第十五話:脱獄
残酷な描写があります。
苦手な方は、話の中程ぐらいまでスキップして下さい。
多分話の流れはそれでもつかめると思います。
吸血鬼。その単語を聞いても、ジェンは驚くことも、恐怖することも無かった。ただただ、納得がいった、という表情を浮かべるのみ、それだけだった。
「なぁるほどね」
あっさりと信じてしまったジェンにカーミラが不思議そうな顔をする。
「えっと、自分でも荒唐無稽な話だと思うんですけど、なんで信じるんですか?」
「うーん、なんとなく」
なんとなく。それだけでこの女性は自分の言うことを信じるのだという。驚きにカーミラは目を見開かせる。
「強いて言うなら、アレクシアがカーミラちゃんを連れて歩いてる、からかな? あの娘、足手纏いは絶対に連れ歩かないの。ロビン君は筋力強化の使い手で、アレクシアの弟子でしょ? じゃあ、カーミラちゃんは? ってずっと引っかかってたのよね。吸血鬼ねぇ。納得納得」
そこまで言うとジェンは大急ぎで帝都の地図を、部屋の隅の引き出しから取り出し、そしてテーブルに広げた。
「アレクシアとロビン君が捕まっているのはここ」
ジェンが地図の一点を右手の人差指で指し示す。
「帝都特別収容所。要は帝国軍管轄の監獄ね。拷問室から、尋問室、牢屋から拘置所まで、何でも揃ってるわ。帝国中の凶悪犯罪者がここに集められるの。帝都には監獄はこの一箇所だけ。魔術研究所とは違ってね」
そこまで言って、カーミラの顔をじっと見つめる。
「吸血鬼、ってことは、コウモリに変身できるんだよね?」
「……良く知ってますね。その通りです」
「陽の光を浴びても大丈夫みたいだから、デイライトウォーカー。元は人間だったものが何かしらで変異した。そうね?」
「……はい」
「ん。バッチリ。じゃあ、作戦立てるわよ!」
ジェンがニヤリと笑って拳を握る。カーミラはなぜだか、この女性に任せれば、何もかもが上手くいくのではないか、そんな根拠のない予感を感じた。
ジェンが立てた計画はこうだ。彼女の率いるレジスタンスの数名を率いて、監獄の近くで騒動を起こす。騒動と言っても、収監されない程度の軽いものだ。具体的には、レジスタンス同士で激しい喧嘩をさせると言っていた。
帝都特別収容所の門番や看守は軍管轄の施設であるため、基本的に憲兵である。なにか不審なことが起こったら持ち場を離れてでも、様子を確認しに行かなければならない。憲兵がやってきて、喧嘩の仲裁に入ったその段階で、別の場所で爆弾を爆発させる。魔法薬で作った爆弾だ。それ相応の威力がある。憲兵は慌てふためくだろう。仲裁を放っておいて、爆発があった方に向かうに違いない。
その後は、爆弾のオンパレードだ。監獄近くのそこかしこで爆発を起こす。監獄に詰めている憲兵達も、泡を食って原因を探り右往左往するだろう。
その混乱に乗じて、カーミラがコウモリに変身して監獄の中に侵入する。そういう手はずである。
準備は迅速に進められた。計画を立てるのに数十分。念話の魔術でレジスタンスの仲間に招集をかけるまでに数分。そして、招集をかけられた三人のレジスタンスの男たちがジェンの家にやってくるまでに約十分。
レジスタンスの男達は、ジェンの傍らにいる少女の美しさに驚きながらも自己紹介を始めた。
「俺は、アダムだ。よろしくな、嬢ちゃん」
「僕はジョエル。よろしくね」
「……マイクだ。よろしく」
三者三様の自己紹介を聞いて、カーミラが返す。
「私、カーミラ・ジギルヴィッツと申します。ご協力いただき、感謝いたします」
カーミラの名乗りに、アダムが目を白黒させて叫ぶ。
「ジギルヴィッツって、王国の公爵家の!? おいジェン。とんでもないガキと知り合いになったもんだな」
「アダム。貴方が言ったように、この子、王国の公爵家なのよ。もう少し言葉に気をつけたら?」
そんなことを言い始めたら、初対面で「カーミラちゃん」呼ばわりしたジェンはどうなるのだろうか、とカーミラは少し思う。気にはしないが、心の中で遠慮なくツッコミ入れる。
「えっと、帝国では私の爵位なんて意味のないものですから、気にしませんし、気にしないで下さい」
「王国貴族だってのに、変わってるな。嬢ちゃん」
ジョエルがニヤリと笑いながら、カーミラの金色の瞳をじっと見つめる。
「……それで、吸血鬼、か。すごい存在もいたものだな」
マイクがぼそりと呟く。なんだかこの人は人付き合いが苦手そうだ、と漠然と思った。
喜色満面な笑顔を浮かべながら、アダムがカーミラに話しかける。
「それで、この作戦が成功したら、俺らレジスタンスを王国に亡命させてくれんだろ?」
え? なにそれ、聞いてない。カーミラは焦った表情で、ジェンを見る。申し訳無さそうに、ジェンが手を合せて苦笑いする。
「ごめんごめん、そうでも言わなきゃ、誰も協力してくれないからさぁ」
亡命、亡命か。どうすればいいのかしら。カーミラは悩み始めて、口を噤んでしまった。
「あぁ、大丈夫。レジスタンスの皆は全員魔術師で、転移の魔術を使えるの。私が開発したイメージ共有の魔術で、レジスタンス王国の国境付近のイメージも伝えてある。だから、皆王国にひとっ飛びできるってわけ。
ここ最近帝国に目をつけられていよいよ危なくなってきてね。公爵家の権限で、王国に口を聞いてくれるだけでいいのよ。いい感じのタイミングで、一斉に王国に亡命するから、その時はよろしくってこと。その後は、王国の軍とか騎士団とかに入れてもらえたらもう言うことなしなんだけど、そこまでは流石にお願いしないわ」
これ、レジスタンスの名簿ね、とジェンがカーミラに名前が書き連ねられた一枚の紙を渡す。
「えっと、それだけで良いのでしたら」
カーミラはジェンの言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。エライザに、任務上必要だった、とそれだけ伝えればどうとでもなりそうだったからだ。レジスタンスの全員を、山越えさせて、関所を通らせて、なんてやり始めることを想像していたのであった。それは流石に骨が折れる。
「うん、それだけで大丈夫よ。上手く二人を助け出せたら、そのまま帝都から逃げなさい。私達のことは放っておいて大丈夫。私のレジスタンスは精鋭揃いよ。捕まるなんてヘマはしないわ」
じゃ、作戦開始! とジェンが叫び、男達が、おぉ、と拳を振り上げる。ロビンとアレクシアの救出作戦の開始であった。
あれから何時間経っただろうか。ズキズキと痛む全身に顔をしかめながらも、無駄な抵抗は諦め、ただただ死を待つ、そんな心持でロビンはおとなしく椅子に座っていた。というよりも、縛り付けられているため、それしかできなかった。捕まったのが夜。それから数時間経っているはずだ。睡魔が彼を眠りに誘おうとするが、全身を襲う激痛がそれを許してはくれなかった。痛みに脳は回転を停止し、ただぼんやりとしている、そんな状態であった。
朦朧とする意識の中、拷問室の外がにわかに騒がしくなったことに気づく。爆発がどうのこうのと叫ぶ声と、複数の人間が駆け抜ける音が耳朶を打った。何が起こったのだろうか、と少しだけ疑問に思うが、今の時分には全く関係の無いことに思い当たり、小さくため息を吐く。
ひとしきり部屋の外の騒動が落ち着く。本当に何だったんだろう、ま、どうでもいいか、考えるのも面倒くさい、と思考を放棄した。
丸一日、と言われた。恐らく明日には、さぞかし痛い思いをしながら殺されてしまうのだろう。死ぬことに恐怖はないが、痛いのは御免こうむるところであった。
そんなふうにぼーっとしていると、部屋の外から、看守らしき男の焦燥に満ちた叫び声が聞こえた。
「き、貴様! 何者だ!」
次の瞬間、カエルが潰れた様な男の声が響き、そして沈黙した。外でなにかあったのだろうか。それでも、ロビンは達観に染まった瞳で、視線の先にある扉をぼんやりと見つめていた。
扉には外から中を確認するための小さな穴が空いている。それこそ、コウモリぐらいなら通れそうな。男の悲鳴が聞こえて数秒経ち、一匹のコウモリがその穴から部屋の中に入ってくる。
なんだ、コウモリか。男はコウモリにでも襲われたらしい。コウモリにやられるってどんだけなんだよ、とぼんやりと思った。
え? コウモリ?
ロビンは靄がかった思考が一気にクリアになっていくのを感じた。
一匹入ってきたのを皮切りに、無数のコウモリが中に入ってくる。あぁ、この光景は何度も目にした。ロビンは安堵と、助けに来てくれたこと、その嬉しさに自然と熱い涙が溢れるのを感じた。
コウモリの群がうねうねと動いて人の形になる。そして、ロビンが瞬きをした次の瞬間には、茶髪の美しい少女がそこに立っていた。
「ごめん、お待たせ!」
本人は格好良く決めたつもりなのだろうが、次の瞬間にはロビンのぼろぼろになった身体を見て、きゃあ、と悲鳴を上げる。全然格好良くなかった。
「だ、大丈夫なの!? ロビン!」
「か、カーミラ……」
カーミラがポケットから取り出したナイフで、ロビンの腕と脚の縄を切った。
「ごめんね、この部屋魔術が使えないようになってるの。治療は後。ロドリゲス先生ももう見つけてる。すぐに合流して逃げるわよ」
痛みにふらつく身体を、どうにかこうにか立ち上がらせる。立ち上がった際に、やっぱりよろけてしまい、カーミラに抱きつく形となった。
「ご、ごめん」
「ううん。大丈夫。立てる?」
数々の惨たらしい拷問を受けたが、幸いにも重要な骨等に異常をきたすような痛めつけられ方はしなかった。ただただ痛いだけ。それなら我慢できる。ロビンはともすればすぐに倒れてしまいそうな身体に鞭打って、なんとか自力で立ち上がった。
「うん。大丈夫」
「良かった……。鍵は看守から拝借したわ。ちょっと待っててね」
カーミラがまたコウモリに姿を変え、扉の外に出ると、ガチャリと鍵が開く音が聞こえ、ぎいぃとゆっくりと扉が開く。
「行きましょう!」
ロビンはびっこを引きながら、拷問室の外に出る。部屋を出た途端、停滞していた体内のマナが動き出すのを感じた。これなら筋力強化が使える。
ロビンは全身の筋力を強化する。痛みが小さくなる。走ることも問題なさそうだ。
「ロドリゲス先生は?」
「この先。ついてきて!」
カーミラが駆け出す。ロビンもその背中を追いかける。拷問部屋があるのは牢獄や監獄だと相場が決まっている。そんな場所が、入り組んだ作りになっていることはない。二回ほど曲がり角を曲がると、カーミラが立ち止まった。
カーミラが鍵の束を取り出して、その中の一本――扉に番号が刻まれて、鍵にも対応する番号が刻まれていた――を素早く取り出すと、ガチャリと鍵を開ける。
「ロドリゲス先生!」
その惨状は、ロビンよりも酷かった。彼は自身が男であったことを心の底から幸いだったと感じた。アレクシアが座らされていたのは、分娩台によく似た椅子だった。爪は手足すべて剥がされ、顔には何度も殴られたのだろう、赤黒く腫れ上がっていた。
そして、それよりも悲惨だったのは、服がボロボロに破かれ、大量の男性の黄ばんだ体液にまみれていたことであった。局部から、口から、肛門から滴り落ちるそれに、吐き気が催される。
眠るように閉ざされていた切れ長の目を、アレクシアがゆっくりと開く。
「ジギルヴィッツ……ウィンチェスター……。何故……」
かすれた声で、カーミラとロビンの名前を呼び、そして疑問を口にする。
「話は後! さっさと逃げるわよ!」
カーミラがアレクシアの身体を縛めていた縄を切る。アレクシアはよろよろと緩慢な動きで立ち上がると、一度だけ膝をついた。
「ジギルヴィッツ……。避妊の魔術は使えるか?」
「……使えるわ」
「後で私にかけてくれ。下卑た男どもの子を身ごもるなど、耐えられん」
そこまで言って、すっくと立ち上がり、居住まいを正すと、切れ長の目で扉の向こうを睨みつけた。
「逃げるのだろう? 行くぞ」
この鬼教官の心は鉄でできているのだろうか、とロビンは思わずそんな感想を抱いた。普通の女性であれば、泣き叫び、心が壊れてしまいそうなものだ。だが、それ以上に彼女のそんな在り方が頼もしく感じた。
部屋の外に出て、アレクシアが全身を強化する。
「構造は把握してるわ。私が先頭を走るから、ロビンとロドリゲス先生は付いてきて」
ロビンとアレクシアが少女の言葉に小さく頷く。三人は、それを契機に走り出した。
迷いなくカーミラが出口までの最短ルートを駆け抜ける。吸血鬼の膂力に裏付けされたその速度は、文字通り人間離れしたものだった。だが、筋力を強化した二人も負けてはいない。付かず離れず、カーミラの背中を追いかける。
途中で、憲兵と出会うが、そのことごとくをカーミラが腹部に拳を突き刺してノックアウトしていった。手加減はしているようだ。彼女が全力で人間を打てば、その部分が弾け飛ぶ。だが、それでも途方も無い威力で放たれた拳は、人間一人を気絶させるのに十分だった。
「ここを曲がると出口よ!」
カーミラが曲がり角を右に曲がる。ロビンとアレクシアがそれに続く。これまで二人が受けた拷問から考えると、えらくあっさりと脱獄は完遂されたのであった。
監獄を抜け出した三人は、追手を巻くために四方八方を走り回った後で、人目のつかない細い路地に逃げ込んだ。カーミラが奪われた二人の荷物をそれぞれに手渡す。ロビンは杖と幾つかのポーション。アレクシアは怪物退治に使うのであろう、数々の魔道具。ロビンとアレクシアは小さく感謝の言葉を告げた。
次に、カーミラが杖を振って治癒の魔術をかける。上級治癒である。剥がれた生爪、殴られ赤黒く腫れ上がった頬。いずれも下級治癒で十分に治癒できるものだが、今はスピードが命である。上級治癒は治療可能な怪我のレベルも勿論だが、その治癒のスピードにも「上級」と名を冠すだけのことはあった。凄まじい速度で傷が癒えていく。
そして、最後にアレクシアに避妊の魔術をかけた。桃色の光がアレクシアの下腹部に集まり、そして弾ける。「ありがとう」、とアレクシアが呟いた。「どういたしまして」と小さく呟いたカーミラは、アレクシアに着替えを手渡す。ジェンがしつこく「持っていけ」、と言った理由がよく分かった。
全てが終わって数秒。カーミラの涙腺のダムが崩壊した。今までずっと堪えていたのだろう。涙は次から次へカーミラの眦から溢れ、地面に黒い点々を作っていく。
「ふ、二人共。ぜ、全然無事じゃないけど……。ぶ、無事で良かった……」
声を潜めて嗚咽を上げるカーミラに、二人は顔を見合わせて困った顔をすることしかできなかった。
「ロビンなんてぼろぼろだし……。ロドリゲス先生なんて、もっと酷いし……。もう、私、どうすればいいのか……。なんて謝ればいいの? どうやって償えば良いの? 私が巻き込んだようなものよ……。ねぇ、どうすればいい?」
慟哭。彼女は、いま起こってしまった全ての帰結を自身の責任であると、そう考えていた。そうじゃない、そうじゃないんだ、とロビンは思うが、しゃくりあげ、悲鳴じみた声で泣くカーミラに、なんて声をかければよいのか分からなかった。
「……ジギルヴィッツ。泣いている場合ではない。ジェンの手助けがあったのだろう? これからの計画を話してくれないか?」
アレクシアのいつになく優しげな声に、カーミラの涙が少しだけ止まる。完全に止まったわけではないが。
「ま、まっすぐ帝都を出るわ。このルートを通れば出られるってジェンさんが」
カーミラがくしゃくしゃに折り曲げられた帝都の地図をポケットから取りだし、二人の前で広げる。
三人は示し合わせたかのように、一斉に小さく頷いた。
はい、脱獄成功です。
アレクシアさんは、悲惨な目にあってしまいました。
人権とか存在しない世界で女性が拷問されるってなったら、当然ながらこうなると思っています。
兎にも角にもカーミラの尽力で脱獄に至りました。
さぁ、これから帝都から彼らは逃げるわけですが、どうなってしまうのでしょうか。
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