヴィッツ様。ご心配いただきありがとうございます」


 ニコニコと笑いながら、エイミーが嬉しそうに謝意を口に出す。


「式典にはでるのー? きっとお祭り騒ぎだよ」


 次にアリッサがエイミーに尋ねる。


 両殿下の葬儀と戴冠式は同時に行われるとは言え、その比重で言えば戴冠式の方が重い。王国の民は、新たな女王を心から祝福するだろう。新しい王を一目見ようと王国中から王都に人が集まる。それを狙って王都の商売人たちは、こぞってお祭り価格とばかりに価格をつり上げる。浮かれた民衆は多少高くても気にしない。文字通りお祭り騒ぎである。


「いえ、多分家の手伝いがあるので、少しばかり名残惜しいですが、王都には行かないと思います」


「そっか、残念だね」


 今度は逆にエイミーが他の五人に尋ねる。


「皆様は、式典にご出席なさるのですか?」


 その言葉にまずロビンが答えた。


「ウチは、政治とかに興味のない弱小貴族だからね。多分出ないと思うよ。カーミラは強制出席でしょ?」


「えぇ。公爵家ってこういう時面倒よねぇ。出席が義務付けられてるんだもの」


 カーミラが少しばかり嫌そうな顔をする。格式張った式典など、出るだけ退屈なのである。その後で行われるパーティーについても悩みのタネであった。自身に群がってくる貴族共をどうやってあしらうか。彼女の悩みの一つはそこにもあった。政治的な社交界などまっぴらごめんだ。


「それは大変ですね。ハンデンブルグ様は?」


「あぁ、親は知らねぇけど、俺は行く気はねぇよ。兄貴は王宮で役人やってっから、参加するんだろうなぁ。アリッサは?」


 グラムはどうやらさらさら参加する気が無いらしい。彼にとって王が誰であろうとどうでも良いのである。さすが実践主義者、とロビンは少しばかり感心する。


「ロビンと同じ。ウチも政治とか興味ないから。私を見ればわかるでしょ? ……当ててあげる。ヘイリーは参加、でしょ?」


 アリッサが得意げな顔をしてヘイリーの方を向く。ヘイリーは困ったように笑った。


「やっぱりすぐにわかりますわよね。そうです。お母様から今朝手紙が届きまして、実家に帰省しないで、まっすぐ王都に向かえ、と。式まで王都の宿で過ごしていなさい、って言われてしまいました」


 それもそれで大変そうだなぁ、と五人の思いが一致した瞬間だった。


 会話が途切れ、無言でお菓子を咀嚼する音が交流室に響く。皆寂しいのだ。すぐにまた会えるとはいえ、仲良し六人組が一時的に離れ離れになってしまうことが。当然、ロビンとカーミラが不在にしていた期間も、皆が皆寂しいと感じていたものだ。ところが、今回は全員である。


「……寂しくなりますね」


 エイミーがお菓子をつまみながらポツリと呟く。


「大丈夫! 長期休暇って言っても、そんな長くならないよ。すぐに会えるって」


 アリッサがエイミーの肩をバシバシ叩きながら、あはは、と笑う。


 だが、ロビンとカーミラ以外の四人は知らない。刻一刻と帝国との戦争の時が近づいていることを。戦況の悪化次第では、学生すら動員されるかもしれない。その時、また生きて会えるか、というのはもはや誰にもわからないのである。


「ん? どうしたんだ、ロビン、カーミラ。変な顔しやがって」


「いや、なんでも無いよ。ちょっと寂しくなっただけ。ね、カーミラ」


「そうね。ちょっと寂しいなって」


 二人の言葉に、他の四人が一瞬だけ真顔になり、そしてすぐに笑い出す。ロビンもカーミラも、寂しいなんて口に出す、そんなキャラだとは誰しもが思っていなかったのである。


「じゃあ、長期休暇が明けて、初めての安息日。またここでパーティーやるよ!」


 アリッサが右腕を振り回しながら、宣言する。


 カーミラはこんな時間がいつまででも続けばいいのに、とそう思った。そんな小さな願いは、叶うかどうか知る由もない。だからこそ心の底からそう願ってしまうのだった。

束の間の学院での日常です。ロビンとカーミラが、この日常にどれだけ救われているのかについては、筆舌に尽くしがたいほどです。

とはいえ、仲良しグループが一斉に会えなくなるのは寂しいですよね。


次回はロビンの帰省の話です。

とうとう、ロビンのお父さんが登場します。


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