第九話:地下道
下水道入り口には鉄格子が張られており、その右端に小さな扉があった。厳重な、つまり複雑な錠がかけられたその扉を、カーミラがリュックから取り出した鍵で開ける。鍵の形は、王国で一般的に使われているどの鍵よりも複雑な形をしており、容易にその鍵が複製できないようになっていることを物語っていた。エライザがどのようにしてこの鍵を手に入れたのかが気になるところだが、考えても詮無きことだと思いやめた。
三人は下水道の中に入る。中央に下水が流れる水路があり、その両脇に人間が通る通路が長く伸びていた。下水道は光源がなく、その奥が全く見えない。ロビンが発光の魔術を使い、杖を松明代わりに掲げる。河に入ったことで濡れた服がなんとも気持ち悪い。気を利かせたカーミラが乾燥の魔術を使って、三人の服を手早く乾燥させた。
まずアレクシアがしたことは、エライザから貰った帝国下水道の見取り図を広げることだった。とはいえ、さっさと奥に向かわなければ、下水道への侵入者がいることがバレてしまう。数百歩ほど見取り図とにらめっこしながら、下水の通路を歩く。やがて、三叉路にたどり着き、歩みを止める。
「……当然だが、なかなかどうして入り組んだ作りになっているな。こっちだ」
見取り図を折りたたみポケットに丁寧にしまうと、先頭をずかずかと歩き始める。正解は右の道だったらしい。ロビンはなんとなく左が正解な気がしていたため、危ない危ない、と胸をなでおろした。
「地下道には、魔獣が放たれているという話だ。気をつけるぞ」
「魔獣を利用、ですか?」
「あぁ、シェリダン・レファニュだったか。彼奴もドッペルゲンガーを使役していただろう。魔獣を手懐けるのは容易ではないが、不可能でもない」
帝国の歴史は侵略の歴史であると共に、魔獣との戦いと共存の歴史であった。メガラヴォウナ山脈を境に、大陸の北と南では、魔獣の危険性と発生率が大きく違ってくる。まるで大陸の北、その更に海の向こうから魔獣を発生せしめるどす黒いマナがやってくると言わんばかりに。
そのため帝国では、比較的早い段階から魔獣についての研究が盛んに行われていた。魔獣を殺す方法、魔獣を使役する方法、魔獣の発生する条件。それに伴い、魔獣へ攻撃するための魔術も数え切れない程開発された。
帝国は大陸の最北端に住んでいたセプテンテュリオ族と呼ばれた遊牧民族をルーツとしている。当時は魔術ではなく魔法を利用し魔獣と日々戦っていた。魔獣との戦いに辟易としたセプテンテュリオの民は、安全な土地を求め南下した。数え切れないほど民族同士の争いを経たが、その全てにセプテンテュリオの民は勝利を収め、そして他の民族や国家を征服した。
セプテンテュリオ族に征服された民族は、セプテンテュリオ族と長い歴史の中で交わり、融和し、そしてそれが現在の純粋な帝国民のルーツとなっている。
そのような歴史を辿ってきた帝国である。魔獣を活用する、という発送に至るのはごくごく自然なことであった。
「王国では考えられませんね」
声を潜めてロビンがアレクシアに言う。
「私も、魔獣を活用、という考えにはどちらかと言うと反対だ。奴らは油断ならない。活用しようとする人間がやがて食い殺されかねない」
「あぁ、アラスタシアなら、そう言いますよねぇ」
わかってました、とロビンが苦笑いする。
十字路を幾つ通り過ぎたかわからない。下水道はそれほどまでに入り組んだ構造となっていた。しかし、アレクシアを先頭に三人は迷いなく歩を進めていく。
「こっちだ」
分かれ道を幾つ通り過ぎたか数え切れなくなったころに、アレクシアが左を指差す。下水路を渡らなければいけない、ということにアレクシア以外の二人が少しだけ嫌な顔をするが、すぐに近くに橋がかかっていることに気づく。少し迂回しなければならないが、汚水に塗れるよりも大分ましである。
また、下水の奥へ奥へ進んでいく内に、臭いもきつくなってきた。糞尿、それと生活排水。それら全ての臭いが相まって、ロビンとカーミラに精神的かつ肉体的ダメージを与えてくる。まだ、水路を流れる水は比較的綺麗ではあるので、ややもすれば浄化の魔術による浄化槽に辿り着くのだろう。
「しかし、くっさいわね」
カーミラが鼻を袖で隠しながら、呟く。
「下水だ。仕方あるまい」
「でも、下水道ってすごいわね。あっちでも作らないのかしら」
「南側は下水ではなく、糞尿を肥として使うシステムになっているだろう。今更変えられんさ」
「そりゃそうねぇ」
アレクシアとカーミラが他愛もない話をしながら橋を渡り切る。その後をロビンが小走りで続く。
ぐるっと迂回して、アレクシアが指した左側への道へ辿り着く。その先は開けた部屋になっており、中央に大きな貯水槽があった。
「浄化槽だ。浄化の魔術によって、ここで下水を河に流しても良い程度に綺麗なものにしている」
へぇ、とロビンとカーミラが浄化槽を覗き込む。
「落ちるなよ。浄化の魔術は人間も浄化する。死ぬぞ」
それを見咎めて、アレクシアが恐ろしいことを言い始める。ひっ、とロビンが息を飲んで、二歩ほど後ろへ下がる。それでも浄化槽を覗き込むのをやめないカーミラに、吸血鬼も例外ではないかもな、とアレクシアが呟いた。そこまで言われて初めてカーミラも顔を青くして後ずさる。カーミラには危機感が足りなさすぎる。アレクシアは少しばかり頭を抱えたくなった。仕方ないか、吸血鬼だからな、と無理やり納得させて、入ってきた道から向かって右側の通路を目指して歩き出す。
浄化槽を抜けた後は、先程までとは比較にならないくらい酷い臭いであった。ともすれば、胃液が逆流しそうなほどの臭いに、ロビンとカーミラが顔をしかめる。鼻で息をしようものなら、ツーンとするアンモニアの刺激臭と、その他の色々な腐臭が混じり、得も言われぬ酷い臭いが脳髄まで浸透するように襲いかかる。
「く、くさい」
思わずロビンが呟いた。
「慣れろ」
「アラスタシアは、なんでそんな平気なんですか?」
「怪物の体液やら、魔獣の体液やらはな、時間が経つとこれよりも酷い臭いになる。私も若い頃は、臭い臭いと喚き散らしたものだ」
ははは、と遠い目をしながらアレクシアが笑う。しかし、目が笑っていない。臭いという精神的ダメージに慣れるまでに色々あったのだろう。ロビンは壊れたように笑うアレクシアを見て、少しばかり質問したことを後悔した。そういえば、リュピアの森でヘルハウンドと遭遇した時も、一生懸命素材を回収しようと魔獣の身体を切り刻んでいたアリッサは数時間後、その服にこびりついた体液によって得も言われぬ臭いを発していた。ロビンは遥か昔にも思えるその出来事を思い出して、ははは、と乾いた笑い声を小さく上げる。
浄化槽を過ぎ去った後から、当然ではあるが中央を走る下水路も茶色く濁った液体に変わっていった。間違っても落ちたくない。そんな思いがロビンとカーミラ、二人の頭を支配していた。単純な感情だけの問題ではない。糞尿の混じった液体の中に落ちる、ということは無数の雑菌にさらされる、ということである。身体に僅かな傷一つでもついていれば、そこから破傷風になり、場合によっては死に至る。二人共、破傷風の怖さについては知識だけではあるがよく知っていた。
「む、結界だな」
アレクシアが声を上げる。帝都の結界があと数歩のところに迫っていた。帝都には幾つもの結界が張られている。一つは国境にも張られていた配達の魔術を検知する結界。そして、もう一つ代表的なものは、侵入者を検知し即座にアラートを上げる結界である。その他にも沢山の結果が張られているが、三人が侵入するのに障害となるのは、侵入者を検知する結界であった。検知された瞬間、三人の侵入は帝都全域に明るみに出ることになり、そして捕縛され、拷問され、殺されてしまうだろう。
「本当に大丈夫なの? あのスクロール」
カーミラが不安そうな声を上げる。
「問題ないはずだ。南側も魔術の研究については帝国に負けていない。方向性は違っているがな」
臆した様子もなく、スタスタと歩いていくアレクシアに、ビクビクしながらロビンとカーミラが着いていく。ゆっくりとではあるが、一行は帝都の結界、その境界線と思しきラインを踏み越えた。
「何も……起こらないわね。上手く機能してるってこと?」
ぼそりと呟いたカーミラに、アレクシアがじろりとした視線を向ける。
「大丈夫だと言っているだろう。それに、もし大丈夫じゃなかったとしても、結界に引っかかったかどうかは、我々にはわからん」
「それって凄い不安なんだけど」
「気にするだけ無駄だ。いざとなれば、レイミアだけでも逃げられるだろう」
「そういうことを気にしてるんじゃないってば」
カーミラの不安、それはロビンやアレクシアが帝都で危機に遭遇してしまうことであった。三人の侵入が帝国に明るみに出た場合、真っ先に傷つくのはロビン、次点でアレクシアである。カーミラは自身に降りかかる火の粉については、容易に振り払えるだろう、とそう考えていた。吸血鬼である。その生物としての格の違いが、彼女に確かな確信をもってそう考えさせていた。だが、人間であるロビンとアレクシアは別だ。
「ローウィンと私を信じろ。吸血鬼の貴方には劣るが、それでも容易く打倒される存在ではない。人間は貴方が思うほど矮小な存在ではない」
「……わかったわよ」
なんとか納得したらしい。なんだか、昔を思い出すなぁ、とロビンはぼうっと考えた。同じようなことをカーミラに言った記憶がある。あぁ、王都でデートした時だ。「人間を舐めるな」なんて言ったっけ。ロビンは懐かしい記憶を思い出し、気取られないようにニコリと笑った。
それから先は、特に話すこともなく無言となった。口で息をしていても自然と鼻につく下水の臭いに皆――アレクシアだけは平気そうな顔をしているが――辟易としているのもあったが、帝都という死地へ向かっていることを結界を通り抜けたことで、はっきりと自覚し始めたためである。結界を抜けたということは、この上は帝都。既に三人は間諜として帝都に侵入を果たしているのであった。
十字路、三叉路、五叉路、様々な入り組んだ通路と遭遇するが、アレクシアを先頭に迷いなく歩いていく。アレクシアは時折見取り図を開きながら、「こっちだ」と小さく指示し、ずんずんと足を進める。二人はその背中を追いかけていった。幾つもの分かれ道を通った。帝都ってどんだけ広いんだよ、とロビンは徐々に嫌になってきた。
三時間程歩いただろうか。一行はややあって、広く開けた部屋にたどり着いた。光もなく、真っ暗な中、ロビンの掲げる杖だけが明かりを放っている。ぼんやりとした、その暗闇にロビンは何か薄気味悪い物を感じた。
「ここまでくれば、目的の出口は目と鼻の先のようだ。だが……」
切れ長の目を細めたアレクシアがキッと右の方を睨みつける。カーミラもその禍々しいマナの気配に気づいていた。ロビンも一拍遅れではあったが、流石に気づいた。この重圧感は並の魔獣ではない。
「魔獣だ。いや、これは……魔獣というよりも怪物だな。やれやれ、帝国もこんなものを飼いならすとは。帝都への進入路であるこの下水道に見張り一人いない理由がよく分かる」
どしん、どしん、と暗闇から重厚な足跡が響き渡る。灰色の皮膚に、太った中年のような体躯、そして人間の三倍もありそうなその巨体。トロールと呼ばれる怪物が、五匹、こちらを見据えていた。低い唸り声を上げながらこちらを威嚇している。怪物共はとっくに三人を殺すべき敵であると認識していた。
トロール。巨大な体躯と、その怪力を自慢とする怪物である。知能は高くないが凶暴。そして最大の厄介な特徴は体組織の再生能力であった。どのような方法を以って、帝国はこのような怪物を飼いならしたのであろうか。捕らえるだけでも一苦労ではないのだろうか、とロビンは疑問に思うが、今はそんなことを考えている場合じゃないことにすぐに気づく。
「ローウィン! 筋力強化だ! レイミア! 誰も見ていない! 全力を出せ!」
全身にマナを浸透させて、アレクシアが叫ぶ。その声に、ロビンも全身を強化する。カーミラの瞳が赤くなり、背中から翼を生やす。出し惜しみはしない。というよりも出来ない。
王国では当然特定魔獣に指定されているその怪物であるが、過去にロビン達がボコボコにされたヘルハウンドよりも相当に上位の存在として認知されている。その膂力、特性、どれをとっても厄介なことこの上ない。
トロールの一匹が、その愚鈍そうな体躯からは考えられないような速度で、アレクシアに向かって走りだし、拳を振り上げ、そして振り下ろす。彼女は後ろに跳ぶことによってそれを回避した。
「ローウィン! 怪物と対峙する時は!? 覚えているな!?」
「はい! 全力全開! ですよね!」
「レイミア! 行くぞ!」
「分かってるわよ!」
既に臨戦態勢に入ったトロール達を睨みつけて、三人はこれからの死闘に備えた。
はい、ダンジョンと言えば~?
そうですね。中ボスですね。
なので中ボス戦に突入です。
下水道を通るってあんまり考えたくないですね。ですが、なりふり構わないのであれば、格好の親友経路だと思います。
帝国としては、トロール三匹を配置しておけば並大抵の人間は入ってこれないだろう、という考えを持っています。
トロールの伝承をちょっと調べたのですが、調べれば調べるほど厄介な的ですね。
ドラクエとかだと雑魚キャラとして出てきますが……。
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