第六話:学院長からの依頼
ロビンが課外授業として、狼と死闘を繰り広げていた頃、ヘイリーは自室で趣味の編み物に興じていた。編み物はいい。心を静かにしてくれる。誰も見ていない自室という環境もあってか、うふ、うふふ、と気持ち悪い笑い方をするヘイリーはロビンらに負けず劣らず変わり者であった。尤も、本人にその意識はないのだが。
欲を言えば、ヘイリーもロビン達の課外授業に着いていきたいと考えていた。しかし、淑女たれ、という母の教えを受けて育ったヘイリーには、森に入るということが淑女とは程遠いことに思われた。それだけならば、誘いを断るまでには至らなかったのだが、ひとたびそれが実家の母の耳に入った瞬間、即時帰還命令が発令されるのは自明のことだったのだ。夏休み中、実家に半ば軟禁され、毎日母のお説教を受けるのはヘイリーに取っても御免被りたいところであった。
そんなこんなで、ロビン達――といってもヘイリーのお目当てはカーミラだけなのだが――の誘いを断り、ちょっとだけ悲しく、残念に思う気持ちを振り払うために彼女は唯一の趣味である編み物に没頭するに至ったのであった。
今回作っているのは、カーミラを模したぬいぐるみだ。本人が見たらドン引きしそうなものだが、そこに関しては抜かりはない。ヘイリーの部屋には、彼女だけが開くことのできる、そういった魔術のかかったクローゼットがある。そこにしまっておけば、その存在は誰にもバレることはない。もう一度にはなるが、やはりヘイリーもそうとは気取られてないだけで変わり者なのであった。
白銀の少女を模したぬいぐるみが後少しで完成するかしないか、そんなタイミングで、窓になにかがぶつかる音がした。あら、誰かからの手紙ですかね、と窓を開けると、真っ白な鷲が彼女の部屋に入ってきた。配達の魔術だ。確か、鷲を模した配達の魔術を使うのは、有名なところであれば学院長だ。鷲が手紙に姿を変え、ヘイリーの手に収まる。ベッドの脇にある小さなベッドサイドテーブルの引き出しを開け、レターナイフを取り出すと、丁寧にその手紙を開封した。
手紙はやはり学院長からであった。学院長が私になんの用なのでしょうか、と疑問に思いながらも、手紙の内容を検める。そこには、「相談事があるので、至急学院長室まで来てくれないか」と書かれていた。
ヘイリーは、本日一日を編み物に費やすと決めていたため、まだネグリジェのままだった。というか歯も磨いてないし、顔も洗っていない。淑女とは、一体何だったのか、という体たらくではあるが、それが彼女の本質の一つでもあった。彼女は簡単に身支度を整えると、制服に着替え自室の扉を開けた。丁寧に鍵を掛けると、学院長室に向かって歩き始める。
五回ほど、顔見知りの学生とすれ違い、ごきげんようと笑顔で挨拶し終わる頃には、学院長室の前に到着した。ヘイリーは控えめに学院長室の扉をノックする。
「入りなさい」
学院長の物静かな声が耳に届いたのを確認してから、ゆっくりと扉を開け、中に入る。中には、ヘイリーも所属する自治会のメンバー、その何名かがソファに座っていた。
「申し訳ございません、私が最後……ですか? 大変お待たせいたしました」
「いや、そんなに待っていない。急な呼び出しをしてしまって悪かった」
学院長に進められるままに、ソファーに腰掛ける。学院長は、自治会のメンバーをぐるりと見回すと、もったいぶるようにゆっくりと話し始めた。
「貴族舎と平民舎の生徒達の交流が全くといって良いほど無いのは、皆が知っていることだろう」
ヘイリーを始め、学生達が首を縦にふる。
「その状況について、儂にも思うところがあってな。数十年前の出来事だから君たちはもしかしたら知らないだろうが、貴族の生徒と平民の生徒の間で諍いがあった。結果としてその平民の生徒は貴族の生徒に殺されてしまった。痛ましい事件だった」
勿論、その貴族の生徒は学院を退学になった、と学院長が遠い目をして言った。
「それ以来そのようなことがないように、学院を貴族舎と平民舎に分けたのは儂の判断だが……」
ハワードがもう一度部屋の中に座っている学生たちをゆっくりと見回す。
「貴族の生徒らの見聞を広めるためにも、平民の生徒らの見聞を広めるためにも、交流会を開こうと思ってな」
部屋にいたヘイリー以外の学生たちが少なからず驚きの表情を浮かべる。そもそも、貴族の子女は平民を完全に下の身分であると認識している。当然、交流などする気もないし、交流したとしても良い結果になるとは思えなかったのだ。
ただし、そんな学生たちの中でも、ヘイリーだけは別だった。カーミラから言われた言葉、身分や生まれではなくその人物の本質を見なさい、この数日間で彼女の言葉がヘイリーの中にも確りと根付いていた。
「学院長の仰ることはわかりました。しかし、あまりにも危険すぎはしませんでしょうか」
今のヘイリー自身には平民に対して思うところはない。しかし、貴族と平民では育ってきた環境も、周囲を取り巻く文化も何もかもが違う。また数十年前と同じ様なことが起きないとも限らないのだ。
「うむ、儂も危険であることは承知している。なので君たちを今日呼んだのだよ」
ヘイリーは学院長の相談事の内容に合点がいった。
「つまり、問題が起きないよう、我々が計画し、監視し、上手くことを運べ、とそういうことでしょうか」
「うむ、ウィリアム。聡明な君は理解が早くて助かるな。そういうことだ」
「では、仮に我々を実行委員とでも呼びましょうか。実行委員は、我々だけですか?」
「いや、君たちが必要だと思う人間を一緒に参加させる分には全く構わない」
ヘイリーは、セミロングの金髪を指でくるくると弄びながら、少しだけ考えた。できる限り、身分や爵位にこだわらない人間がいい。まず筆頭はカーミラだろう。少しだけ業腹ではあるが、ウィンチェスターにも協力を仰いだほうがよさそうだ。うんうん唸ってなんとなくあたりを付けたところで、ヘイリーは学院長を見遣る。
「承知いたしました。平民舎との交流会はいつぐらいにする予定ですか?」
「ふむ、次の安息日に開こうと考えている。勿論、学院の教師達も何人か動員するつもりだ」
「かしこまりました」
ハワードは満足そうな表情で、うむ、と頷いた。
「では、夏休み中に申し訳ないが、よろしく頼む」
学院長はそう言って、学生たちに退室を促した。彼らは一礼すると、ソファーから立ち上がり、ぞろぞろと学院長室を出ていく。ヘイリーもその最後尾について、学院長室を出ようとしたが、背後から学院長の声が届いた。
「ウィリアム、君はちょっとだけ残りなさい」
なんだろう。ヘイリーは疑問に思いながらも、踵を返して、ソファーに座りなおす。
「君は変わったな。良き変化だと思っているよ。君に変化を与えたのはジギルヴィッツかな?」
彼女は少しだけ驚きに目を見開いた後、褒められているのだということに気づき、にっこりとした。
「カーミラ様も勿論ですが、ウィンチェスターからも影響を受けたと考えています」
「ふむ、ウィンチェスターか。彼は変わり者だからな。君にとって良くも悪くも影響の大きい人物ではないかね?」
「えぇ。ですが、彼からの影響を私は好ましく思っています。もっとも、彼自身のことを好ましく思っているかどうかは別ですが」
ハワードはニッコリと笑って、ヘイリーを黒曜石のような深い黒を湛えた目でヘイリーを見つめた。
「君がそう思っているのなら、それはそうなんだろう。良き友人を得たな」
ヘイリーは少しだけ誇らしくなって、笑みを深めた。ヘイリーにとって、今ではカーミラもロビンも良い友人である。ロビンに関してはヘイリー自身も気づいてはいないが、彼女の本心は確りとロビンを友人として認めている。大切な友人を褒められて鼻高々にならない人間は少ないのではないだろうか。
「ウィリアム。君がいるから、安心して今回の件を任せられる。期待しているよ」
はい、とヘイリーが元気よく返事をし、ハワードが満足気に微笑んだ。
とはいえ、平民舎との交流会か。学院長室を出たヘイリーは歩きながら悩みに悩み抜いていた。次の安息日まではあと六日。計画するにも、準備するにも、時間が足りなさすぎる。一緒に学院長室にいた自治会のメンバーはそもそもやる気がなさそうである。どうしてこんな面倒なことを押し付けられなければならないのか、といった表情をヘイリーは見逃していなかった。私が中心になってやるしかなさそうですね、とちょっとだけげんなりしたヘイリーだったが、すぐに思考を切り替える。
やっぱり協力者が必要ですわね。ヘイリーは考える。廊下の窓をふと見遣ると、日が傾き始めていた。ひょっとしたら、カーミラやロビンが食堂でたむろしているかもしれない。ヘイリーは食堂へと向かった。
食堂の入り口を抜けると、聞き覚えのある笑い声が聞こえた。最近仲良し四人組と呼ばれるようになった彼らである。カーミラとロビンの姿を確認したヘイリーは足早に歩み寄ると、声をかけた。
「カーミラ様、ウィンチェスター。折り入ってご相談があります」
四人がヘイリーの方を一斉に見る。カーミラとロビン以外の二人とはあまり交流がなかったが、ロビンに負けず劣らず変わり者だと噂されているこの二人だ。喜んで手を貸してくれるに違いない。
「相談?」
ロビンがヘイリーに向かって疑問を投げつけた。ヘイリーはどう説明したものか、と数秒ほど悩んだが、結局直球勝負にすることにした。
「えぇ。先程学院長から自治会の一部のメンバーに依頼がございまして」
「へぇ、学院長からの依頼かぁ。大変そうだね」
「えぇ、大変ですわ。平民舎の魔術師との交流会を計画してくれ、とのことでした」
カーミラが少しだけ驚いたような目をし、口を挟んだ。
「平民舎と? それはまた、ジョーンズ学院長も思い切ったことを考えたものね」
平民と貴族では価値観をはじめ、なにからなにまで違う。そんな二つの集団をぶつかり合わせたときに、真っ先に考えられるのは対立だ。
「そうなんですの、カーミラ様。交流会は次の安息日。それまでに計画して、準備して、当日は大事が起きないように監視しろ、と」
グラムとアリッサは面白そうにヘイリー達の会話を聞いている。平民との交流に忌避感を持たない彼らはやっぱり変わり者ですね、とヘイリーは少しだけそう思ったが、その理論で行くと自分も変わり者の一員になってしまうことに思い立って、少しだけ嫌な気分になった。だがヘイリーは気づいていない、自分も立派にそんな変わり者の一員であるということを。
「で、相談ってことだから。僕たちに手伝って欲しいってこと?」
「ウィンチェスターは察しがいいですね。その通りです」
「ヘイリー経由の学園長からの依頼か。こりゃ断れないね」
ロビンは少しだけ苦笑いをする。
「僕は、ロドリゲス先生との訓練があるから手伝えるのは夕方からになっちゃうけど。あ、でもロドリゲス先生に学院長からの指示だって相談すれば……」
ロビンはアレクシアとの特訓から逃げられそうな口実を見つけたと思ったのか、頬杖をついて何かを考え始めた。
「私は良いわよ。他ならぬヘイリーの頼みですもの。是非もないわ」
カーミラがヘイリーに向かってニッコリと笑いかける。やっぱり、カーミラ様は素敵な方ですわ。ヘイリーはもう上昇する余裕が無いはずのカーミラの評価をさらに引き上げた。
「ハンデンブルグ、ホワイト。貴方達は?」
「俺は面白そうだから、手伝ってやってもいいぜ」
グラムの下品な言葉遣いにヘイリーは少しだけ眉をひそめるが、せっかく手伝ってくれると言っているのだ。敢えて気分を悪くさせることもない、と捨て置いた。
「ホワイトは?」
「私さ、魔法薬作らないといけないんだ。その合間でいいならなんとか」
アリッサが少しだけ申し訳なさそうに言う。
「そんな申し訳無さそうな顔なさらなくても大丈夫ですわ。猫の手も借りたい状況ですもの」
「それなら良かった。微力ながら、お手伝いさせてもらうね」
アリッサもにっこりと笑って、協力は惜しまないというポーズを取ってくれた。
「快いご協力、感謝します。では早速計画をし始めたいのですが、よろしいですか?」
四人の顔が上下に振られるのを確認し、ヘイリーは空いていたカーミラの隣の席に座った。あぁ、カーミラ様、貴方の隣に座れるなんてなんて僥倖なのでしょう。ヘイリーは大喜びしている内心を必死に表に出さないようにする。いい匂い、そして美しい。だめだめだめ、今の私にはやることがあるでしょう。やっぱりヘイリーはこの四人に負けず劣らず変わり者なのであった。
四人は変わり者とはいえ、その能力は折り紙付きである。ヘイリーはそのことを十二分に理解していた。カーミラは言わずもがなだが、ロビンも悪知恵がきくと評判である。グラムについてはあまり良い評判は聞こえてこなかったが、これまで何度か会話した経験から、彼の聡明さにヘイリーは気づいていた。アリッサについては、魔法薬学という限定的な分野ではあるが、学院の教師並みの知識を持っていると専らの評判である、そんな彼女が無能であるはずがない。
ヘイリーを中心として、平民舎との交流会の計画が次々と進んでいく。時には口角飛沫に喧々諤々と議論をぶつけ合いながら、準備には何が必要なのか、何をしなければならないのか、当日の進行はどのようにやるのか等、様々なことがあっという間に決まっていった。
「皆様、ありがとうございます。計画の基盤になる部分はできましたわ。これから交流会まで何度かご協力を仰ぐと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします」
計画が一段落した頃には、すっかりと外は薄暗くなっていた。ヘイリーは今日交流を持ったグラムやアリッサを含めこの得難い友人達を生涯大切にしていこうと決めるのであった。
そして、次の日。学院長から、全学生に向けて、「貴族舎と平民舎の交流パーティ」のお触れが出された。
ここから、ヘイリーが主役の話が二話ほど続きます。
あ、勿論いつものメンバーも登場しますよ。
どうやって、ヘイリーが仲良し四人組と仲良くなっていくのかの話になります。
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