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第六話:ゴブリンの群れ

 一行は来た道を引き返し、また分かれ道までやってきた。次に向かう先は、ゴブリンの足跡が多数ある逆側の道だ。アレクシアを先頭にこれまでと同様、遺跡の通路を歩いていく。


 先の部屋で遭遇した惨状に、アリッサとヘイリーの顔が未だに青ざめている。無理もないことだ。まだ年若い彼女らは、魔獣というものの本質的な恐ろしさを目の当たりにしたことはなかった。自然と自分があの女性たちと同じ境遇に立たされたら、と想像してしまう。それはおぞましい想像だった。肌を醜悪な魔獣に蹂躙され、陵辱される。そんなことを繰り返されたら、気が狂ってしまうに違いない。


 エイミーは一見平気そうに見える。しかし、彼女にとってもあの光景は衝撃だった。とはいえ、平民の彼女は、ゴブリンに攫われた人間のその後について、話だけには知っていた。そのことが最低限とはいえ、彼女に平常心を与えてくれているのだった。


 カーミラとしては、痛ましい光景だとは思っていたが、自身がその状態になることは想像していなかった。自身の強靭さをよく理解しているからである。衝撃的な状態にショックを受けはしたが、その心の中は、恐怖というよりも、あの女性たちの今後を心配する感情で占められていた。カーミラは精神治癒の魔術も使える。あの女性たちを連れ帰ったら、必ず自身が彼女達の正気を取り戻してみせる、と決意を固める。


 しばらく歩くと、曲がり角に突き当たった。アレクシアが六人に停止するよう、手で合図を送ると、曲がり角の壁ギリギリのところに張り付き、その先を窺った。その後で、手で一行について来いと合図する。どうやら何もいなかったようだ。ロビンは安堵のため息を小さく吐いた。


 しかし、遺跡とは思えないほど入り組んでいない素直な構造となっている。ロビンは不思議に思って、アレクシアに小声で問いかけた。


「この遺跡、なんだか素直な構造になってますね」


「当然だ。アノニモス遺跡は墓所でも宮殿でもない。古代の人間が使っていたただの集会所だ」


「へぇ、よく知ってますね」


「遺跡やら洞窟やらには、魔獣や怪物が住み着きやすい。あまり人間が近寄らないからな。王国内に存在する遺跡についてはそれなりに調べた」


 ロビンはなるほど、と思った。この鬼教官は、怪物処理人としての職務を果たすために、遺跡という遺跡を調べまくったのだろう。ここは元宮殿、だから入り組んでる。ここは墓所、だから入り組んでる。ここはそうじゃないから入り組んでいない。いつか、訪れるかもしれない遺跡の知識は彼女の職務上必要不可欠なのである。


「遺跡と違って洞窟は、調べることができない。洞窟の方が厄介だな」


 遺跡と違い洞窟は内部の構造や、その歴史等に関する資料が皆無である。尤も、大きな洞窟となれば名前がついており、貴重な鉱石等の採掘場などとなるため、内部の構造なども明らかになっており、人工の明かり等も整備されているのだが、そういった場所は採掘のために常に人間がいるため魔獣が棲み着くことは稀である。


 魔獣や怪物が棲み着くのは基本的に、人間の寄り付かない場所であった。森、遺跡、比較的小さな洞窟。また、知能の高い魔獣や怪物となれば、突然集落を形成することもあった。人間からすると突如現れたとしか思えないほどの信じられないスピードで作り上げられたそれらは、発生した瞬間に周囲の人間が住む集落の脅威となる。


 そんな話をした後は、ずっと無言となった。女性陣は先に入った部屋の凄惨さに思いを馳せていたし、男性陣――こちらには女性のアレクシアも含まれる――は、周囲の警戒に集中していたためだ。


 十分程警戒しながら歩いた頃だろうか。一本の狭い通路が、広く開けた部屋の様な場所にたどり着いた。この遺跡は古代には集会所として使われていた。この部屋が待合室のような部屋だったのではないか、とロビンは歴史に思いを馳せた。


 そのままなんの警戒もなしに部屋に進もうとする六人に、アレクシアが待ったをかける。


「こういう場所には、罠などがあるものだ。私が先行する」


 アレクシアがそう言って、一人でそろそろと部屋の中に入っていった。罠の解除や、探知はアレクシアの専門外ではあったが、専門家には届かないとは言え経験からある程度の理解があった。主に注意深く見るのは床である。魔術的な罠や、物理的な罠など、床の一部を踏むことによって起動するものがあり、通り過ぎる際に尤も厄介なものがそれだ。


 彼女は、しゃがみながら移動をし、注意深く床を探っていく。部屋の奥にはまた通路が続いており、そこにたどり着くまでに致命的が罠等がないかを確認しているのだ。


 一通り調べ終わると、立ち上がり、アレクシアは六人の元に戻ってきた。


「罠らしい、罠はない。先を急ぐぞ」


 先行するアレクシアに続いて、六人が恐る恐る部屋の中に足を踏み入れる。奥の通路まではまっすぐ歩いて、およそ三十歩ほどだ。


 一歩、二歩、三歩、と足を進めていき、そして歩みが十五歩になった時、グラムが異変に気づいた。


「ロドリゲス先生!」


「分かっている。囲まれた」


 来るときにはネズミ一匹いなかったはずである。だが、ロビン達が通ってきた通路の奥から、無数のゴブリンがひしめき合いながら、こちらへ向かってくるのが見える。向かっていた方の通路からも同様にゴブリンがその醜悪な鳴き声を上げながら、一行を打倒せんとやってきた。


「ホワイト、ウィリアムは真ん中へ、戦えるものは二人を囲むように並べ。来るぞ」


 アレクシアが簡潔に指示を出す。恐怖で身体が硬直してしまいそうになりながらも、名指しされた二人は部屋の中央で身体を寄せ合う。そして、他の五人が、彼女らを守るように杖を構え――アレクシアは杖を持っていないが――臨戦態勢を取った。


 ゴブリンが部屋に入ってくる。醜悪な鳴き声かと思っていたそれは、笑い声だった。真っ先にその事実に気づいたのは、中央で守られていたアリッサとヘイリーだった。恐慌をきたし、今にでもこの場を離れたいと思うが、身体を動かすのもままならない。彼女達にできることは、周囲の五人を信じることだけだ。


「来るぞ!」


 グラムが大声を上げる。それと同時に、一行を取り囲むように部屋にひしめき合っていたゴブリンの数匹、いや十数匹が一斉に襲いかかった。一匹一匹では比較的弱いその魔獣らも、十を超え、二十を超え、三十を超えると、立派な脅威となる。


 ロビンが術式を展開する。広範囲の敵を負傷させることを目的とした、雷光の魔術だ。ロビンの杖から放たれた青白い光が、飛びかかってきたゴブリンの数匹を貫き、絶命させる。


 グラムは得意のマナの剣で、手近なゴブリンを斬りつける。一匹目を両断し、二匹目の腕を落とし、三匹目の足を落とした。殺すまでには至れなかった、二匹がグラムに組み付く。


「くっ、はなせ!」


「ハンデンブルグ様! 術式展開、キーコード、風刃!」


 エイミーがすかさず魔術を行使し、真空の刃が的確にグラムに組み付いた二匹の魔獣を切り刻む。


「術式展開、キーコード、水爆」


 カーミラは、まだこちらへ飛びかかってきていないゴブリンの群れを打ち据えようと、水蒸気爆発を起こす魔術を使う。上級魔術の一つだ。ひしめくゴブリンの中心、そこで真っ白な霧がどかんと凄まじい音を立てて広がる。衝撃も勿論凄まじい。三十匹ほどのゴブリンが頭の一部や、腕、足を欠損し、十五匹のゴブリンを粉々にした。


 アレクシアが、飛びかかる魔獣を殴り、蹴り、そして投げ飛ばす。殴られた箇所は陥没し、蹴られた箇所は貫通し、投げ飛ばされた者は壁に全身を強かに打ち付け、絶命した。


 一行を取り囲むゴブリンは、次第に数を減らし、今では半数となっていた。流石に劣勢であると判断したのか、無為に飛びかかってくるゴブリンはやがていなくなった。一行と、ゴブリンのにらみ合いとなる。ここまでは驚くほど順調だった。


 カーミラが、また水爆の魔術を使う。ゴブリンが吹き飛び、範囲外に居た者達が悲鳴を上げる。


 アレクシアが守りから転じて、攻め始める。群に突っ込み、その腕を、その足をめちゃくちゃに振り回す。猛スピードで行われるそれは、暴走列車のようにゴブリン達を絶命させていった。


 一行は奴らを打倒するのに必死で気づいていなかった。いや、気づいたいたものもいた。守られているだけのアリッサとヘイリーだ。奴らの一匹が、部屋の壁の慌てて走り寄り、そして壁を構成している石、その一つを深く押し込んだことに。


「ロドリゲス先生!」


 アリッサとヘイリーの声が重なった。アレクシアは俊敏にそれに反応して、猛スピードで――ゴブリンの数匹が轢かれて絶命した――部屋の中央に戻る。まずった。アレクシアは自分の迂闊さを呪った。罠の有無を調べたのは床である。壁は考慮していなかった。


 一行が立つ床。つまり真下に青く魔法陣が光る。基本的に魔法陣自体はマナを有していない。起動する時に初めてマナを発し、その目的を果たし始める。アレクシアが床を調べた時、目には見えないインクで描かれた魔法陣に気づかなかったのはそのためである。


「不味い! ポータルだ!」


 アレクシアが叫ぶ。だがもう遅かった。


「ロビン!」


 カーミラの叫び声がロビンの耳を打つ。だがそれに返事をする時間はなかった。身体が亜空間に引き込まれ、意識が闇の底に沈んでいく。


 そうして一行の姿は消え、強い力をもった人間達がいなくなったことに手を叩いて喜ぶゴブリン達が残った。






「ウィンチェスター、ウィンチェスター、起きろ」


「……う、ロドリゲス先生?」


 ロビンは、アレクシアの声に意識を浮上させる。ここはどこだろう。真っ暗だ。


「発火の魔術、もしくは発光の魔術は使えるか?」


「はい、術式展開、キーコード、発光」


 杖の先端が光り輝き、あたりを照らす。


「ふむ、ここは……どこだかわからんが、遺跡の内部であることは確かだ」


 アレクシアが壁に手を当てる。先程までの部屋と同じような石で壁が構成されていることから、そう推測する。


「えっと、他の皆は」


「いない。恐らくバラバラに飛ばされたのだろう。壁に埋まってなければいいが」


 洒落にならない一言に、ロビンは顔を青くする。壁に埋まる、つまりそれは死を意味する。青ざめたロビンの顔を見遣ったアレクシアが、ため息を吐く。


「馬鹿者。冗談だ。思い出せ。あやつらが一人でも死んでいたら、私の命もない」


「あ、確かに」


 ロビンはすっかり忘れてしまっていた、アレクシアの誓約を思い出す。アレクシアが今生きているということは、カーミラの友人である全員が生きているということだ。


「とりあえず、失せ人探しの魔術を使います」


「あぁ、まずジギルヴィッツを探してやれ」


 ロビンは失せ人探しの魔術を使う。カーミラが誘拐された時に杖に覚えさせた強制失せ人探しは、あまりにも個人の尊厳を無視した魔術であると感じたため、あの後すぐに杖から消去してしまっていた。今こんな状況になっていることを考えると、少々早とちりなことをしたと後悔する。


 五秒ほどかかってレスポンスが帰ってきた。どうやら、カーミラがいるのはこの遺跡の地下であるらしい。同時に、自分と彼女の上下関係から、自分たちも遺跡の地下にいることが分かった。


 失せ人探しの魔術は簡単な理論で構築された割に非常に便利な魔術であった。対象の人間の周囲の地形や構造まで把握することができる。風の流れを捉え、知覚するものであるためだ。


 ロビンはとりあえず、カーミラが少なくとも返事を返せることに胸を撫で下ろす。


「カーミラの位置が特定できました。同じフロアにはいるみたいですが、なんとも微妙な距離ですね」


「では、手当たり次第その魔術を使ってやれ」


「わかりました」


 ロビンは対象を、ヘイリー、エイミー、グラム、アリッサ、の順で失せ人探しの魔術を行使する。グラムとの居場所が分かったが、残念ながらアリッサとエイミー、ヘイリーの居場所はわからなかった。だがレスポンスは返ってきた――いいえ、もしくは嫌だのレスポンスではあるが――ので、少なくとも気を失っていたり、危機に瀕しているわけではないことがわかった。


「皆なんとか無事みたいです。グラムが受け入れてくれました。グラムは割と近くに居ますね」


「ふむ。では合流を急ぐ。こういう場合普通であれば闇雲に行動するのは危険だが、こうもバラバラになってしまっては、この地下を動き回るしかあるまい」


「まぁ、そうですね」


 ロビンが苦笑いを浮かべる。


「念話の魔術は使えるか?」


「いや、僕は使えないです」


「わかった。残念だな。居場所が分かった二人だけでも、そこを動くなと伝えたかったものだが。奴らが賢明であることを祈ろう」


 とりあえず、進むぞ、というアレクシアの声に、はい、と返事をして二人は歩き出した。しかしこの遺跡、元々は集会所のはずであるのにもかかわらず、その地下は小さな迷宮と称しても良いほどに入り組んでいる。カーミラ、グラムに向けて使った失せ人探しによって、彼らと自らを繋ぐ道筋はなんとなく把握できたものの、その入り組んだ通路に、ロビンは思わず舌を巻いていた。


 そんな、ロビンの顔を見咎めて、アレクシアが目を細める。


「どうした?」


「いえ、この地下フロアなんですが、凄い入り組んでて、目が回りそうで」


「遺跡自体はそこまで大きくない。地下も広さとしては大したことはないだろう。焦らずゆっくりと進むぞ。まずはハンデンブルグと合流だ。定期的に失せ人探しの魔術を使え」


「わかりました」


 ロビンとアレクシアは、まずグラムを目標に据えた。本当に合流できるのかという、一抹の不安を抱えながら。

強制的にランダム転移させる罠って本当に怖いですよね。

なお、アレクシアは「壁に埋まる」ということを気にしていますが、

転移の際に通る亜空間に置き去りにされて、消滅するという危険も低い可能性ではありますが存在したりします(裏設定)。

おーこわこわ。


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