第八話:恋心の自覚
アリッサと喧嘩をした日から、カーミラはずっと考えていた。いや、考えずにはいられなかった。彼女の言葉、怒り。その全てが、カーミラにただ一つのことを考えさせていた。
――私はロビンのことを好きなの?
ロビンと初めて出会った夜を思い出す。今でも昨日のことのように彩りを持って思い出せる素敵な思い出だ。彼はカーミラをたったの一言で解き放ってくれた。吸血鬼という身になり、いつか人間を害してしまう、そんな存在になってしまうのではないか。いつか人間から排斥されて、ひとりぼっちになってしまうのではないか。そんな懸念を。
ひとりぼっちになってしまうのが怖いから、自ら進んでひとりぼっちになった。一見矛盾しているように見える。だが、希望がなければ絶望もしない。他人から嫌われたくないから、他者から排斥されたくないから、他人と交流を持たなかった。差し出された手も、全て断ってきた。
いつかバレて、そして学院から逃げるように去って、両親のことも忘れて、これまでのことも忘れて、きっと野に生きていくのだろう。そう思っていた。
――僕にはどうも貴方が人を害する吸血鬼には見えないのです。
あの夜、ロビンが言ってくれた一言だ。その言葉に随分と助けられた。なんら特別な一言ではない。言ってしまえば、ただのロビンの感想である。だがそのちょっとした感想が、彼女の全てのしがらみを一掃するだけの力を持っていたのだ。
あの日から、自分は変わった、カーミラはそう思う。ロビンのおかげで友達もたくさんできた。もうひとりぼっちじゃない。嬉しくて嬉しくて、眠りにつく前に泣いてしまったこともあるぐらいだ。失ってしまったと思っていた沢山の感情を思い出した。楽しい。嬉しい。悲しい。寂しい。
そして、そんな日常に浮かれていたカーミラだったが、時折はっと気づく。それは今続いている時間が永久には続かない、その一点であった。
いつかはまたひとりぼっちになってしまう。それが怖い。
吸血鬼に寿命はない。一言で言えば不老不死である。ロビンは、いやロビンに限らず、皆いつか死んでしまう。そうなったら、自分はまた一人ぼっちになってしまう。
――だったら、大切なものなんて作らなければ良いんじゃないの?
いつの日からか、自分の心の中にいるもう一人の自分がそんなことを言い始めた。違う! 私は今幸せなんだ! どうしてそんな水を差すようなことを言うの!? 心の中の自分にそう叫んだ。でも無駄だった。心の中の自分も、自分であることに変わりはないのだ。
そうして、カーミラは大いなる矛盾を抱えるに至った。
友達は大切。でも、これ以上大切に思いたくない。
ロビンは大切。でも、これ以上大切に思いたくない。
グラムもアリッサも、ヘイリーもエイミーも。皆大切。でも、これ以上大切に思いたくない。
彼女は自分でも気づいていなかった。ロビンだけ特別扱いしていることに。初めての友達だから当然。それにロビンは自分の秘密を知って、それでもなお友達でいてくれる。それだけ。ただただそう思っていた。ロビンを特別扱いすることになんの疑問も抱かなかった。
いつかロビンはカーミラに誓った。「ひとりぼっちにはしない」と。その言葉がどれだけ嬉しかったのか、どれだけ泣きたくなってしまいそうになったのか、どれだけカーミラの心を大きく動かしたのか、彼にはわからないだろう。
こと恋愛という観点からすると、顔は平々凡々、身長もそんなに高くないし、体つきはひ弱。それでいて、変わり者。どこをどうとっても、カーミラの好みのタイプではなかった。
幼い頃、夢に見た将来の結婚相手は、金髪で、身長が高くて、真っ白な歯を見せてニッコリと笑って、勇敢で温和で優しい。そんな理想的な王子様だった。いつだって助けてくれて、いつだって褒めてくれる。そんな少女趣味な部分がカーミラにも確かにあった。
しかし、時間とともに現実を知った。両親はカーミラのことを愛してくれていたが、「魔術学院を卒業したら、婚約者を決める」と言い放った。両親は人格者だった。両親のことは尊敬している。しかし、物心がつき始めたころに言われたその一言は、カーミラを淡い少女の夢から覚醒させるには十分だった。
貴族は、好きな相手とは結婚できない。誰もが通る道だ。少なくとも、カーミラは少しだけがっかりした。
でも両親が選んでくれる、私の婚約者はきっと素晴らしい人に違いない、そうも思った。うすぼんやりとではあるが、きっと素敵な人なんだろうと、それでも少女らしい幻想を抱いた。
そして魔術学院に入学して二日目――実際に吸血鬼になってしまったことに気づくのにはもう少し時間がかかたのだが――、全てが変わった。希望は絶望に変わり、そしていつしか達観になった。実験がてら自分の身体を痛めつけた。もしかしたら死ねるんじゃないかと思ったのだ。でも駄目だった。心臓を潰しても死なない。頭を潰しても死なない。ただ痛いだけだった。
素敵な婚約者は私には現れない。いつか本当のことを両親に話して、私はどこかへ逃げよう。もしくは今すぐにでも逃げよう。そう考えた。その時点で、彼女の持つ恋愛観というのは、マイナスの方向に振り切ってしまっていたのだ。
ロビンを思い出す。彼はカーミラを何度も救った。精神的にも、肉体的にも。ひ弱そうな少年が、吹けば飛んでしまいそうな少年が。
夏休みに入る直前。彼はアレクシアからカーミラを身を挺して守った。腹に風穴を開けて。失ってしまったかと思った。死んでしまうんじゃないかと思った。そしてそれがすごく怖いと思った。
夏休みが明ける直前。彼はヴァンピール教とやらに誘拐されたカーミラを、彼の全ての力を以って、助け出してくれた。尤も、事件を直接的に解決したのはアレクシアだったが、それでも真っ先に気づき、そして助けに来てくれた。
嬉しかった。
そう、心の底から嬉しいと思ってしまった。本来、申し訳ないと思うべきなのに。
その時から、彼女の心の中には――もしかしたら初めて出会った夜からかもしれない――自身でも把握し得ない、特別な感情が沸き起こった。自分でも御しきれない。というよりも気づいてすらいない。
目は知らず知らずのうちに、ロビンを追っていた。いつだって考えることはロビンのことだった。今、ロビンは何をしているのかしら。今、ロビンは何を考えているのかしら。
――私はロビンのことを好きなの?
そうなのだ。それは恋愛感情に他ならないのだ。自分ではない他人のことを、ただただ考え続ける。興味を持ち続ける。それは恋という一語にひたすらに集約されている。
そして、彼女はついさっき自分でも気づかない内に自分の心の中を占めていた感情に気づいた。罠が発動した時、真っ先に口をついて出たのは、「ロビン!」、その一言だった。
あぁ、私は、ロビンに恋をしているのね。
カーミラは今ようやくそのことに気づいた。心の中のほんの小さな片隅、そこを占めていた感情。彼女が自覚したことによって、それはどんどん大きくなっていく。
「……せっかく二人っきりなんだし、白黒つけたいと思って」
「アリッサ……」
アリッサの言葉に、カーミラは彼女を見つめる。アリッサだって大切な友達だ。だから、自分の気持ちを正直に話さないと、そう思った。だが、それと同時にこれを言ってしまったら、全てが変わってしまう。そんな予感もしていた。どうしよう。カーミラは自分ではどうしようもない悩みに泣きたくなってしまった。
「カーミラはロビンのこと、好き?」
つい、一週間前ほどに問いかけられた質問。その同じ質問を再び問いかけられた彼女は逡巡し、目を泳がせて、口を開いては閉じて、数秒間押し黙り、俯き、アリッサをちらりと見遣り、そしてやっぱり俯き、ややあってためらいがちに言った。本人もそのように言うつもりはまったくなかった。だが、口にせずにはいられなかった。アリッサの真摯に、真剣に見つめるその瞳に。
「アリッサ。ごめんなさい」
あぁ、言ってしまう。言ってしまわずにはいられない。もうこの御しがたい感情を無視することはできない。
「……私はロビンのことが好き」
遂に言ってしまった。
「ロビンのことが大好き」
もう一度繰り返す。彼女も何故かはわからない。だが、自然と涙が溢れてくる。嗚呼、私はこんなにもロビンのことが好きなんだ。もう止まれない。止まらない。恋心。その気持ちを自覚してしまった。はっきりと今口に出してしまった。
恐る恐る、アリッサの顔を見つめる。彼女は何やら凄い微妙な顔をしていた。呆れ、ちょっとした怒り、ともすれば笑ってしまいそうな、そんな表情。
「ようやく気づいたんだ。傍から見てたらバレバレだったのに」
アリッサが呆れた顔をしながら、ニヤリと唇を歪めた。予想外の言葉に涙がぴたりと止む。
「アリッサもロビンのことが好き……なのよね?」
恐る恐る尋ねる。
「当然。ロビンは私の婚約者だからね」
アリッサが、ふん、と鼻から息を吐き、胸を張る。だが、それもつかの間、すぐに俯いてしまった。
「……でも自称。そんなこと分かってるの」
アリッサの声色が少しだけ悲しげな色に染まっていることにカーミラは気づいた。
「私の方が先に好きになったんだからね!」
一瞬しおらしくなったかと思えば、きっ、とカーミラを見据え、叫ぶ。彼女の表情はコロコロ変わる。今は怒ったような顔。大喧嘩をしてからカーミラに対してはずっと冷たい無表情を貫いてきた彼女が、今は感情を目一杯表現している。怒ったような顔から、一転して、今度はニッコリと笑った。
「でも私はね、カーミラのことも大好き」
「……私もアリッサのこと、大好きよ」
「やった、両思いじゃん!」
あははは、と笑うアリッサ。だが、カーミラは未だに彼女にどう接すればよいのか掴みかねていた。
「あのね、これからは大切な友達同士で、ライバルだからね」
「ライバル?」
「うん! ロビンをどっちが先に射止めるか。と言っても、カーミラが相手だとちょっと自信ないけどね」
あはは、と困ったような笑顔でピンクブロンドの髪をくしゃくしゃと右手でかき混ぜる。
「でも、手加減はしないよ!」
カーミラを右手の人差指で指差して、勝ち気な表情で言い放つ。そして、だから、とアリッサは続ける。
「カーミラも手加減しないで。私に遠慮したりとかは絶対しないで。約束、してくれる?」
白銀の少女は思う。やっぱり、アリッサは変わり者だ。こういう場合、ロビンを横取りしたら許さない、だとかそういう台詞が出てくるのではないだろうか。カーミラは心の底から彼女を変人だと思った。それと同時に、彼女が自分を嫌いになっていない、友達でいてくれる。その事実についさっき止まった涙がまた流れそうになる。
「えっと、約束……」
「うん。どっちが勝っても恨みっこなし。ま、カーミラにロビンを取られちゃったその夜は、きっと泣いちゃうんだと思うけど」
「……それで本当にいいの?」
ためらいがちに問いかける。
「私、嘘なんてつけないし、変な小細工もできない。ただ押して押して押しまくる。それだけしかできないの。
私はロビンのことが大好き。でもそれと同じぐらいカーミラのことも大好き。だから、こう言うしか無いじゃん」
アリッサが微笑む。でも、その微笑みにはどこか、悲しそうな感情をにじませているような気がした。そうか、アリッサはこういうやり方しかできないんだ。
「ごめんなさい」
「なんで謝るのさ。謝らないでよ。そんなのただ私が惨めなだけじゃん」
アリッサが先ほどと同じように微笑みながら、涙をこぼす。
「ね、カーミラとしばらく話してなかったよね。ずっと私辛かった。もう一度言うね。ロビンのことが大好き。でも、それと同じぐらいカーミラのことも大好き。どっちかなんて私選べないんだよ」
アリッサの優しげな泣き顔に、一度止まったときから今まで、一生懸命せき止めていたカーミラのダムも崩壊する。
「うん……。うん! 私も。アリッサが大好きよ」
次第に嗚咽をあげ始めたカーミラを、アリッサが優しく抱きしめる。アリッサも釣られてわーんわん、と泣き出してしまうのだった。
「だから、だからね、恨みっこなしなの。ロビンが私を選んでも、カーミラを選んでも、恨みっこなしなの」
「うん……うん!」
泣きながらカーミラの背中を優しく撫でるアリッサに、カーミラは嗚咽しながら頷くことしかできないのであった。
ひとしきり二人で泣きわめき、ちょっとだけすっきりすると、二人はこれからのことについて話し始めた。
「多分、ロビンが迎えに来てくれるわ。だから、ここで待ってましょう」
カーミラの居場所をロビンは知っている。そのうち、この場所を見つけてくれるはずだ。
「失せ人探しの魔術かぁ。しっかしすごい便利なもの思いついたよね」
アリッサは、カーミラの説明を受けて、感心するように何度も頷いている。
「汎用性が無いって、ロビンは嘆いていたわ。お互いに示し合わせてないと使いようがないって」
「確かに、いきなり『居場所の特定に受諾しますか?』って頭の中で話しかけられても、びっくりするだけだもんね。普通の人なら、自分の正気を疑っちゃうかも」
確かに、確かに、とアリッサがしきりに感心する。だが、こんな状況になっている現状、ロビンの失せ人探しの魔術があることは僥倖だった。そういえば、私が誘拐された時、私正気じゃなかったけど、ロビンはどうやって私を探し当てたのかしら、とカーミラがちょっとだけ疑問に思う。カーミラは強制失せ人探しの魔術、その存在を知らない。知っていたら、今すぐ消しなさい! とロビンに迫っただろう。乙女の秘密は男の子には絶対に明らかにしてはいけないのである。とはいえ、そんなことをするまでもなく、ロビンの杖から強制失せ人探しの魔術はとっくに消去されており、真実は闇の中なのであったが。
不意に、カーミラの頭の中にまた「居場所の特定に受諾しますか?」というメッセージが響く。すかさず「はい」と返事をする。ロビンが探してくれている。そしてそれはロビンの無事もまた示していた。
「あ!」
アリッサにも来たらしい。今度は、ちゃんと「はい」と答えたようだ。
「いきなり頭の中に声が響くのってびっくりするね、やっぱり。……あ、私念話の魔術使えたんだった」
すっかり忘れていた、とアリッサが舌を出す。なんでそんな重要なこと忘れてるのよ、とカーミラは呆れた顔をした。
「ロビンに繋いで見るね」
「えぇ、お願い」
アリッサが、術式を展開し、対象をロビンに念話を送る。念話の魔術は単に術者のメッセージを相手に送るだけの魔術である。属性は風。風の属性の魔術は便利なものが多い。
「とりあえず、カーミラと私が一緒にいるってことと、無事だってことを伝えたよ。早く迎えにきて、とも言っておいた」
「ありがとう」
幸い、この場所は安全みたいだ。さっきまであんなに二人で叫んだり、泣いたりしていたのに、魔獣の「ま」の字も無縁であった。しばらくすれば、二人の大好きなロビンがひょっこりと姿を表すだろう。それまで、すっかり仲直りした二人はここ数日間の空白期間を埋め合わせるかのように他愛のない話に華を咲かせるのだった。
ついに、カーミラがロビンのことを好きであると自覚してしまいました。
彼女の恋愛偏差値は超絶低いです。自分の好きな人も自覚できないほどに。
アリッサも藪をつついて蛇を出さなければ、このまま不戦勝だったのですが、彼女の性格はそれを良しとしません。異常に真っ直ぐです。こんな女の子も魅力的ですよね。
ともあれ、予定調和的に二人は仲直りしました。ズッ友です。ズッ友。
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