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第九話:貴族の誇りとは

 エイミーは、カーミラ達との会話をきっかけに、この交流会を少なからず楽しいものだと感じていた。


 学院に入る前はちょっとだけ貧乏なありふれた家庭で育った。生まれはリシュフィリアの街。その日食べるものには苦労しないが両親は寝る間も惜しんで働いていたし、エイミーは兄弟達の面倒を見るのに忙しかった。


 彼女の人生が変わったのは、王国直轄領で行われる魔術素養調査がきっかけだった。王国の直轄領では三年に一度、平民の子供全てに対して、魔術の素養があるかどうかの調査が行われる。リシュフィリアの街にある、一番大きな教会でそれは行われた。確か、十歳の時だったと思う。


 何をされるんだろう、と不思議に思いながら列に並んでいた記憶がある。怖いことでもされるのかな、痛いことでもされるのかな。少なからず不安だった。「次の者」、と壮年の男性が叫ぶ。私の番だ。ドキドキしながら、男性の前に立った。両親は遠くの方から私を見守っている。男性がエイミーの身体の中心部、つまり胸の部分に手を当て、目を閉じた。数秒間目を閉じた後に、その男性が、驚いたような顔をしたことにエイミーは気づいた。


 魔術素養の調査員はエイミーの両親を呼び、そして別室へ案内した。エイミーは、何か悪いことでもしてしまったのだろうか、と不安になった。協会の小さな部屋の中心にはテーブルと数個の椅子があった。調査員がエイミーと両親に椅子に座るように促し、彼女達は促されるままに椅子に座った。


「お嬢さんには、稀有な魔術の才能があります。いかがでしょう、魔術学院に入学させてみては? これからの勉強次第では、奨学金が王国から支払われる可能性もあります」


 どうぞ、ご検討ください、と調査員が続けて、部屋を出ていった。


 その後のことをエイミーは詳しく覚えていない。唯一覚えているのは、両親がすごく嬉しそうにエイミーを褒めてくれたことと、数年ぶりに高い高いをしてくれたことだ。


 それから、両親はますます身を粉にするように働き始めた。両親と一緒に居られず寂しかったが、そんなことを感じる暇は無かった。エイミーには家庭教師がつき、毎日――それこそ安息日でさえも――、丸一日勉強させられた。読み、書き、算術、歴史、マナー、そして魔術の使い方。家庭教師の先生はとても厳しく、その熱烈な指導に嫌になった日もあったが、そのために両親が頑張って働いていることを考えると頑張ることができた。


 学院に入学する歳は15歳になる年の夏。それまでに貴族並みの教養を身に着けなければいけない、と先生はエイミーに言った。エイミーは優秀な子供で、教えられたことをまるでスポンジのように早く吸収していった。


 父は言った「この子は天才だ」と、母は言った「この子は神様が私達に与えてくれた宝物なのでしょう」と。


 エイミーはそんな両親の言葉を聞くたびに、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、ニッコリと笑うのだった。


 そして十四才の春、学院に入学するための試験日がやってきた。四年間努力したエイミーにとっては、さほど難しくない試験だった。家庭教師の先生も優秀だった。エイミーのやる気を削がず、それでいて奮起させ、そしてただひたすらにスパルタに教養を身に着けさせた。入学試験で要求されるよりも、はるかに高度な知識と技術をエイミーは既に持っていた。成績上位者として、学院への入学が決まるのも、当然の帰結だった。


 かくして、エイミーは王国からの奨学金を得て、魔術学院に入学することになった。四年間両親と離れ離れになるのは、少しだけ寂しかったが、幸いリシュフィリアの街は学院からすぐに帰れる場所にある。帰りたくなったら夏休みに帰れば良い。


 魔術学院での生活は本当に楽しかった。好奇心が旺盛なエイミーは魔術学院での授業で教えられたことを、全て自分のモノにしていった。特に好きだったのは魔術の実技だった。同じ平民の友達や、大人たちは使えない奇跡のような技術にエイミーはどんどん惹かれていった。


 ここまでが、エイミーのこれまでの話である。平民出身のエイミーには貴族と接したことが無かった。有名な貴族の名前は家庭教師の先生から教えられたが、名前を知っているだけで、貴族というのがどんなものなのか、どういう人達なのか、全然知らなかった。


 交流会で、カーミラを始めとした貴族の面々が話しかけてくれて、貴族という存在に俄然興味が湧いた。今まではただ漠然と自分より偉くて、怖い人達、という印象だった。気さくに話しかけてくれるカーミラ、ロビン、グラム、アリッサ、ヘイリー、皆良い人達だった。


 そして、彼らの立ち居振る舞いに感動した。貴族とは、なんて美しい所作をする人たちなのだろうと。どのような教育を受けたのだろう。学院に入るまではどのような生活をしてきたのだろう。好奇心旺盛なエイミーの興味は止まらなかった。


 カーミラと別れた後、貴族に対する恐怖がすっかりなくなってしまったエイミーは、様々な貴族の学生に話しかけた。貴族舎の学生と平民舎の学生では制服が違う。貴族の学生を探すのに苦労はしなかった。飽くまで失礼にならないように。飽くまで無礼だと思われないように。最低限気をつけてではあるが、たくさん話しかけた。そしてたくさん質問した。「ご実家では、どのような生活をしてらしたんですか?」、だとか、「貴族でいるっていうのは、どういうご気分なんですか?」、だとか。


 貴族の学生らは、平民のエイミーを見て、少しだけ嫌な顔をする者もいたが、おおむね好意的に接してくれた。誰しも、「教えて下さい」とキラキラした目で教えを乞われると、嫌な気はしないものだ。


 だが、それも、とある公爵家の長男に話しかけるまでだった。


「貴族様、お話させていただいてもよろしいでしょうか?」


 控えめに、だが目を好奇心でキラキラさせながら話しかけた相手は、ジョニー・クレイグ。クレイグ公爵家の長男であった。ジョニーは聞こえたのか、聞こえなかったのか、料理を口に運ぶのに夢中でこちらに気づいていない。


 エイミーはもう一歩、二歩、踏み出して、もう一度言った。


「貴族様、お話させていただいてもよろしいでしょうか?」


 ジョニーがゆっくりと振り向く。意地の悪そうな笑顔を浮かべながら。先程どこかへ行ってしまった恐怖の感情がまた戻ってきたのをエイミーは感じた。はっきりとした悪意。今まで話してきた貴族の学生たちからは感じなかったものだ。エイミーは恐怖で身体が硬直するのを感じた。


「薄汚い女め。私が誰だか分かって話しかけているのか? クレイグ公爵家の長男であるぞ? 貴様が易易と話しかけて良い存在だと愚かにも思ってしまったのか? なるほど、それは教育が必要だな」


 ジョニーはそう言って、杖にマナをまとわせて、剣に変えるとエイミーに斬りかかった。恐怖ですくみあがっていた身体だったが、奇跡的にその瞬間だけ硬直がとけ、身を守ろうと腕を前にクロスさせた。右手が切り裂かれる。痛い。痛い。エイミーは痛みに呆然とした。


「も、申し訳ございませんでした」


 そうか、貴族という存在には近寄ってはいけなかったのだ。エイミーは自身の迂闊な行動を反省した。そして、自身の死を覚悟した。お父さん、お母さん、ごめんなさい。私の迂闊な行動のせいで、二人の努力が無駄になっちゃった。そう考えると、自然と涙がこぼれてきた。


 貴族に逆らうとどうなってしまうか、ということについては家庭教師の先生から何度も何度も教えられていた。そうだ、自分は浮かれすぎていた。後悔した。とにかく謝罪しなければ。エイミーは震える唇を必死に動かし。頭を下げた。


「も、申し訳ございません。ど、どうかご容赦を」


 歯の根が合わない。自分よりも遥かに身分の高いものから向けられる悪意というものに、エイミーはこれ以上無い程の恐怖を感じた。


「一体、なんの騒ぎかしら?」


 この交流会で、一番最初に話しかけてくれたカーミラがエイミーの前に立ちはだかったのは、その直後だった。






 カーミラは沸々とこみ上げる怒りを抑えるのに必死だった。この男。自分と同じ公爵家の嫡男は、あろうことか自分の友人を侮辱した。そして傷つけた。エイミーはカーミラ自身も気づかぬうちに、既に彼女の「友人」のカテゴリに含まれていた。


「あなたは、あなたは、自分が何を言ったのか理解している?」


「十分に理解しているさ。貴様が愚かだということもな」


 自分が罵倒されるのは構わない、だが大切な友人を傷つけたり、侮辱されるのは我慢がならない。カーミラはジョニーを睨みつける。


「まぁ良い。同じ公爵家の貴様をどうこうしようとは思っていない。私は貴族の誇りにかけて、その身の程知らずの薄汚い平民を教育する必要があるのだよ」


 カーミラはまた頭に血が上るのを感じた。薄汚い平民? よりにもよってエイミーを? カーミラは彼女の聡明さを少し話しただけで理解していた。そしてその人柄の良さや、これまでにどれだけ努力してきたのかも、容易に想像できていた。身分は違う。確かにそうだが、その人柄に尊敬することはあっても、侮蔑することは許されない。


「貴族の誇り? 貴方にとって貴族の誇りって何?」


「貴族は特別だ。特に私は公爵家。選ばれた人間なのだ。有象無象な平民どもを教育し、貴族に対しての礼儀を教えてやる必要がある。さて、ジギルヴィッツ。どいてくれないか? まだ教育の途中だ」


 カーミラはカッカする頭を、ともすればこの傲岸不遜な男に殴りかかりそうになるのを、なんとかねじ伏せる。それと共に、尊敬する父の教えが頭の中に浮かぶ。


『貴族というのは誇りを持っていないといけないよ。それは、弱い者に力を振りかざして怯えさせることじゃない。弱い者、助けを求める者に、救いの手を与えることなんだ。身分の違いに重きを置いてはいけない。カーミラ。君はきっとこの領地は継げないけど、それでも有事の際には民草を守る義務がある。お前にはそれだけの力がある。

 お母様の特訓に頑張ってついていっているのを私は知っているよ。君がどれほどの才能を持っているのかも知っている。他ならぬ私とお母様の娘だ。カーミラは特別な存在なんだ。

 特別な存在だからこそ、弱者に手を差し伸べ、助けを求める者に救済を与え、そして皆を守らなければいけない。カーミラ。君の力はそのためにあるんだ。

 貴族の誇りというのはそういうものなんだよ』


 父の言葉を思い出したカーミラは、ジョニーの台詞を鼻で笑う。


「貴族の誇り? ちゃんちゃらおかしいわ。貴方は誤解している。貴族の誇りっていうのはね」


 ジョニーが語りだしたカーミラを訝しげな顔で見る。


「弱き者に手を差し伸べ、助けを求めるものに救済を、領民、民草を驚異から率先して守ること。正義を貫き、その在り方に貴き身分がついてくるのよ。徒に身分の低いものを虐げるものでは、決して無いわ」


 ジョニーは心底可笑しくて、思わず笑いそうになっているような表情を浮かべる。


「それが貴様の貴族の誇りか? 笑わせる。貴族とは無能な平民どもを導いていくものだ。礼儀知らずには教育を。愚かな者には死を。それが貴族のなすべきことだ」


 どこまで言っても平行線であった。カーミラの考え方と、ジョニーの考え方は違いすぎた。


「平行線ね。貴方とは笑って話をできる気がしないわ」


「奇遇だな、私もそう思っていたところだ」


 カーミラは握りこぶしを作る。このいけ好かない野郎をぶん殴ってやらなければ気がすまない。一方でジョニーはその様子を察したのか、剣になった杖を前面に構えた。


「私とやり合うっていうなら、相応の覚悟をしておくことね」


「その言葉、そっくり貴様に返そう」


 二人が臨戦態勢を整えた。エイミーが不安げにカーミラの後ろ姿を見遣る。私のせいなのに、私が無礼にもクレイグ様に話しかけてしまったことが悪いのに。エイミーは少し前にようやく止まった涙がまた溢れ出そうになってくるのを感じた。


「そこまで!」


 会場の入り口から、怒りに大きく張り上げた声が聞こえる。声は会場中に響き渡り、ざわめいていた学生たちが一斉に静まる。


 学院長がゆっくりとカーミラ、ジョニー、二人に向かって歩いてくる。


「この交流会は、貴族舎と平民舎の健全な交流を促すものであって、貴族が平民を傷つける場ではない」


 ハワードがジョニーを睨みつける。だが、負けじとジョニーも学院長を睨み返した。


「私は無礼なその平民の女に教育してやろうとした、ただそれだけです。平民の教育は貴族の義務ではありませんか?」


 ジョニーのその言葉にハワードは大きくため息をつく。


「クレイグ。君を夏休みが終わった後、二ヶ月の停学処分とする。夏休みの間は寮の自室から出るのを禁じる。食事等は使用人に持ってこさせるように手配する」


「そ、そんな。私は間違ったことは言っていないはずです!」


「王国の貴族の在り方というものが、どうしてこうも変わってしまったのか。私は憂慮しているよ。一言だけ言うが、君の考えは間違っている。何が間違っているのかは謹慎処分中によく考えることだ」


 ハワードはジョニーを見、カーミラを見、そしてエイミーを見遣った。


「このことは、クレイグ。君のご両親にも報告させてもらう。停学処分は決定。君が何を言っても私が覆すことはない」


 ジョニーは学院長のその言葉を受け、がっくりと膝を付いた。ハワードは彼の顔を少しだけ見る。未だ納得がいっていない顔だ。また、自身に対する憎悪も感じられた。本来、こういった貴族という立場を履き違えている学生に、正しい貴族の誇りを教えるのも学院の仕事であるはずだ。教育カリキュラムを見直さなければな。ハワードは頭を抱えそうになるのをこらえた。


「ジギルヴィッツ。君の言う貴族の誇り。それが本来の貴族の誇りだよ。君のご両親も私は知っているが、やはりあの両親にして、その子供あり、とう感想だ。……だが、他の学生とぶつかり合うことはいけない」


 カーミラは学院長の言葉に少し顔を赤くした後、はい、すみませんでした、と告げた。


「トラブルは収束したが、こんな空気になっては、交流会も継続できまい。交流会はこれにて終了とする! 生徒らは速やかにそれぞれの学舎に戻るように」


 ハワードが声を張り上げて、交流会の終了を宣言する。予定よりも一時間早いが、致し方ないだろう。来年の交流会について、もっと考えないといけない、とハワードは思った。


 こうして、貴族舎と平民舎の学生交流会は終わりを迎えた。

カーミラの貴族という立場のイメージが出てきました。

それ以上に、彼女は身内をとても大事にします。


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