第十一話:王宮への報告と更なる無理難題
「しかし、ホワイト達が着いていくと言い始めた時は焦ったよ」
「申し訳ございません、学院長。突き放すこともできたのですが、彼らの仲に罅が入ると考えたのです」
「いや、ロドリゲス先生の判断は間違いではない。生徒たちを守ってくれてありがとうございます」
夕日が差す学院長室。アレクシアがハワードに今回の怪物退治について報告していた。
「しかし、ロドリゲス先生から、『彼らの仲に罅が入る』などという言葉が出るとは思わなかった。成長されましたな。いえ、感化された、というのが正しいのかな?」
「……自分でも不思議に思っています。ですが、彼らを連れて行くことが、あの時は最善だと感じました」
学院長はそんなアレクシアの変化を、良い兆候だ、と捉えた。初めて会った時の能面のような顔と無機物のような瞳はすっかり消え去り、守るべき対象を見つけた者の顔となっている。
ハワードには彼女にどんな過去があり、どんなルーツがあって、今のアレクシアをアレクシア足らしめているのかは知らない。しかし、何かしらの重く悲しい過去が彼女をそうさせてしまったのだと、そう確信していた。初対面の時は、お互い敵意を剥き出しにするような関係であった。だが今は、同じ学院で同じ志を持って働く同志である。老練の魔術師はこの若い怪物処理人を信頼のおける人間であると、そう思っていた。
敬意を払うべきものには敬意を。それがハワードの主義である。彼女は既にハワードが敬意を払うに値のする人物である。
その上で彼女もまたこの老練の魔術師の前では、ただの一生徒に過ぎないのであった。例え学院に属する学生ではなくとも、年若いアレクシアは齢二百近いハワードにとって今や導くべき者の一人なのだ。
「しかし、ソーサリーワイトか。中々の化け物があの小さな遺跡に棲み着いたものだ」
「ままあることです。特に人の寄り付かないところには。どこから発生したのかまでは把握しきれていませんが、それは私の職務ではありません」
「……いや、その通りだ」
ハワードが少しだけ困った顔をしてアレクシアを見る。彼女の性根は改善傾向にはあるが、それでもまだ堅物な節がある。柔軟さが不足しているのだ。
「次の安息日。ジギルヴィッツとウィンチェスターを連れ、王宮に報告に向かいます」
「是非もない。王家の命令。王国の人間であれば絶対だ」
窓の外を見る。夕日が目に眩しく、ハワードは目を細める。あの吸血鬼の少女は、また王女から無理難題を押し付けられて帰ってくるのだろう。
王国の魔術師の殆どを把握しているとまで言われるハワードの耳には、王女の人となりも当然入ってきていた。曰く、生まれついての為政者。曰く、目的のために手段を選ばない冷血な女性。ともすれば、美しく花のような美貌と、小鳥のような麗しい声。アンバランスなその評価は、惹かれる者と、忌避する者、その両極端に分かれてしまうとのことだ。
今上の国王陛下はもう長くない。近く、王位継承の争いが起きるだろう。それを制するのは、恐らく……、とそこまで考えて、その考えが自身の手に及ばないことである事に気づき、ハワードが黒曜石のような深い黒を湛えた瞳を伏せた。
エライザに目をつけられたカーミラを守ってやれるだけの力は、ハワードには既に存在しない。そのことを、誰よりもハワード自身が身を持って感じている。
「ロドリゲス先生。二人をよろしく頼みます」
「はい。命に変えても……とは言ってはいけないのでしたね。二人を守り、そして私もきっと生き残ります」
アレクシアが僅かに頬を緩める。あぁ、なんて朗らかな微笑みなのだろうか。ハワードはアレクシアを見つめる。数ヶ月前に、彼女がこんな表情をするようになるなどと誰が想像できただろうか。
「期待しているよ」
ハワードはアレクシアに向かって、人懐っこい微笑みを向けるのだった。
次の安息日。以前のように、ロビンとカーミラは馬に乗り、アレクシアはその足で王都の南門までやってきた。当然ながら、ロビンもカーミラも正礼装を身に着けている。一方でアレクシアはいつもどおりの格好であった。彼女は怪物処理人。奇異な目で見られることには慣れている。
「しっかし、学院から王都ってなんでこう遠いのかしら」
カーミラがぼそりと文句を言う。
「しょうがないよ。遠いものは遠いんだから」
苦笑いを浮かべながら、ロビンがその独り言に返事をする。
「二人共、無駄口を叩いている暇はない。行くぞ」
ともすれば雑談し始めそうな二人を見咎めたアレクシアが、二人を急かす。繋ぎ場に馬を止め、いつものようにカーミラが常駐している世話人にチップを握らせた。
門での検査もいつもどおりだった。アレクシアが門番と言葉少なに雑談を交わし、ロビンとカーミラは学生という身分によって、すんなりと通される。
門を抜け、大通りを通り、王宮の跳ね橋を渡る。大きな門の前に立つ門番は、数週間前と同じ門番だった。白銀の長髪は目立つ。その上カーミラは公爵家のご令嬢である。門番はカーミラのことを忘れてはいなかった。その姿を目にした、その瞬間に、「王女殿下への謁見ですね」と、スムーズに対応してくれた。
前回と同じように、門番が城門の奥へ引っ込み、十分ほど経って王女付きの侍女を引き連れてやってくる。侍女に伴われて三人は王女の居室へ向かった。
流石にロビンも二回目である。絢爛豪華な廊下を歩いても、そこまで戦々恐々とはしなかった。だが、これから会う人物が人物であるため、背筋に薄ら寒いものを感じながら歩いていたのも確かであった。ロビンは一回しか会っていないこの国の王女、エライザに対して、確りと苦手意識を植え付けられてしまっていたのだった。
王女の部屋の前に着き、侍女が控え目にノックをする。「どうぞ」と、当然聞き覚えのある美しい声がロビンの耳朶を打った。だが、その美しい声にさえ、ロビンは少しばかり怯えてしまうのであった。
扉が開き、可憐な王女がその姿を現す。相変わらず大量の書類が積み重ねられた机に向かって、せかせかと書類仕事を行っていた。
「カーミラ、ロビン、アレクシア。此度は大儀でございました」
王女らしく、尊大な態度でエライザが三人の労をねぎらった。だが、そんなことは幼馴染のカーミラには関係ない。もう、彼女の前で公爵令嬢の仮面をかぶるのはすっかり諦めてしまっていたのである。
「あら、エリー。もう耳にしていたのね。怪物を斃したって」
王族を前にしているとは思えないカーミラの態度に、エライザも素の口調で話し始める。
「えぇ、もちろんよ。王国直轄領の出来事であれば、次の日には私の耳に入るわ」
「御見逸れしたわ。さすがの情報網ね」
「お褒めに預かり光栄よ」
ふん、とカーミラが鼻を鳴らす。そんな白銀の少女から目を離し、エライザはアレクシアを見据える。
「アレクシア、報告をして頂戴」
「はっ。約三週間前、我々三名は遺跡に向けて出発いたしました。しかし、その場にジギルヴィッツの友人らが、『我々も着いていく』とやって参ったのです。我々は、彼らの同行を許可いたしました」
そこまで聞いたエライザが、少しばかり驚いたような顔をする。
「あら、アレクシア。貴方が足手まといを進んで連れて行くなんて珍しいですね」
「……あの場ではそれが最善であると判断いたしました。あの場で彼らを突き放すと、ジギルヴィッツと彼らの交友関係に少なからず影響があると判断しましたゆえ」
その言葉を聞いて、エライザはますます驚いた顔をする。
「まぁまぁ、アレクシア。貴方ってそういった気遣いができる女性でしたっけ?」
「エリー、あんまりロドリゲス先生をいじめないであげて」
カーミラが思わず、助け舟を出す。少なからず、あの場のアレクシアの判断にはカーミラも感謝していたのだ。あそこでアリッサ達――特にアリッサだが――を置いて三人で向かっていたら、カーミラとアリッサの仲は修復不可能なものになっていただろう。
「別にいじめてるつもりはありませんよ。ただ驚いただけ。ジョーンズ学院長もよく許可したものね。ちなみに、同行したのは?」
「アリッサ・ホワイト、グラム・ハンデンブルグ、ヘイリー・ウィリアム、エイミーの四名です」
「ホワイト侯爵の長女、ハンデンブルグ伯爵の次男坊、ウィリアム侯爵の長女……エイミーは知りませんね。平民ですか?」
「平民舎の学生です」
エライザが再びカーミラの方を見る。
「カーミラ、貴方のお友達って随分バリエーションに富んでいるのね」
「それは馬鹿にしてるの? エリー」
「ふふ、褒めているのですよ。王国貴族は平民を軽視しがちですからね。いつか平民に足元を掬われるとも知らずに」
ニコリと笑うエライザ、その笑顔がロビンには得体の知れない恐怖の塊のように見えた。
「アレクシア、続けて」
「一週間かけて遺跡にたどり着きました。遺跡の上層は入り組んだ構造にはなっておらず、ゴブリンが棲み着いていました。付近の集落から女を九名程、攫っていたので救いました。その後、遺跡の奥に進みましたが、途中でポータルの罠にかかり、地下へ転送されました」
「ポータルですか。良く壁に埋まりませんでしたね」
「運が良かったとしか言い様がありません。地下は非常に入り組んでおりましたが、ウィンチェスターの開発した失せ人探しの魔術によって合流を果たしました」
エライザの真っ黒な瞳がロビンを見据える。
「ロビン。貴方、まだ魔術学院の学生にもかかわらず、魔術開発までできるのですね。素晴らしいですわ」
「お、お褒めに預かり光栄の極みでございます」
「あら、もっと砕けた態度でもよろしいのですよ」
エライザはずうっとニコニコとしているが、ロビンはその笑顔に自然な笑顔を返すことが難しく、なんとか引きつった笑みをひねり出すことに成功した。
「エリー、だからロビンをいじめるのはやめて」
「いじめてないわよ。カーミラは相変わらずいけずね」
本当に、心の底から、この二人がこんな砕けた会話をしているのが信じられない。ロビンは前回もそうだったが、今回も目を疑い、耳を疑っている。
「続けます。地下から上層に戻った我々は、私、ジギルヴィッツ、ウィンチェスターの三名以外の面々を置いて、最奥に向かいました。怪物はソーサリーワイト。ジギルヴィッツの吸血鬼の力もあり、怪物の打倒にはそれほど苦労しませんでした。怪物を打倒した後、攫われた女達を近くの集落まで運び、ジギルヴィッツが精神治癒の魔術と忘却の魔術をそれぞれにかけ、集落の長から大変感謝されました。その後学院に一週間かけて戻りました。報告は以上です」
「ありがとう、アレクシア」
エライザが相変わらずニコニコとしながら、カーミラを見つめる。
「カーミラ、素晴らしいわ。足手まといの学生を連れながら、ゴブリンの群れを突破して、無事怪物を倒してきた。貴方は本当に素晴らしい」
「褒められてる気がしないのだけれど?」
「あら、私がこれほど手放しで褒めることなんてそうそうありませんわよ?」
ロビンはこの二人の会話を聞いていて、段々と胃が痛くなってくるのを感じた。
「つきましては、カーミラ、ロビン、アレクシア。貴方達にまたお願いがあるのです」
「はいはい、どうせまた無理難題でしょ?」
白銀の少女が呆れた顔で肩をすくめる。
「……貴方達には帝国に渡ってもらいます」
流石にカーミラもそこまでの無理難題は予想していなかった。その証拠に、その小さな口をあんぐりと開けたまま固まっている。ロビンに至っては、何を言われたのかさっぱり理解していない。三人のうち、ただ一人アレクシアだけが正気を保っていた。
「帝国への間諜になれ、と、そういうことですか?」
「えぇ。アレクシア。その通りです」
アレクシアとエライザのやり取りにカーミラが復活する。
「ちょ、ちょっと待って! 帝国!? 帝国との間には不戦条約が……」
「ことはそう単純ではないのですよ、カーミラ」
エライザは語り始めた。大規模転移魔術を帝国が研究していること。その研究も、完成まで残り僅かであること。その断片を入手することができたこと。
「つまり、帝国と戦争になる、って、そう言っているの?」
「遅くて一、二年後。早ければ数カ月後にも戦争になります。リュピアの森にヘルハウンドが出たでしょう? あれ、カーミラが倒したのよね?」
「えぇ、そうよ」
「あれも帝国の仕業です。嫌がらせを兼ねた実験ってところでしょう」
確かにそう考えれば辻褄が合う。大規模転移魔術。その初期の理論を確かめるために、帝国領では珍しくもないヘルハウンドを捕まえ、転移で王国に送る。
転移であれば、召喚と違って痕跡は残らない。転移の魔術というのは、基本的に転移元に痕跡を残すが、転移先には痕跡を一切残さないのである。
騎士団が調べても、宮廷魔術省が調べても、何もわからないはずである。
カーミラはつぅっと冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「貴方達には帝国に渡るに当たって、箝口の魔術契約をさせてもらいます。強力なものです。貴方達が一度『王国』の名前をだそうものなら、即座に心臓が止まり死に至ります。あ、吸血鬼にも効くのかしら?」
「知らないわよ。でも多分効くんじゃない?」
帝国に送られる間諜には、すべて箝口の魔術契約がなされる。もし捕まって拷問されたとしても、王国内の情報を帝国に漏らさないためである。拷問に負け、王国の「お」の字でも話そうと考えた瞬間に死亡する。そんな非人道的な魔術であった。
「まぁ、箝口の魔術についてはどうでもいいわ。……それで、具体的に私達に何をやらせたいの? エリー」
カーミラがエライザをきっと睨みつける。その眼光に、王女は相変わらずニコニコとしながら告げるのであった。
「ふふ、そう急がなくても、今から説明します」
可憐な微笑みを、ますます深くして、エライザが計画を語り始めた。
エライザの優秀さが読者様にちゃんと伝わっているか不安に思う今日このごろ。
彼女の優秀さは、サイコパスな性格そのものにあります。
嘘なんてなんの罪悪感も抱きませんし、自分のせいで人が死んでも「へぇ、そう」と笑って流します。
人心の掌握と、人の操り方に長けており、悪辣なやり方で他人を強制的に動かすことも厭わず行います。
後々でてきますが、彼女はこの時点で大凡五十年~百年先の未来を予測して動いています。
巻き込まれたロビンとカーミラがかわいそうですね。
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