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プロローグ

「さて、皆様にお集まりいただいたのは他でもありません。これからの王位継承についてのお話です」


 エライザが、急遽呼び寄せられた三人の貴族達を見回しながら、花のように華やかで美しい微笑みを浮かべる。その笑顔に、三人の大貴族達は偽りの笑顔を貼り付けた。


「エライザ王女殿下。私共は、王位継承については全く関わりがございません。何の用かと思えば。王女殿下とはいえ、父王について縁起のないことを仰られるのは不敬ではありませんか?」


 クレイグ公爵がいけしゃあしゃあと言う。見届人として呼び出されたジェシーは、何を白々しい、と心の中で毒づいた。クレイグ公爵が第一王子の後見人であることは、すでに公然の秘密となっている。王位継承権第一位の後見人である。こと王位継承という観点においては、王位継承権の順位が正義以外の何物でもない。公に文句を言う者は存在しなかった。


「そうですぞ。大体、仮に次の王を決めるとして、次代の王は王位継承権一位の、アーノルド殿下になるのが筋ではございませんかな」


 ゲルニッツ侯爵が公爵の意見に乗っかり、正論を述べる。確かに、基本的に王位継承権の位が最も高い者――例えば嫡男であり長男の者――が正統に王位を継承するのがならわしである。通常であれば、第一王子であり王位継承権第一位のアーノルドが次代の王となるのが当然だ。ジェシーはこの会合の成り行きがどのようになっていくのか、恐ろしくも有り、興味深くもあった。


 ケヴィア伯爵は、ことの成り行きを黙って見ているつもりらしい。笑顔のまま口を噤み、押し黙って何も喋らない。ここで、第二王子であり王位継承権第二位のデズモンドを次代の王としたい等と言ってしまったものなら、他の二人の貴族に非難されるのがわかりきっているためだ。


「クレイグ公爵。ゲルニッツ侯爵。はっきり言いますわね。私はアーノルドお兄様が次の王に相応しいなんて、これっぽっちも思ってませんの。ケヴィア伯爵。デズモンドお兄様もおんなじ」


 口元を扇で隠し、エライザが目を細めてニコリと笑う。いや、嗤う。


「それこそ不敬! 王女殿下は内乱をお望みなのですか!?」


 笑顔の仮面を取り払って、やや険のある表情を浮かべたクレイグ公爵が、口角泡を飛ばす勢いで、エライザに詰め寄る。一方でジェシーはこの状況に違和感を覚えていた。エライザにしては直球すぎるのだ。情報を集め、手駒を極秘裏に動かし、そして目的を達成する。誰にもエライザが主謀者であることは気づかせない。そういったやり方を彼女は好んでいたはずだ。何か切り札があるのだろうか。


「あら、内乱なんて望んでませんわ。そうですね。今が常時であれば、次の王になど興味はありませんでした。ですが、そうも言ってられなくなりましたの」


「それは、どういう……」


「まぁ、それはどうでもいいじゃありませんか。特に貴方方には。まずはこれを読んでいただけますか?」


 エライザが机の引き出しから分厚い報告書を三つ取り出し、貴族が座るテーブルに放り投げる。ジェシーにはすぐに分かった。あの報告書の存在がエライザに直接的な手段を取るに至らせていることを。つまり、ここに呼ばれた三人の貴族達は、もう詰んでいるのだ。


「まず、クレイグ公爵。貴方から王家に収められる租税と、貴方の領地から集められた租税について。どう計算しても合いませんの。これ、どういうことかおわかりですか?」


 クレイグ公爵の顔が一瞬にして青ざめる。嘘だ、巧妙に隠し通してきたはず、どこでバレた、とでも言いたげな顔で。彼は報告書の中の一つを手に取り、食い入るように内容を読む。


「その余った租税がどこに行ったのか。あぁ、勿論貴方の懐には一銭も入っていないのは存じています」


 全てだった。全て掴まれている。クレイグ公爵は、青くなった顔を増々青くさせて、震えながらエライザを見る。その報告書には、あらゆる証拠が揃えられていた。今更言い逃れなどできない完璧な仕上がりの一品だ。


 租税。領地から集められた租税は、その数割を王家に上納する決まりとなっている。会計文書を提出し、その上で王家にこれだけの上納金を収めますと詳らかにする義務があった。つまり、クレイグ公爵がやったことは、単純に公文書偽造となる。さらに、その余った金。それの行き先についてまで知られているとなると、更に二つ三つ、罪が追加される。公文書偽造だけでも爵位を剥奪もしくは降格されてもおかしくない。公文書とは、王家に提出する文書。それに虚偽の申告をしているということは、王家に弓引く輩と捉えられても文句は言えないのだ。


 クレイグ公爵の慌てっぷりを目の当たりにして、ゲルニッツ侯爵もケヴィア伯爵も俄に焦り始める。残された報告書を手に取り、またクレイグ公爵がそうしたように食い入るように内容を検める。中を読み進めるうちにみるみる顔が青くなっていく。ジェシーはそんな三人の貴族の様子を見て、少しだけ哀れに思った。


「あぁ、別に賄賂を受け取ろうが、王家に収めるはずの税金をちょろまかそうが、私にとってはどうでもよいのですよ」


「こ、ここまで掴んでおきながらそんなことを仰られるのですか?……何をご所望なのでございましょう?」


 今まで一言も言葉を発しなかったケヴィア伯爵が、震える声で問いかける。


「お父様にはこの話はしておりません。飽くまで私と、そこのデイヴィッド宰相だけが知っております。あ、これは正しく有りませんね。デイヴィッド宰相も本日初めてこのことを知ったと思いますわ」


 王国貴族、その中でも領地を持つ貴族においては、この長期間の平和な時代によって腐敗が甚だしい。叩けば埃が出てくる貴族などいくらでもいる。だが、当然そのような貴族も馬鹿ではない。二重にも三重にも、時にはそれ以上にも策を弄して、その事実を明るみに出さないようにしている。つまり、それをこのようにいとも簡単に自身の情報網に絡め取るエライザの手腕が異常なのである。


「だ、だから何を」


「私、この国が好きなのです。レイナール連合王国という国が。この国の人間の中で最も愛国者であると言っても過言では有りません。お兄様達が次の王にでもなったら、この国はいとも簡単に滅びるでしょう。だって、お馬鹿さんなんですもの。皆様はそのお馬鹿なお兄様方を王に据え、実質的な権力をその手にしたかったのでしょう?

 あぁ、帝国に売り飛ばすつもりの方もいらっしゃいましたね」


 王女の可愛らしい目が細められる。三人は蛇に睨まれた蛙のように、その場を動くことができなかった。


 なればこそ、この場においては、この王女を殺してしまう。その一手がもはや最善ではないかとも思われた。しかし、そんなことをしようものなら、三人は生きて王宮を出ることはできないだろう。彼女に手をかけた瞬間、近衛が飛んできて、三人を取り押さえる。よしんば、エライザを殺すことに成功したとしても、王家に連なる人間の殺害、その帰結は裁判さえ経ずに行われる死刑だ。


「皆様には、他の貴族の扇動をしていただきます。お得意でしょう? 特にクレイグ公爵。お兄様を担ぎ上げるのをやめて、私にお付きなさい、と言っているのですよ」


「で、ですが、王国の歴史上、王位継承権第三位の者が王位につくなど……」


「簡単じゃないですか」


 王女が笑みを深くする。


「お兄様達が王などなれるはずもない状態になれば。そうすれば、私が王位継承権第一位になります」


 例えば殺されてしまうとか、とエライザが続ける。


「な、そんなことが許されるはずが!」


「あら、許されるだとか許されないだとか、そんなことはもう関係ないのですよ」


 だって、二月もしない間に、私が女王になるのですから、とエライザは微笑みながら告げた。


「別に、貴方達に手を下しなさい等と言っているわけではありません。なんの懐も傷まないでしょう?」


 つまり、この王女はこう言っているのだ。これから自分がやることなすことに手出し無用、と。それを同じ旗を仰ぐ貴族達にも伝えなさい、と。


 宰相は何も言わない。いや言えなかった。ただ、かねてからの推測通り、自分が歴史的瞬間の目撃者となってしまったことだけをなんとなく感じていた。


「内乱にすらなりませんよ。もう、賽は投げられているのです。後はお父様の説得ぐらいですかね」


「な、何故今更になって、そのようなことを仰られているのですか?」


 クレイグ公爵が震える声で、エライザに尋ねる。


「帝国が、攻めてきます。きっとすぐに」


「帝国とは不戦条約が!」


「そんなこと、あの侵略国家が守るとお思いで? あぁ、帝国に王国を売り飛ばすおつもりの方は、よくご存知かもしれませんね」


 誰かとは申し上げませんけれども、と、馬鹿にしたように嗤う。


「いいですか? お馬鹿さんな貴方達にちゃんと分かるようにご説明差し上げます。貴方達の立場は私に握られている。そのことを良く理解なさって。あぁ、私を亡き者にしようとしても無駄です。私が死んだ瞬間にこの報告書が、王国全土に出回る。そういう手はずになっています。お父様はきっと悲しむでしょうね。貴方達を極刑にする程度には。あぁ、お兄様達も同じかもしれませんね」


 私、お兄様達には愛されておりますの、と嬉しそうに微笑む。愛されていると自覚している兄弟を殺す、とこの王女は暗に告げているのである。控えているジェシーは薄ら寒いものを感じた。


 もう、三人はこの悪辣な王女に白旗を揚げる、それしか道は残されていなかった。それはこの部屋に入った時、もう決まっていたことだったのであったのだ。


「さ、ご説明はお終いですわ。出ていっていただいてよろしくてよ」


 エライザが三回、パンパンパンと手を叩く。侍女を部屋の中に入ってくる。この部屋には消音の魔術が常にかけられた状態になっている。侍女は何も知らない。


「お客様がお帰りですわ。丁重にお送りして差し上げて」


「かしこまりました」


 侍女に連れられた、三人の貴族たちは顔を青ざめさせ、そしてトボトボと帰路につく。それだけしかできなかった。






「政変が起こる、か」


 ハワードが、学院長室でひとり呟いた。王宮の動きが慌ただしくなったのは、この学院長の耳にも届いていた。政治などに興味はない。この百五十年、何度か誘われはしたが、あのどろどろとした感触が好きではなかった。


「次の王は、エライザ王女殿下であろう。恐らくはな」


 誰に言っているわけでもない。ただの独り言でしかない。だが、それでもハワードはそう呟かずにはいられなかった。平和が終わる。政変が起こるのは大体そういう時だ。何が平和を終わらせるのかはハワードにも分からなかった。だが、何かが起こる。それだけは確かだと感じていた。


 ハワードは誰よりも今の平和を愛していた。その自信があった。確かに東方諸国におけるいくつかの同盟国の小競り合いに巻き込まれることはあった。だが、それでも大陸全土を巻き込むような大戦は無かった。ハワードのはるか昔の教え子達のほとんどが、戦争ではなく、寿命で死んでいった。教え子が先に死ぬのは悲しいことでもあったが、一方でそのことが何よりも嬉しかった。そして、今も教え子達が戦争で死んでしまった、という話はほとんど耳にしない。


 ところで、ウィンチェスターとジギルヴィッツ、ロドリゲス先生は無事に帝国にたどり着いただろうか、とふと心配になる。メガラヴォウナ山脈を超えるのはそれこそ命がけである。魔術の使えないものは、そもそも入ることすら能わない。それほどの険しい山脈であるのだ。僅かではあるが、魔術の使えない者が山脈を越えようとすることもあった。だがそれも入念な準備と、それにかかる資金、それらを兼ね備えた者のみに許された特権であった。


 二人にはアレクシアが着いている。その事実が学院長に確かな安心感をもたらしていた。短い付き合いではあるが、彼女に対しての学院長が抱く信頼は非常に強いものとなっていた。


 アレクシアは二人をしっかりと守ってくれるに違いない。だが一つ心配なのは、彼女が命を賭してでも、それを実行せしめんとするに違いないことだった。こと、アレクシアの手に余る事態になった時、彼女は迷わずその選択肢を選ぶだろう。言葉では、自身もちゃんと生き残る、とは言っていたが、人間の性根、その根底はそうそう変わるものではない。学院長はロビンとカーミラだけではなく、アレクシアのことも心配で心配でたまらなかった。


「賽は投げられた、か。誰が言い始めた言葉だったかな」


 学院長以外誰もいない部屋に、悲しげな声が小さく響く。

第四部の開始です。

ここから、舞台が帝国に移っていきます。

ロビン、カーミラ、アレクシアが帝国でどんなことを経験するのか。

乞うご期待、というやつです。


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