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第十二話:ヴァンピール教

 ヴァンピール教の歴史、それは約二百年前に始まった。大陸の東側に存在している、東方諸国の中でもひときわ小さな国、そこで生まれた。最初は思想を同じくする小さな寄り合いだった。小さな寄り合いは徐々に賛同者を集めていき、いつの間にかその集団は自分たちのことを「ヴァンピール教」と名乗るようになった。本拠地はヴァンピール教が生まれたその国に設立された。そして、年月を重ねていき、東方諸国全域に薄く広がり、約五十年前に王国での信者第一号を獲得した。信者は緩やかに増えていき、その総数は大陸全土で現在千人程にのぼるとされている。


 ヴァンピール教の教義は他の宗教と比較して、そんなに多くはない。信者が多くないため教義を増やす必要がないというのが一つ目の理由だ。もう一つの理由は、これがヴァンピール教の教義の絶対的な方向性を決定づけているのだが、「吸血鬼」という存在を信仰するというものであった。


 吸血鬼の圧倒的な力、圧倒的なマナ、圧倒的な存在感、それらに魅せられた者たちの集まりだった。とはいえど、信者全てが吸血鬼を目の当たりにしているわけではない。実際に吸血鬼という存在を目にしたことのある信者は数十名程のみである。「吸血鬼という存在を、愛し、敬い、貴み、そして相まみえたら殺されなさい、さすればその者は吸血鬼の存在の一部となり救済されるだろう」。それが教義の始まりの一文である。


 ヴァンピール教は信者の子供もまた信者にすることを強制した。少ない寄付金で成り立っている教団だ。信者を減らすわけにはいかない。信者は子供に教義を熱心に教え、そして子供もヴァンピール教の信者となっていった。


 勿論、そんな教団も一枚岩ではなかった。各地に薄く広がっている宗教であることもそうだが、何より千人も人間が集まれば、その中の数名、いや数十名の集団が思想を違え対立するというのは自然なことだった。信者の一部は「求心派」と自分らを称し、また一部は「救済派」と称した。直接的にぶつかり合うことは無かったが、反目しあっているのは確かである。


 さて、リシュフィリアの街、その裏通りには、大きな地下室を持った店がある。表向きは裏通りに住んでいる住人をターゲットにした格安の酒場だが、その実態はヴァンピール教の王国支部、そのひとつだ。


 薄暗い地下室に十名ほどの人間が集まっていた。どの人間もそれなりの年齢である。偏った思想に染まった老人は厄介である。既得権益を求め、権力や名誉を求める。


 コツコツ、と靴音が聞こえ、一人の壮年の男性が地下室へ唯一入ることのできる階段を降りてきた。シェリダン・レファニュ。魔術学院で魔法生物及び魔獣学を担当する教師である。シェリダンは一人の若い女性を抱きかかえていた。地下室の中央まで歩くと、ドサリと女性を落とす。女性は魔術学院の図書館で司書を務めているクリスタ、その人であった。睡眠魔術をかけられた彼女は深い眠りに落ちており、シェリダンが彼女を床に落とした衝撃でも起きる気配はない。睡眠魔術は強力な魔術であり、一度かけられれば、解呪の魔術をかけられない限り自ら起きることはない。食事も水も必要としない状態になる。言わば仮死に限りなく近い状態であった。


「ご苦労、シェリダン。して首尾はいかに?」


 地下室に集まっていた老人達の内、ひときわ醜悪な顔をした一人の老人がシェリダンにニヤリと唇を歪め、嫌らしい笑顔を向ける。彼がこの集団のトップである。教団の中でも上から五本の指に入るほどの権力を持っている人物であった。


「ジギルヴィッツ公爵家の令嬢は、学院で急速に求心力を得ています。今の彼女を擁すれば、信者の大量獲得も現実味を帯びた話となりましょう」


 老人は、ふぇふぇふぇ、と下卑た笑い声を上げる。


「それは上々。この計画を最初に考案した儂としても鼻が高いというものよ。シェリダン、よくぞやってくれた」


「して、この女はどうします?」


 シェリダンが、地下室の中央で未だ眠っているクリスタを見遣る。


「まだ時ではない。計画を完遂した時、この支部を破棄するつもりだ。その時に殺せ」


「はっ」


「時に、こやつがいなくなったことで無用な騒ぎは起きないようにしておいたのだろうな?」


「勿論です。私が手懐けたドッペルゲンガーを身代わりにしておきました」


 ドッペルゲンガーは人を模す魔獣である。魔獣や魔法生物を手懐け、利用する方法、それは彼の専門である。危険性の高すぎない魔獣であれば、容易に手懐けることができる。


 シェリダンは倒れ伏す女性を見て、哀れに思った。それが彼に残された残り少ない人間としての心だったのかもしれない。親が信者であり、その子は当然信者となる。一部の親となった信者は、ヴァンピール教の教義に傾倒し、子供に教えを説かないこともある。教えを説いたとしても、子供が理解しないことも勿論ある。彼女はその典型的な例であると、シェリダンは理解していた。教団に人生を掌握され、教団の傀儡として生きる。そんな彼女にどの様な幸せがあったのだろうか。そこまで考えて、シェリダンは自身にとって、彼女の行く末がどうでも良いことに気づき、考えるのをやめた。


「次の段階へはいつ進めればよろしいですか?」


 シェリダンがクリスタから目を離し、老人を見据える。


「ふむ。一週間、いや二週間後に決行するとしよう。具体的なスケジュールは、シェリダン、そちにまかせた」


「承知いたしました」


 この計画は五年前に立案された。目の前の醜悪な老人が草案を起案し、一年かけて求心派の上層部らによってブラッシュアップされたものである。目的は、強力で人間に敵意を持っていない吸血鬼の擁立による、信者の新規大量獲得と、既存信者の信仰を確固たるものにすることだ。シェリダンはその計画のため、東方諸国から王国へ渡り、魔術学院の学院長の信頼を得て、学院の教師になる役目を与えられた。


 計画の対象については様々議論がなされたが、王国で有数の貴族であるジギルヴィッツ公爵家の次女に決まった。彼女を吸血鬼とし、そして心身を掌握し、教団の傀儡とする。それがざっくりとした計画の内容である。


 シェリダンは最初この計画を聞いたときは、なんと馬鹿げたことを考えるものだ、と思った。どう考えても成功するはずがない。どうせ失敗するだろう。そう予測していた。老害というのは、どうあがいても老害。既得権益に狂った愚かな老人共が立案した計画が上手くいくとは微塵も思っていなかった。しかし、求心派の中心人物であるこの老人たちに、同じ求心派に属する自分が歯向かうことはできない。シェリダンは密かな達観を抱きながら、この老人たちの指示に従っていた。


 だが驚ろくべきことに、シェリダンの推測は外れ、計画は着々と成功に向けて進んでいった。彼にとって、いや誰もにとっても――尤も求心派の上層部は計画の成功を確信していたが――予想外であった。シェリダンは見事、ジョーンズ学院長の信頼を獲得し、学院への潜入を果たした。シェリダンの才能は自身の本質を隠すことにあった。何者にも自身の本心を悟らせない。取り繕った仮面を確かに自身とする。暗示に近い人格変換、それが彼の得意技である。二百年生きる化け物とも称される、学院長の目をも欺けたその技術を、老人たちは確かに評価していた。


 「学院の吸血鬼」。その噂の出どころも彼であった。孤独であった白銀の少女が、人間に敵意を間違っても抱かないように、何者かと接触させ、交流させる必要があった。これもまた、うまくいくはずが無いだろうと思っていた。だが、奇跡的にロビン・ウィンチェスターという変わり者と邂逅を果たし、そしてあの白銀の少女は学生たちの人気をまたたく間に集めていった。


 学院という閉ざされた環境において、その中で発生する出来事というのは、外部に漏れることはない。そう思いがちだが、魔術学院においての実態は逆である。学院に子供を送り込んだ貴族らは、各々独自の情報網を以て学院で起こる出来事を定期的に把握している。カーミラが聖女と呼ばれ始めていることは、既に王国の多くの貴族らの知るところとなっているだろう。


 そのカーミラを教団が傀儡とすれば、確かな求心力となり、教団の確かな力となることは容易に想像ができた。実際にそれを成しうるかどうかは別として。


 ヴァンピール教は吸血鬼を信仰する宗教である。そのため、大陸において誰よりも吸血鬼の生態に詳しかった。当然、吸血鬼を御す方法、打倒する方法、そのようなあらゆる情報を彼らは握っている。


「シェリダン、これをそちに授ける」


 老人が美麗な装飾の施された石座に収められた、拳大の宝石を懐から取り出した。真っ赤な色をした宝石は、その内にどす黒い瘴気のようなものを秘めている。魔術具に詳しくない彼でもわかった、これはどう考えても良くないものである、ということを。


「これは?」


「人間や、人間並の知能を持つものを傀儡にする魔術具だ。吸血鬼も人間と性質は違うが、その知能は人間と同様だ。この魔術具で傀儡にすることができる。

 簡単に言えば、対象を一種の催眠状態にすることのできる魔術具であると言えよう。効果は折り紙付きだ。

 一度その魔術具で対象を傀儡にすれば、この宝石が壊れない限り催眠状態が解けることはない。宝石を持つものに服従させることができる」


 もったいぶるように、老人はゆっくりと魔術具をシェリダンに手渡す。シェリダンはその魔術具に秘められたマナの大きさに驚き、目を見開いた。


「使い方は簡単だ。その魔術具にマナを込めて、対象の人物に見せるだけで良い」


 簡単であろう、と呵呵(カカ)と笑う老人に、彼はなんだか空恐ろしいものを感じて、生唾を飲み込んだ。


「このような貴重な魔術具をどのように入手されたのですか?」


「ふむ、別に大したことはしとらんよ。求心派の信者に情報を集めさせ、手に入れさせた、それだけだ」


 いとも簡単に言ってのけるが、この魔術具はそう簡単に手に入るものではない。一体どれほどの犠牲の上にこの魔術具がここにあるのか、シェリダンにはとんと見当もつかなかった。


「それを使って、カーミラ・ジギルヴィッツを傀儡とし、教団の神輿として据えようではないか」


 この老人の邪悪さについては、シェリダンはよく分かっているつもりであった。しかし、この魔術具を見て、その評価をさらに改めた。生きていてはならない人物だ。


 だが、シェリダンにとってそんなことはもうどうでもよかった。全ては教団のために。教団の役に立つのであれば、なんでもする。それがヴァンピール教の信者としての矜持である。


 この醜悪な老人について、シェリダンはあまり良い感情を持ってはいない。寧ろ、既得権益に狂った俗物であると認識している。


 シェリダンにとって吸血鬼とは、美しく、強く、そして信仰すべき対象だ。些か原理主義なきらいもあるが、彼にとってヴァンピール教の教えは絶対のものだ。


 彼は考える。あの白銀の長い髪を携えた美しい吸血鬼が教団の中心となる、その結果を。嗚呼、なんと素晴らしい。吸血鬼という存在自体が美しいが、あの少女はその顔貌も、体躯も、まさに美しく、信仰に値すべき対象だ。


 傀儡にしてしまう、という点に関しては反論した気持ちもあったが、そんなものは大事の前の小事である。しばらくは、この老人たちの手のひらで踊ってやればいい。そして、何らかのタイミングでこの宝石を壊してしまえばいい。老人たちはあの吸血の姫によって駆逐されるだろう。その後で、ヴァンピール教の唯一神として、君臨してもらえばよいのだ。説得には時間がかかるだろうが、やりようはいくらでもある。


 たとえ説得に失敗したとしても、あの美しい少女に、その吸血鬼としての膂力を以て殺されるのも悪くはない。嗚呼、なんと耽美的で、退廃的で、美しい未来なのだろう。どちらに転んだとしても、彼にとっては望むところであった。


 シェリダンは吸血鬼という存在を愛している。それはもう狂信的に。彼は一度だけ吸血鬼が人間を殺し尽くす光景を見たことがある。矮小な人間が、吸血鬼によって殴られ、千切られ、そして死んでいく。遠目で見ていただけであったが、まるで昨日のことのように鮮やかに思い出すことができる。


 その強さに魅入られた。その有り様に惹かれた。思えばあの日から彼は狂ってしまったのかもしれない。人智を超えた力を前にしたとき、普通の人間は恐怖し、逃げ、そして不運を嘆く。しかし、彼はそうではなかった。


 ただただ、魅入られてしまった。その美しくもある強さ、人間の想像など簡単に超越してしまう圧倒的な力。


 彼は吸血鬼という存在を愛している。自分を御すべきなのは、吸血鬼という存在でなければならない。


 そして、また白銀の少女に思いをはせる。シェリダンは自身の望みをはっきりと自覚したのだ。私はあの少女に忠誠を誓いたい。彼女に死ねと言われて死にたい。彼女に血を吸われて、眷属としてこき使われたい。


「では、計画の遂行、そちに一任する。必ずや良い結果をもたらしてくれると信じておるぞ」


 老人がニヤリと笑ってシェリダンを見据える。


「承知いたしました。お任せください」


 今はそうやって笑っていれば良い。シェリダンは心のなかで、老人に向かって唾を吐いた。


 私を利用しているとせいぜい今は思っていることだ。カーミラ・ジギルヴィッツが手に入れば、もうこの老人たちに用は無い。


 彼は、老人の言葉に狂った様な清々しい笑顔を向け、踵を返すと地下室から出ていった。



はい、出ました。カルト宗教。

この世界も現実世界と同じように色々な宗教があり、それぞれ敵対したり談合したりしています。

読めばわかるように、第二部の黒幕ですね。


シェリダンという名前は、カーミラと言う名前と深い繋がりがあります

「カーミラ」というホラー小説の著者がシェリダン・レ・ファニュです。そこから拝借いたしました。

この物語はフィクションであり、実在の登場人物……以下略!


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