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第十二話:学院長との会話

 ロビンの胃に多大なダメージを与えたエライザとの会合は二時間ほどで終わりを迎えた。最後にエライザはカーミラに「これ、軍資金と餞別よ」と、少なくない量の金貨と魔法薬、その他の様々な魔道具を手渡した。金貨に関してはつまり、これで準備をしろ、ということであった。魔法薬については、髪の色を変化させる魔法薬である。カーミラは公爵家の次女。その容貌は帝国にまで知り渡っている可能性がある。白銀のロングヘアーは、大陸では珍しい髪の色であるということも勿論あった。魔道具に関して言えば、間諜として帝都に入り込むための様々な便利アイテムである。


 エライザが話して聞かせた計画は非常に綿密であり、その一方で杜撰であった。カーミラの吸血鬼としての能力を大いに勘案の上練られた計画である。白銀の少女抜きでは成立しない上に、彼女にとってあまりにも危険すぎた。しかし、それ以外の部分については殆ど完璧であった。


 まず、一行は王国と帝国の間にそびえ立つ、メガラヴォンナ山脈を越える。大規模の行軍は不可能とされる、険しい山脈であったが、少人数であれば魔術を行使するなどしてなんとか越えることができる。人数は三人。それ以上でも以下でもいけない。そのため、今回ばかりは他の学生は絶対に連れて行くな、と念を押された。


 山越えの後、帝国側の山沿いに設立されている街で、情報収集をする。酒場なんかに行くと、帝国の情勢がわかるだろう、と。酒で気が大きくなっている人間は、何でも喋りたがるものだ。得られた有力な情報については手紙でエライザに送る。配達の魔術の便利さは言うまでもない。当然手紙の内容は暗号化するように、とのことであった。複文字換字暗号で送るように、と大陸共通語の各文字に対応した複雑極まりない暗号表を渡された。


 その後、一行は帝都へ向かうこととなる。とは言え帝都の警備は厳重であり、連合王国の彼らが侵入できるかと言ったら不可能である。だが、エライザは帝都へつながる抜け道があることを把握していた。


 帝都は下水道が整備されており、大陸の中では衛生的に進んだ都である。各家庭、施設から集められた下水は浄化の魔術をかけられ、川に流される。


 つまるところ、下水道を通って帝都に侵入しなさい、ということであった。当然下水道の出口――つまり川への排水口――には鍵がかかっているが、その鍵についてはエライザが入手済みであった。その鍵は今や丁寧にカーミラのポケットにしまわれている。


 また、どこから入手したのか、エライザは帝都の下水道の詳細な見取り図をカーミラに手渡した。ご丁寧に、ここから脱出しなさい、と見取り図の一部が赤い丸で囲まれている。人通りの少ない場所に出る出口である、とのことだ。


 帝都には、国立の魔術研究所がある。厳重な警備がされているが、カーミラであれば容易に侵入可能だ。コウモリに変身すれば良い。侵入した後は、コウモリに変身したまま、研究員の会話を盗み聞きしなさい、と。可能であれば、転移魔術の魔術式を入手してほしい、とのことだが、それは必須ではない、無理そうなら諦めても構わない、と付け足した。


 話が大きすぎてついていけない、と思考を放棄したロビンを誰が責められるであろうか。カーミラとアレクシアは真剣にエライザの話を聞いていたが、ロビンはもはや理解するのを諦めていた。


 そんなこんなで、一行は王都を後にし、学院へ戻ったのであった。






 学院へ戻った三人は、真っ先に学院長室へ向かった。既に夕日で景色が真っ赤に染まる時間帯ではあるが、学院長であればまだ部屋にいるはずである。


 カーミラが、学院長室の扉を三回ノックすると、「入りなさい」と学院長の強張った声が聞こえた。扉を開け、中に入る。


「ジギルヴィッツ、ウィンチェスター。来ると思っていたよ。ロドリゲス先生もご苦労であった」


 ハワードは三人をソファーに座るように促すと、苦い顔をしながらぼそりぼそりと語り始めた。


「エライザ王女から先程手紙が届いた。帝国に渡るそうだな」


「はい」


 カーミラのしゃんとした返事に、学院長が悲しげに顔を歪ませる。


「儂としては、是が非でも断りたい内容だ。だが、王家からの命令だ。是非もない……」


「帝国の地理には私が明るいです。二人を必ず守ります」


 アレクシアがハワードに告げる。


「うむ。だが、ことはそう単純ではない。不戦条約を結んでいるとは言え、帝国の仮想敵国は未だにこの王国だ。多少の人の往来があるとは言え、帝都には普通の方法で入ることは不可能だろう。それに、王国民であるということが帝都の中で明るみに出たら、その扱いは厳しいものとなる。ジギルヴィッツに関しては、帝国にもその容貌は知れ渡っているであろうな」


「髪の色を変化させる魔法薬を姫殿下から賜りました」


「ふむ。髪の色か。ジギルヴィッツに関しては顔をまるごと変えるのが安全だが、そのような魔術は聞いたことがない。帽子を目深にかぶるように」


「わかりました」


 学院長が目線をロビンへ向ける。


「儂としては、ウィンチェスターの同行が必須である、という点が気にはなる。君は王女に何かしたのかね?」


「いえ、僕は何も言ってないですし、何もしてないです」


「……王女の人を見る目は卓越している、あれは天才だよ。ウィンチェスター。君の洞察力が優れているのは儂も知っている。だが、エライザ王女には敵うまいよ。王女が君を有用であると判断したのだろう。もしくは、使い捨てても問題ない人間であると判断したか……」


 学院長の言葉を聞きながら、ロビンは末恐ろしくなってきた。前に立つだけでも冷や汗が止まらないあのお姫様に気に入られた、とどのつまりそういうことなのである。勘弁してほしいものだ。


 とはいえ、カーミラが帝国に行かなければならないのであれば、ロビンはそれに着いていく以外の選択肢を持たない。彼は、カーミラを守ると誓ったのである。


「いいかい。君たちはもはや運命共同体だ。一人たりとも死ぬことは許さない。必ず生きて帰ってきなさい。ロドリゲス先生。二人を頼みます」


「はい。承知しております」


 アレクシアの言葉に深く頷いたハワードは、ロビンとカーミラに退室を促す。後には、ハワードとアレクシアが残された。


「戦争に、なると?」


「姫殿下はそう仰せです」


「長かった平和ももう終わり……か。悲しいものだ。平和というのは実に貴重な時間であると、身に沁みるよ」


「私は、戦争とは無縁でしたが、平和とも無縁でした」


「ロドリゲス先生はそうであったな。儂が生きている間は、平和なままで居てほしかったものだが。いや、少なくとも今学院に在籍している生徒らが、その寿命を全うするまでは……。言っても詮無きことか。学院には毎年大勢の生徒たちが入学する。いつだって彼らが戦争などというくだらない争いに巻き込まれないことを儂は願っているのだよ」


 戦争はくだらない。それが学院長の主張だった。


「戦争は知りませんが、闘争はいつの世でも、どこの国でも存在します」


「ああ、十分に分かっている。だが、人生というのはままならぬものよ。そう嘆かずにはいられないのだ」


「……数ヶ月前。その時の私であれば、ジョーンズ学院長のお言葉は理解できなかったと思いますが、いまなら少しだけ理解できます。私も、彼らが戦争等という大きなうねりに巻き込まれるのは、その、受け入れがたい、と思っています」


 ハワードがアレクシアの言葉に、悲しげにニコリと微笑んだ。


「ロドリゲス先生。儂は貴方のその変化を心から祝福する」


「……しかし、そうは思えない私がいるのも事実です。私は、数ヶ月前の私よりも精神的に弱くなっています」


 アレクシアの緋色の瞳が僅かに伏せられる。


「ロドリゲス先生。貴方は弱くなっていない。守るべきものを見つけた貴方は、数ヶ月前と比べて強くなった。安心して二人を任せられる」


「……そうなのでしょうか」


「そうだと思っているよ。強さの方向性は違うがね」


 ハワードはそう言って、アレクシアに退室を促したのであった。






 その夜、カーミラは久しぶりにロビンの部屋へと訪れていた。専用椅子に座り、ロビンをじっと見つめる。うん、どう見ても平々凡々としていて、私のタイプじゃない。なんで、こんな朴念仁を好きになってしまったのかしら、とカーミラは首を傾げる。


「どうしたの? なんだか不思議そうな顔をして」


「な、なんでもないわ」


 慌ててカーミラは取り繕った返事を返す。そうだ、そんなことを考えている場合じゃない。


「ねぇ、ロビン。ごめんなさい」


「え? 何が?」


 今度はロビンが不思議そうな顔をする番だった。何に対して謝られているのかわからない。


「帝国。きっと危険だわ。私と友達になんてなってなければロビンは巻き込まれなかった」


 あぁ、そんなことか、とロビンは苦笑する。カーミラは相変わらずくだらないことでくよくよ悩む。ただ、それが彼女の良いところでもあり、優しい心を持っている証拠でもある。


「あのね、カーミラ」


「なによ」


「僕はね、こう思ってるんだ。君と友達になったことを後悔なんて絶対してやるものかって」


 ロビンはニコリと微笑みながらカーミラを見つめる。


「君と出会って、僕の世界は変わった。ずっと、世界なんて、自分なんて、他人なんて、そう、無価値だと思っていたんだ。次の日には死んでもいい。そんなことを思ってた。でもね。カーミラ」


 そこまで言って、ロビンは一息つく。


「君と相まみえたあの夜から、僕の世界は彩りを変えた。それまでくすんでいて、どうにもぼんやりと見えていた世界が、はっきりと色づくようになったんだよ。君がもたらしてくれたことなんだ。だから、君と友達になれて、本当に良かったと思ってる。僕はね、君の、吸血鬼なんて存在でありながら、それでも人間らしく有り続けるその姿が大好きなんだ」


 もはや愛の告白じみた台詞である。カーミラはその言葉に、顔を真っ赤にしてしまった。だが、カーミラは知っている。ロビンの言葉が恋愛感情とかそういうものから出た言葉では無いことを。


 そんな気もないくせに、無駄にロマンチックなことを言うんだから、この朴念仁。カーミラは心の中で思い切りロビンの薄ぼんやりとした表情を浮かべた顔を殴りつけた。


「……えっと、ロビン。自分が何を言ってるか分かってる?」


「え?」


「それ、愛の告白にしか聞こえないわよ……」


 ロビンはカーミラの言葉に、顔を真っ赤にした。部屋にいる二人共が真っ赤な顔で見つめ合うという奇妙な図式の完成である。


「ご、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないよ」


 カーミラは小さくため息を吐く。


「大丈夫、わかってるわよ。あんな詩的な愛の告白なんて、ロビンにできるわけ無いもんね」


「それは酷いんじゃないかな。確かにそのとおりだけどさ」


 もしも、ロビンが愛の告白などをするとしたら、「えぇっと、うんっと、なんというか、好きです」、ぐらいが関の山だろう。それ以上を彼には求めてはいけない。


 なんだか気まずくなってしまった雰囲気に、二人共黙り込んでしまう。しばらく無言の時間が続いた。


「あ、あぁ。そう言えば、明日ロドリゲス先生に、最終訓練をする、なんて言われてたんだ」


 先に沈黙に耐えられなくなったのはロビンだった。筋力強化の訓練は、その苛烈さは少しばかり潜めつつも、アノニモス遺跡に行って帰ってくるまでもずっと行われていた。流石に遺跡のなかでは行われなかったが。次の段階は、感覚器官と臓器の強化だ、とアレクシアに言われたのが遺跡に到着するちょっと前であった。


 遺跡から学院に帰るまで、空いた短い時間を使って感覚器官や臓器の筋力強化の訓練も行っていた。勿論、成功したことは一度もない。


「へぇ、そうなんだ。なんというか、大変ね」


「もう慣れたもんだよ。でも、怪物退治で遺跡に行って帰ってくるまでは凄い幸せだったよ。多少なりとも一息つけたもの」


「ロドリゲス先生は厳しいものねぇ」


 本来厳しいという言葉で表すことはできない程苛烈な訓練を繰り広げているのだが、端的に言い表すならそれ以外の言葉はない。


「厳しい、ってレベルじゃないけどね。明日が怖いよ。夏休みと違って授業があるから、訓練の時間が短いのだけが救いかなぁ」


 ロビンが苦笑いを浮かべる。


「授業……。そういえば、二週間強も授業に出てないわ。っていうか、これから帝国に行くってことは、また授業受けられないってことじゃない!」


「あぁ、そういえばそうだね」


「由々しき事態だわ」


 カーミラにとっては、帝国に行かなければならない、ということよりも、授業を休まざるを得ないということのほうが、重大な事実であるらしかった。ロビンは思わずぷっと吹き出してしまう。


「これから、帝国にスパイ活動しにいこう、なんて時に授業の心配するんだ。真面目というかなんというか」


「あら、授業は大事よ」


「仰るとおりなんだけどさ」


 ロビンが後頭部をポリポリと掻く。その様子をみて、それに、とカーミラが続きを話し始める。


「今回に限っては大丈夫よ。ロドリゲス先生は置いといて、ロビンは私が守るわ」


「女の子に守られるってあんまり格好がつかないなぁ」


「わがまま言わないの」


 そんな会話に、さっきまで部屋を占拠していた気まずい雰囲気はどこへやら、二人は顔を見合わせて、笑ってしまうのだった。


「じゃあ、私はそろそろ帰るわね。おやすみ、ロビン」


「おやすみ」


 ロビンは、カーミラが窓から出ていったのを見送って、ベッドに寝転がる。帝国へのスパイ任務。不安がないと言えば嘘になる。だがなんとなくだが、どうにかなるだろうと思っている自分がいるのも事実だった。


 兎にも角にも、今日は寝よう。ロビンは目を閉じ、そのまま睡魔に身を委ねるのであった。

無事、遺跡から戻ってきました。

つかの間の休息です。

次回は鬼教官の鬼訓練です。アレクシアは血も涙もない女性なので、訓練は常に厳しいです。


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