第十七話:カーミラの激昂
カーミラを宥めすかすのには結構な時間を要した。「ごめんなさい」、としきりに呟く彼女をぎゅっと抱きしめて、大丈夫、大丈夫、と声をかけ続ける。綺麗な金色の目から涙が次から次へ溢れ、ようやく泣き止んでくれた頃には、ロビンのローブはビシャビシャになっていた。
一通り泣きつくして、気を取り直したカーミラはゆっくりと立ち上がる。少しだけふらつきながら、シェリダンの元へ歩いていった。静かな怒りを携えて、彼女は倒れ伏した男性に問いかける。
「レファニュ先生。私を吸血鬼にしたのが貴方たちだというのは本当ですか?」
未だアレクシアに打擲された痛みに唸り声を上げていたシェリダンが、辛うじてカーミラの方に顔を向ける。答えはない。
「もう一度聞きます。私を吸血鬼にしたのは貴方ですか?」
「……く、くくく。その通りですよ。ジギルヴィッツ様。貴方の貴き魂にとって人間という器は小さすぎるのです」
シェリダンの狂ったような笑い声に、カーミラの瞳が真っ赤に染まる。激情に身を任せて、彼女はシェリダンを蹴り飛ばす。ロビンが止めようとしたが、もう遅かった。シェリダンがごろごろと転がる。その様子を見て、彼はホッとした。彼女が全力で人間を蹴り飛ばしたら、人間なんて粉々になってしまう。激情に身体を任せながらも、手加減はしているようだ。
「私が! 私が! どれだけ辛い思いをしたか! 吸血鬼になんてならなければ! 私は!」
慟哭。カーミラは言葉にならない言葉をシェリダンに向かって叫ぶ。
「友達だって! これからだって! 全部全部! あんたたちのせいで!」
何を言いたいのかもはっきりしていないのだろう。ただそこにあるのは激昂のみ。
「私は! 人間として生きて! 人間として死にたかったのに! あんたたちが!」
そこまで言って、カーミラは泣き崩れてしまった。ロビンは目を背ける。カーミラにかける言葉が見当たらない。彼女の悲しみも怒りも痛いほど伝わってきたからだ。
「どうして。どうして私なのよぉ。なんで……なんで」
せっかく泣き止んだのに、また泣き始めてしまった。なんと声をかけてあげれば良いんだろう。ロビンは困ってしまった。アレクシアの方を見る。彼女もまた、カーミラに掛ける言葉を見つけられていないらしい。少しだけ悲しげに表情を歪めている。
カーミラの泣き叫ぶ声とシェリダンの笑い声だけがだだっ広い地下室に反響する。何か意を決したのか、アレクシアがカーミラに近づいていく。
「殺すか?」
アレクシアにはそれが許されている。学院長に殺すな、と指示されていたとしても、そんなことは彼女にとってどうでもよい。
「……いえ、殺さないで。正当な裁きを受けてほしい」
「ジギルヴィッツ。貴方が吸血鬼だということがバレてしまうぞ」
「罪なんてでっち上げればいいわ。……あの狸親父が得意そうじゃない。生きて、生きて、それで自分の罪を償ってほしい」
「わかった」
それ以上言うことはないとでも言うように、アレクシアが一歩後ずさる。
ロビンはもはや、カーミラにどんな言葉をかけてあげればよいのかわからなかった。完全に手持ち無沙汰である。所在なさげに地下室を見回す、と、鉄格子で塞がれた小さな部屋があることに気づいた。戦いに夢中で全然気づかなかった。ロビンは自分も相当頭に血が昇っていたのだな、と少しだけ反省する。よく見ると中に横たわった人影が見える。
「カーミラ、あそこ」
カーミラに歩み寄り、牢屋を指差す。カーミラも気づいていなかったようだ。牢屋を見、中にいる人物を確認すると、急いで立ち上がり、駆け寄る。
「クリスタ!」
クリスタ、あぁ、確か図書館の司書の名前だったか。ロビンはあまり親しくはないが、カーミラから何度か名前を聞いていたので覚えていた。
カーミラが吸血鬼の膂力をもって鉄格子をぐにゃりと曲げる。
「クリスタ! 起きて!」
クリスタは目を覚まさない。ロビンが二人の元へ歩み寄り、クリスタの頭に手を当てて、魔術の痕跡を探り当てる。
「強い睡眠の魔術がかかってる。解呪の魔術、使える?」
「えぇ、使えるわ」
カーミラは杖を取り出し、解呪の魔術を行使すると、クリスタがゆっくりと目を開けた。
「ここは……あれ? ジギルヴィッツ様?」
「クリスタ、無事?」
図書館の司書はゆっくりとあたりを見回して、数秒間考え込んだ。ようやく状況が飲み込めたような顔をすると、いきなり泣き始めた。
「ジギルヴィッツ様、も、も、申し訳ございません」
いきなり泣き始めたクリスタにカーミラが目を白黒させる。
「えっと、謝られてる理由がわからないんだけど」
クリスタは嗚咽しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。自分の親がヴァンピール教の信者だったこと。子供も自動的にヴァンピール教の信者にさせられてしまうこと。ヴァンピール教の上層部の命令は絶対で、逆らったら何をされるかわからないこと。
そして、カーミラが入学当初に読んだ魔導書は、カーミラに読ませるため、クリスタが図書館に置いたこと。教団の偉い人間に言われて、なんの本なのかもわからず、図書館に置き、それを読んだカーミラが倒れてしまったこと。それをずっとずっと後悔してきたこと。
カーミラがクリスタの独白を聞きながら、目を細める。教唆犯は後ろの方で倒れ伏している二人だが、実行犯はこの女性なのだ。カーミラはしばらく考え込んだ後、唐突にクリスタの頬を平手で張った。
「……クリスタ。貴方のやったことを私は到底許せない。あの魔導書は私を吸血鬼にしてしまった」
「っ!?……勿論でございます。どんな罰も甘んじて受けます」
「って思ったんだけどね。どうにも、貴方を憎むことが、私できないの」
クリスタが驚愕に涙で真っ赤にした目を見開く。
「貴方は何も知らなかった。私にはそれだけで貴方を許すのに十分なのよ。図書館に行く度に、私に笑いかけてくれたわよね。何度か貸出期限の過ぎた本を督促もせずに見逃してくれた。私、貴方のこともうただの他人だと思えないの」
ロビンはその言葉を聞いて、苦笑する。カーミラは身内に甘い。甘々だ。苺の乗ったショートケーキぐらい甘い。
「ね、さっきのビンタで、この話はおしまい。貴方がいなくなったら、忘れっぽい私をお目溢ししてくれる有能な司書がいなくなっちゃって困るわ」
いよいよ、クリスタは激しい勢いで泣き始めてしまった。そんなクリスタをカーミラが優しく抱きしめる。ごめんなさい、という言葉に、大丈夫よ、とカーミラが返事をする。ロビンはその光景を見て、『学院の聖女』と彼女が呼ばれていることを思い出した。なんだ、最初はちょっと面白がったりもしたけど、まさに彼女にピッタリじゃないか。ロビンは思わずニッコリと笑った。
数十分程経ち、クリスタが涙を止め、しゃくりあげ始めた頃、また階段の方から靴の音が聞こえた。
「ジギルヴィッツ、ウィンチェスター! 無事か」
魔術学院の学院長。彼が自らこの場所に足を運んだのであった。ハワードはロビンを見遣り、ツカツカと彼の元まで歩み寄ると、思いっきり拳骨を降らせた。思いも寄らない力のそれに、ロビンは視界がチカチカするのを感じた。
「この馬鹿者が! 動くでないと手紙を送ったであろう!」
「え!? 手紙なんてくれてたんですか?」
「読む前に行動を始めていたか。全く」
ハワードが特大のため息をつく。
「とにかく、無事でなによりだ」
そう告げたあと、ハワードは倒れ伏している二人を見遣る。
「ふむ、ヴァンピール教の上層部の一人と、レファニュ先生。全く私も人を見る目が鈍ったようだ。こんな厄介者を学院に招きこんでしまうとは」
学院長が自身の失態を嘆くように、表情を曇らせる。シェリダンは学院長がスカウトした教師の一人である。まさか、ヴァンピール教に与しているとは終ぞ思わなんだ。
「王宮には連絡してある。二人は連行され、尋問を受けるだろう。だが、その前に」
ハワードはそう言って、杖を取り出す。彼が行使したのは魔術というよりも呪術に近いものだった。法律に抵触するかで言えば、限りなくグレーゾーン。彼が施した魔術は、カーミラが吸血鬼であることを、決して口にできない。そんな魔術だった。
「ジギルヴィッツの秘密はこれで守られる。そこな老人は指名手配までされている。死刑とまではいかぬだろうが、それなりの重い罪となるだろう」
学院長はそう告げて、そしてカーミラとクリスタを見る。
「ジギルヴィッツ。君を守ってやれなかったのは全て私の責任だ。責任を取って、学院長の職を辞職しようと思う」
「えっ!? 学院長が辞職ですか!? いやいやいやいや、駄目です! 学院長がいなくなったら学院がしっちゃかめっちゃかですよ」
ロビンが驚きすぎて、学院長の心を変えようと吠え立てる。カーミラがそんなロビンの様子にニコリと笑う。
「学院長。今回の件で貴方が辞職してしまったら、何か起こった、と学生たちが探りを入れますわ。何もなかった。それが一番だと思います」
「だが……」
「当事者の私が良いと言っているからいいのです」
「……わかった。ありがとう。心優しき生徒を持てて幸せ者だ」
ハワードが目頭を押さえる。ロビンとカーミラはその様子に顔を見合わせてニッコリと笑う。
「クリスタ。君が犯した罪に関しては、おおむね把握している」
学院長がクリスタを見遣る。この人は、この地下室にはいなかったはずなのに、何故全て知っているのだろう、ロビンは不思議に思った。学院の七不思議になってもおかしくない。
ハワードの黒曜石のような瞳で見つめられたクリスタは、もはやどの様な罰も甘んじて受ける想いだった。それだけのことをした。カーミラから聞かされた最後のピースによって、自分のしでかしたことが如何に彼女の人生を狂わせたのか理解してしまったのだ。
「私が裁いてもいいのだが……」
ハワードがカーミラをちらりと見る。
「もう、裁かれた後のようだ。私から言うことは何もない。これからも我が学院の図書館の司書として勤務してほしい」
司書が驚いたように目を見開く。
「ロドリゲス先生。貴方は誓約を確かに守ってくださった。学院の大切な生徒を守っていただいたこと、心より感謝します」
学院長がアレクシアの方を向く。アレクシアは学院長から何か言われるなんて全く思っていなかったようで、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後、少しだけ顔を赤くした。尤も、その表情の変化はロビンぐらいにしかわからなかっただろうが。
「いや、私は、誓約を果たしただけに過ぎません。今回の件で自身の罪が赦されるとも思ってはおりません。謝意の言葉など不要です」
目をそらして、ポリポリと頬を掻く。顔は相変わらず無表情ではあったが、ロビンには少しだけ困った顔になっているのがわかった。
学院長が、この場に立っている全員の顔を見回す。
「後のことは儂が引き受ける。君たちは学院に戻りなさい。今日のことは誰にも話してはならない。この場にいる人間だけの秘密だ」
そして、カーミラを見遣る。
「このヴァンピール教の二人については、重い罪が課せられるだろうが、そこからジギルヴィッツ、君の正体にはたどり着かないよう、儂が上手くとりなしておく。安心してほしい」
こうして、リシュフィリアの街の裏通りで起きた事件は解決を迎えた。迎えたのだが……。
「あ、僕とロドリゲス先生って、走ってここまで来たんだった。どうやって帰ろっか……」
「流石に、人間を抱えて走るのは危険だな。素直に歩いて帰るしかあるまい」
ちょっとだけ締まらない最後になってしまったのはご愛嬌であった。
その夜、ロビンが寝支度を整えて、今日は疲れたな、と考えながらベッドに横になろうとしたときだった。毎度の如く、窓を叩く音がロビンの耳朶を打った。ロビンは窓をそっと開ける。
「いらっしゃい。カーミラ」
いつものように現れたカーミラが、もはや彼女の専用席になってしまっている椅子に腰掛ける。
「……えっと、ロビン。あのね……」
椅子に座り、足を組んだカーミラが何故かもじもじとしている。トイレでも我慢しているんだろうか。ロビンは首を傾げた。
「どうしたの? トイレなら自分の部屋でしてきなよ」
「ロビンの馬鹿! 別にトイレに行きたいわけじゃないわ!」
全く、なんでこんなにデリカシーがないのかしら、とカーミラはプンプンと怒り出す。仕方ないだろう。ロビンにはデリカシーというものはとうの昔にゴミ箱に捨て去った人間なのだ。
「じゃあなにさ?」
「えっと、うんと、あのね?」
「うん」
カーミラは未だにもじもじとしている。こころなしか、顔が赤い。それが何故なのかは、いくら洞察力に優れたロビンにもわからなかった。
「私、ロビンに謝らないといけないの」
「えっと、僕がボロボロになったこと? それならカーミラが全部治してくれたじゃない」
あの後、まずカーミラが行ったことは、ロビンの怪我の治癒だった。いまではすっかり怪我も治り、傷跡一つ残っていない。
「いや、それもそうなんだけど……」
物事を割とはっきりというタイプのカーミラにしては珍しく、言いよどんでいる。ロビンはますます不思議になった。
「……今日ね、ロビンが助けに来てくれて。私、ロビンのことたくさんたくさん傷つけて、すごく申し訳ない気持ちになって……」
でもね、とカーミラが続ける。
「それ以上に、ロビンが真っ先に駆けつけて、私を助けようとしてくれたことがすごく嬉しかったの」
話はそれでおしまい! と、カーミラがそっぽを向く。ロビンは彼女の耳が真っ赤になっていることに目ざとく気づいた。経験豊富な男の子であれば、彼女の気持ちに気づいただろう。彼女がロビンに対してどんな気持ちを抱き始めているのか。尤もその淡い気持ちは、カーミラ自身も気づかない小さなものであるのだが。
だが、ロビンは今までそういった感情とは向き合ってこなかった。向き合ってこれなかった人生だった。そのため、カーミラがただ恥ずかしがっているだけなのだと、そう解釈した。
「僕は、あの夜に君に誓った言葉に背を向けたくない、その一心だけだったよ」
何故か、カーミラの真っ赤な耳が、さらに真っ赤になっていく。ロビンはまたまた首を傾げた。
「な、な、な、な」
「なななな?」
カーミラの言葉にならない言葉にロビンはますます訳がわからないといった顔をする。数秒間あたふたしたカーミラは、大きくため息をつくと、何かを諦めた表情になった。
「と、とにかく! 助けに来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
じゃあ、そういうわけだから、おやすみ! と、彼女は叫んで、ロビンの部屋を出ていった。いつもならする他愛もない話も、からかい合ったりする話もなしだ。
「うーん、なんだったんだろう」
ロビンはやっぱり首を傾げて、そして考えても無駄か、と思いベッドに横になるのだった。今日は疲れた。心地よい睡魔に身を委ねて、彼の意識は深い深い闇の底に沈んでいった。
はい、一件落着です。
カーミラは基本的に優しい女の子です。
それでかっこよくて、強い。私はそんな女の子と付き合いたかった!
第二部ももう少しで終わりです。つまり、夏休みが終わってしまうということ。
その絶望感は、誰しもが経験した感情でしょう。
私も永遠に夏休みでありたい。
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