プロローグ
「ロドリゲス先生が逝ったか」
「……はい」
リシュフィール魔術学院、その学院長を勤めるハワード・ジョーンズが二人の報告を受け悲しげに呟く。カーミラが数秒かけて、そのつぶやきに返事を返した。
ロビンとカーミラは王宮で一泊した後、朝早く学院へ戻ってきていた。帝国式の転移の魔術は優秀だ。イメージするだけで複雑な計算など必要とせずに転移ができる。エライザからも、この魔術に関しては免許無しで利用していいとのお墨付きを貰っていた。
二人は学院に戻り、すぐさま学院長室へ飛び込んだ。この学院の教師でもあったアレクシア・ロドリゲス。彼女の死を学院長へ伝えるためだ。
「ジョーンズ学院長。ロドリゲス先生から言伝があります」
ロビンが控えめにハワードに声をかける。彼女の遺言とも言うべき伝言だ。
「言伝?」
「はい。『ありがとうございました』、と」
言伝のその内容。簡素過ぎるそれに、学院長は深い悲しみを湛えた微笑みを浮かべた。
「ロドリゲス先生らしくもあり、ロドリゲス先生らしくない言伝だな」
「……僕もそう思います」
アレクシアの死。その事実は、ロビンとカーミラの心に深い影を落としていた。この数ヶ月、浅からぬ関係を築いた大人の女性。殺し合ったり、いがみ合ったり、しごかれたり、色々あった。だが、彼女が死んでしまった今、思い返せば二人共彼女を憎からず思っていたのは事実である。
「あい、わかった。二人共退出してよい。ロドリゲス先生は、退職した、ということにしておく。亡くなった、等とどうして言えようか」
調べればすぐにわかることだがな、と付け加え、学院長はロビンとカーミラに退出を促す。
一礼して、二人は学院長室を出ていった。
一人になった学院長室。そこでハワードは深いため息を吐いた。無意識の内に両手をぎゅうっと握る。爪が掌に食い込み、そして血が滴り落ちていった。
「死ぬな、と言ったであろうが。馬鹿者が……」
その言葉の内容とは相反して、その声は怒りではなく悲しみに彩られていた。人間二百年も生きれば、涙などそうそう流さなくなる。つまるところ、泣きたくても泣けないのだ。人間として老練した存在になったというそういうことでもある。しかし、ハワードはそのことを心の底から厭わずにはいられなかった。無性に泣いてしまいたい気分だったのだ。
久しぶりに教室に顔を出したロビンとカーミラに、アリッサ、グラム、ヘイリーがわらわらと集まる。色々あって沈み込んでいた二人にとって、彼らのいつもどおりの顔ぶれは非常に心休まるものであった。勿論、沈んだ顔を見せるわけにはいかない。いつもどおり、いつもどおり。二人はそろって同じことを考え、そして悲しさやその他の様々な感情を心の隅に追いやった。
「ロビン、カーミラ! 久しぶりじゃねぇか。で、どうだったよ?」
「どうだったって?」
ロビンは実家の都合。カーミラは流行り病。そういうことになっている。そのことは学院長から二人共しっかりと聞かされていた。なので答えるべき回答は決まっている。
「実家に呼び出されただけだから、特に何の実感も無いよ」
「狸親父の筋書き通りの回答かよ。つまんねぇな」
グラムが心底つまらなそうな顔をした。
「……俺達には言えない、そういうことだな?」
静かにロビンに耳打ちする。グラムは鋭い。馬鹿でぼんくらで粗暴なふりをしているだけで、彼の頭脳は見かけよりずっと優秀だ。
「……ま、そういうこと。あんまり首突っ込まないほうが良いよ」
「あいよ」
グラムはそう言って離れていった。聡い彼のことだ、ロビンとカーミラが何のために学院を長い間休んでいたのか、大方の見当はついているのだろう。
「カーミラ! おかえり!」
「アリッサ!」
「会えなくて寂しかったんだから!」
きゃー、と姦しい声を上げながら、カーミラとアリッサがハグし合う。女の子のああいうスキンシップって理解できないなぁ、とぼんやりと見ていると、それを羨ましそうにじいっと見つめているヘイリーが目についた。
見なかったふり、見なかったふり、と努力していると、ヘイリーがギギギ、とでも音がしそうな動きでロビンを見た。
「見ましたか?」
「い、いや、見てないよ」
「見ましたよね?」
「……そんなに羨ましいなら、混ざってくれば?」
ロビンのその言葉に、身体をくねくねさせながら、「あぁ、そんな畏れ多い……」、と呟くヘイリーにロビンはドン引きだ。畏れ多いなんて言いながらも、数秒後には、「カーミラ様!」と未だハグし合う二人の方へ歩み寄り、そして混ざった。最初からそうすればいいのに、とロビンは心の中で苦笑いした。女が三人よれば姦しいとは言うが、二人でも姦しいのだ。そこにヘイリーが混ざればどうなるかは自明のことだった。
一通りハグし終えた三人は、ロビンの元に集まった。
「ところで聞いた? エライザ王女の戴冠の話」
アリッサがロビンに尋ねる。そう、今や学院中その話題で持ちきりなのであった。
「うん、聞いた。まさか王位継承権第三位のエライザ王女が次期女王なんてね」
ことの真相をなんとなく察しているロビンとカーミラなので、滅多なことは言えない。どこでボロを出すかわからないので、必然的に無難な回答になる。
「アーノルド殿下とデズモンド殿下がね、そろって亡くなっちゃってさ」
「うん、それも聞いたよ。お気の毒だなぁ、って思うよ。ね、カーミラ」
「え、えぇ、そうね。私にとっては親戚だから。ま、あんまり両殿下とは交流はなかったけどね」
当然ですわね、カーミラ様は公爵家ですもの、とヘイリーが思う。その後で、「両殿下とは」って言ったこと。そのことにヘイリーがふと思い当たる。
「ってことはエライザ王女殿下とは浅からぬ交流があったってことですの?」
「浅からぬって言葉が相応しいかどうかは置いといて、そうねぇ。小さい頃何度か遊び相手を勤めさせていただいた程度よ」
その言葉に、まぁ、と驚く。
「さすがカーミラ様ですね。エライザ様と懇意になさっているなんて」
「やめてよヘイリー。懇意とかじゃないわよ」
カーミラのちょっとだけ嫌そうな顔を見て、ちょっと前に聞いた、「友達? まさか」、という言葉とその時の皮肉げな表情が思い出される。あんなのと懇意にしてるなんて言われるのは、カーミラとしても業腹だろうな、とロビンは思った。
「でさ、でさ、学院は来週ぐらいから長期休暇になるんだって。無期限の」
ことのあらましを少しばかり知っているアリッサが、そんなことをおくびにも出さず、話をそらす。この話題が続くことがカーミラのためにならないことを、全てを把握していないであろう彼女もちゃんと理解していた。
「長期休暇……」
「うん。なんでも、学生は速やかに実家に帰り、戴冠式に向けて準備をすること。だって」
確かに、戴冠式ともなれば、王国中の貴族が――領地を離れても問題のない貴族や、社交界に積極的に関わりたい貴族に限るが――王都に集まり、盛大に宴が催されるだろう。
カーミラは公爵家の次女である。当然出席せねばならないだろう。
一方でロビンは、実家に軟禁かなぁ、なんてぼんやりと考えていた。
「……ってことは、また授業を長期間受けられないってこと!?」
カーミラが授業を受けられないという事実に思い当たり、悲痛な叫び声を上げる。戴冠式よりなにより、彼女にとっては授業を受けられないということが重要であるらしい。
「あぁ、それは大丈夫ですわ。カリキュラムを変更して、卒業の時期をちょっとずらすそうですので」
その悲痛な叫び声に、ヘイリーが数日前に学院長から告げられた内容を教える。
「あ、そうなのね。ならちょっと安心。実家で勉強しなきゃなあ……」
彼女にとって、この数週間授業を受けられず、他の学生に遅れをとっているという今の状況は許せないものであるらしい。いかにも勤勉な彼女らしい。
授業が始まる鐘がなる。ロビンの元に集まっていた三人は思い思いの席につく。カーミラはロビンの左隣、アリッサはロビンの右隣。そしてヘイリーはカーミラの真後ろ。グラムはいつもどおり教室の後ろの方である。
女性三人に囲まれるという状況に、なんだか窮屈なものを感じたロビンは少しだけ嫌そうな顔をするが、それを見咎めたアリッサが「なんか文句ある?」とでも言いたげに睨みつけてきたので、すかさず首を横に振る。「いえ、なんでもないです」という全面降伏のポーズである。
後ろをちらりと振り向いて、半ば諦めながらもグラムに助けを求める視線を送る。あ、だめだ、あいつ。ただただニヤニヤしながらグラムはロビンと他の三人を見ていた。心底面白いものを見るような目で。助ける気なんてサラサラ無いに違いない。ロビンはやっぱり諦めた。
今日の一時限目は、歴史学。ともすれば眠たくなりそうなその授業に、教室中の学生達が思い思いに授業を受けるのであった。
「おぉ、副団長」
ビリーは、帝都にある病院のベッドで横になりながら、息を切らせて病室に入ってきた帝国騎士副団長に、ニヤリと笑って歓迎する。
「だ、団長……。お怪我は?」
「おぉ、大分治ってきた。死ぬ直前だったらしいけどなっ!」
はっはっは、と笑いながらリンゴにかじりつく。誰かからの見舞い品だろう。
「わ、私がどれだけ心配したと思ってるんですか!?」
「悪い、悪い。いやぁ、負けちまったよ」
相変わらず陽気に笑い続けるビリーに、副団長が大きくため息を吐く。
「私だけじゃないですよ。騎士団の全員が心配してます」
「そりゃ悪いことしたな。でも、ほれ、この通り」
ビリーが副団長の言葉に、ベッドの上で立ち上がりぴょんぴょんとジャンプをして見せる。包帯だらけの身体で。
「ほぉら、だいじょう……、てっ、いてて。まだ完治してないみたいだな」
「治癒魔術でもここまで時間がかかる怪我って、どんな化け物とやりあったんですか!?」
その言葉に、ビリーが朗らかな笑みを引っ込めた。思い出す。茶髪の吸血鬼、その存在を。
「化け物だったよ。文字通りな。吸血鬼だ。強かったなぁ」
そう、その吸血鬼によって、ビリーはパンチ一発でのされてしまったのだ。その後の年若い魔術師の魔術は筋力強化させあれば大した攻撃じゃなかった。つまり、ビリーに致命傷に近い傷を与えたのは、茶髪の吸血鬼、他でもないその拳がきっかけだ。
「吸血鬼!? 本当に化け物じゃないですか!?」
「あぁ、ありゃ王国からの間諜だな。ガキンチョがそう言ってらぁ」
「王国から!? 間諜!? いやいやいやいや、もう情報量が多すぎて、混乱しっぱなしなんですけど!?」
副団長が頭を抱えながら叫ぶ。その大声を聞きとがめた看護婦が病室に入ってきて、「病室では静かにして下さい」、と苦言を呈した。あまりにもマナー違反な自分の言動を鑑みて、副団長の顔が羞恥に赤く染まる。す、すいませんでした、と一言謝る。
「で、ガキンチョ、というのは私のことですか?」
謝った後で後ろから聞こえてきた声に振り返り、またまたびっくり仰天することになる。帝国皇帝陛下、その人がその場にいたのである。
「こ、皇帝陛下?」
すかさず副団長が最敬礼をしようとするが、それはガルダンディアが手で制した。
「今日は、皇帝としてではなく、一人の人間としてお見舞いにきました。畏まる必要はありませんよ」
ニコリと笑うガルダンディア。副団長はこの少年に会ったことはなかったが、噂では聞いていた。大変な人格者であり、誰からも愛される。そんな少年である、と。その噂に半信半疑ではあったが、彼の言葉と物腰の柔らかさを見て、彼は噂の内容がすっかりと腑に落ちた。
「ジョー騎士団長。お加減は?」
「おう、ガキンチョ。あと一週間もすれば、完治だそうだ」
ガキンチョ? ガキンチョといったのか、この男は。副団長は帝国のトップに対して「ガキンチョ」と言い放つビリーを見て、頭が真っ白になった。不遜もいいところである。
「ふふ、元気そうで安心しました。ジョーー騎士団長」
控えめに笑い声を上げてから、ガルダンディアがその微笑みを引っ込め、真剣な顔を見せる。
「ジョー騎士団長。いえ、ビリーさん。貴方がここまでの怪我をしたのは、全て私が出した命令によるものです。本当に申し訳ございません。お許しください」
「おいおいおい。帝国のトップが気安く頭を下げるなよ。しゃきっとしろ、ガキンチョ。これから戦争だろ? 謝罪の言葉なんて言い始めたら、いくら言っても足りねぇよ」
「えぇ、仰るとおりです。……王国と戦争になりますからね……」
悲しげに顔を伏せるガルダンディア。その様子を見て、ビリーがよっこらせっとベッドから立ち上がり、その柔らかな金髪を携えた頭をぐりぐりぐりと撫でる。
「いた、いたいです、ビリーさん」
何をやっているのだ、この男は。副団長はいきなりのビリーの行動にただただ瞠目することしかできなかった。不敬罪でしょっぴかれてもおかしくない。
だが、この金髪の少年はそんなことはしない。自身に対する敬意。そんなものなどどうでも良いのである。彼はただただ彼を全力で助けてくれる周囲の人間、その期待と忠誠に応えること、そして帝国の臣民全てを幸せにすること、それだけを望んでいるのである。
「そんな顔してねぇでシャキッとしろ! 帝国の臣民、全てがお前に忠誠を誓う。いや、全てじゃないかもしれんねぇな。だが、少なくとも、俺は、この俺が忠誠を誓ってるんだ。王国は吸血鬼を手駒にしてる。長い戦争になるだろうな。
だけどな。陛下は、ただ俺達に『闘って、そして死ね』と命令すれば良い。生きるか死ぬかは運次第だが、王国の兵士共なんて百人だって千人だって俺が倒してみせる」
「……ふふ、ビリーさんと話してると、悩んでるのが馬鹿らしくなりますね。でも私は『闘って、そして死ね』なんて命令しません。『闘って、その上で生きろ』と、そう言わせていただきます」
ガルダンディアは戦争によって死にゆく帝国の臣民に思いを馳せる。そして同時に、敵国である王国の民にも。戦争によってどれほどの死者がでるのか。そのことがずっと彼の優しい心を悩ませていたのだ。だが、南の安全な領土の確保。それは帝国にとって悲願であり、臣民のために、国をより良くするために、ガルダンディアが成し遂げなければならないことであった。
「ちったぁ、良い面構えになったじゃねぇか。お、ガキンチョも食うか?」
ビリーがカゴからリンゴを一つ掴み、ガルダンディアに向かって放り投げる。わたわたしながら、それをなんとかキャッチした彼は、少しばかり逡巡した後、それに齧りつく。側仕えにでも見られたら「マナー違反ですよ」と叱られること間違いない。だがここにはそんな側仕えもいない。
「……おいしいですね。でもこれってビリーさんのじゃ」
「いいんだよ、リンゴも陛下に食われりゃ満足だ」
ビリーの言葉に、ニコリと笑顔を浮かべると、ガルダンディアは「では、私はこれで。お大事にしてくださいね」と言ってリンゴを齧りながら病室を出ていった。
「ガキンチョのお守りも大変だぜ」
「陛下をガキンチョ呼ばわりするのは、団長だけですよ……」
心底ヒヤヒヤした、という表情で副団長が告げる。
ビリーはガルダンディアが去っていった病室で、あの時の戦いを思い返す。吸血鬼の少女。あれは厄介だ。本気を出されれば、この帝国に敵う相手は数えるほどしかいないだろう。そして、自身に躊躇いなく致命傷になりかねない魔術を放った少年も思い出した。脳を強化できるという点、それを差し引いても、あの顔、あの表情が非常に厄介だ。何もかも覚悟を決め、刺し違えてでも一矢報いる、そんな戦士になりかねない。男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが、次に戦場で相まみえた時は彼でも手こずる、そんな死兵じみた戦士になっているだろう。
戦争は近い。ビリーは改めて、自身が優しい皇帝陛下、あの少年の力になってやらねば、と思い返すのだった。
様々な悲しみや、色々な感情をいだきつつも、第五部の開始です。
第五部では帝国との戦争が始まる予定です。
ロビンとカーミラ。そして他の仲良し六人組は、何を経験していくのでしょうか。
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