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第三話:初めての喧嘩

「本当によろしかったのですかな?」


 ロビン、カーミラ、アレクシアが去ってから約一時間後。エライザの居室にはジェシーが居た。


 カーミラは公爵家の次女である。王家から受けた命令が原因で死亡、または行方不明、などになると、ジギルヴィッツ公爵の怒りを買うことは間違いない。宰相はそのことを何よりも案じていた。


「私、何も心配しておりませんわ」


 書類仕事を続けていたエライザは書類から目を離すことなく、ニコリと微笑んだ。


「吸血鬼なんて化け物がそう易易と打倒される訳ないでしょう? 目には目を歯には歯を、化け物には化け物を」


 一心不乱に書類仕事をし続ける王女が発した言葉に、宰相は小さくため息を吐いた。


 怪物処理人。それは十年前に出来た制度である。その制度を作り上げたのは、まだ幼かったこの王女本人である。十歳にも届かない幼子が、怪物処理人という分厚い企画書を書き上げ、自身に託された瞬間は昨日の事のように思い出される。驚愕したものだ。このような幼子が、人道や道徳をまるっきり無視してはいるが、実に効率的で完璧な制度の企画を書き上げたのだから。


 表向きは宰相が起案したということにして、その企画書は国王の目に触れることになった。今上の国王は民草に人気はあったが、その実為政者として重要な部分が欠けていた。それは人間を数字というデータのみとして認識するという一点である。企画書の完璧さに感嘆しながらも、人道的とは言えないその制度に国王は渋りに渋ったが、宰相の必死の説得もあり、最終的には認可の判が押されることとなった。その時から、ジェシーはこのエライザという王女の発言に誰よりも興味を持つこととなった。


 エライザが書類から目を離し、うーん、と伸びをする。肩を揉みしだき、腰を叩き、僅かに疲れたような顔を見せる。


「父上も酷いお人ですわよね。まだ成人したばかりの私にこんなに仕事を与えてくるのですもの」


 王国では、十八歳になると成人したとされる。十八歳にしては年季の入ったその表情にジェシーは末恐ろしいものを感じる。


「宰相」


「なんでございましょう」


「後数年、いえ、一、二年の間に帝国と戦争になります」


 ジェシーはエライザの発言に耳を疑った。


「帝国との間にはメガラヴォウナ山脈が……」


「馬鹿にしてますの? そんなこと、私も知っていましてよ」


 エライザが嗤う。


「間諜から報告がありました。帝国で行われているある研究。それが完成間近だというのです」


 間諜? そんな話は聞いていない。確かに、王国から帝国へは間諜は絶えず送っている。しかし、帝国の人間は優秀だ。間諜はそのことごとくが、ごくありふれた無意味な報告を送ってくるか、間諜であることが白日にさらされ、拷問の末に殺されてしまうか、どちらかだった。


 当然ではあるが、間諜として送り込んだ人間が王国の名を出すことはない。魔術によって厳重に守られているからだ。一度、王国の名を口に出そうものなら、即座に心臓が止まり原因不明の死を迎えることとなる。魔術の痕跡も残さない。


 それでも帝国が王国の間諜を拷問し殺すのは、王国に対するただの嫌がらせ以外の何物でもなかった。諜報部隊を育成するのにも金がかかるのだ。


 しかし、この王女は帝国の情報を掴んだと言っている。つまり国王にも内緒で極秘裏に自分だけに忠誠を誓う間諜を凄腕に育て上げ、帝国の情報を奪わせたと言っているのだ。


「それは、一体……」


「大規模転移魔術。一度に数百から数千もの人間を安全に転移させることができる魔術の研究です」


「そんな魔術、実現できるわけが……」


「私も最初は耳を疑いました。しかし、断片的ですが術式を入手しています。実に見事で美しい術式でしたわ」


 一部とは言え術式まで入手しているとは。宰相は驚きを隠しきれなかった。また、同時に高度な教育を受けた魔術師でも難解であると言わしめる魔族言語を、この王女が理解していることに思い当たる。


「残念ながら、その間諜はもうこの世にはいないのですけれどね」


 ふふ、と笑いながらエライザはそんなことを口にする。そう、彼女には今上の国王にはない圧倒的な才能がある。それは、人間を数字でしか捉えないという才能である。彼女の頭の中では友達と言って憚らないカーミラでさえも、ただの一人の人間――その実吸血鬼であるのだが――、もしくは駒でしかないのだ。


「あの間諜は良き働きをしてくれました。生きていたなら多額の報奨金でも差し上げたのだけれども。死んでしまってはどうしようもありませんわね」


 ジェシーは、嫌な考えが頭をもたげた。それは、その間諜が死んだ、その原因にこの美しい王女が一枚噛んでいるのではないかというものだった。ニコニコと笑うエライザにジェシーはそれ以上のことを聞くことができなかった。彼は天才ではない。努力で王国の宰相まで上り詰めた秀才だ。だからこそ、この王女が考えていることがさっぱり理解できないのであった。






 王都から帰ってきた次の日、授業を受けながらカーミラは怪物退治の計画を立てていた。驚くべきことではあるが、彼女は怪物退治の計画を頭の中で立てながらも、授業の内容をきちんと把握していた。所謂マルチタスクというものであるが、それを完璧にこなせることが彼女の頭脳が如何に優秀であるかを物語っていた。


 遺跡までは、馬に乗って、途中途中で野宿して、約一週間ほどかかる。学院長には王都から帰還した直後に報告し、許可を得ていた。後決めなければいけないのは日程と段取りだけである。


 表向きは真面目に授業を受けている――実際にも真面目に授業の内容を理解しているのだが――ように見える彼女の脳内では、遺跡の怪物退治に関する計画がどんどんと纏められていった。


 そのような形で思考に没頭していると、あっという間に放課後になっていた。隣に座っていたロビンに、じゃあね、と告げ、ノートや筆記用具をお気に入りのかばんにしまい込むと、寮の自室に帰ろうとする。今夜、ロビンの部屋に行って、計画について話さなきゃなぁ、とぼんやり考えていると不意に横から声をかけられた。


「カーミラ。ちょっといい?」


 アリッサだった。なんだか不思議な雰囲気を醸し出している。そう、ちょっとだけ険悪な。


「えっと、何か用? あ、もしかして昨日の手紙の話?」


 何故アリッサが険悪なムードで自分に話しかけているのかわからず、昨日の手紙のことかしら、と当たりをつけ返事をする。アリッサはちらりと未だゆっくりとノートやら筆記用具やらを片付けていたロビン――と言いつつも、突然のアリッサの登場にロビンも驚きながら横目で見ていたのだが――をちらりと見てから、カーミラを見据えた。


「その話も関係あるかもね」


「えっと、僕も君から手紙もらったよね。ついて行ったほうが良い?」


 ロビンが控えめにアリッサに話しかける。ロビンはアリッサの雰囲気をカーミラよりも敏感に感じ取っていた。


「いや、ロビンは要らない。カーミラだけ」


 カーミラは小首を傾げる。


「よくわからないけど、わかったわ。どこでお話しましょうか?」


「中庭とかでいいよ」


 カーミラとアリッサの二人は、そう話し合うと足早に中庭に向かって歩いていった。一人残されたロビンは、なんだろうなぁ、と疑問を抱いた。そんなロビンにグラムが後ろから、うりうり、と拳を押し当てる。


「なんだよ、グラム」


「なんでもねぇよ。この色男が」


「はぁ?」


「いいか、俺からはぜーったいに教えてやんねぇからな。自分でよく考えるこったな」


 そう言い捨てて、ニヤニヤしながらグラムはどっかに行ってしまった。ロビンにはグラムが何を言っているのかさっぱりわからないのだった。






 ずんずんと中庭に向かっていくアリッサの背中を眺めながら、カーミラは徐々に不安になっていった。何か私、アリッサの気に障ることしたかしら、と。アリッサは大切な友達だ。少なくともカーミラはそう思っているし、アリッサもきっとそう思っているだろうと考えていた。


 中庭に幾つか備え付けられているベンチにアリッサがどしんと腰掛けると、右手でバンバンとベンチを叩き、座れと意思表示をする。カーミラはビクビクしながらも、アリッサの右隣にゆっくりと腰掛けた。


 アリッサがカーミラの方を向く。カーミラも不安からアリッサの横顔を眺めていたため、自然と向き合う形になった。険のある雰囲気を醸し出していたアリッサの空気が、ちょっとだけ緩み、目を泳がせ始める。何から言って良いのかわからない、そんな様子だ。口を何度かパクパクさせ、逡巡するような表情を見せた後、意を決したように話し始めた。


「カーミラ。カーミラには好きな人っている?」


 カーミラは面食らった。先程までいがいがした雰囲気を出していたアリッサがいきなり恋バナをしてくるとは思わなかったからだ。


「……えっといないわよ。いてもそれが成就することなんてないもの」


 公爵家の次女。その立場を彼女はよく理解していた。自分が将来両親の決めた結婚相手と結婚しなければならないこと。ただし、それ以上に自身が吸血鬼であることもよく理解していた。結婚なんてとんでもない。両親にはいつか伝えなければならない。ごめんなさい、と。でも、その勇気はカーミラにはまだないのだった。


 カーミラの返事に、先程霧散したアリッサの険のある雰囲気が元に戻った。


「嘘よ」


「嘘なんてついてないわ」


「それも嘘」


 アリッサは眦を釣り上げて、カーミラを睨みつけた。これから決定的な一言を言う。アリッサは押して押して押しまくる人間である。そうと決めたら一直線。なのでこれからの成り行きも必然であった。


「カーミラさ、ロビンのこと好きでしょ」


「えっと、言っている意味が……」


「本音で喋って!」


 アリッサの怒りはどんどんエスカレートしていく。彼女の大声に中庭にいた学生たちが一斉にこちらを振り向いた。その視線にいたたまれない気持ちになり、思わず消音の魔術をかけてしまう。これで、二人が何を話しているのかは周囲に聞かれることはない。そんなカーミラにアリッサが若干眉をひそめるが、些事であると判断したのか、特にリアクションはとらなかった。


 実のところ、カーミラにはアリッサに返す言葉が無かった。カーミラの両親が人格者であるとはいえ、腐っても公爵家である。カーミラは学院に入学するまで鳥籠の中の鳥であった。社交界には勿論出たりもした、しかしカーミラの側には常に両親が控えていた。周囲の貴族達も歯噛みしたことだろう。子供を標的に据え、公爵家と深い関係を作る。その思惑に対して公爵家自らがバリケードとなって阻止しているのだから。


 両親はカーミラに申し訳ないとは思いながらも、危険なことや、自身の派閥に引き込もうとする貴族らや、その子供たちに彼女を触れ合わせるのをよしとしなかった。純粋に育ってほしい。優しく育ってほしい。貴族同士の汚い社会に染まるのは、自分一人で判断できるようになってから、つまり大人になってからで構わない。彼女の両親は確かにカーミラを愛していた。だが、そんな両親の思いはカーミラすらも気づかないうちに、カーミラを箱入り娘に育ててしまっていたのだ。


 そんなカーミラである。恋愛経験に関して言えば、まだよちよち歩きの幼子同然なのである。自身の中に控えめに彩られた、ロビンへの思い。そんなものにはまだ自身でも気づいていなかった。


「ロビンは私の大切な友達で……」


「嘘! じゃあ、なんで休み時間にロビンを目で追ってるの?」


 それは、カーミラ自身も気づいていないことだった。


「カーミラの足の組み方は、ずっと左足が上だった。なんで最近になって突然右足が上になったの?」


 カーミラには答えられない。


「ロビンのことが好きだからでしょ?」


「……私は、ロビンは……」


「まさか、自分でも気づいてないっていうの?」


 アリッサが絶望的にも聞こえる声を発する。


「……昨日、ロビンとどこに行ってたの?」


 これは答えられない。だが、目の前の少女が発する憤怒の感情に多少のパニックになっているカーミラは、とっさに嘘を吐くこともできなかった。必然的に答えは沈黙となる。


「昨日、私はロビンとカーミラだけに同じ手紙を送った。二人から、今日は無理って返ってきた。ねぇ、ロビンとどこかに行ってたんでしょ?」


「……ごめんなさい、言えないわ」


 カーミラはやっとそれだけ話すことが出来た。でも選択肢としては最悪なものだった。


「私にも言えない場所に行っていたっていうの?」


 アリッサがわなわなと震える。薄いグレーの瞳が涙で歪んでいく。涙が次々とポロポロと彼女の目から溢れ出す。


「私ね。カーミラがロビンのことを好きだって、そうはっきり言ってくれたんなら、それはそれでいいと思ってたの。じゃあ、私達、ライバル同士ね、って。恨みっこなしねって。友達だから。ちゃんと話してくれるって信じてたの」


 次々と溢れ出す涙を拭おうともせず、アリッサがカーミラを睨みつける。


「でも肝心のカーミラは、自分の気持ちにも気づいてない! 本当はロビンのこと大好きなはずなのに! そんな貴方がロビンと隠れてこそこそとなにかやってる! それが私は許せないの!」


「アリッサ……」


 カーミラは泣き続けている彼女から目を離すことができなかった。


「私はロビンのこと大好きよ! お父様の説得に三年も費やした! 何度、あの妾の子は駄目だって言われたかわからない。でも大好きなの! 止められないの!

 ……私、こんなに自分が醜い人間だって知らなかった。カーミラがロビンと一緒にいるところを見ると、すごく嫌な気持ちになるの」


「だから、ロビンはただの友達で……」


「もうそんな言葉聞きたくない!」


 アリッサが激しく首を振り乱しながら叫ぶ。


「カーミラがそういうことを言うんだったら、私はカーミラの友達でいられない」


「……ねぇ、待って」


「待たない。カーミラはまず自分の気持ちを自覚して」


 今度はカーミラが泣きそうになる番だった。


「そんな事言われても、私、わからない!」


「カーミラの事情なんて知らない! 私が先にロビンを好きになったんだよ! でも、それを奪おうとする本人は自分の気持ちに気づいてもいない!」


 アリッサががっくりと項垂れる。涙が彼女のスカートに落ち、少なくない染みを作っていく。


「そんな、酷いことってある? どれだけ私が惨めな気持ちなのかわかる?

 ロビンに、私とカーミラどっちがいい、って聞けば、絶対にカーミラを選ぶ。

 私、可愛げないし、カーミラみたいに綺麗じゃない」


 カーミラはもはや何も言えなかった。どんな言葉をかければ良いというのだろうか。


「話は終わり。もう私に近づかないで。カーミラの顔も見たくないの」


「待って、アリッサ……」


「あなたが! 私の! 名前を呼ばないで!」


 アリッサは泣きながら立ち上がり、どこかへ走り去っていった。


 残されたカーミラは泣くまいとしていた自分の我慢が崩壊するのを自覚した。涙が止まらない。次々と塩っぱい雫が頬を伝い、スカートに落ちる。


「アリッサ……だって、私、わからないの。私、ロビンのことを好きなの? わからない。わからないの」


 カーミラの呟きは、奇しくも消音の魔術によって誰にも聞かれることは無かった。

あわわわ。恋愛で友情が壊れちゃいました。

まぁ、ネタバレですが、すぐに仲直りしますよ。カーミラとアリッサは喧嘩しても友達です。

恋愛を原因としていじめとかに発展するケースってよくありますが、そうはなりません。アリッサは実直な性格で、そんなことはしないです。今はカーミラに対して怒りまくっていますが。


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[気になる点] 最初の3人の名前のところがアリッサになってます
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