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第十話:地下道の魔獣

「こんにちは」


 真っ白な空間。そこで、ロビンはぼうっとする頭に辟易としながら目を覚ました。ここはどこだろう。なんで今、自分がこんな場所にいるのかとんと検討もつかない。


「もしもーし」


 次第に視界がはっきりとしてきた。緑色の髪をセミロングにした小さな少女がロビンの目の前に立っていた。つぶらな瞳がなんとも可愛らしい。だが、ロビンにはその存在がどうにも薄気味悪く感じられた。


「えぇっと……」


「初めまして。僕は運命の女神様に仕える精霊。名前は無いから、好きに呼んでよ」


 やたらめったら明るく朗らかな目の前の少女に、ロビンは激しく混乱した。一つはついさっきまでの記憶が朧気だ。そして何よりもこの真っ白な空間。人間誰しもがそんな空間に突然放り出されたら同じ感想を抱くのではないだろうか。


「……天国? 死後の世界? 僕、死んだ?」


「やだなぁ。そんなんじゃないよ。ま、君、気を失ってはいるけどね」


 あぁ、思い出してきた。下水道、その最奥に潜んでいた怪物、トロールに不意打ち気味にその太い腕で打擲されたのだ。カーミラは? ロドリゲス先生は? 疑問は尽きなかったが、それを声に出すことはなかった。疑問が多すぎて何から尋ねればよいのかさっぱりわからないのであった。


 そんな混乱真っ只中のロビンの様子に気づいているのか気づいていないのか、少女が愉快そうに話し始める。


「僕はね、運命の女神様に仰せつかって、妖精(ティターニア)をずうっと追ってきたんだよね。矮小な人間どもが、吸血鬼になんてしちゃったけど、それもまた面白いよねぇ」


 ふふふ、と無邪気に少女が笑う。妖精(ティターニア)? カーミラのことだろうか。いや、そんなことはどうでもよい。そうだ。そんなことよりも、こいつは今なんと言った?


「面白いって言った?」


「だぁって、面白いじゃない。妖精(ティターニア)は、そんなことされなくても、数奇な運命に翻弄されて行くはずだったのに、人間どもがその数奇な運命をさらに捻じ曲げちゃってさ」


「カーミラが吸血鬼になったのを面白いって言ったのか?」


 ロビンは急激に頭に血が上っていくのを感じた。目の前の少女――精霊とかいったか――は、カーミラが吸血鬼になってしまった、そのことを面白いと言い放ったのだ。


「まぁまぁ、そんな目くじら立てないでよ。ともかく、僕はあの妖精(ティターニア)をずうっと見てきたんだ。そしたら、途中からまた君みたいな面白い運命を持った人間が交わってきた。本当に面白いよ、君たち」


 女神に仕えるとか言っていたこの少女が、人間とは全く違う価値観を持っていることを否応なく思い知らされる形となった。面白い? カーミラの運命が? 僕の運命が? 価値観が違いすぎる。カーミラが幾度自分の運命を呪ったのかロビンにはわからない。だが、それはロビンが考えるよりもずっとずっと多いことは間違いない。


 ロビンに関してもそうだ。今ではもう笑い飛ばしてしまえるような運命だが、幼い頃は何度自分の出自を呪ったことか数えしれない。


「それで、君のこともずうっと見てたわけ。覚えてない? 初めて君が死にかけた時。僕が声かけてなかったら妖精(ティターニア)も、君も死んじゃってたね。助けてあげたんだよ。恩ぐらい感じてくれてもいいんじゃない? どうでもいいけどさ」


 ロビンはカーミラとアレクシアの戦いを思い出す。あぁ、そういえば、なんだかあの時に誰かに話しかけられた気がする。そう、この少女の声だ。なんで今まで忘れていたのだろう。


「で、精霊、とか言ったっけ? 僕に何の用?」


 ロビンはこの数秒の時間で、この目の前の少女が自分とは相容れないことをはっきりと自覚していた。考え方が合わない。カーミラに対するスタンスも合わない。価値観も合わない。合わないことだらけだ。


「うん、君たち三人ともこのままじゃ死んじゃうからさ。君にちょっとした力をあげようと思って。チートだよチート。あ、君にチートって言っても通じないか」


チート(いかさま)?」


「そう! チート。君は筋力強化だっけか、確かそんな名前の魔術の才能があったよね」


 緑髪の精霊が自慢げに人差し指を伸ばした右腕を振りかざす。


「脳味噌まで強化できたら、凄いと思わない?」


 脳の強化。いつかアレクシアが言っていた。現存する人間で脳を強化できる者は存在しないと。脳という器官は、非常に複雑怪奇であり、それを強化するのは不可能とも言える所業である、と。


「それぐらい、ハンディキャップあげないとさ。君たちすぐに死んじゃいそうなんだもん。そんなのつまんないよね」


 ニコニコと少女が笑う。人間の生き死にを、面白いだとかつまらないだとか、そんなふうに言ってのけるこの少女が、自分の想像の範囲外、そんな領域にいることを改めて感じた。


「いいかい? この世界にいる生物は、神々を満足させるために存在しているんだよ。精々苦しんで、あがいて、殺し合って、嫌い合って、罵りあって、蹴散らしあって、戦い合って、そんなふうにして僕たちを楽しませる義務があるんだ」


「……どういう意味?」


「そのまんまの意味さ! 唯一神様はサイコロを振って、ゲームをするためにこの世界を作った。その後で、神々を作り、その中でもメーティス様が君たちをこの世界に連れてきた。魔族との大戦争は大評判だったよ! 血塗られた歴史が、闘争が、苦しみが、そのまま神々の娯楽になるんだ! 栄誉なことなんだよ、これは」


 飽くまでも朗らかな微笑みを浮かべながら、気の違った様なことを叫び始めたこの少女に、本能的に生理的嫌悪感を抱く。


「さて、そろそろ時間だよ。起きて。起きたら、チートでなんとかやっちゃってよ。君たちの行く末は、本当に興味深く見守ってるからね。勝手に死んじゃって、唯一神様を失望させてくれるなよ」


「待て! まだ話しが!」


「じゃねー」


 ロビンの意識が真っ白な空間から引き剥がされる。何なんだ、一体。唯一神? 神々? 楽しませる? 何をとってもどれをとっても、ロビンには一切理解の及ばない話であった。






「……ウィン! ローウィン!」


 カーミラの声にロビンが目を覚ます。まずった。カーミラが、トロールの太い腕とその怪力から繰り出されるめちゃくちゃなパンチから、ロビンを守っていた。ロビンとカーミラに張り付いているトロールは一匹。もう二匹はアレクシアが引きつけていた。


「レイミア! 僕、何秒ぐらい気を失ってた!?」


「大体四十秒ぐらいよ! 身体は!? なんともない?」


 ロビンは自分の身体を検める。左の肋骨が数本と右腕の骨が折れていることがわかった。幸いにも肋骨は肺には刺さっておらず、右腕も痛みはするが動かす分には問題ない。


「ごめん、待たせた」


 筋力強化を再度かけ直す。痛みが薄れる。本当便利だな、この魔術、とロビンは少ならからず感動を覚えながらカーミラの横に立つ。痛みで朦朧としていた頭もはっきりとし、ロビンは気を失う直前の出来事を思い出した。


 このトロール達の異常さに最初に気づいたのはアレクシアだった。明らかに統率の取られた動きをしている。そして知能の低いはずの奴らが、戦術を駆使して戦っている。どこをどう考えてもこれは訓練された動きであるという、そのひとつの結論にたどり着く。「こいつらは訓練されている! 気をつけろ」と、大声で叫んだ。


 最初にカーミラがその太い腕で吹き飛ばされた。吸血鬼の頑強さから、致命傷には至らなかったが、それでも相応のダメージを受けたようで、咳とともに血を吐き出していた。


 その様子にロビンの頭に血が上り、カーミラを打擲した一匹のトロールに駆け出す。右腕を振りかぶり、跳躍し、トロールの頭蓋を砕こうと拳を振り下ろした。だが、その拳はトロールの太い左腕によって妨害された。平手。吹き飛ばされたロビンは壁に強かに全身を打ち付けて、そして気を失った。


 そして、四十秒。ロビンは気を失い、カーミラに守られ続けていたのである。彼女のこめかみから、冷や汗が伝うのが薄っすらと確認できた。なんとも不甲斐ない。ともすれば、後悔の念で一杯になってしまいそうな脳味噌を、目の前の敵を斃すことに無理やり切り替える。


「こいつら、厄介よ!」


 カーミラが叫ぶ。その太い腕から繰り出される打撃を自慢の鋭い爪で弾き飛ばしながら。吸血鬼という存在であるカーミラが「厄介」と言うのだ。厄介極まりない敵に違いない。


 ふと、さっきまでいた白い空間をロビンは思い出す。あの精霊とやらの指示に従うのは些か業腹であったが、どう考えても今はピンチである。


 アレクシアを見る。彼女にしては珍しく焦ったような表情を浮かべている。トロール二匹の連携に攻めあぐね、防戦一方となっていた。訓練されたトロールがここまで厄介だとは思わなかった、そんなことを考えているのだろう。


 一方でカーミラは、その吸血鬼ならではの膂力で、トロールの拳を捌き、弾き、そして隙を見つけては斬りつけるのだが、トロールの回復力を上回る攻撃は繰り出せていない。千日手である。


 脳の強化。ロビンはその人間業ではない魔術をどのように実現するのか、いつのまにか理解していた。脳の構造がなんとなくわかる。どういう方向にマナを変化させれば良いのかわかる。マナを変化させ、脳に浸透させていく。


「……すごい」


 景色がスローモーションになる。頭が物凄い速さで回転していく。自分が今何をするべきなのか、そして、どうすればこの状況を打破できるのか。全てが理解できた。


 ロビンが跳ぶ。そしてカーミラに気を取られているトロールの脳天目掛けて目いっぱいに拳を突き出す。回復力? そんなの知るか。どんな生物でも脳味噌を破壊されれば死に至る。カーミラは突如今までとは全く違う動きをし始めた彼に思わず目を見開いた。


 右、左、そして右。トロールの頭蓋は硬い。だが、それでも一点に集中して攻撃し続けていれば、徐々に摩耗し、そして破壊へ繋がる。


 その少なくない痛みにトロールがターゲットをロビンに移す。太い腕、大きな手のひらで、ロビンを吹き飛ばそうとする。だがロビンの目には、脳には、その動きが非常にゆっくりとしたものとして捉えられていた。こんな緩慢な平手等どうってことない。ロビンは空中で体勢を変えその平手を蹴った。平手の推進力を自身の力に乗せて、続けざまに怪物の頭蓋を打ち据える。驚くべきことにそのスピードはトロールの回復速度を遥かに上回っていた。


 遂に頭蓋が破壊され、目の前の怪物の頭にロビンの拳が突き刺さる。そのまま、ぐちゃりと脳味噌をかき混ぜてやる。ビクリビクリと何度か痙攣し、巨体がどさりと地に倒れ伏した。


「レイミア! アラスタシアのとこへ行くよ!」


「えぇ!」


 呆然とロビンの様子を見遣っていたカーミラが、ロビンの掛け声にハッと気を取り直す。目指すは残りの二匹。


「ローウィン!? まさか、貴様! 脳の強化!? やめろ! 神経が焼ききれるぞ!」


 アレクシアがロビンの尋常ではない様子を見て叫ぶ。叫びながらも、二匹のトロールの拳を捌き切っているのだから大したものである。


「ローウィン! 鼻血が! 目からも!」


 ロビンはカーミラのその言葉に、自分の鼻と目から血液が滴り落ちていることに気づく。だがそんなことを気にしている場合ではない。


「レイミア! 今は、あのトロール共をやっつけるのが先だ!」


「っ! わかったわ!」


 二人揃って駆け出す。仲間の一匹を打倒されたことにようやっと気づいたのか、二匹の内、ロビンとカーミラに近い方の一匹が低い唸り声をあげて、二人を睨みつける。


「レイミア! 奴の足を重点的に狙って! 足止めするんだ! その間に僕が頭を破壊する!」


「わかった!」


 カーミラがその鋭い爪を以って、トロールの踵、その腱を切る。流石の回復力を持つトロールもアキレス腱を切られるとタダでは済まないのか、少しばかりよろける。ロビンが、また先ほどと同様に凄まじいスピードで、怪物の頭部をめちゃくちゃに連打する。


 頭蓋を突き破る。脳味噌を破壊する。脳漿が飛び散り、ロビンの頬にべちゃりと飛散する。


「アラスタシア!」


「わかっている!」


 三対一。もはや、最後に残るトロールに勝ち目が無いのは明白であった。アレクシアが跳ぶ。そして、トロールの頭を打ち据える。トロールが反撃しようとするが、そのどれもが、ロビンとカーミラによって阻止されていた。


 頭蓋を破壊せしめるのに幾度もの連撃を必要としたロビンとは違い、一撃で頭を破壊する。そして遂に最後の一匹が床に倒れ伏した。


「な、なんとかなったの?」


 肩で息をしながらカーミラが呟く。右足で倒れたトロールの死体をつんつんと突付いて、起きてこないわよね、と縁起でも無いことを言った。たしかに死んでいる。起きてくることなどありえないということを確りと確認してから、ロビンの方を見る。


「ロビン、鼻血、目からも」


「あ、あぁ、うん」


 カーミラの言葉に脳の強化を解く。次の瞬間、途方も無い疲労感が彼を襲った。目眩がする。身体がだるい。立っているのもやっとである。


「脳の強化。現人類ではたどり着けない境地にたどり着いたか。才能があるとは思っていたが、これほどとは」


 アレクシアが感心したように呟く。鬼教官からの、滅多に聞けないお褒めの言葉だ。だが、そんなことはどうでもよかった。ただただ疲れた。ぼうっとする。


「ローウィン。それは余り使うな」


「は、はい……。ちょっと後悔しているところです」


「長時間やると、後悔では済まなくなる。神経系がずたずたになるぞ」


 恐ろしい結末を告げる言葉に、朦朧とした意識ながらも、ロビンは顔を真っ青にした。あの精霊、なんて能力を与えてくれやがるんだ。彼はニヤニヤと笑う精霊の少女の顔面を心の中で何度も殴りつける。


「しかし、いつの間に訓練していた?」


「えぇっと、その……」


 なんだかよくわからない、自分を精霊とか言っちゃう頭のおかしい女の子に夢の中で授かりました、とは言えない。言っても信じてもらえない。気が狂ったとでも思われるのがオチだ。


「か、火事場の馬鹿力、ですかね? 自分でも必死で」


「そうか」


 アレクシアが切れ長の目を細めて、ロビンを睨みつける。全く信用していない目である。数秒間ロビンを見つめた後、しかしながらそれが些事であることに気づき、眼力を緩める。


「ローウィン。全ては貴君の力だ。よくやった」


「今生きてるのが、驚きですよ」


 ロビンは、はは、と乾いた笑いをこぼす。その間にも視界は回り、ふらふらとよろける。もはや彼にはどっちが天井でどっちが床なのかもわからない、そんな状態だった。


「ロビン、大丈夫?」


「いや、大丈夫、じゃ、ない、かも」


 なんとかかんとかバランスを保っていた身体が、遂にバランスを崩しぐらりと横に倒れる。すかさずカーミラがその体を支えた。アドレナリンによるものなのか、筋力強化の賜物なのか、脳に強化をかけたあたりから全く感じなくなっていた痛みが、思い出したかのようにズキズキとロビンの全身を襲う。


「ふむ、ここで休憩だ。マナは温存しておけ。ポーションを飲んで、一休みしよう」


 アレクシアの言葉に、二人は「賛成」、と声を上げたのであった。

さて、なんかよくわからない存在が出てきて、ロビンに力を授けました。

「力が……欲しいか」的な展開です。

ですが、多分無双はできません。上には上がいるのが世の常です……。

脳の強化は、単純に処理速度が速くなるって程度です。

チートとか言われてますが、全然チートじゃないですね。ロビン、可哀想な子。

CPUを強化した感じですね。一度に色んな情報を整理したりできます。

ですが、反動も強く、あまり使い勝手の良い能力でもなさそうですね。


さて、次回からようやっと帝都に侵入を果たします。

頑張れロビン! カーミラ! アレクシア!


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