第三話:帝都での動き
「王国への手紙を検知しました。内容は不明。おそらく換字式暗号で暗号化されています。また、帝国で普及し始めた転移魔術が添付されていました」
帝国の情報担当官が、皇帝の謁見室に走り込む。報告を受けるのは、齢十二歳の少年。美しいウェーブがかった金髪をサラリと揺らし、絶世の美少年とでも言うべき顔貌。その名をガルダンディア・ギルムンド五世。帝国における今上の皇帝であった。
「報告いつもありがとう」
ニコリと笑うガルダンディアに、情報担当官が右手を左胸に当て、お辞儀をする。皇帝陛下に心臓を捧げます、という意味を持つ帝国における最敬礼である。ガルダンディアの、下がっていいですよ、という言葉に、さらに一礼し謁見室を足早に出ていく。
レイナール連合王国におけるエライザが自身の才覚と辣腕によって世の中を動かす君主であるとするなら、彼は周囲の力を最大限に発揮して世の中を動かす君主であると言えよう。彼には表立った才覚はない。だが、それを補って余りある人格者であり、周囲から受ける情報を統合する天才であった。
ガルダンディアが皇帝の座を戴冠したのは、今から三年前。弱冠九歳のときである。歴史の常識であれば、時の権力者の傀儡とされ、傀儡政治が行われそうなものだが、彼の人格を鑑みた周囲がそれを許さなかった。
誰もが協力した。誰もが彼を愛した。その美しさは、帝国中の美術家たちがこぞって絵画にし、吟遊詩人達がこぞって巧みな詩的表現で比喩した。帝国民のほとんどは皆が皆口を揃えて言う。今上の皇帝は神が遣わした天使の生まれ変わりなのではないかと。性格は温厚にして、気遣いは細やか。部下を顎で使うようなことはせず、必ず謝礼を述べる。
そう、彼と接した誰もが彼を愛し、そして仕えたいと、忠誠を誓いたいと、そう思った。彼の才能の本質、それはそこにあった。誰もが彼を助けずにはいられない。所謂カリスマと呼べるものなのかもしれない。彼のもとに数々の優秀な人物が集まり、そして意見を具申し、情報を報告し、それによって彼が決断する。そうして、今の帝国が成り立っているのであった。
「どう思いますか? 宰相」
「おそらく、王国の間諜でしょう。ですが、今の所そこまで深い部分は探られてないと存じます」
「そうですか」
宰相の言葉にニコリと笑って、ありがとう、と告げた後、一転して物憂げな顔を浮かべる。
「しかし、戦争ですか。私はあまり気が進みません。また、人が沢山死ぬのでしょう?」
「皇帝陛下。この宰相、お優しい陛下におかれましては、そのように憂慮されるお気持ちもよくわかります」
「わかっていますよ。全ては国民のため。全ての臣民の安全な暮らしと、便利な暮らしのため。わかっています。ですが、そのために犠牲になる民もまた帝国の民。彼らを思わずにはいられないのです」
ガルダンディアが、悲しげな表情を浮かべ顔を伏せる。宰相は人格者ではない。どちらかと言うと、根回しをし、対抗馬を蹴落とし、そしてのし上がってきたタイプの人間である。義理? 人情? そんなのクソくらえ、とそう思っていた。だが、そんな彼ですら、この皇帝の態度、所作には感動すら覚えた。あぁ、この方に生涯仕えていきたい、そう思わずにはいられないのだ。
「主席魔術師のルワンダを呼んできてもらえますか?」
ガルダンディアが側仕えに優しく語りかける。はい、承知仕りました、と返答し、足早に宮廷魔術師の元へ向かう。
「王国の国王は、確かもう長くはない、とそう言っていましたね?」
「はっ、王国に潜伏する間諜からはそのように報告を受けています」
「では、次の国王は……エライザ王女。きっとそうなります」
「それは、何故でしょうか? いえ、確かに、それが一番帝国にとって悲観的な未来ですが……」
ガルダンディアがふわりと宰相に向けて笑う。
「勘ですよ。ただの勘です。ですが、私はこの勘が当たると確信しています」
「左様ですか。陛下がそう仰られるのであれば、そうなのでしょうなぁ」
彼には更にもう一つの才能があった。それは第六感。彼が直感で言ったことは、そのことごとくが当たった。長い大雨が来る、といえば本当に雨が振り続けた。地が揺れるといえば、本当に揺れた。その才能――才能、というべきなのだろうか――は、彼が三歳の頃から発揮されていた。当時の皇帝――つまり彼の父である――も、最初は信じていなかった。だが、二年ほど経ち、彼の言葉が全て現実に反映されるのを見て、彼が神に愛された子供なのだということを次第に理解していった。
「主席宮廷魔術師。ルワンダ・ギリジアム。参りました」
「ご苦労です。ルワンダ。わざわざお呼び立てしてしまい、ごめんなさい」
「いえ、このルワンダ、皇帝陛下のためであればどこにでも駆けつけますわい」
はっはっは、と好々爺とした笑い声を上げる老人。彼こそが、帝国の魔術研究、その頂点に立つ魔術師であった。王国のハワード・ジョーンズ学院長と並び、長命な魔術師であり、その齢は百八十に届くとも言われている。
「大規模転移術式の研究の進捗は如何ですか?」
「あともう一歩というところですな。少人数もしくは単騎での簡易転移魔術の成功については既に報告したとおりでございます。ですが大人数となると、術式の安全性がまだ確保できておりませぬ。ネズミで試したところ、半分が亜空間に置き去りにされてしまいましてな。ですがその解決も時間の問題。不具合のある箇所は見つけております。亜空間の通過ルートを自動決定する『フェルノブリ方程式』に問題がありましてな。後はそこのアルゴリズムをどうするか……」
ルワンダはそこまで言ってガルダンディアが全然理解できていない顔をしていることに気づく。
「いや、申し訳ございませぬ。魔術のこととなると、口が滑り出して止まらんもので」
「いえ、いいんですよ。私が知識不足なだけですから」
「いえ、皇帝陛下の知識はそのお歳を鑑みても、並の知識量ではございませぬ。もっとご自信をもちなされ」
「ありがとう。もっともっと勉強しますね」
ガルダンディアとルワンダが顔を見合わせて、笑い合う。宰相はその様子を見て、こんな不思議なことがあるものか、と思った。
ルワンダ・ギリジアム。帝国において魔術を語るに、この人物を除いてはいけないとまで言われる老練の魔術師である。前皇帝の代では、その辣腕と知識を、政治に魔術に存分に奮っていた。その眼光の鋭きことときたら、雷槌のようでもあり、その気性の荒さと言ったら、火山のよう、とまで言われた人物である。
だが、そんな偏屈が服を着て歩いているような老人でさえ、この皇帝の前では孫と会話するお爺さんと遜色がないのである。
ガルダンディアが、宰相の方を向く。
「宰相。急いで騎士団長を呼び戻してください」
「それも、勘ですかな?」
ルワンダがニヤリと笑う。
「えぇ。勘、です。先程報告を受けた、間諜。気になるのです」
きっと、すぐに帝都まで来ますよ。そう続けた。いくら、直感力に優れているとは言っても、宰相はその言葉に驚きを隠せなかった。
「帝都の警備は万全です。ネズミ一匹通れませんぞ」
「わかっていますよ。皆さんとても良く尽くしてくれています。ですが、何か見落としているような気がするのです。あぁ、そういえば、以前帝都まで忍び込んだ王国の間諜は如何ですか?」
「地下牢に閉じ込めてあります」
嘘をついた。その人物はとっくにこの世にはいない。だが、この宰相はどうしても、この美しく心優しい皇帝が人の死というものを耳にして顔を歪ませる姿を見たくはなかったのだ。だが。
「宰相、私のためだとお考えなのはよく分かっています。嘘の報告はやめてください。もう、殺してしまったのでしょう?」
ガルダンディアの方が一枚上手であった。
直感とはなんだろうか。それは本能に根付いた洞察力と観察眼である。この美しい皇帝にとっては、誰かの嘘を見破ることなどお手の物であった。
「も、申し訳ございません。仰られた通りでございます」
「有益な情報は得られましたか?」
少しばかり悲しげな表情を浮かべながら、ガルダンディアが宰相に問いかける。
「いえ。当然というかなんというか、魔術による契約を交わしておりまして。拷問中に死にました。何かを喋ろうとした瞬間に心臓が止まったと。そう報告を受けています」
「拷問ですか。あまりいい気分はしませんが、殺したわけではなかったのですね。少しだけホッとしました」
悲しげな顔はそのままに、微笑む。
「ですが、有益な情報は吐かなかった、ということですね」
「えぇ。何をどこまで掴んだのか。雇い主は誰なのか。王国の間諜であることは火を見るより明らかでしたが」
「どうして、そう思ったのですか?」
「王国訛りですよ。陛下。きっとかの間諜は平民出身でしょう。魔術師ですらありませんでした。帝都まで侵入できた時点で優秀な間諜ではありましたが」
「訛り、ですか」
訛り、というものに、ガルダンディアはあまり馴染みが無かった。当然皇帝の部下達は、その高い教育水準もあり、綺麗な大陸共通語を話す。
「まぁ、良いです。もしその間諜が生きていたら、きっと私の力になってくれたのに、とそう思っただけですので」
あぁ、そうだろう。きっとそうだ。宰相は、そう思った。この三年、王国から送られた間諜の幾人もが王国を裏切り、帝国の臣民となった。皆、皇帝の美しさ、優しさ、その人格に惹かれ自然と仕えるべき主を見つけた顔をしてしまうのだ。
「では、騎士団長に手紙をお願いします」
「承知仕りました」
宰相は最敬礼すると、踵を返して謁見室を出た。向かうは自室。手紙を書き、部下に配達の魔術で送らせるのだ。宰相は魔術師ではない。だが、その頭脳と手腕でここまで上り詰めた凄腕である。そして、その彼が敬愛するのが、ガルダンディア皇帝陛下なのであった。
「お、手紙か」
出征先で一眠りしようとしていたところ、窓から真っ白な烏が飛んできて、一枚の手紙に姿を変えた。配達の魔術である。寝転がりながら、手紙を広げ、中を検める。
「なになに? ……今すぐ戻ってこいってか。かー、ここまで行けって命令されたと思ったら、今度はいますぐ帰ってこいってか。宰相も人使いが荒いぜ」
手紙をぽいっと捨てて、彼は肩をすくめる。彼こそが、帝国騎士団長、ビリー・ジョーである。平民からの叩き上げ。戦果を以って叙勲し、そして未だもって戦果を求め続ける。そんな人物であった。
ベッドから起き上がり、少しばかり眠たい眼を擦ってから、うぐっ、っと伸びをして立ち上がる。足早にテントを出て、未だ騎士団の指揮に当たっている副団長の元へ向かった。
ビリーは人間を統率するなんてガラじゃない、そう思っていた。そのため、騎士団達の取りまとめはすべて副団長に押し付けている。自らは戦の時に、先陣を切って、誰よりも人を殺す、そのために生まれてきたのだ、とそう自らを定義づけていた。
「副団長、いいか?」
背後から声をかけられた副団長が、その声に少し嫌そうな顔をしながら振り向く。どうせ面倒なことだろう。
「団長、なんですか? 今忙しいんです」
「ははは、まぁそう言うなって。帝都から命令が来た。俺にだ。今すぐ戻ってこいってよ」
「はぁ? 来たばかりですよ!?」
「いや、俺だけらしい。騎士団の他の連中は、内乱の鎮圧に当たらせろってさ」
騎士団長だけ一人で戻ってこい。それは異例の命令であった。
「あぁ、そうですか。ならいいですよ。団長いなくてもなんとかなりますし」
「おいおい、悲しいこと言うなよ」
「団長が言ったんでしょ。『この内乱は俺にはヌルすぎる。お前たちに任せるから、俺はずっと寝てることにする』って」
「そりゃそうだけどよ」
ビリーが、短く刈り上げた茶色の髪をボリボリと掻きながら、バツが悪そうに笑う。
「そんだけ信頼してるってことだよ」
「ただサボりたいだけでしょ?」
「あはっ、バレたか?」
「まぁ、ここらの民族じゃ、団長の出る幕は無いです。とっとと帝都に戻ってください」
副団長が大きくため息を尽きながら、しっしっと、手を振る。ビリーが出てしまえば、こんな小さな民族の内乱など、明日には鎮圧できている。それでは、他の騎士らの成長にはならないし、いざという時は団長が助けてくれるという慢心にも繋がる。そのため、ビリーは大規模な戦以外には基本的に自身の腕を奮わないことにしていた。戦のために生まれてきた、そう考えているのに一見矛盾したその考えは、しかしながら、彼の中に矛盾せずに確りと根付いていた。
「へいへい。じゃ、団員に伝えてくれ。『死ぬな。生きろ。俺に元気な顔を見せろ』ってな」
これだ。副団長は少しばかり呆れてしまった。一見自堕落で、仕事はサボりっぱなしで、しかしながら大戦にもなると、一騎当千の働きをみせる。そんな人物が、気安くこんな人ったらしな言葉を平然と吐くのである。騎士たちは勿論副団長も――顔にも態度にも出さないが――この騎士団長に心酔していた。
「んじゃ、副団長。あとはよろしくっ!」
ビリーはそう言って、自分のテントに戻っていった。やれやれ、と思いながらも副団長は、騎士たちを集める。
「傾注! 団長は故あって帝都に戻られる。今はその支度をしている。団長から伝言だ。『死ぬな。生きろ。俺に元気な顔を見せろ』だそうだ! 誰一人死ぬことは許さん。帝国の騎士団、ここにありというところを見せてみろ!」
その言葉に、もう夜更けだというのにも関わらず、団員から士気の全く衰えていない様がありありと分かるときの声が響いた。
はい、帝都の動きと言いながら、帝都以外の動きもありましたね。
帝国の皇帝であるガルダンディアは、エライザ王女とは対照的な君主です。
エライザは悪辣に、何もかもを駒にし、そして自身の目的を達成します。その才もあり、実力もあります。
ガルダンディアは、頭脳が優秀なわけでは有りませんし、自身の腕を振るうようなことはしません。歳も歳ですしね。ですが、彼の優れた人格が、周囲の人間を惹きつけ、自然とうまく回っていく、そんな君主です。たまーにいますよね、人柄だけでのし上がる人って。それを数倍すごくしたイメージです。
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