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第十八話:王女への報告

「エライザ様。カーミラ・ジギルヴィッツ様がお越しのようです」


 いつものように、自身の執務室で大量の書類仕事を片付けているエライザに、ノックをしてから入ってきた侍女が告げる。今は夕方。あら、案外早かったわね、と一瞬だけ考えるも、なんとも良いタイミングでですね、と心中でほくそ笑む。


「通しなさい」


「かしこまりました」


 侍女が一礼し、部屋を出ていく。そういえば、アレクシアの場所を今日は探っていないわね、と思い当たるが、どうせカーミラと一緒に来るだろう。無駄に労力を使う必要もあるまい、と捨て置く。


 ややあって、扉を丁寧に三回ノックする音が聞こえた。はぁい、と返事をして、入室を促す。白銀の髪を茶色に染めた少女カーミラと、一緒に同行させたロビンがゆっくりと入室する。ロビンは厳かに歩きながら、最敬礼を一度。カーミラはエライザのことを良く知っているため、最敬礼などしない。彼女がそれを必要としていないことを理解しているのだ。面を上げなさい、というエライザの言葉に、顔を上げる。何やら憔悴しきった表情を浮かべている。よくみるとカーミラも似たような様子だ。


 エライザはニコリと微笑みながら、まず二人の労をねぎらった。


「カーミラ。ロビン。この度は大義でございました」


 そう言ってから、ようやく送り出した三人(・・)二人(・・)になっていることに気づく。


「あら? アレクシアは?」


 そう、アレクシアがいない。なぜだろうか。彼女には、まだまだ働いてもらわねばならない。これから帝国との大戦争が待っているのだ。エライザはその中でも重要な役割を彼女に任せるつもりであった。


「……ロドリゲス先生は……」


 カーミラが答えようとし、しかし答えきれずに、涙をポロポロと流し始める。ロビンは涙こそ流していないが、実に沈みきった様子だ。その二人の様子を見てエライザは得心した。


「あぁ。死にましたか」


 エライザは自身の予測を裏付けるために、アレクシアの居場所を把握しようとする。レスポンスは返ってこない。居場所がどこかわからない、ということは、強制的に王家との契約を解除するような大魔術によって術を解除されたか、もうこの世にはいないかのどちらかだ。無論後者だろう。少しばかり残念だ、と彼女は思う。アレクシアが亡き者になるのも少なからず予測はしていたが、そうそう死にはしないだろうと考えていたのも事実である。


 手駒の一つが減った。とはいえ、まぁ、些事なことでしょう、と切って捨てる。


「……ッ! エリー!?」


 ニコニコと微笑み続けるエライザに、カーミラが怒気を放つ。人が一人死んだ。カーミラにとってはそれは重大な出来事であり、笑いながら聞くべき内容ではない。


「わかってるわ。カーミラ。アレクシア・ロドリゲスは男爵から、子爵へ特進。貴方達が送ってくれた情報は実に有意義でした。特に、帝国で市場に出始めたあの転移魔術。あれは素晴らしかったわ。もう、王国での量産体制に入っています。めぼしい魔術師には無料で配るつもりよ。カーミラとロビンの手柄にするわけにはいかないから、全ての手柄はアレクシアのものということにします。さ、他にも報告できることがあるのでしょう?」


 人間が死んだ。それも、エライザにとって他人ではない、少なからず重用していたはずの者が。それなのに、彼女は実にあっけらかんとしていた。思うところはないのか、人の心はないのか、カーミラは彼女に対して深い怒りを覚えていた。


「……ねぇ、エリー」


「なぁに? カーミラ」


「ロドリゲス先生が亡くなったのよ? どうして笑顔でいられるの? 何か言うこととかないの? 涙の一つぐらい流したらどうなの?」


 カーミラの小さく、だが激しい怒りを湛えた声色に、やはり王女はニコリと微笑む。


「私が何か言ってアレクシアが生き返りますか? 涙を流せば生き返るとでも? カーミラ。あまりに馬鹿馬鹿しいわ」


「エリー!? 言うに事欠いて……」


 十二分に怒気を孕んだその言葉に、エライザも流石に貼り付けた笑顔の仮面を外して、大きなため息を吐く。


「カーミラ。……人は死ぬわ。これからも沢山ね。貴方はその度にそうやって泣いて、私に喧嘩を売ってくるの?」


 売られても買いませんけど、と付け足す。そう、エライザはアレクシアの死、その事実に何の感傷も抱いていない。使える駒が一つ減って少し残念な気持ちがある程度だ。


「あんたのせいで! あんたが帝国に行けなんて言ったせいで! 先生は! 先生は!」


「私のせい?」


 エライザが嗤う。


「貴方のせいでしょ? 吸血鬼なんて化け物そのものでありながら、人間一匹助けられない」


「……エリー。それ以上言わないで。私、今凄く不安定なの」


「不安定……。ふふ。その様子を見るに、吸血鬼としての真なる覚醒を経験したみたいですね」


 目論見通りだ、とエライザがとうとう声を上げて笑い出す。うふふ、うふふ、と。


 人間から吸血鬼に変異した場合、段階が三つある。


 一つは元の人間通りの姿をしている段階。この状態でも、凄まじい膂力と常人とは程遠い大量のマナの行使ができる。


 二つ目が一部ながら吸血鬼の力を開放した段階。鋭い爪。血のような紅に染まった瞳。自由自在に生やすことができる翼。それらを行使できる。また、その膂力も第一段階とは比べ物にならない。瞳は吸血鬼の力がどれだけ発揮されているかで色が変わっていく。具体的には、吸血鬼の本能に支配されればされるほど、どす黒い瞳になっていく。


 最後が、真なる覚醒、と呼ばれる段階。吸血鬼の本能、それが顕になり、第二段階までとは比べ物にならないほどの膂力とマナを発揮する。真なる覚醒を遂げる吸血鬼は少ない。そもそも吸血鬼としての位が高くなければその高みには至れないのだ。


 その知識は、一部の吸血鬼を研究するものだけが知っている知識であった。どうしてエライザがその知識を有しているのかについては、もはや言うまでもないだろう。


 エライザの笑い声に、カーミラの瞳が真っ赤に染まる。自分でもどうしようもできない憤怒を持て余しているカーミラを、そしてその真っ赤な瞳を見遣って、やはり王女はニコリと笑う。


「あら、次期女王を殺しますか? それもいいでしょう」


 フーッ、フーッ、っと荒い呼吸を繰り返すカーミラ。涙を流しながらも、彼女はなんとかかんとか暴走を抑えていた。


「次期……女王?」


 エライザが椅子からゆっくりと立ち上がり、カーミラの目の前に歩み寄る。そして、懐から出した杖で解呪の魔術を使い、茶色く染められたその長い髪を生来の白銀のものに戻した。そして、未だに荒く呼吸を繰り返している少女の長い髪を慈しむように手櫛で梳く。


「お兄様達、死んでしまいましたの。お父様からは、つい先日内示をいただきました。しばらく準備をして、その後は戴冠式。私がこの国のトップになるのです」


「アーノルド殿下とデズモンド殿下が……?」


「えぇ。偶然も偶然。殆ど同じ時期にお亡くなりになりましたわ」


 カーミラはすぐに気づいた。いや、気づいてしまった。両殿下の死にはこの目の前の王女が多分に関わっていると。


「……あんた、本当に人間なの?」


「貴方には言われたくないわ。吸血鬼」


 一触即発。まさにその言葉通りの空気であった。僅かなきっかけでカーミラはエライザに対して牙を剥き、エライザはそれにすかさず応戦するだろう。そんな雰囲気だった。


 そして、そんな雰囲気を霧散させたのは他ならぬロビンだった。


「カーミラ。王女殿下の仰られるとおりだよ」


 その言葉に、驚きに目を目一杯見開いて、カーミラがロビンを見る。


「ロドリゲス先生を助けられなかったのは、僕たちの責任だ。確かに元を正せば、帝国に間諜に遣わした王女殿下がきっかけかもしれない。でも、僕たちの責任なんだ」


 今、ロビンの心のほとんどを占めているのは、自身の不甲斐なさへの怒り、そしてアレクシアを殺した帝国騎士団長への憎しみだった。恐らくあそこまで串刺しにしたのであれば、殺せたのではないかと思う。だが、憎しみの感情は未だ持ってロビンの中に残っていた。


 確かに、エライザに対して思うところはある。だが、本質的なところはもっと別な部分にあったのだ。


 カーミラの真っ赤な瞳が、金色に戻る。涙はずうっとポロポロポロポロと眦から次から次へこぼれ落ちていた。ロビンは私の味方じゃないの? とそういう感情に支配された表情を浮かべる。そんな表情を見て見ぬ振りをしてロビンが続ける。


「ロドリゲス先生は今朝簡素ではあるけど、ちゃんと僕たちで弔った。その上で、僕たちが心から悼んであげれば良い。王女殿下にわざわざ悼んでもらわなくても十分だ」


 それは、ロビンが王家に対する不敬とならないギリギリのラインでの、精一杯の皮肉であった。彼は二人の会話を黙って聞き、そしてエライザに対する嫌悪感を抱き始めていた。出遭った当初は恐怖であった。得体の知れない者、つまり天才と呼ばれる者にたいする畏怖。それが今やすっぱりと影を潜め、生理的な嫌悪感と憎しみに彩られていたのだった。


 ロビンがポンとカーミラの背中を優しく叩く。落ち着け、そういう意味をふんだんに込めた右手だ。その右手の温もりに沸騰寸前だったカーミラの感情が、徐々に温度を下げていく。


「……エリー。ごめんなさい。ただの八つ当たりだったわ。貴方の言う通り。先生が死んだのは私のせい」


「カーミラだけのせいじゃない。僕にもその責任の一端がある」


「ううん。いいの。私のせい」


 ロビンとカーミラのやり取りに、エライザがニッコリと微笑む。


「他でもない大切なお友達の怒りです。その怒りを受け止めるのは吝かでは有りませんよ」


 「大切なお友達」。その言葉がこれほどまでに空虚に響くのを聞いたことがない、とロビンは感じた。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。ロビンとカーミラにはやらなければいけないことがあった。


「さ、帝国で何を掴んできたのか。教えて下さいな」






「……大規模転移魔術は完成。後は試験を経るだけ……ですか。いよいよもって、帝国との戦争が近づいて来ましたわね」


 エライザがこめかみをトントンと叩きながら、顔を伏せ、深く考え込む。これは、これからの計画をどれだけ修正するべきかを考えている仕草であった。


「帝国のレジスタンスの亡命についてはわかりました。国境警備隊に伝えて、いつ来ても良いように受け入れ体制を整えます。それでいいわね?」


 それから、とエライザが続ける。


「貴方達が闘った、帝国の騎士団長。ビリー・ジョーは、ちゃんと殺しましたか?」


「そこまでは確認しておりません。ですが、氷槍の魔術で串刺にいたしました。流石に死んでいるかと……」


「あぁ。では、きっと生きていますわね。帝国の治癒魔術は優秀ですのよ。虫の息でも、数日かけて完治まで持っていきますの。飽くなき侵略の歴史、その産物ですわね」


 嘘だろ、とロビンの心が驚愕に染まる。あそこまで串刺しにされて、生きながらえるなんて狂気以外の何物でもない。あの男とまた相まみえる。それは二人にとって悪夢以外の何物でもなかった。それと同時に、ロビンの心の中に、あの男をもう一度殺す機会ができた、その事実に対する少しばかりの喜びが芽生える。


 ひとしきり驚き、色々と考えた後、ふとアレクシアの最後の言葉が思い出された。ロビンはエライザに控えめに話しかける。


「報告は以上ですが、最後に」


「なんですか? ロビン」


「ロドリゲス先生からの言伝です。王女殿下。貴方に」


 エライザはアレクシアからの言伝がある、という事実に少なからず驚いたようだった。控えめに目を見開く。


「『ありがとうございました』、と」


「『ありがとうございました』、ね。確かに。しかし、アレクシアらしくない言葉ですね」


 ふふ、とエライザが笑う。その笑顔がどれだけ二人の心を逆なでしているのか、彼女は理解しているのだろうか。それとも理解した上でそうしているのだろうか。


「あぁ、そういえばカーミラ」


「……なによ」


 先程から目を充血させたまま押し黙って何も喋らないカーミラにエライザが声をかける。数秒ほどかけて、カーミラが返事をした。


「貴方に差し上げる物があるの。勿論、ロビンにもあります」


 受け取ってくださる? と続けて、手を三回叩く。王女付きの侍女がノックと共に入室する。


「御用でしょうか?」


「この二人にあれを」


「かしこまりました」


 一礼して、侍女が部屋から足早に出ていく。一体なんだろう、と二人は顔を見合わせた。ややあって、侍女は複数人の下女を連れて、二つの甲冑を運んできた。一つはフルフェイスの鉄仮面を携えたもの。もう一つは軽そうで、身体の重要な部分のみを守るだけのもの。


「こっちが、カーミラの」


 エライザが鉄仮面付きの甲冑を指差す。


「で、こっちがロビンのです」


 そして、もう片方を指差す。


「貴方達には来る帝国との戦闘に参加していただきます。カーミラはその鉄仮面をつけていれば、吸血鬼だということが公にならずに戦えるでしょう? ロビンは脳の強化なんて人間業じゃない技術を手に入れています。戦いに参加してもらわない手はありません」


 なんだこれ、どういう状況だ。僕が戦争に参加? 一介の学生が? ロビンはエライザに告げられた言葉に、混乱しっぱなしだった。


「エリー。戦争に参加するのは構わないわ。でも私は人を殺したくないの」


「それで十分。死なない程度に痛めつけて下さい。そのほうが効率的です」


 エライザは、戦場で中途半端に生き残った兵士の厄介さを良く理解していた。放っておけば士気に関わる。しかし、助けるとなると、その一人に複数人の人員を割かねばならない。そして、死に損なった兵士は痛ましい悲鳴を上げる。その悲鳴がさらに軍の士気を下げる。大将首ならともかく、一般の騎馬兵や歩兵などは殺さずに動けない程度の怪我をさせるのが一番なのだ。


「甲冑は、王宮で保管しておきます。戦争になったらどうせ王宮に一旦招集しますから。その時に着てくださいね」


 ご活躍、期待していますよ、とニコリと笑う。二人には返す言葉が見つからなかった。二人が戦争に参加する。それはエライザにとってすでに決定事項なのであった。


「……あ、そういえば、そろそろ時間でしたわね」


 しばらく無言の時間が続いた後、エライザが唐突に、今思い出したとでも言わんばかりに告げた。それとほぼ同じタイミングで、扉がやや強めにノックされる。


「お入りくださいませ」


 エライザがノックに返事をする。扉がゆっくりと開く。扉の奥から出てきた人影に、カーミラは心底驚き、そしてその後に恐怖した。


「お、お父様!?」


「カーミラか。なぜここにいるのか、というのは後でゆっくりと聞かせてもらうよ。王女殿下。ご機嫌麗しく」


 グレゴリウス・ジギルヴィッツ公爵。カーミラの父親、その人であった。彼は、王女に向かって最敬礼する。


「面を上げて下さい」


 ややあって、顔を上げたジギルヴィッツ公爵が、静かに口を開く。


「して、私をわざわざ招致なさったのは、何故(なにゆえ)ですかな?」


「ジギルヴィッツ公爵。貴方の娘、カーミラに今何が起こっているのか、確りと説明しなくてはならないと思いまして。ですが、私からの説明は不要みたいです」


 本人がいますから、とエライザがニコリと笑う。その笑顔に、ジギルヴィッツ公爵の瞳が不穏にギラリと光った。ロビンにはそう感じられた。

エライザ様、マジサイコパス。

カーミラが怒るのも、ロビンが生理的に無理、となるのもわかりますね。

で、ロビンが若干悪堕ちしかけてます。

まぁ、自分を多いに気にかけてくれていた師匠を殺されたのです。

普通の人間は復讐心にとらわれると思います。


次回、エピローグを以って、第四部は完結となります。

閑話はありません。多分。


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