第十八話:山の魔獣
ヴォーパルバニー。別称、首刈り兎。見た目は普通の兎と違わないその魔獣は、魔術師ではない、つまりマナを感知することの出来ない人間にとっては悪夢そのものであった。可愛らしく、弱々しい生き物を模した、凶暴な魔獣。あ、兎だ、可愛い、と近づくと、次の瞬間には頸動脈を噛みちぎられ、首の骨まで砕かれ、そして首を刈られる。
そして、マナを感知することのできる魔術師にとってもその魔獣はまた悪夢であった。ヴォーパルバニーは通常群れを作る。その群は少なくて十匹。多くて百匹、いや千匹。その上、その独特の甲高い鳴き声によって、周囲の同種を呼び寄せる。斃しても斃しても、後から後から湧いてくる首刈り兎は、魔術師にとっても忌避すべき存在であった。
王国ではヘルハウンドと同様特定魔獣として指定されており、王国の領土内でその出現が報告されれば、直ちに討伐隊が組まれ、迅速な駆除がなされる危険な魔獣であった。
その魔獣に対するは、ロビン、カーミラ、アレクシアの三人。多勢に無勢。その言葉がここまでぴったりと当てはまる状況も無いのではなかろうか。
「カーミラ!」
飛びかかる兎を殴りつけ、弾き飛ばしながらロビンがカーミラに向かって叫ぶ。カーミラは返事はしない。そんな叫ばれなくてもわかっているからだ。カーミラの瞳は既に血のように真っ赤に染まり、爪を伸ばし、牙を伸ばし、背中からはコウモリを彷彿とさせる翼を生やしていた。
か弱そうな見た目と違い、奴らは硬い。特定魔獣に指定されるだけあり、分厚いマナの膜が兎どもの肉体を鋼のような強度にしからしめていた。筋力強化をかけたロビンの拳でも、多少のダメージしか与えられない。
「ウィンチェスター! 魔術は使うな! マナを切らした瞬間貴様は死ぬ! 筋力強化を維持しろ!」
「分かってますって!」
カーミラが、鋭い爪で兎の群を薙ぐ。吸血鬼の爪は彼女のマナによって強化された、まさに一撃必殺とでも言うべき武器である。数匹の兎を両断し、真っ赤な血が雪原に散る。
「数が多すぎる!」
生物として遥かに格上に存在しているはずのカーミラが悲鳴を上げる。ヴォーパルバニーが現れてから十分程経っている。白銀の吸血鬼が、既に何十匹も兎を切り刻むに至っているが、その数は一向に減る気配がない。
アレクシアが、飛びかかる兎を殴る。蹴る。アレクシア程の筋力強化の使い手であれば、流石に致命傷とまではいかないが、兎に多少のダメージを与えることができていた。打擲されたヴォーパルバニーが痛みを堪えるかのような甲高い鳴き声を上げる。その度に、吹雪の奥から兎が大量に現れる。
「一体何匹いるんだ!」
ロビンが叫ぶ。無数に飛びかかってくる兎をいなし、殴り、蹴りつける。それでも全てを捌き切ることは難しく、首に幾筋もの切り傷をつけている。
「ジギルヴィッツ! 広範囲魔術は使えるか!?」
「わかったわ!」
カーミラが翼をはためかせ、上空へ飛び立つ。真っ白な兎は、吹雪によってカモフラージュされ、すぐに見えなくなってしまうが、ロビンとアレクシアが目立つ色の防寒着を着ているため、奴らの居場所にあたりをつけるのは容易い。
「術式展開! キーコード、嵐炎!」
ロビンとアレクシアを台風の目とするように、炎の嵐が吹き荒れる。雪を溶かし、吹雪も溶かし、そして兎達を焼き尽くしていく。嵐炎。炎の嵐を巻き起こす火属性の上級魔術のひとつである。その威力と効果範囲は数ある魔術の中でもひときわ大きく、戦では砲撃代わりとしても利用される折り紙つきの魔術である。
だが、足りない。生き残った兎が、また次から次へと仲間を呼び寄せるのである。そして、炎を纏いながらも辛うじて生き残った兎が、そんなこと構うものかとロビンとアレクシアに飛びかかっていく。燃えている分、余計にたちが悪い。肌は筋力強化で守られているが、服はそうもいかない。ここで防寒着を燃やされてしまうと、兎を斃し尽くしたとしても、程なくして寒さで死んでしまうのは自分たちだ。
「ウィンチェスター! 服を燃やされるな!」
「だから、分かってますって!」
ロビンとアレクシアは、素早く手袋を外し、飛びかかる兎を素手で殴打する。兎は吹き飛ぶが、それでもまだ生きている。こいつら、どんだけしぶといんだ、しかも何匹いるんだよ。ロビンは後から後から吹き出る冷や汗に、下着のシャツが濡れていくのを感じた。
増える。増える。増えるのだ。兎が後から後から。カーミラの魔術で、三十匹は殺せただろうか。だが、目に見えている範囲で未だ五十匹以上はいるように見える。
魔術も駄目、物理攻撃も効果が薄い。どうすればいい。ロビンは兎どもをいなしながら考える。考えろ。この状況を打破するにはどうすればいい。
アレクシアは、一対一の戦いであれば無敵の戦力となる。だが敵がここまで複数となると、自身の膂力のみで戦うその戦術が仇となり、その戦力は半減以下である。ロビンも同様だ。アレクシアよりも筋力強化の練度が低い分、なお苦戦を強いられることとなる。
カーミラの吸血鬼としての能力も同様だ。吸血鬼は人間とはかけ離れたその膂力が最大の武器である。物理攻撃をしている限り、この兎達を皆殺しにすることはできない。
魔術も駄目。物理攻撃も駄目。ならなんだ? 何を使えば良い?
『魔法』
ロビンの頭の中に、その単語がふっと浮かんだ。
「カーミラ! 魔法だ! 君なら使えるだろ!」
「魔法!? 使ったことないわよ!」
「君の吸血鬼としてのマナの量があればできるはずだ! この胸糞悪い兎共を燃やし尽くしてくれ!」
「あぁ、もう! 分かったわよ! 上手く行かなくても文句は聞かないからね!」
上空をホバリングするカーミラが、目をつぶって集中し始める。体内のマナの奔流にカーミラ自身のイメージだけで方向性をもたせているのだ。属性は火。範囲はこの際広ければ広いほど良い。目に見える範囲全てを。いや、見えなくても構わない、できる限り広く。イメージは、嵐炎の魔術の数倍の炎。爆発も混ぜても良い。……そう、油だ。燃えやすい油を産み、高熱に熱し、炎を踊らせる。
カーミラがイメージを構築している間にも、兎達は地上の二人の首を狩らんと飛びかかってくる。
「ウィンチェスター!」
首を外れた兎の前歯が、ロビンの肩から腹にかけてをえぐり取る。筋力強化をかけているのに何故? ロビンは、自身の傷跡を見て混乱する。恐れていた事態が起こったのだ。マナ切れ、その前兆である。
不味い。非常に不味い。状況は最悪だ。アレクシアが、自身に飛びかかる兎を放置して、ロビンを守ることに全力を注ぐ。
「ウィンチェスター! 薄くでいい! 筋力強化は絶対に解くな!」
「わ、分かってます!」
ロビンは強化の度合を数段階落とす。少なからずダメージは負うだろうが、致命傷は避けられるはずである。
「ジギルヴィッツ! まだか!」
アレクシアが叫ぶ。彼女のマナはまだまだ余裕があるが、一人でいなせる兎の数はそこまで多くない。それに、いちいち無数に飛びかかってくる兎が鬱陶しい。ロビンを守ろうとする手が一瞬止まりかけるのは、兎の突進による衝撃のためだ。
集中するカーミラには、アレクシアの言葉が届いていなかった。いや、正確には耳には入った。だが、その集中力から、彼女の声を理解するまでに至らなかったのだ。
「できた!」
白銀の吸血鬼が、自身の持てるマナ、その殆どを以って魔法を完成させる。現代魔術師からすると力技と揶揄される古代の技術。それは、確かに力技であった。だが、一方で大量のマナから作り出されたその状況は奇跡そのものであった。
燃え盛る炎。爆発。それが先程の魔術が児戯のように感じられるほどであった。炎の嵐。その言葉通り、いやもしくはそれ以上の爆炎である。
兎が燃える。吹雪も解ける。雪も溶ける。ロビンとアレクシアを中心とし、彼らを避けるように。歩数にして数千歩程の半径。そこら一帯に生み出された爆発的な炎の渦は、無数にいる兎全てを覆い尽くす。
「すご……」
ロビンが思わず息を飲む。驚きすぎて筋力強化が解けてしまった。もう、マナも殆ど残っていない。
「ウィンチェスター!」
アレクシアが、二人の近くにいて炎に巻かれなかった兎を殴りつけながら、ロビンに向かって怒声を放つ。
「やばっ!」
鬼教官に何度も殴られ蹴られた、一匹の死に体の兎がロビンの首元めがけて跳ぶ。あ、死んだ。ロビンはその兎が自身に近づいてくる様子が酷くゆっくりと見えた。
「ロビン!」
兎の前歯が、ロビンの頸動脈に刺さらんとする。その直前。カーミラが高速で急降下し、その鋭い爪で兎を両断した。
「……は、はは。ありがと、カーミラ。助かった」
「どういたしましてっ!」
カーミラが未だしぶとく生き残っている数匹の兎を、その爪で次々と切り刻んでいく。
かくして、首刈り兎の群れは、三人に打倒されるに至ったのであった。
カーミラのマナも空っぽ。ロビンのマナもほぼ空っぽ。アレクシアは筋力強化以外の魔術が使えない。治癒のポーションはあるが、魔術と比較して即効性に負ける。気休めに、二本ほどグビリとポーションを飲み干して、ロビンは自身の傷の深さを見遣る。うわぁ。ぐちゃぐちゃだ。ロビンは自分の肩から腹にかけて、ノコギリで切られたかのようなボロボロの切り傷を見て、若干引いた。ドン引きである。
「ロビン、大丈夫?」
「うん、物凄い痛いけど、大丈夫。それよりも、マナ切れでゲロ吐きそう」
「私もマナほぼないけど、吐き気はないわよ」
「いいなぁ、吸血鬼いいなぁ」
「良くはないわよ」
ジクジクと痛む傷跡が、治癒魔術と比較して酷くゆっくりと、グネグネとうねりながら治っていくその様子に、ロビンは更に吐き気を催す。幸い完全に空っぽになったわけではない。アレクシアとの特訓とは違う。
「ジギルヴィッツ。裁縫はできるか?」
「え? できるけど」
「ウィンチェスターの服を縫ってやれ。私はそういった細かい作業が苦手でな。裁縫道具は持っている」
アレクシアが自身の荷物から、ソーイングセットを取り出してカーミラに向かって放り投げる。ロビンは、やっぱりこの人脳筋だよなぁ、と思ったが、最近自分もその仲間入りをしていることに気づいて、考えるのをよした。
数十分かけて、治癒のポーションはロビンの傷を全快させるに至った。ぼろぼろになった防寒着ををカーミラに取り上げられたため、吹雪の中上半身普段着でいるという苦行を課せられた。傷よりもそちらのほうが苦しく辛かったったものだ。一帯はカーミラの魔法によって降り積もった雪が全て解けているが、空から降ってくる雪には全くもって関係がない。身体にビシバシと当たる雪に、ロビンは抑えきれない身体の震えに嫌気がさした。傷が治る頃には、ロビンの破れた服一式もカーミラによって縫い合わされ、防寒着の体を取り戻すに至った。だが、その時には既にロビンの顔は寒さで真っ青になっていた。
「うー、さむさむ。ありがとう、カーミラ」
「どういたしまして」
防寒着を着込んでようやく人心地がつく。
アレクシアが、吹雪の中、湯を沸かしスープを入れてくれた。マグカップに注いだそれを、ロビンとカーミラに渡す。
「あ、ありがとうございます。ロドリゲス先生」
「ありがとう。ロドリゲス先生」
「うむ。この吹雪では動けん。暫くテントの中で過ごすことになる。幸い、ジギルヴィッツの魔法はテントまでは焼かなかった」
ヴォーパルバニーも、主に三人に狙いを定めていたため、テントはほぼ無傷であった。テントを攻撃されていたら、三人は行き倒れていただろう。
「しかし、カーミラの魔法。すごかったね」
「あんなのもうごめんよ。疲れるし、マナは持ってかれるし。廃れた理由がよくわかったわ」
「でも、あんな大規模な魔術は見たことも聞いたこともないよ」
現存する魔術で、あそこまでの広範囲に影響を及ぼす攻撃魔術は存在しない。吸血鬼としての莫大なマナがあって初めてできる業だ。
「うむ。怪物が魔法を使う様子は何度も目にしたが、あそこまで破壊力のある魔法は初めて見た」
アレクシアも素直な称賛の言葉を送る。
「怪物は人間と比べて知能が低いものが多い。吸血鬼等はその限りではないが、教育を受けていないことが多い。イメージが緩いのだろう。ジギルヴィッツ。あの魔法は何を想像して放った?」
「ええっと。燃えやすい油を生成して、それを広範囲に撒き散らして、火を付けて爆発させる、ってイメージよ。ほら、東方諸国ではすごく燃えやすい油が取れるっていつだったか読んだ本に書いてあったのよね。そのイメージ」
「ふむ、確か石油……だったか。やはり、ジギルヴィッツは博識だな。魔術開発に携われば、目覚ましい成果を上げるかもしれんぞ」
珍しく褒めちぎる鬼教官に、カーミラの顔がパッと赤くなる。
「ほ、褒めすぎよ。でも、魔法はもうごめんだわ。すっごく疲れるの」
「そりゃあ、あんな大規模な奇跡を起こしたら疲れるだろうね」
ロビンが苦笑いを浮かべる。魔術式にしたとしても、相当なマナを消費しないとあの威力は出せないだろう。
「スープは飲み終わったか? では、各自テントへ入れ。天気が回復するまでは、この場に留まる。だが周囲の警戒は怠るな。私も念の為警戒はしておくが、なにか感じたらすぐに他の者に声をかけろ」
二人共スープを飲み干し終わったのを確認したアレクシアが、指示を出す。はぁい、と声を揃えて返事をして、それぞれのテントに潜り込んだ。
テントに入り、寝袋に包まったロビンは、全身が疲れに疲れ切っていることを今更ながら気づく。マナはほぼ空っぽ。少なくない出血によって、ちょっとだけ血も足りない。そういえば、造血の魔法薬持ってくるの忘れたな、とぼんやりと考える。疲れ切った身体に寝袋のぬくもりが心地よい。彼はそのまま睡魔に身を委ねた。
そして、一行は五日間、吹雪によってその場に足止めされることとなる。
首刈り兎とのバトルです。
大分苦戦しましたが、カーミラのチート級魔法によって退治されました。
この世界の魔術と魔法の話ですが、イメージするなら……。
魔術→現実世界のプログラミングに近いです、電子工作とか想像してくださると良いと思います。
魔法→所謂ファンタジー世界の「魔法」です。といっても、そこに体系的な理論とかはなく、術者のイメージ次第で何でも出来ます。まさに奇跡です。
魔法は万能ですが、ものすごくマナ、つまり魔力を持っていかれます。
当然です。力技で無から有を作り出す技術です。
一方で魔術は、マナの属性や振る舞いを魔術式によって効率よく運用するための先人の知恵に裏付けされた技術です。
とはいえ、カーミラが吸血鬼らしい驚くべき強さを見せました。まぁ、上には上がいるのがこの世界なのですが。
次回、エピローグを投稿して、第三部が完結となります。
閑話ははさもうかな。何も考えてないですし、書いてもないです。悩み中……。ぐぬぬ
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