第十三話:魔術研究所への侵入
夜。三人は人目をはばかるように歩く。向かうは帝都、その中心である。敢えて人通りの多い中央の通りを選び、人混みに紛れながら進む。
途中で何度か、警ら中の憲兵隊とすれ違い、ロビンとカーミラが緊張に身体を強張らせるが、堂々たる立ち居振る舞いを見せるアレクシアのおかげか、はたまた人混みという隠れ蓑に紛れ込むことにまんまと成功したのか、何も怪しまれずにすれ違うことができた。
夜の帝都は賑やかだ。街中が魔術による明かりで照らされ、所々に点在している娼館の客引きが絶えず歩く人々に声をかける。王都は基本的に夜は暗く、皆すぐに眠ってしまうことから、アレクシア以外の二人は物珍しさにキョロキョロしたくなるのを必死で抑える事になった。王都では、奴隷を相手とした売春斡旋のみ許されている。というよりもそれだけがお目溢しを受けている状況であった。奴隷は人間ではない。その考えに基づいた法の抜け穴を掻い潜った非常にグレーなラインを攻めた商売であるため、表立った客引きなどはなく、裏通りでひっそりと営業をするものであった。
帝都の喧騒が、ともすれば眩しすぎるその輝きが三人にとっては何よりもありがたかった。いざ人通りの少ない道に三人だけで歩きはじめた途端、怪しさの塊と化す。まだ成人もしていない年若い男女と、妙齢ののっぽな女性が一緒に歩いているのだ。不審者以外の何者でもなかった。
三人は、帝都の大通りを北に向かって進む。ジェンの家は王都の南側だ。目標は帝都の中央、そこから少し外れた路地裏である。
大通りを数十分歩いただろうか。不意にアレクシアが「こっちだ」と言って、小路に入っていく。目的地が近い、つまりそういうことである。
大通りを外れると一気に人通りが少なくなった。物乞いがいびきを立てながら床に寝そべり、こそこそと怪しげな取引をしている集団が、ちらりとこちらを見る。害にならなそうだ、と感じたらしくすぐに目をそらして取引に集中し始めたが。
ロビンは、どの街でも裏通りは似たようなものなのだなぁ、とぼけっと考えた。
路地裏のさらに細い道を通っていく。進むにつれどんどん人通りが少なくなっていき、遂に人っ子一人いなくなった頃、目的地らしきボロボロの建物にたどり着いた。
「ジェンの言った場所はここだ」
「アラスタシア。本当にここなの?」
カーミラが胡乱げな視線をアレクシアに送るが、仕方ないだろう。一見、ボロボロの廃墟にしか見えない。ただ、その大きさは、周囲の他の建物と比べて異質なまでに違っていた。一言でいうと、バカでかい。
作戦は単純である。カーミラがコウモリに変身し、中へ侵入する。吸血鬼にとって誰かに気取られずに建物に侵入するということは非常に容易である。もし違ってたら怒るからね、とアレクシアを一瞥してから、周囲に誰もいないことを確認して、カーミラは身体をコウモリに変化させた。
「レイミア、気をつけてね」
小声で心配そうな声を発するロビンに、コウモリたちがぐるぐると回って返事をする。ぐるぐるとひとしきりまわり終えた無数のコウモリ達が建物の中に入っていった。
「さて、我々には後はやることはないな。レイミアをただ待つだけだ」
「なんか、あんまり僕たち役に立ってない気がするんですけど……」
「仕方あるまい。ことこの場所に至っては、レイミアの変身能力のみが頼りだ」
ロビンとアレクシアは、一見して汚れている地面に少し躊躇いながらも腰を下ろすと、思い思いに休憩時間に入ったのであった。
コウモリへ変身した時、カーミラは群体になる。思考がバラバラになるのだ。コウモリ一匹一匹に意思があり、その上で統率され、一つの意思を発揮する。つまるところ、見事なまでのマルチタスクを実現することができる。
初めてコウモリに変身したときは、この不思議な感覚に混乱しっぱなしだったものだ、とカーミラは思い出す。図書館で借りた文献に、「吸血鬼はコウモリに変身し、身を隠す」と記述されていたのだ。本当かしら、と試してみたら、驚くべきことにあっさりとできてしまった。
懐かしい思い出は置いておいて、建物の中の探索に集中する。それほど入り組んだ作りにはなっていないが、研究所は地下だったはずである。建物の一階をくまなく探したものの、地下への入り口らしきものはない。ついでに人っ子一人いやしない。
やっぱり外れだったんじゃないかしら、と思い始めたその時、丁度カーミラが居たその部屋の床がパカリと空いた。空いた先は階段となっており、奥から少しばかり歳のいった女性と、老人が出てきた。
ジェンの言っていたことは正しかった。いかにも研究者な風貌をしている二人とすれ違いざまに、コウモリの一匹が地下へ潜り込む。そんなに沢山のコウモリは入れられない。一匹程度なら、「ん? 気のせいか?」で済むが、それが無数のコウモリとなると、「何が起こっているんだ!?」となってしまうのだ。
隠し階段を下り、地下に侵入すると、いかにも研究所らしい作りとなっていた。細い廊下が升目状に広がり、この建物のボロボロ具合からは想像もできない清潔な建造物となっていた。廊下を進んでいくと、等間隔で大小こもごもの部屋――恐らく研究室だろう――の入り口が立ち並び、その入口にはその研究室の名前と思しき文字が書かれた室名札がにょきっと生えていた。
――きっと大規模転移魔術研究室、みたいな名前よね。
カーミラは、各部屋の入り口の上部につけられた室名札を見て、これは違うあれは違う、と跳びまわる。
「大規模攻撃魔術研究室」。違う。「範囲治癒魔術研究室」。これも違う。
どれもこれも、興味の惹かれる研究内容に違いなかったが、彼女は自身の目的を見失っていなかった。
十二個目の看板を見て、ようやく目的の研究室ではないかと思われる部屋を見つけた。「大規模移動魔術研究室」。カーミラが予測した研究室の名前とは違っていたが、きっとこの部屋に違いない。
部屋の入口、そこにつけられた室名札に止まり、扉が開くのをじっと待つ。中には複数の人間がいる。中にいるのは人間だ。当然尿意も催せば、便意も催す。じっと待っていれば、いつか誰かがこの扉を開け、外に出てくるに違いない。
じっと待っていると、期待していた部屋の中ではなく、部屋の外から扉が開けられた。眼光の鋭い老人が、足早に大規模移動魔術研究室に向かって歩き、そして入っていったのである。カーミラはその一瞬の隙に乗じて、部屋の中への侵入に成功した。
「どうだ。大規模転移魔術は。進捗は如何に?」
老人が険しさをそのまま音にした様な声で、研究員達に尋ねる。カーミラは、その老人の体内に秘められたマナの量に少しだけ驚く。聞いたことがある。ルワンダ・ギリジアム。その名前は王国まで轟いていた。帝国の主席宮廷魔術師。その長命さから、ジョーンズ学院長とよく比較され、帝国のルワンダ、王国のハワードとひとくくりにされることが少なくなかい。恐らく、この老人がかのルワンダ・ギリジアムその人だろう。そうカーミラは当たりをつけた。
「えぇ、もう最後の大詰めです。後一週間もあれば術式が完成するでしょう。テストに三週間ほどかかる見込みです」
壮年の研究員がルワンダの問いに応える。恐らくこの男性が、研究室のリーダーなのであろう。
「ほう、ようやった。皇帝陛下も喜ぶであろう。弟子である諸君らが大仕事を成し遂げられて儂も鼻が高い」
ルワンダが良い報告を聞いた、と相好を崩す。
「いやぁ、私もほっとしてますよ。この一年間殆ど徹夜でしたからね。デスマですよデスマ」
年若い別の研究員が、軽口を叩く。デスマ、とはなんだろう、とカーミラは疑問に思った。
「デスマ、とは人聞きの悪い。予算も時間もたっぷりあっただろうて」
「予算はともかく、時間に関してはぜんっぜん足りませんでしたよ。こうして完成させられたのが奇跡ですよ」
なぁ、と若年の研究員が回りの研究員たちに同意を求める。ははは、と笑い声が起こり、和気あいあいとした雰囲気になる。ルワンダも、はっはっは、と好々爺然とした笑顔を見せ、それぞれの健闘を称える雰囲気となっていった。
――後一ヶ月。後一ヶ月で大規模転移魔術が完成する。
カーミラの思考が緊張に染まる。思わず、抑えに抑えていた体内のマナが溢れ出す。やばっ。カーミラは己の迂闊さを呪った。
老練の主席宮廷魔術師の笑顔が一瞬にして消え、凄まじい速度でカーミラのいる方に顔を向ける。その眼光は、百年以上――正確には約百八十年――の経験とくぐり抜けてきたであろう死線を感じさせられる、鋭く、重厚なものだった。
コウモリの身体であるので、冷や汗はながれない。それでも、感覚、イメージとして、背中に実際には流れるはずのない冷や汗が伝うのを感じた。
「……コウモリか。おい、そこの。コウモリが入り込んでいるぞ。さっさと追い出すのだ」
「は、はい! あ、本当だ! なんで研究室にコウモリなんて」
声をかけられた研究員が、部屋の隅にあったほうきを持ち出して、バサバサとカーミラを追い立てる。ほうきで叩かれた程度痛くも痒くもないが、ここで逃げなければ、本当はコウモリなんかではないことがバレてしまう。カーミラは目一杯自然なコウモリのフリをした。つまり、逃げ惑った。
「出ていけ!」
研究員が扉を開け、カーミラを追い立てる。しめた、逃げられる。カーミラは入り口をくぐり抜けて、辿ってきた道を戻っていった。研究員が、待てー、と追いかけてくる。このまま行けば、外に出られるだろう。
地上への入り口付近に止まり、研究員を待つ。運動不足なのだろう、大した速度で走ってもいないのに肩で息をした研究員が、地下から地上への出入り口まで駆け寄る。扉を開けその手に携えたほうきで、しっしっとカーミラを追い立てる。よし、これで外に出られる。必要な情報は手に入れた。あとは、ロビンとアレクシアと合流するだけである。
「もう戻ってくるなよー」
地下から研究員の声が聞こえる。動物に優しい研究員で本当に助かった。しかし、あの老人。恐らくルワンダ・ギリジアムその人なのであろうが、彼に睨みつけられた時は生きた心地がしなかった。吸血鬼であるカーミラをビビらせる。それがどれほどのことか想像に難くないのではないだろうか。
一階に散り散りに待機させていた他のコウモリ達に集合をかけ、廃墟の入り口に向かう。一階には誰もいない。カーミラが地下に侵入する時に出てきた二人組も、どこかへいってしまったのだろう。
そこでカーミラはようやく気づく。二人組が出てきた。そして、戻ってこなかった。あの二人組は何処へ行った? 廃墟の外だ。
ロビンとアレクシアがいる。ここが表向き廃墟であるとはいえ、研究者然とした二人組が出てきたところを目撃したらどうなる? この施設は帝国の超機密施設だ。
嫌な予感が首をもたげる。
急いで地上の出口へ戻る。入り口から無数のコウモリがバサバサと音を立てて出る。
誰もいない。ロビンは? ロドリゲス先生は? 何処に行った?
カーミラは周囲に人影がないことを確認すると人間の姿に戻った。その美しい顔は、もはや血の気が引き、真っ青になっていた。
「まさか、捕まっちゃった、とかじゃないわよね……」
今しなければならないことは何だ。ロビンとアレクシアを探す? 違う。闇雲に探しても、見つからない。それにロビンは失せ人探しの魔術を使える。何かあればそれを使ってカーミラを探し出すことができる。
今やらなければいけないこと。それは、ジェンの家に早急に戻ることだ。カーミラはとにかくジェンの家に向かって走り出した。
時は遡り、カーミラが地下へ侵入してから約数分後。ロビンとアレクシアはただただカーミラの帰りを待っていた。
「ローウィン」
アレクシアが小さな声でロビンに声をかける。
「中から二人。人間が出てくる」
「不味いですね、隠れましょう」
二人は、手頃な隠れられそうな場所を探す。近くにゴミ箱らしき、大きな箱があった。
「アラスタシア。あそこに」
「でかした」
二人はその箱まで風のように駆けると、蓋を開ける。やはりゴミ箱だったらしい、生ゴミやらなにやらの臭いが混ざった腐臭漂うその箱にロビンが一瞬顔をしかめるが、そんなこと気にしている場合ではない。急いでその中に入り込む。アレクシアも彼に続き素早く入り込む。大きなゴミ箱とは言え、人間二人――しかもその一方は背のバカ高い女性である――が入るにはあまりに狭すぎた。ぎゅうぎゅうになったゴミ箱と、そこに籠もった臭いにロビンが思わず唸り声を上げる。
「動くな。声も立てるな。静かにしてろ」
「はい」
そこまで話して押し黙る。ロビンは自分の心臓の音がやけにうるさく感じられ、辟易とした。つまるところ極度の緊張状態にあった。自然と息が荒くなり、口を手で抑える。
二人の不幸であったことは、廃墟を出る研究員は必ず半径にして数百歩程のエリアを、魔術によって精査する、という決まりがあったことである。生き物を感知する魔術だ。その生き物が何なのかも教えてくれる。
「……誰かいるわね」
少し歳を取ったような女性の声が聞こえる。心臓の音が、早鐘のように鳴り響く。
「あそこのゴミ箱」
足音がこちらに近づいてくる。
「まずい。奴らを殺す。筋力強化だ」
アレクシアが声を潜めてロビンに耳打ちする。ロビンは言われたとおり、全身の筋肉を強化する。
「は、はい。強化、できました」
「三つ数えたら、ここから飛び出すぞ。一、二、三ッ!」
ゴミ箱の蓋を開けて、二人が外に飛び出す。ターゲットと研究員と思しき人間を視界に映すと、猛スピードで彼らに肉薄し、腕を振りかぶる。
だが、研究員達のほうが一枚上手であった。研究員然とした格好をした老人が、杖を振りかざした状態で二人を待ち構えていた。まずい! ロビンの目にはその杖が振り下ろされるのがゆっくりと映った。
「術式展開、キーコード、睡眠」
老人が、術式を展開する。直後にロビンとアレクシアに耐え難い睡魔が襲いかかった。
「……く、くそ。やられた」
アレクシアが悔しそうな声を絞り出す。しかし、魔術によって強制的に襲ってくる睡魔にはいくら筋力強化を極めたスパルタ鬼教官と言えども勝てなかった。
「ろ、ロドリゲスせんせ……」
どさり、と裏通りに二人分の身体が倒れ伏す音が響いた。
「何者かしら」
「知らん。どちらにせよ、ここにいた、ということは拷問室送りだ」
研究員二人は、二人がぐっすりと眠っていることを確認すると、憲兵隊を呼んだ。数分もかからない内に複数人の憲兵がそこへ駆けつけ、二人をどこかに運んでいった。
カーミラが建物の中から出てきて、二人の姿を探し、その姿が見当たらないことに焦り始めたのはその十数分後だった。
カーミラが魔術研究所への侵入と情報の入手を果たしました。
ところがどっこい、ロビンとアレクシアが捕まってしまいました。
拷問室送りとかいわれていますが、彼らは一体どうなってしまうのでしょうか。
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