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第十一話:司書の苦悩

 ロビンがカーミラのファンクラブに心底うんざりした次の日、カーミラはいつものように図書館に籠もっていた。本を開き、大事そうな部分をノートに書き写す。


 金色の瞳は、本とノートの間を忙しなく動き、カーミラが深い集中状態に入っていることを物語っていた。


 カーミラの頭脳は周囲が思っている以上に優秀だ。しかし天才のそれではない。彼女は自身を天才と呼ばれる人間ではないことを自覚している。秀才。彼女は自身をそのように評価していた。


 そのため、努力を惜しまなかった。学院入学前までの母親の訓練は非常に辛いもので、幼いころは逃げ出したりもしたが、物心がつく頃にはそれを必要なものだと理解し、必死に食らいついていった。


 カーミラは所謂天才と呼ばれる人種ではない。唯一天賦の才があるとしたら、それは彼女の集中力だろう。


 カーミラは常人では考えられないスピードで本のページを捲る。今日は幸い、自分を慕ってくれている女生徒達が何故か知らないが、ここにはいない。カーミラは久しぶりに集中して調べ物ができるこの時間に満足感を抱いていた。


 ふと、集中が切れ、一息つこうと、座ったままうにゅーっと身体を伸ばす。カーミラが調べ物を始めてから、約三時間近く立っていた。常人の集中力は一時間で切れてしまうものだ。寧ろ、一時間ずっと集中できれば優秀かもしれない。三時間という数字が如何にカーミラが優秀であるかを物語っていた。


 カーミラは小さくため息をつく。カーミラが調べているのは、吸血鬼が人間に戻る方法である。人間を吸血鬼に変える魔導書(グリモア)があるのだ。逆もあるに違いない。学院長はそんな前例は聞いたことが無いと言っていたが、それでも小さな可能性に彼女は縋った。


 しかし、成果が出ない。どんなに本を読んでも、どんなに専門書を漁っても、お目当ての情報は得られなかった。というよりも、吸血鬼に関する書籍はたくさんあるにはあるのだが、これが確実に真実である、という情報が少なすぎた。著者の想像や思い込みによる記述が多すぎるのだ。


「学院の図書館じゃ、力不足なのかなぁ」


 ボソリとひとりごちる。凝り固まった肩を、片方ずつもみほぐし、同様に凝り固まった首を左右に動かして、筋肉を弛緩させる。吸血鬼になっても、肩は凝るし、首も凝る。吸血鬼になってしまったことは悲嘆するべきことなのだが、せっかくだから肩凝り等からは開放されたいものだ。


 不意に、自分の斜め後ろに誰かの気配を感じ、ゆっくりと振り返る。そこには、優しげな表情を浮かべた学院長が立っていた。


「調べ物かね?」


「はい、夏休み中は調べ物に集中しようと決めていたんです」


 ハワードは、机に積み重ねられた本の内、一番上にあったものを手に取り、パラパラと捲る。そして、本を閉じると、黒曜石のような真っ黒で吸い込まれそうになる瞳で、カーミラを見つめた。


「ふむ、君にとっては大事な調べ物だな。だが、良い情報は得られなかっただろう?」


 「吸血鬼」という単語をなるべく出さないように配慮してくれていることに気づき、カーミラが自然と微笑みを浮かべる。


「えぇ、どうしても私の欲しい情報が見つからないのです。もう、四十冊近くは関連してそうな本を読んだんですが、これって本当なの? とか、絶対ウソじゃない! とか、そういう情報が多すぎて」


「有用な文献は非常に少ない。もしかしたら、国立図書館等に行ったほうが良いかも知れないな」


「それは少しだけ考えました。でも、学生の身分ですから……。夏休みに国立図書館に毎日通うというのも色々厳しいんですよね」


 カーミラが机に突っ伏して、大きくため息を吐く。その様子に学院長が、ははは、と相好を崩した。


「君の人生は長い。焦る必要はない、と私は思うがね。ゆっくりと調べていきなさい。勿論、君と同じことを私も調べているよ」


「ありがとうございます、学院長」


 カーミラは学院長と話していることで、自分の集中力がすぱっと途切れてしまったのを感じた。体調が悪いわけではないのだが、今日はこれ以上集中できそうにない。自身の今までの経験から、これ以上の調べ物は捗らない、そう確信した。


「私、ちょっと疲れてしまったようで、調べ物はこのへんで切り上げようと思います」


「それが良い。さっきも言ったがゆっくりで良い。休息したいときは、休息することも大事だ」


「えぇ、分かっております」


 カーミラは、机の上にうず高く積み上げられた本を、よいしょ、と持ち上げると、本がしまわれていた棚へえっこらほいさと歩いていき、本を一冊一冊元の場所に戻す。


「では、学院長。ごきげんよう」


 ハワードがニッコリと笑って、その挨拶に返事するのを確認すると、彼女は図書館の入り口に向かって歩き出す。図書館を出る前に、顔なじみの司書に軽く会釈をして、カーミラは図書館から退出した。


 今は、太陽も南中している時間。時間としてはお昼ぐらい。お昼ごはんを食べてから何をしようかしら、とカーミラが思案する。あぁ、そうだわ、ロビンの特訓を眺めに行きましょう。我ながら良い暇つぶしの方法を見つけたものだ、と少しだけ破顔して、カーミラは食堂へと歩いていった。






 カーミラに会釈をされた図書館の司書、クリスタは、カーミラが図書館から出ていったのを見計らって少しだけため息をついた。


 先程までカーミラと話していた学院長はいつの間にかいなくなっている。相変わらず神出鬼没なお方だ、とクリスタはぼうっと考える。


 大陸にはいろいろな宗教がある。最も有名なのはメーティス教。メーティスという神を主神として崇める多神教である。王国の国教とされており、王国の九割の人間がメーティス教の信者だ。人間に魔法という奇跡をもたらすために、この世界に転移させたのが、メーティス神であり、メーティスがその後人々を守るために様々な神々を生み出した、とされている。


 勿論、他にも宗教はたくさんある。小さくなんの影響力も持たない宗教から、カルト宗教と揶揄される宗教まで、多種多様だ。


 クリスタは、どちらかというとカルト宗教と揶揄される方の、ヴァンピール教の信者である。とは言っても、ヴァンピール教は親が入信していれば、子もそのまま当然のように入信させられる、そういった仕組みとなっており、彼女自身はヴァンピール教の教えを塵とも思っていない。当然、これからもその教えを信仰していく気はない。そもそも、ヴァンピール教の教義がどんなものであるかさえ知らない。


 何度も棄教、もしくは改宗しようと考えた。だが、それをヴァンピール教の上層部が許すはずがない。棄教・改宗するのであれば、これだけの寄付金が必要となる、と個人では絶対に払うことのできない絶望的な金額を提示されたものだ。比較的信者の少ないヴァンピール教は、その少ない信者に寄付金を強制させ、その上で成り立っているのである。平民とはいえ、学院の司書という少なくない給金を貰うことのできる職についたクリスタを離すはずもなかった。


 クリスタは、先程までいたカーミラを思い浮かべる。平民である自分に敬意をもって接してくれる数少ない貴族の一人だ。彼女はカーミラを好ましい人間だと感じていた。普通であれば、学院に勤務する平民は使用人等と同様、「いないもの」として扱われる。たまに図書館から本を借りていく学生も、彼女に敢えて話しかけるようなことはしなかった。無言で本を差し出し、書類に必要な情報を書き、本を手に取り帰っていく。鼻で笑われることも少なくなかった。何故平民がこのようなところにいるのか、と。


 カーミラが彼女に敬意をもって接してくれる、そんな存在であったからこそ、彼女は心の底から後悔の念を抱いていた。


 彼女が入学する前、教団の上層部から呼び出され一冊の本を手渡された。派手な装丁がされている豪華な本だった。上層部の一人は言った。「これを、ジギルヴィッツ公爵家の令嬢に読ませるように。決して自分で読んではならない」と。教団に縛られた彼女には、その命令に拒否する力はなかった。


 とはいえ、どうやって読ませればよいのか。正直いって無茶振り以外の何物でも無かった。どうせ、ジギルヴィッツ公爵家の令嬢とやらは、図書館に来ないだろう。そうたかをくくっていた。できなかったのならば仕方がない。できなかったと報告するまでだ。


 学院が入学式を終えた次の日、クリスタも予想だにしないことが起こった。カーミラが図書館に訪れたのだ。彼女は図書館の蔵書を嬉しそうに眺め、そして気になった本を手に取り、パラパラと捲り、そして本棚に戻す。そんなことを繰り返していた。不幸か幸いか、司書である自分を特に気にした様子はなかった。


 クリスタは、こっそりと彼女が進むであろう道を推測し、隅に置かれた棚の上に、目立つようにそっと豪華な装丁の本を置いた。これで自分の役目は果たした。どうせ読まないだろう。その時は公爵家の令嬢はこの本に気づきましたが、読みませんでした、と報告すれば良い。何事も起こらないでほしい。その日始めて会った白銀の少女を、何故かクリスタは心の底から心配していた。


 決してその本を自分で読んではならない。教団の上層部の悪意のこもった笑顔を思い浮かべる。本の内容は知らされていなかったが容易に想像できる。あの本は良くないものである。


 そんなクリスタの心配をよそに、カーミラは――驚くべきことに――彼女の推測通りのルートを歩き、そして、件の本を見つけてしまった。お願いだ。その本を読まないでくれ。クリスタの背中に冷や汗が伝う。


 そこから先は彼女にはスローモーションのように映った。金色の目を好奇心にキラキラとさせながら、その本に向かっていき、そして手にとった。駄目だ、その本を読んではいけない。


 クリスタの心の中の叫びに、勿論カーミラは気づくはずもなく、本を開いた。眩い光が件の本から放たれ、思わず目を閉じる。恐る恐る目を開くと、カーミラは床に倒れ伏していた。クリスタは彼女の元に走り寄り、羽のように軽い彼女の身体を抱き上げると、早足で医務室へ連れて行った。


 申し訳ない気持ちで一杯だった。彼女に何が起こったのかはクリスタは知らない。ただ、良くないことが起こってしまったというのは容易に想像できた。


 私のせいじゃない。いや、私のせいだ。クリスタの心は後悔と申し訳無さ、そして僅かな責任転嫁でぐちゃぐちゃになった。


 しばらくして、カーミラがまた図書館に訪れた。あぁ、きっとあの本は読んだ者を気を失わせる様な効果のある魔導書(グリモア)だったんだ。彼女はそう納得した。いや、無理やり納得させた。彼女の人間としての自己防衛機能がそのようにさせた。


 カーミラは、頻繁に図書館に立ち寄り、そして平民である私に軽く会釈をしてくれる。その姿にとても驚いた。全ての貴族が彼女のような人間であったらどんなに良かったことか、と思った。クリスタがカーミラと――事務的にではあるが――打ち解けるのにさほど時間はかからなかった。


 たまに、おすすめの本を聞かれた。クリスタは図書館の司書を勤めているだけあって、本が大好きだ。暇な時は、この学院の蔵書を読む許可を学院長から与えられている。本をおすすめするのは大得意である。カーミラがどんな本を好むのか聞いた。それに対して、この本がおすすめですよ、と返した。カーミラはそんなクリスタの言葉を聞いて、非常に嬉しそうに笑い、そして「ありがとう」と言ってくれる。


 カーミラの「ありがとう」を聞く度に自分の胸が苦しくなるのを感じた。その度に、心のなかで責任転嫁を重ねた。私はあの命令に失敗はできても、拒否はできなかった、あの時はああするしか無かったのだ、と。


 クリスタは知らない。あの魔導書(グリモア)がカーミラを人ならざるものに変化させてしまったことを。


 クリスタは知らない。あの時、彼女のこれからの人生全てを悪い方向へ変化させてしまったことを。


 カーミラが倒れた日から、約二年が経った。カーミラが孤独主義で、どんな学生にも心を開かないという噂はクリスタの元にまで届いていた。


 そんなカーミラにある日突然友達ができた。確か、ロビン・ウィンチェスターとか言う名前の少年だ。それを皮切りに、彼女の周りにどんどんと人が集まっていくようになった。クリスタは風の便りで知ったその変化を自分のことのように喜んだ。クリスタから見て「本だけが友達」、という言葉がぴったりだった美しい少女に、たくさんの友人ができたのだ。


 クリスタは少しだけ、二年間ずっと自分を縛ってきた罪悪感から開放された。


 だが、やはりクリスタは知らないのだ。自分がどれだけ取り返しのつかないことを、あの日カーミラに対してしてしまったのかを。


 無自覚な罪。それを罰することはできるのだろうか。彼女は教団の上層部からは何も知らされず、ただ一冊の本をカーミラに読ませた、それだけに過ぎない。確かに実行犯ではあるのだが、彼女は何も知らない。しかし、知らないこと、それ自体が罪となってしまう場合もある。


 しかし、クリスタは知ろうとしない。知ってしまえば、あの気高い少女に自分が何をしてしまったのかを自ずと理解することになってしまうからだ。彼女はこれまでそうして、自分の心を守ってきた。そしてこれからも守っていくだろう。


 いっそ、全て彼女に話してしまおうか、そう考えたこともあった。だが、それはクリスタにとってあまりにも怖くて、恐ろしくて、そして躊躇せざるを得ない選択肢だった。


 そんなふうに、クリスタがカーミラとの今までに思いを馳せていると、不意に図書館に一人の教師がやってきた。確か、シェリダン・レファニュという名前だ。学院で魔法生物や魔獣について教鞭を執っていたはずだ。


 シェリダンがあたりを見回し、誰も居ないことを確認するとゆっくりとクリスタの方へ向かってくる。クリスタはその様子に何か悪いものを感じた。無機質な教師の表情に、自然と恐怖の感情が沸き起こる。


「上層部の意見が変わってね。君の役目はこれでおしまいだ」


 シェリダンが魔術を発動させる。他者を強制的に睡眠状態にする魔術であったが、平民で魔術も使えないクリスタにはなんの魔術かはわからなかった。いや、わかっていたとしてもどうにもできなかっただろう。


 遠のいていく意識の中で、クリスタは今まで何度繰り返したかわからない白銀の少女への謝罪を、心のなかで思い描いた。

何度か登場している図書館の司書さんのお話です。

犯人はヤス。


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