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閑話:アリッサの憂鬱

「はぁ……」


 授業そっちのけで、小さくため息を吐く。アリッサはカーミラを快く送り出したことを早くも後悔し始めていた。ロドリゲス先生がいるから、大丈夫。きっと大丈夫、と何度も自分に言い聞かせる。


 おかしなことにはならないはずだ。っていうか、カーミラって奥手も奥手だし、そんな急接近なんてしない。彼女の頭の中では、ロビンとカーミラが一緒に遠くへ行ってしまった、というその一点について必死に言い訳を作り、自分に言い聞かせる。そんなルーチンがもう数週間ほども続いていた。


 授業の終わりを告げる鐘が鳴る。今の授業は魔法薬学。アリッサの大好きな授業である。そんな授業で気もそぞろにぼんやりとしているのであるから、彼女の心の中の焦燥がよく分かるだろう。


「どうしましたの? アリッサ。悩み事ですの?」


 流石に見かねたヘイリーがアリッサを心配して声をかける。アリッサはちらりとヘイリーの顔を一瞥すると、大きくため息を吐いた。


「ち、ちょっと! その反応は失礼ではありませんか?」


「あ、ごめんごめん。ヘイリーにため息吐いたわけじゃないから」


「それなら良いですけど。何か気に触ったことをしたなら、正直に教えて下さいませ」


「うん、ありがとう。ヘイリーは何も悪くないよ」


 悪いのは私だ。アリッサはそう思った。


 嫉妬という感情がここまでどす黒いものだとは思わなかった。そして、さっぱりとした性格であると自負している彼女が、嫉妬という感情にここまで振り回されるとは、彼女自身も思っていなかったのである。どうしようもない感情に振り回され、そしてその事実に自己嫌悪する。私って、こんなに醜い人間だったんだ、という考えまで湧き出す。


 憂いを帯びたその表情に、ヘイリーがハハーン、と得心し、ニヤニヤし始める。


「ロビンのことですわね?」


「そう、ロビンの……ち、ちがっ。違うよ!?」


 もう遅い。ヘイリーにニヤニヤ顔が増々興味深いものを見つけたかのように、深くなっていく。


「やっぱり、婚約者と長い間離れているのは寂しいものですか?」


 ロビンは実家の都合でしばらく学院を休む、とそういうことになっていた。一方でカーミラは流行り病にかかってしまい、王都の病院に入院中である、とのことである。アレクシアは男爵という末位貴族であるとはいえ、王宮と繋がりがあるようで、王家からの命令でなにやら調査にでかけている、という筋書きだ。全て学院長からの告示によって発表された公式の内容である。


 いつも一緒にいる三人が、そろって同じタイミングで学院を長期休暇する、という点に、誰しもが思うところあったものだが、そこはそれ、学院長に対する信頼が勝り、皆が皆納得したものだった。


 だが、アリッサは知っている。ロビンとカーミラとアレクシアが揃って遠くに出かけていることを。そしてそれが、エライザ王女の命によることも。だが、それを吹聴するわけにはいかない。カーミラが言葉を濁したのだ。きっと極秘の任務に違いない。王女から極秘裏に動きなさいと念を押されているのだろう。カーミラが何処に行くとか、何をしに行くとか、一切情報を開示しないのがその証拠である。


「……寂しいよ。自称婚約者、だけどさ。大好きな人がそばに居ないって、ここまで不安になるんだ、って思ってたところ」


 ロビンとカーミラの仲を心底危惧しているということは、心の中にしまっておいた。カーミラの淡い恋心は、私が話して良いものじゃない、と理屈っぽくお人好しな少女は思っていたのである。


「いいですわね。そういうの。でも、アリッサ。時には会えない時間が愛を育てる、そういうものですわよ」


「それって、経験談?」


「まさか、本の受け売りですわ」


 うふふ、ヘイリーがニッコリと笑う。私は婚約者なんていませんし、恋なんてしたことございませんもの、と付け足した。


 この丁寧な口調と淑女たる立ち居振る舞いを決して崩さない少女は、アリッサを友人として心配し、慰めてくれているのだ。得難い友人を持ったものだ、とアリッサが心中で嘆息する。


「受け売りなんだ。ふふ。でもちょっとだけ元気になった。『会えない時間が愛を育てる』、か。ありがとね。ヘイリー」


 アリッサが物憂げな表情を奥にしまい込み、ヘイリーに笑いかける。ただ、しまい込んだだけで、やはり心の中は憂鬱な感情で一杯だ。


「よーう。アリッサぁ。ロビンが居なくなって寂しくしてるって?」


 アリッサとヘイリーの背中側から突如かけられた陽気な声に、二人が眉をひそめる。茶化すような声色で投げかけられたその言葉に、アリッサもヘイリーも少なからず怒りを覚えた。


「ちょっと! グラム! アリッサは真剣に悩んでいるんですのよ!」


 ヘイリーがグラムに対して目を三角にして食って掛かる。


「なんだよ。ちょーっと元気づけてやろうとしただけじゃねぇか」


「貴方にはデリカシーというものが欠如しているんですわ!」


「デリカシーねぇ。それって美味いのか?」


「グーラームー!!!」


 ヘイリーが鼻息を荒くして、グラムに詰め寄る。もはや掴みかからんばかりの勢いである。ともすればビンタの一つでもお見舞いしてやろうかと考えているのではないだろうか。確かに、グラムのデリカシーに欠ける発言には思うところがあるが、目の前で喧嘩されるのも御免こうむる。アリッサは、ヘイリー、いいから、いいから、と宥めすかした。


「悪かった、悪かったよ。ま、そりゃ、ロビンとカーミラがそろって長期休暇だ。何か無いか心配になるのは当然だよなぁ」


 ぎくりとする。なんでこの粗暴者の少年は、妙なところで鋭いのだろう。それは、彼が粗暴物でぼんくらで馬鹿な人間という仮面をくっつけたまま生きており、本当は非常に優秀な人間であることが理由なのであるが、アリッサはそんなこと露とも知らなかった。


「学院長が行ってたじゃん。ロビンは実家の都合。カーミラは流行り病。関係なんてないでしょ」


「お前、あの狸親父の言ってること本当に信じてるのか?」


 グラムが得意げに、ニヤリと笑う。


「遺跡探索に行ったじゃねぇか。あれ、きっと王家とかからの依頼だぜ? 今回のあいつらの長期休暇も、王家が関わってるんだろうな」


 本当に鋭い。たまに彼のこの鋭さが嫌になる。こういうところが嫌いなのだ。時折、自身の心の中を全て見通したかのようなことを言い始めるのだ、このグラムという少年は。更に言えば、アリッサとグラムの出会いは最悪だった。


 ――へぇ、お前がロビンの自称婚約者ってやつか? 思ったよりも面白くなさそうなやつだな。それに、そこまで美人でもねぇな。期待して損したぜ。――


 初めて会ったそんな人間に、そんな失礼なことを口走ったのだ、こいつは。今思い出しても頭がムカムカしてくる。あわや殴り合いの喧嘩になりそうな所を、ロビンが必死で仲裁に入り事なきを得たものだ。アリッサはグラムを睨みつけた。


「おぉ、こわ。そんな睨むなって」


 一転して喧嘩腰になり始めた二人のやりとりに、さっきまでグラムに食って掛かっていたはずのヘイリーが置いてけぼりにされ、あわあわとしている。


「学院長の言っていることだもん。それが以上でも以下でもないでしょ」


「嘘だな」


「なんでそう思うのさ」


「そんな顔してねぇからだよ」


 ほら、鋭い。アリッサは腸が煮えくり返るような怒りをグラムに感じ始めた。この男、どうしてくれようか。人の心のやわっこい部分を平気でナイフで串刺しにするようなことを言い始めているのだ。ぶん殴ってやろうか。肌を溶かす魔法薬でもぶっかけてやろうか。そんな物騒なことまで思い始めていた。


「グラムに、関係ないじゃん」


「……まぁなぁ。関係ねぇよ」


 グラムはニヤニヤとした笑顔を引っ込めて、突然真顔になる。


「でも、お前のそんな顔見たくねぇよ。いつもみたいに馬鹿みてぇな顔してろ。学院生活は楽しく送っていかなきゃ損だ。ロビンのことも、カーミラのことも心配いらねぇよ。お前が思っているような事態には絶対ならない」


 それだけだ、と告げて、グラムは立ち去っていった。その言葉を聞いて、ようやくアリッサは気づいた。グラムがなんで自分に食って掛かってきたのか、その理由を。


 気づけば、あわあわとしていたヘイリーがアリッサの横で、心配そうに彼女の顔を見遣っていた。


「大丈夫ですの?」


「……うん」


「でも、グラムったら、デリカシーの無い方ですわね」


 ヘイリーは分かってないようだ。グラムがなんであんなことを自分に言ったのか。アリッサはグラムのことが嫌いだ。そう言ってはばからない。仲良くなんて無い。でも、相反する感情として、グラムのことが嫌いになれないのもまた事実だった。


「ヘイリー。私ね、グラムのこと大っ嫌い」


「そこまで嫌い、って顔はしてませんけど、本当ですの?」


「うん。でも、大好きなんだよね。大切な友達」


「アリッサがそう言うなら、そうなんでしょうね。それで良いと思いますわ。友達なんて嫌いで、大好き。それぐらいの距離感が丁度いいと思います。人間、友達だったら他人の全ての面を受け入れて、大好きになれる、なんて綺麗事以外の何者でもないと思いますの」


「ありがとう、ヘイリー」


 勿論、ヘイリーも大切な友達だよ、とニッコリと笑いかける。あの不器用で粗暴な少年は、デリカシーが無いわけじゃない。寧ろデリカシーの塊だ。自分が元気がないのを見かねて、励ましてくれたのだ。不器用ながらも。あのグラムにあそこまでのことをさせたのだ。私が元気にならなくてどうする。アリッサは両手で自身の頬をぱちんと叩いた。


「あーあ。ロビン、早く帰ってこないかな」


「あら、いきなり元気になりましたね」


「私は元気なことと、魔法薬学だけが取り柄だからね!」


 一転して元気を取り戻したアリッサに、ヘイリーが苦笑いしながら小さくため息を吐く。どうやら、このピンクブロンドの少女は頭を悩ませていた問題に、なにやら一区切りつけ、割り切ったらしい。ヘイリーには、グラムの言っていたことも、アリッサが何を悩んでいるのかもさっぱり分からなかった。だが、兎にも角にも目の前の少女が少しでも元気を取り戻した、それが嬉しかった。


「それ以外にも、取り柄は沢山あると思いますけど、ま、いいですわ」


 苦笑いしながらそう言った後で、「あぁ、私も早くカーミラ様に会いたいですわ」、と目をとろんとさせて呟くヘイリーに、アリッサは若干引いた。若干ではない、ドン引きだった。この子って、本物なの? それともただの信者なの? わからない。どうすればいいの? アリッサはドン引きするとともに、混乱した。


 アリッサのその微妙な顔に気づき、ヘイリーが慌てる。この顔は、自分の恋愛的指向を疑ってかかっている顔だ。ヘイリーは何度も同じ様な顔を向けられたことがある――主にロビンにだが――ので、よーく分かっていた。


「わ、私は、カーミラ様のことを尊敬しているだけですわ! それ以上でも以下でもないです!」


 慌て始めたヘイリーに、アリッサがニヤニヤしながら詰め寄る。


「でも、エイミーと一緒に、なんかやってるでしょ? 私知ってるよ?」


「お、おほほほ。なんのことでしょうか」


 アリッサはヘイリーがわざわざ平民舎までエイミーを迎えに行ってまで、こそこそと何かやっているのを知っていた。カーミラ・ジギルヴィッツ聖女教団とかいう、よくわからないファンクラブを運営しているのだという。貴族舎の学生も大勢参加しているその団体のトップは何故かエイミーらしい。で、その団体のナンバーツーが、古参のヘイリーであるのだ。カーミラに対する情熱に関しては、ヘイリーの右に出るものは殆どいないのだろう。


「カーミラに言いつけよっかなー」


「そ、それは困ります! なんですの? 何が望みですの?」


 要求は全面的に飲みますわよ! と叫ぶヘイリーに、要求なんて無いよ、ごめんごめん、と返す。あぁ、本当に二人共、早く帰ってこないかな、とそう思う。先程まで嫉妬に狂ってしまいそうな心の内が嘘のようだった。今は恋の行方がどうなるのかよりも、大切な友達と楽しく過ごせる日々がずっとずっと続いてほしい、そう思える。


 心配してくれる友達がいる。励ましてくれる友達がいる。帰りを待ち望んでいる友達がいる。そして、大好きな人の帰りを待てる。そのことがどれだけ幸せなのか、どれだけ素晴らしいことなのか、アリッサはちゃんと理解していた。


 アリッサの憂鬱はすっかり晴れた。学院は今日も平和であった。

ロビン、カーミラ、アレクシアが行ってしまった後の学院の様子です。

女の子だもの。嫉妬に狂ったりもします。

でも、ちょっとしたきっかけですぐに立ち直っちゃうアリッサはとても優しい子なのだと思います。

グラムもロビンほどではないですが、周りの人間関係をしっかりと観察しています。

彼はコミュニティの維持者になりたいと思っているのです。仲良し六人組が、ずうっと仲良し六人組だったらいいなぁ、とそう思って、そのために行動しています。

学院という短いモラトリアムな期間を目一杯楽しむために、労力は惜しまない、そんな男の子です。


次回から、第四部が始まります。

第四部は正直筆が乗りませんでした。書いててちょっと辛かったです。

どう辛かったのかは、読んでみてからのお楽しみ、ということでお願いします。


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