第十四話:アレクシアの出奔
ロビンが簡素なものであり、汎用性がないとはいえ、新しい魔術の開発に成功した次の日。今日も今日とて、ロビンとアレクシアの筋力強化訓練は行われていた。
「ふむ。ここまでとは」
アレクシアが嘆息しながらロビンの身体を撫で回す。ロビンとしても最初は女性に身体中を撫で回されるのに抵抗があったものだが、今となっては慣れっこになってしまった。
「両腕と両足か。筋力強化としては体の末端は簡単な部類に入るが、まさかこれほど短期間で習得するとは思いもしなかった」
ロビンは、両腕に続き両足の筋力強化についても成功を収めていた。僅かな疲労感を感じるが、それを上回る達成感に思わずガッツポーズを取る。
「恐縮です。ロドリゲス先生のご指導の賜物ですよ」
「いや、貴君の才能だ。まさか私以上の才能の持ち主を見つけるとは思わなかった」
私がここまでたどり着くのにどれだけ時間がかかったと思っているんだ、半年だぞ、半年、と若干不満げな独り言をブツブツと繰り返すアレクシアだが、数秒後には自らの弟子を誇るかのような柔らかな笑顔をロビンに向けた。
「才能があるとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。貴君の師として誇りに思っているよ」
手放しで褒めちぎるアレクシアに、あはは、と照れ隠しの笑い声が漏れる。今までの人生で大人からここまで褒められたことがロビンにはなかった。くすぐったくて、なんだか誇らしくて、不思議な気持ちだった。
「私は、貴君に夏休み中に貴君の筋力強化をモノにしてみせると言ったな」
「はい、言われましたね」
「正直、期待などしていなかった。貴君を奮い立たせるためだけの言葉だった」
「へ?」
ロビンは驚きに目を見開いた。どこからどうみても体育会系で軍人気質で鬼教官なこの女性が、そんな策を弄するようには見えなかったためだ。
「そんな驚いた顔をするな。私だって弟子がより早く成長するように精神的なケアをしたりもする」
「そ、そりゃそうですよね。失礼しました」
「だが、貴様が私をどう思っているのかは、今の顔でよーくわかった」
ニヤリと頬を釣り上げたアレクシアにロビンは背筋が寒くなるのを感じた。やばい、この流れはあれだ。
「明日からの訓練。期待しておくことだな」
「お、お手柔らかにお願いします……」
愛想笑いを浮かべて、全面降伏のポーズを取るが、この鬼教官はそんなことでは許してはくれないだろう。
「さて、これからの話をする」
「はい」
アレクシアが一転して真面目な顔をし、少しだけ弛緩していた空気をピリッとしたものに戻す。こういうの、ロドリゲス先生は得意だよなぁ、とロビンは感心する。一瞬で場の緊張を作り出すというのは、存外難しいものである。
「身体の末端と、中心部分、勿論頭も含まれるが、それらの難易度の違いは何に所以するものか知っているか?」
「えっと、以前仰ってましたよね。体の中心部分には臓器があるからだ、と」
「よく覚えていたな。その通りだ。腕や足を構成するのは、皮膚と筋肉、血管と骨。ざっくりとだがそれぐらいだ。その部分にマナを浸透させるのは筋力強化の全体と比較してそこまで難しくはない。
だが、身体の中心部分となるとそうはいかない。心臓がある。胃がある。腸がある。肝がある。当然頭には脳があり、目や鼻、耳や口がある。
それら全てに対して強化を行うことで、初めて筋力強化ができている、と呼べるようになる」
「はい」
「ただし、何も全ての臓器や感覚器官を強化する必要はない。筋力強化が『筋力強化』と呼ばれる理由はそこにある。筋力に対する強化であれば、そこまで難しくはない。
私も臓器や感覚器官の強化は省略することが多い」
「それは何故ですか?」
アレクシアがロビンの顔の前で人差し指を立てる。
「臓器はそもそも強化する必要性がない。外側の筋肉が十分に強化されていれば、どんなに強い力で殴られようとも、臓器までダメージが及ばないからだ」
続けて彼女は中指を立てた。
「感覚器官は、そうだな。早い話が振り回されてしまう。眼を強化すれば視力が強化される。耳を強化すれば、微細な音も聞き分けられるようになる。鼻や口は言うまでもあるまい」
ロビンの目の前で立てていた手を、ひらひらと振り回し、肩をすくめた。
「純粋な闘争において、多すぎる情報というのは逆に毒となる場合もある。眼の強化にだけ関して言えば、私もよく使う。だが、耳の強化なんてしてみろ。うるさすぎて戦いに集中できない。まぁ使い所はあるが、それは貴君が感覚器官の強化を習得した時の楽しみにでもとっておく」
確かに。ロビンは腕と脚の強化が解けてしまわないように注意しながらアレクシアの説明になるほど、と思う。
「貴君に最初の授業で無理やり成功させたあれも、臓器や感覚器官までは強化していない。もし強化していたら多すぎる情報量に混乱して、筋力強化どころではなかっただろう」
「はぁ」
「だが、使えるが使わないのと、使えないから使わないというのでは絶対的に前者が有利だ。最終的にはそこまで扱えるようになってもらう」
「わ、わかりました」
ロビンはこれからさらに激しくなりそうな鬼教官のしごきを想像して心のなかでため息をついた。
「ということで、一度筋力強化を解け、その後でもう一回、だ……ん?」
アレクシアがもう一度やりなおし、という号令を、良いかけてやめる。アレクシアの元に白い鳩が飛んできたのだ。白い鳩はアレクシアの近くまでやってくると、手紙へと姿を変えた。配達の魔術だ。だが、配達の魔術は送り先の詳細なイメージ、もしくは住所などの情報がなければ届けることはできないはずだ。ロビンは不思議に思い、首を傾げた。
アレクシアが手紙を手に取って、不思議そうなロビンの顔に気づく。
「あぁ、私のような怪物処理人は王家によって常に居場所を把握されている。そんな魔術をかけられているのだ。どこにいても常に連絡がとれるようにな」
ロビンへ軽く説明しながら、手紙の封を乱暴に開ける。中の手紙を引き抜き、封筒を捨て去ると、手紙の内容に目を落とした。数秒手紙を読み、軽くため息をつくと、ロビンに視線を向ける。
「すまない、ウィンチェスター。訓練はこれで終いだ。王宮から呼び出された」
「呼び出し、ですか?」
「あぁ、いつまでも学院にいる私を訝しんだのだろう。報告に来い、とのことだ」
はぁ、大変ですねぇ、とロビンが小さくこぼす。
「これも職務の一環だ」
「王宮までは馬でも借りて行くんですか?」
「いや、筋力強化をして、走っていく。強化した私の脚は馬より早い」
王宮まで全力疾走で駆け抜けていくアレクシアを想像して、めちゃくちゃシュールだな、とロビンは吹き出しそうになった。
「なんだその顔は?」
「い、いえ。なんでもありません」
だめだ、面白すぎる。ロビンは必死で笑いをこらえる。
「まぁ、良い。明日以降はこれまで私とやってきた訓練を一人で実施することだ。長くて一週間は不在にするだろう」
「わかりました」
「何かあれば、配達の魔術で手紙を送れ」
「でも、僕王家みたいにロドリゲス先生の居場所を常に把握してるわけじゃありませんよ?」
「馬鹿者。失せ人探しの魔術があるだろう」
あぁ、すっかり忘れていた。ロビンは先日開発した新しい魔術のことをすっかりさっぱり忘れていたことに気づき、反省した。
「私は別に便所にいようと、風呂に入っていようと、貴君の魔術を拒否することはない。気軽に使え。だが、あまりにも何度もやられると鬱陶しくて訓練の内容を考え直すかもしれないがな」
「こ、心しておきます」
「では、今日の訓練はここまでとする。今日は体力も有り余っているだろう。有意義に使うが良い」
私は王宮へ行く準備をしに居室へ戻る、と一言だけ告げ、踵を返し学院へ戻っていく。ロビンは今まで維持していた腕と脚の強化を解いて、はぁ、と疲労に満ち溢れたため息をつく。
ロビンにとって、強化を維持するのは、まだまだ集中力が必要なものだった。アレクシアと会話しながら、考え事もしながら、マナを霧散させないようにする。それは非常に疲れる行為なのである。
アレクシアからは、いつか慣れて自然体でできるようになる、とは言われているのだが、そこまでできるようになった自分をまだまだイメージすることができない。
アレクシアもいないし、明日からサボろっかな、などと一瞬だけ邪な考えが頭をよぎったが、頭を横に振りその考えを振り払う。明日からも一人で訓練だ。
えいえいおー、と一人で右腕を高く掲げ、自分を奮起させる。やった後で酷く虚しくなったのはロビンだけの秘密だ。
一方その頃、カーミラはとある教師から呼び出しを受けていた。何の話だろう、と不思議に思ったが、学院の教師からの呼び出しである。断ることはあり得ない。私、なんかやらかしたかしら、と自分の胸に聞き、心当たりを探すがどうにも出てこない。行けばわかるか、と一人で納得し、呼び出した教師の居室へ赴く。
「レファニュ先生。ジギルヴィッツです」
カーミラが扉を控えめにノックしながら名乗る。
「あぁ、入ってきなさい」
扉越しにシェリダンのしわがれた声が聞こえる。カーミラは扉を開け、彼の部屋に入り込む。
「何か御用でしょうか?」
「あぁ、とりあえず、そこに座ってくれ。今紅茶を入れる」
シェリダンが来客用の机と椅子を指で指す。その後で今まで座っていた椅子から立ち上がり、いそいそと紅茶を入れ始める。なんだか、怒られるとかそういうことじゃないっぽいわね、とカーミラはそっと胸をなでおろし、椅子に座る。
無言の時間が続く。部屋にはシェリダンが紅茶を淹れる音だけが響き、何故かそれがカーミラにはとても不気味なものに感じられた。
「すまない、君にとっては飲めたものじゃないかもしれないが、容赦してくれ」
シェリダンが紅茶の入ったカップをカーミラの机に置く。カーミラは渡されたカップを取り、一口飲む。
「いえ、美味しいですよ」
「そりゃ良かった。紅茶を淹れる腕には自信がなくてね」
ははは、とシェリダンが照れたように笑う。なんでも無い教師と生徒の会話。だが、何か違和感があった。なんとも言えない不思議な感覚に、カーミラが心のなかで首を傾げた。
「御用はなんでしょうか?」
カーミラが再度問いかける。シェリダンは部屋に一つだけある窓の方へ歩いていき、外を眺め始めた。答えが帰ってくる気配がない。数十秒ほど無言の時間が続いた。
「えっと、御用は……」
「ジギルヴィッツ君。君は自分がどれだけ貴き存在かわかっているかい?」
シェリダンがいきなりよくわからないことを言い始め、カーミラは少しだけ混乱した。
「えっと、家柄のことでしょうか? 確かに私は公爵家ですけど」
「勿論それもあるが、それだけじゃない」
窓の外を眺めていたシェリダンがカーミラの方に向き直る。その翡翠色の眼が酷く濁っているような気がして、カーミラは背筋が寒くなるのを感じた。
「学院では『聖女』と呼ばれ、他の学生たちにも慕われ、そして王家の傍流」
何故かカーミラは言葉を出せなかった。狂ったような眼でこちらを見つめてくる壮年の男性に本能的な恐怖を覚えたからだ。
「そして、矮小な人間を遥かに超えた力を持ちながらも、それを振るうを事をよしとしない」
知っている。この男は自分の正体を。カーミラは心の底から驚いたが、それをなんとか表に出さないようにできた。気付かれないようにローブから杖を取りだす。
「えっと、先生が何を仰っているのか、私にはわかりませんわ」
「君のような存在が現れるのを、私はずっと待っていたのだよ」
シェリダンが自身の机の引き出しから、何かを取りだす。拳大の宝石。あれは良くないものだ。カーミラは誰に聞いたわけでも、見たわけでもないが、何となくそう感じた。
「じゅつしきてんか……」
「おっと、魔術は使わせない」
いつの間に隣に来たのだろう。壮年の男性がカーミラの振り上げた右腕を掴んでいた。
「さぁ、これを見なさい」
シェリダンがカーミラに宝石を見せつける。
あれ? 私、なんでここにいるんだっけ?
「ふむ。あの老人達も中々役に立つものだ」
声は聞こえる。意識もはっきりしている。だが、何故自分がここにいるのかがわからない。自分が何をすべきなのかもわからない。
「君はヴァンピール教のものだ。言ってご覧?」
目の前の男性が舐め回すような声を、カーミラの耳元でささやく。
「……私は、ヴァンピール教のものです……」
口が勝手に動く。そうか、私はヴァンピール教のものだったんだ。ところでヴァンピール教ってなんだっけ? どうでもいいか。
カーミラは目の前の男性の言うことを聞くことが、自分のすべきことなのだと思った。
この人のために。この人の側で。私は生きていけばいいんだ。
彼女の美しい金色の瞳が、くすんだ色に染まっていく。
部屋の中に、シェリダンの狂ったような笑い声が響く。カーミラにはそれすらどうでもよかった。彼の命令を聞く。私はただそれだけしていればいい。
「こうもあっさりと上手く行ってしまうと拍子抜けだな。まぁ良い」
その日、カーミラは学院から姿を消した。
元々、貧弱で、器用貧乏で、悪知恵が回るという設定で書き始めたロビンが、何故かどんどん肉体言語で訴えかける系の主人公になっていきます。
どうしてこうなった。
カーミラが洗脳されてしまいました。
第一部では、ヒロインはロビンでしたが、第二部ではようやくカーミラもヒロインらしくなってきましたね。
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