閑話:聖女伝説の出どころ
「でね、でね、ジギルヴィッツ様は私を身を挺して守ってくれてね!」
交流会の翌日、食堂にて。平民舎では、エイミーが友人のコリーに興奮を隠しきれない様子で語りかけていた。一方のコリーは、昨日の夕方から何度聞いたかわからないその話に少しだけうんざりした気持ちになる。
「ねぇ、エイミー。その話何度目?」
「何度だって話すよ! あの時のジギルヴィッツ様の後ろ姿が凛としててね、すっごいかっこよかったんだから!」
コリーはエイミーに悟られないように小さくため息をこぼす。確かに自分もあの事件を遠巻きながら見ていた。カーミラ・ジギルヴィッツという白銀の少女は、その小さな体に押し込めることができない気高き迫力を持って、ジョニー・クレイグに対峙していた。
貴族という存在に若干懐疑的かつ敵対的な思考を抱いていたあったコリーにしてみても、あれは十分に溜飲を下げるような出来事だった。有り体に言えばスカッとした。
だが、エイミーのこの興奮度合いははっきり言って異常である。何がそこまで彼女を惹き付けているのか、それがコリーにはまったくもって理解できなかったのである。
だが、しかし、少し考えてみてほしい。当然ではないだろうか。エイミーにとって、少なからず命の危険を感じたジョニーとの諍いに割って入ったカーミラは、実にヒーローというに相応しいふるまいであったのだ。人間はいつの時代であっても、英雄を求める。それは平民舎の学生達にとっても――つまりエイミーにとっても――同じであるのだ。
「だから、だから、コリー! 聞いてる?」
「あー、聞いてる聞いてる。もう耳にタコができるぐらいには聞いてるわよ」
嘘だ。もう左から右に聞き流している。もう、この話は聞きたくない。エイミーが話す一言一句まで暗記してしまったほどだ。なんとか逃げる算段を考えなければ、ストレスがマッハである。
「そんなに、ジギルヴィッツ様のことが好きなら、他の皆にも聞かせてあげれば良いんじゃない?」
コリーは後に語る。この時はただ単純にエイミーの小うるさいジギルヴィッツ様の素晴らしさという話から逃げたかっただけなのだと。コリーは甘かったのだ。エイミーの本質的な優秀さを理解していなかった。ただそれだけ。だが、そこに気づけなかったコリーは、後日少しばかり後悔することになる。
一夜明け次の日の昼前。コリーは違和感を感じていた。コリーとエイミーは言ってみれば親友だ。学院に入学して以来、片時も離れたことはない。優秀だが、優しげで強く物を言うことができないエイミー。エイミーほど優秀ではないが気が強く、他者と対立することも厭わないコリー。お互いがお互いの欠けたものを補う形で、二人の友情は異常なまでの強い結束を見せていた。お互いをただただ必要としている。ともすれば共依存のような関係にも取れるその間柄を揶揄する学生も少なからずいた。そんな連中には、エイミーにはばれないように、コリーがきっちりとお灸をすえてやったものである。
そんなエイミーが、今日は自分と一度も会っていないのである。今まで――風邪を引いた時等は別として――二人がこの時間までに顔を合わせなかった日は無い。コリーは言い知れぬ不安を感じ、エイミーを探しに行くことに決めたのだった。
もしかしたら、見つからないかもなぁ、というコリーの不安をよそに、エイミーはあっさりと見つかった。驚くべきことに、どこから持ち出したのか大きめの木箱をお立ち台にして、弁舌を奮っていた。如何にカーミラ・ジギルヴィッツという少女が気高いのか。如何に白銀の少女が誇り高いのか。如何に彼女が優しく、そして身分による差別を行わない立派な人格者であるのか。
うわ、とコリーは思った。昨日自分が言ったことをそのままあいつは実行しやがったのだ。そして、その周りに群がる決して少なくない数の女生徒達。そう、二度目になるが、いつの時代であっても人間は英雄を求めるのだ。公爵家の長男が引き起こし、そして同じ公爵家の令嬢が収めたその事件は、エイミーによって美しく、ドラマチックな英雄譚へと姿を変えていた。
エイミーの優秀さ。それは当然平民だてらに身につけた魔術学を始めとする様々な教養もある。しかし、彼女の才能の本質はそこではなかった。
エイミーの才能。それは弁論。そこにこそあった。例えば彼女が別の世界――例えば貴族等存在せず、民衆の意見によって政治が決まっていく世界だ――の住人で、おかしな政治思想に染まっていたりしたなら、その世界の後世の歴史書に、大衆を見事に扇動したアジテーターであると記述されたであろう。大衆を高揚させ、レトリックを巧みに操り、沸かせる。その才能が彼女にはあった。スピーチの構成は完璧。ついでに身振り手振りは完璧であり、声の抑揚も完璧であった。彼女の一言一句に、集まった女生徒らは一喜一憂し、そして共感し、感動し、そして涙まで流した。
エイミーは本来優しく控えめな性格である。勿論押さえるべきところは押さえ、言うべきことは言うという、市井に生きるものとしての最低限の術は知っている。だが、それ以上に優しく、他者を慮る性格が、エイミーをエイミーたらしめていた。であるからして、本来であれば、エイミーの弁論の才能はともすれば開花しなかったのかもしれない。そして、才能が開花したきっかけはコリーの一言である。
「であるからして、ジギルヴィッツ様はこの学院に神々が遣わした聖女なのです!」
何やらスピーチが終わったようだ。平民舎の女生徒らが、そのスピーチに熱狂し、ジギルヴィッツ様! 聖女様! と叫んでいる。コリーはあまりの信じられない光景に頭を抱えることも出来ず、ただただ呆然と立ちすくんでいた。
なんでだ。どうしてこうなった?
熱狂を生んだスピーチを終えて、額に汗を輝かせたエイミーがコリーに気づき、お立ち台から飛び降りて駆け寄ってくる。
「コリー! 昨日コリーに言われたように、皆に私の話を聞いてもらったの! 皆ジギルヴィッツ様を聖女だと信じてくれたわ!」
おいおい、ちょっとまて。昨日まで「聖女」だとかそういった単語は一切出ていなかったはずだ。一晩で何が起こった。コリーは混乱して二の句が継げない。
「ジギルヴィッツ様の素晴らしさは、やっぱり皆で共有しなければいけないと思うの! コリー、協力してくれるよね!」
エイミーの陶酔に染まった瞳、そしてその勢いに、コリーはただただ首を縦に振ることしか出来なかったのだった。
それから一日経ち、二日経ち、およそ一週間が経った。昼前と夕方の決まった時間に行われるエイミーのスピーチは、手を変え品を変え、そして根本にあるカーミラへの礼賛は変わらず、聞く者たちを熱狂させていった。エイミーの弁論に耳を傾ける人間は加速度的に増え、ともすれば、ジギルヴィッツ様を崇める宗教でもできるのではないかと言わんばかりの勢いである。
本当に! どうして! こうなった!
コリーは一週間前の自分の迂闊な発言を呪い始めた。あの時あんな事言わなければ。でもエイミーがここまでスピーチ上手なんて知らなかったし。っていうか、あの狂信ぶりはなんなの? コリーはこの一週間ずっと混乱しっぱなしである。
そんなコリーは、エイミーの言い知れぬ迫力に負け、言われるがままに彼女の敏腕マネージャーとして辣腕を振るわされていた。コリーはその性格には似合わず、他者をサポートすることが大の得意であった。
スピーチに集まった群衆をきっちりと整理し、そして、スピーチが始まれば、それを阻害するものがないよう、目を光らせる。エイミーに直接話を聞きたいと言い始める女生徒には、エイミーは忙しいので、スピーチを聞くだけに止めてほしいと説得する。
彼女は心底思う。本当に! どうして! こうなった!!!
熱狂の波はもはや女生徒にとどまらず、男子生徒にも広がっていく。ジギルヴィッツ様万歳。聖女様万歳。平民舎の夏休みの話題はあの白銀の公爵令嬢で持ちきりである。話題の主であるカーミラ本人もここまでの人気っぷりになっているとは思いもしないだろう。
コリーは、この一週間何度吐いたかわからない大きなため息を、また一つ吐くのだった。あ、今幸せ逃げたな。コリーはちょっとだけ泣きたくなった。
それから数日たった。エイミーの朝と夕方のスピーチは依然として続いており、よくもそう豊富なボキャブラリーでたった一人の人間を褒め称えられるものだと、コリーは半ば諦めながらも感心していた。
今日も、青春の汗――些か間違った方向の青春かもしれないが――を輝かせながら、お立ち台から降りるエイミーに、お疲れ様、とコリーがタオルを手渡す。
「皆、ジギルヴィッツ様の素晴らしさに魅了されてるね。素晴らしいわ。そう思わない? コリー」
もう人が違ってしまっている。元のエイミーを返してと叫びたくなる衝動を必死に抑える。
「え、えぇ。そうね。貴方の愛しのジギルヴィッツ様の魅力が皆に余すことなく伝わって嬉しく思うわ」
「えへへ、コリーもそう思うよね。私もっと頑張らなきゃ!」
駄目だ、この女。皮肉が一切通じていない。コリーはもうすっかり呆れてしまった。
そんな会話をしながら寮に帰る二人の前に、変わった闖入者が姿を表した。
「エイミーとコリーだな」
貴族舎の学生だ。エイミーとコリーが平民舎ではまずもって見かけるはずのないその制服を目にし、警戒に目を細めつつも、深く頭を下げる。いくらカーミラの聖女っぷりが話題になろうとも、平民にとって貴族は基本的に敬わなければ何をされるかわからない別の世界の人間であり、ともすれば容易に仮想敵になりうる。彼奴らの恐ろしさは十二分に知っているし、交流会があったとはいえ、日常の場において二人の対応は至って普通のものであった。
「そんなに畏まらなくても良い。頭を上げてくれ。私はジギルヴィッツ様親衛隊隊長、アンソニー・グリーンである」
「私は同じくジギルヴィッツ様親衛隊副隊長、コーフ・リヴァーである」
アンソニーの言葉に頭を上げた二人は、不思議そうに顔を見合わせる。何やら様子がおかしい。
「我々、ジギルヴィッツ様親衛隊は、エイミー、そなたのジギルヴィッツ様への貢献を高く評価している」
アンソニーが仰々しい言葉で、エイミーを褒め称える。この人達何しに来たんだろう。増々二人は不思議そうな顔を見合わせる事になってしまう。
「我々は、学院の聖女と名高いカーミラ・ジギルヴィッツ様を見守り、守護し、愛でる、その三点を目的に結成された親衛隊である。平民舎でのそなたのジギルヴィッツ様への献身は、我々の耳にも入っている。実に、実に素晴らしい。そこで、そなたにジギルヴィッツ様親衛隊の名誉隊員として迎え入れたく、ここに来たのだ」
名誉隊員? なにそれ? エイミーもコリーも頭に無数のクエスチョンマークを浮かべた。
「そもそも、ジギルヴィッツ様が聖女と呼ばれだしたのは、エイミー、そなたの功績である。我々はそなたを同志と認め、そして同じ聖女を崇めるものとして共に歩みたい。そう考えているのだ」
「はぁ。仰ることはよくわかりませんが、とにかくジギルヴィッツ様が素晴らしい、ってことですよ、ね?」
アンソニーの仰々しく芝居がかった台詞に、エイミーが恐る恐る尋ねる。
「その通りだ」
二人はようやく理解できた。この人達もまた、あの公爵令嬢に魅入られた方々なのである、と。
「ジギルヴィッツ様の素晴らしさを広めるという話なのであれば、私は大歓迎でございます」
エイミーがにっこりと微笑み、アンソニーに告げる。しかし、その時であった。
「待てい!!」
また別の輩が現れたのである。
「彼女を同志として迎え入れるのは、我々ジギルヴィッツ様近衛隊である!」
「そのとおり!」
新たに二人現れたジギルヴィッツ様近衛隊とやらと、親衛隊が言い争いを始める。曰く、こちらの方がジギルヴィッツ様を敬っている、だとか、こちらの方がジギルヴィッツ様の立場向上に尽力しているだとか。
話がややこしくなってきたぞ。エイミーは、素晴らしい、という満面の笑顔になっているが、どうにもコリーはこの一連のやり取りの結末が予測できてしまったのである。きっとこうなるに違いない。コリーは確信を持って、その結末を頭に描いた。
「皆様!!」
ほらきた。コリーは頭を抱えてしまった。
「ジギルヴィッツ様が聖女と呼ぶに相応しく、そしてその存在がまばゆい輝きを持って私達の前に現れたことは、神々が遣わした奇跡なのです」
突如、大声で叫び始めたエイミーに貴族舎の四人が何事かと、目を剥いた。彼らも矮小な一人の平民である彼女が、いきなり自分たちに大声を上げ始めるとは考えていなかったのだ。
「そんなジギルヴィッツ様を讃えることに、我々矮小な人間が矮小な組織を作って、派閥争いをしている状況なのでしょうか。いえ、私は違うと愚考します。ジギルヴィッツ様も神々もそんなことはお望みではありません」
熱のこもった視線。時に静かに、時にダイナミックに行われる身振り手振り。彼女のアジテーターとしての才能はこの場所でも遺憾なく発揮されていた。
「ジギルヴィッツ様を礼賛するという点では、私達も貴族様方も同志。そこに優劣はございません。まず、ジギルヴィッツ様がきっとその優劣をお許しになりません。ジギルヴィッツ様は誰に対しても平等なのです。そう、神々のように。だからこそ、ジギルヴィッツ様は聖女である、とそのように私は考えているのです。ですから争いはおやめください。矛をお納めください。私達は皆同じ旗を仰ぐ『仲間』ではないですか」
ぼんやりとエイミーの発言を聞いていた貴族舎の学生達だが、次第にその内容を理解した。誰と話に、おお、とから声が上がった。そして、次の瞬間には、惜しみない拍手が彼女に送られた。
「エイミー。君の言うとおりだ。我々はなんて愚かだったのだろう」
「決してご自身を愚かなんて言ってはいけません。ジギルヴィッツ様はそんなこと、お望みではございません」
「おぉ、おぉ。その通りだ。エイミー。そなたの言葉はなんと素晴らしいのであろうか。ジギルヴィッツ様は確かに、平等だ。そして気高く美しい。そのようなお方を礼賛する我々が分裂していてどうするのだ」
エイミーは、貴族舎の学生達の方に一歩歩み出ると、言い放った。
「ジギルヴィッツ様は気高く、美しく、それでいて慈悲深い。まさに女神のような存在なのです。私達、それに貴族舎の皆様。一丸となってその素晴らしさを説かねばなりません」
「その通りだ!」
「エイミー、いや、エイミー様! 我々は貴方様に付き従います。共にジギルヴィッツ様を礼賛し、そしてその素晴らしさを世に広めるものとして、エイミー様、貴方様の力を我々にお貸しください!」
ほうら、こうなった。コリーはもう諦めるしか無い。そう、諦めるしか無いのだ。
エイミーはにっこり笑って言った。
「ジギルヴィッツ様を愛し、敬い、崇める心に身分も生まれもない、と私は愚考しておりますが、とはいえ私は一介の平民でございます。貴族様方の陣頭に立つには力不足ではないでしょうか」
「いえ、我々は目から鱗が落ちる思いでした! 貴方様、貴方様であれば、ジギルヴィッツ様の素晴らしさをこの国、いや大陸全体に伝えることができる!」
「……承知いたしました。そこまで仰るのであれば僭越ながら、拝命いたします」
そうして、貴族舎で複数の派閥に分かれていたカーミラのファンクラブはエイミーを中心に統一され、後のカルト宗教――と言いながらその実態はただのファンクラブなのであるが――であるカーミラ・ジギルヴィッツ聖女教団、その母体が完成したのであった。
コリーは心中で涙を流しながら、エイミーに跪く貴族舎の魔術師達をみてもう一度思った。
本当に!! どうして!! なんで!! こうなった!!!
はい、本編ではあまりスポットライトの当たっていないエイミーもすごく変わり者だったんだよ、という話です。
彼女が現代日本にいたら、恐らくマスコミに就職し、政治の部門で目覚ましい評価を受け、最終的に政治家にでもなっていたでしょう。
あ、コリーはゲストキャラです。本編には登場しない予定です。多分。
カルト宗教の崇拝対象となるカーミラ様。強いです。流石です。
私だったら惚れてます。ほれてまうやろー。
読んでくださった方、ブックマークと評価、よければご感想等をお願いします。
励みになります。
既にブックマークや評価してくださっている方。ありがとうございます。




