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第十話:聖女とファンクラブ

 平民舎の学生との交流会から、およそ一週間が過ぎた。今日もロドリゲス先生の特訓は辛かった、などとぼんやり考えながら、ロビンはヘロヘロになった身体で夕食を取りに食堂へ向かう。右へふらふら、左へふらふら。足取りもおぼつかない彼を見て、すれ違う学生達が不思議そうな顔をする。


 食堂に着いて、受け取り口から自分の分の夕食を受け取ると、ロビンは食堂を見回した。あ、グラムだ。ロビンは一人で食事を取っているグラムを見つけ、ふらつく足を必死で動かしながら彼の向かいに座った。


「よう、ロビン。今日もヘロヘロだな」


 パンを噛みちぎりながら、グラムが茶化すように言う。


「ロドリゲス先生の訓練って、なんであんなにスパルタなんだろう。……ごめん、これ一昨日も君に愚痴った話だね」


 グラムは疲れ切ったロビンの顔を見て、ははは、と笑い声をあげる。


「そんだけ期待されてるんだろ。光栄なことじゃねぇか」


「光栄なもんか、疲れるものは疲れるよ」


「俺としちゃ、面倒くさがりのお前がよくまじめにあの鬼教官のしごきを受けてるのかって疑問に思うけどな」


 グラムの言葉を聞いたロビンは、カーミラにした誓いを思い出す。あの誓いは彼にとって神聖なものだ。その誓いを守るための努力は惜しまない。カーミラを一人ぼっちにしない。それこそが、ロビンの今の原動力となっていた。


「まぁ、色々思うところがあってね。面倒くさがりなだけじゃいられないな、って思ったんだよ」


 グラムがふぅん、とそれ以上の追求はせずに、フォークでステーキを突き刺し、ナイフで切ることもせず口に入れ、噛みちぎる。こいつは本当に貴族なんだろうか。テーブルマナーも何もなっちゃいない。ロビンは苦笑いしながら、自分の分のパンをちぎって口に放り込んだ。


「ところでよ、面白い情報があるんだが聞きたいか?」


「面白い情報?」


 グラムが、ずずいと身体を乗り出して、ロビンにニヤリと笑いかける。ロビンはどんな面白い情報なんだろうと、不思議そうな顔をした。


「カーミラのやつ、平民舎で『聖女』なんて呼ばれ始めたらしいぜ」


「『聖女』ねぇ」


 ロビンが、スープをスプーンで掬って口に運ぶ。


「カーミラがそんな評判を聞いていい顔をするかはわからないなぁ。彼女、自分を色眼鏡なしで見られるっていうのが望むところだから」


「ま、しょうがないんじゃね? クレイグ公爵家から、平民の少女を身を挺して守った、学院の聖女だ。平民舎では大分人気みたいだ」


 ロビンは、その話を聞きながら、ふとなんでグラムがこんな情報を仕入れることができたのか不思議に思った。


「ところで、なんでそんなこと知ってるの?」


「俺には俺の情報網があるんだよ」


 グラムが得意げに笑う。確かにこいつなら、平民舎に自ら出向いて、噂を集める、なんて平気でやりそうだ。彼に身分の違いとか、生まれの違いとか、そういうものが一切関係ないということを、ロビンはよくわかっていた。


「特に平民舎の女子生徒に人気だな。男子生徒にも人気があるみたいだが、そこは貴族舎と同じで高嶺の花だと思われてるみたいだ。貴族舎でもそうだが、平民舎だと超絶マジで高嶺の花だからな」


「それもそうだろうね。普通なら平民が一生かかっても話しかけられない身分だからね、公爵家は」


 ロビンが、ステーキにナイフを入れ、一口大に切ったそれを口に放り込む。チキンも好きだが、牛肉のステーキも好きだ。噛みごたえがあって、ボリューミーで、食べた後に、食べたー、って気分になれる。


「ま、とにかく、カーミラは一躍時の人となったわけだ。貴族舎での人気は相変わらずだな。ヘイリーを筆頭に女生徒が群がってるみたいだ」


「ヘイリーはカーミラの信者だからね」


 ロビンは思わず笑ってしまった。ヘイリーのカーミラ愛はとどまることを知らない。将来結婚したいとでも言うんじゃないか、という勢いだ。一度彼女に掴まって、カーミラに関する自慢話を延々と聞かせ続けられたが、あんな体験は二度とごめんだ。三時間ほどに渡って、カーミラのここが美しい、やら、カーミラのここが素晴らしいやら、延々と喋り続けるのだ。アレクシアとの訓練でヘロヘロになったロビンの精神に多大なダメージを与えたのだった。


「この間、カーミラとちょっとだけ話したんだけどよ。カーミラ不満がってたぜ。『調べ物をする時間がほとんどない』ってさ」


「あれだけ群がられたらねぇ」


 交流会の一件があってから、カーミラの貴族舎での評判はまさしく鰻登りだ。身を挺して平民を守った、身分の違いを気にもとめない貴族の鑑。そのように感じる女生徒が後を立たなかった。元々そういう評判だったのだが、あの日を境に段違いに人気が右肩上がりだ。爵位が低くて話しかけるのに躊躇していた女生徒も安心して話しかけることができている、とのことだ。女生徒に囲まれて困った顔をしている様が容易に想像できて、ロビンは、ふふ、と少しだけ笑う。


「一方で、変なやっかみも買ってるみたいだけどな」


「あぁ、クレイグ先輩の取り巻きでしょ?」


「正解」


 ロビンはジョニーの顔を思い出す。あの時彼は、ただカーミラの後ろ側からことの成り行きを見守ることしかできなかったが、公爵家の長男をあれだけへこませたのであれば、恨みを買っても当然である。とはいえ、カーミラも同じく公爵家。良からぬことを考える学生は多分いないだろう。


「その、ジョニー・クレイグだけどよ、休学するってことになったらしいぜ。当然停学処分が終わってからの話らしいけどな」


「へぇ、休学か」


「両親が怒り心頭だって話だ。カーミラに喧嘩を売ったのはともかく、学院長に喧嘩を売ったのはまずかったな。あの狸親父、王国全ての魔術師を把握してるんじゃねぇか?」


 カーミラだけじゃなくグラムでさえも学院長を狸親父呼ばわりする。立派な教育者なんだけどなぁ、とロビンは心の中で反論する。だが、ハワードが二百年ほど生きている、という話は有名な話だ。誰しもがその噂に首を傾げ、不思議に思い、そして実際にハワードを見て納得する。二百年という長い年月を感じさせる言い知れぬ迫力が学院長には確かにあった。


「クレイグ先輩にとっては、いい薬かもねぇ」


「だなぁ。あそこまで歪んだ貴族特権の思想を抱かれちゃ、貴族の誇りなんてどうでもいい俺たちの立場がねぇやな」


 そこは問題じゃないとおもうけど、とロビンが苦笑いする。話をするうちにあらかた夕食を食べ終えてしまった。グラスに入った水を飲み、食後の祈りを唱える。


「じゃ、僕は自室に戻るから」


 グラムは話すのに夢中になりすぎたせいか、まだ夕食が残っていた。じゃあな、というグラムの言葉を背に受けながら、ロビンは相変わらずヘロヘロの身体を一生懸命前に前に進めるのであった。






 ロビンがえっさほいさと、疲れ切った身体を自室に向けて歩を進めていると、彼の前に二名の学生が立ちふさがった。何やら険しい顔をしている。ロビンは、また面倒くさいことになりそうだなぁ、と頭を抱えそうになるのを我慢した。


「私は、ジギルヴィッツ様親衛隊隊長、隊員ナンバー、一、アンソニー・グリーンである」


「同じく、私は、ジギルヴィッツ様親衛隊副隊長、隊員ナンバー、五、コーフ・リヴァーである」


 ジギルヴィッツ様親衛隊? 聞き覚えのない単語にロビンが首を傾げる。


「ジギルヴィッツ様親衛隊……って何?」


「副隊長、説明してあげたまえ」


 隊長であるアンソニーが、副隊長に号令を出す。


「はっ、我々ジギルヴィッツ様親衛隊は、学院の聖女と名高いカーミラ・ジギルヴィッツ様を見守り、守護し、愛でる、その三点を目的に結成された親衛隊である」


「ふむ、副隊長。素晴らしいぞ」


「お褒めに預かり光栄であります」


 彼らの言葉に、ロビンは頭、ともすれば全身がフラフラとしていくのを感じた。


「では、副隊長、ウィンチェスターにジギルヴィッツ様親衛隊の隊規を聞かせてやれ」


「はっ、その一、ジギルヴィッツ様は皆のもの。誰かが独占して良い存在ではない。

 その二、ジギルヴィッツ様に触れることは許されない。ジギルヴィッツ様は高貴にして聖なるお方。何人たりともそれを侵す真似は許されない。

 その三、ジギルヴィッツ様にまとわりつく悪い虫は全力で排除する。

 以上が、ジギルヴィッツ様親衛隊の隊規であります」


「素晴らしい、副隊長。君こそ、我々親衛隊の鑑だ」


 よくわからないが、なにやら陶酔感に浸っている二人をロビンは冷ややかに見つめる。


「つまり、カーミラの非公式ファンクラブってこと?」


「ジギルヴィッツ様をファーストネームで呼ぶとは、不敬な輩め!」


 副隊長が鼻息を荒くする。ロビンはずっと我慢していたが、いよいよ頭を抱えてしまった。


「副隊長、あまりそうカッカするものではない。ファンクラブという俗っぽい名前で表現されるのは些か業腹ではあるが、ウィンチェスター、おおむね君の言っているとおりだ」


「はぁ、疲れるなぁ。で、そのジギルヴィッツ様親衛隊の隊長と副隊長が僕になんの用?」


 ロビンはふらふらする頭と身体をなんとか支えながら、じとりと二人を見た。


「ウィンチェスター。我々はジギルヴィッツ様の友人としての貴様を高く評価している」


「そりゃありがとう」


「だが、ジギルヴィッツ様にまとわりつく悪い虫は排除しなければならない。それが我々の隊是だ」


 ロビンは大きくため息をつく。悪い虫かぁ。そんな関係じゃないんだけどなぁ。ロビンの目の色がちょっとだけ達観に染まっていく。


「そういうわけで、我々は貴様がジギルヴィッツ様にとっての悪い虫になりえないか、ということを確認しにきたのだ」


「あのね、僕とカーミラはただの友達。それ以上でも以下でもないよ」


 ロビンがカーミラを呼び捨てにしたことで、また副隊長がいきり立つが、隊長がそれを押し止める。


「ふむ、貴様の言葉だけでは、我々がそれを信用するに値しないが、言い分は分かった」


「そもそも、子爵家の妾の子である僕とカーミラが釣り合うと思う? 僕は面倒くさがりで変わり者だけど、身の程知らずじゃない」


 そう言って肩をすくめるロビンを見て、アンソニーが顎に手をやり少しばかり考える。


「確かに、貴様の言うとおりであるな。申し訳なかった、謝罪を受け入れてもらえるだろうか」


「うん、もうどうでもいいよ」


「だが、努々忘れぬことだ。貴様がジギルヴィッツ様の悪い虫になろうものなら、我々は全力で貴様を排除する」


 行くぞ、とアンソニーが号令をかけ、はっ、とコーフがそれに答える。ジギルヴィッツ様親衛隊はそうしてロビンの前から去っていった。


「しかし、グラムのやつ」


 絶対、この情報掴んでただろ。ロビンは心のなかでグラムをぶん殴る。筋力強化をつけてもいい。彼の情報網は広い。こんなファンクラブが出来ていたことは、絶対にグラムは知っている。ロビンはそう確信していた。それをロビンに敢えて伝えなかった理由。それは、ただ面白いから、に決まっている。絶対にそうだ。ロビンはもう一度心の中でグラムをぶん殴る。絶対にこの話は奴にしてやるものか、ロビンは誓った。だが、後日やっぱりよくわからない情報網によってグラムからからかわれる羽目になるのだが、今のロビンには知る由もなかった。


 大きなため息をついて、ロビンはまた自室に向かって歩を進める。こころなしか、さっきよりも疲労感が強くなった気がする。いや、気がするだけではない、実際に疲労している。ジギルヴィッツ様親衛隊の二人はロビンの精神に少なくないダメージを与えていたのだった。


「それにしても、ジギルヴィッツ様親衛隊ねぇ」


 カーミラなら、そんなファンクラブみたいなもの作られても嬉しがらないだろうなぁ、とロビンは考える。彼女は寧ろ、私と友達になりましょうよ、と言ってしまうタイプの人間だ。カーミラを慕う人間が増えるのは、ロビンにとっても歓迎するところだが、それはこういう形ではない。もっと直接的にカーミラに関わって欲しいものだ。


 そんなふうに、考え事をしながらフラフラと歩いていると、ロビンの目の前にまた二人組の学生が立ちふさがった。


「我々はジギルヴィッツ様近衛隊である! 私は隊長の……」


「いいかげんにしろ! ファンクラブ作るなら、一つにまとまってやれよ!」


 ロビンにしては珍しく大声を上げ、二人組の学生は驚いたような顔をする。


「……いや、ごめん、さっきジギルヴィッツ様親衛隊とかいう、君らと同じ様な奴らに同じ様な因縁をつけられたばかりなんだ。僕とカーミラはただの友達。身分違いだからそれ以上にもそれ以下にもならない。満足したら返ってくれないかな? 僕、ロドリゲス先生のせいで疲れてるんだ」


 そんなことを速射砲のようにまくし立て、ロビンは目を白黒させている二人を押しのけて、自室へ歩いていった。相変わらずその歩みはヘロヘロだが、一歩一歩確実に歩を進める。


 自室に戻ったら、魔族言語の勉強が待っている。ジェラルドとの文通を通して、ようやく魔族言語というものがどういうものなのか分かってきて面白くなってきたところだ。とはいえ……。


「うーん」


 ロビンは考える。今日は疲れすぎた。主にジギルヴィッツ様親衛隊とやらと、ジギルヴィッツ様近衛隊とやらのせいだが。


 今日ぐらいはサボってもいいかな。ロビンは少しだけ自分を甘やかすことに決めて、自室のドアを開け、ベッドに転がり込んだ。

というわけで、平民を体を張って守り抜いたカーミラは聖女とか呼ばれるようになりました。ファンクラブまでできました。

現実世界では学校とかで特定の誰かのファンクラブとかを、私は見たことがありませんし聞いたこともありません。

彼女はかっこよくて気高くて誇り高いヒロイン(読んでくれている人がどう読んでくれているかはわかりません)なんですが、部屋の片付けが苦手です。

というか、基本的に細かいことを気にしないし、だらしない性格です。

聖女とか草ァ、ってロビンを始めとした友人たちはちょっとだけ思っています。


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