第五話:課外授業
王宮の指示によって閉鎖されていたリュピアの森であったが、騎士団と宮廷魔術省の「ヘルハウンドが発生した原因は不明だが、何者かが召喚した可能性が高い。今後同様のことが起きる可能性も考えられるが、同一人物がまた同じことを同じ場所で行う可能性は低いと考えられる」、という報告を受け、約一ヶ月ほどで閉鎖が解かれた。正体不明の人物によるヘルハウンドの召喚という可能性については、王家や元老院達も一定の危惧を抱いたが、比較的狭い森であるとはいえ、森を閉鎖することにかかるコストを考えると、当然長期間の閉鎖が財政を圧迫することは明らかだ。
なので実態としては、閉鎖を解かざるを得ない状況となったため仕方なく閉鎖を解いた、ということになるのだが、そんな実態は王宮の中でのみ共有され、市井の民草には明かされることはなかった。
そんなこんなで、リュピアの森の閉鎖が解除されているという情報をいち早く得ていたアレクシアは、課外授業のフィールドとして、リュピアの森を選んでいた。
筋力強化の成果を試すのであれば、難易度が低過ぎもせず、高すぎもせず、丁度いい塩梅であったためだ。
とはいえ、筋力強化の分野ではまだまだひよっこのロビンを一人で訓練させるというのには、アレクシアも危険が伴うと考え、ロビンと親しく、治癒魔術も一通り扱えるカーミラを無理やり引っ張り出した。
ロビンのためだからね、あんたのためなんかじゃないんだから、とテンプレみたいな言葉でアレクシアのお願いを聞き届けたカーミラは、現在むっつりした表情でリュピアの森の前で立っている。
どこから聞きつけたのか、グラムとアリッサもその隣に並んでいる。久しぶりの仲良し四人組の集合である。ちなみに、最近仲良くなったヘイリーもカーミラは誘っていたのだが、一緒に行きたいのはやまやまだが、森に入ったなんてバレたら、両親に怒られてしまう、とお誘いを固辞していた。
アレクシアは、予想外に大人数になってしまったことに、改めて小さなため息をつく。
「では、森に入る。ハンデンブルグ、ホワイト、ジギルヴィッツ。今日の目的はウィンチェスターの筋力強化を使用した戦闘の訓練だ。諸君らは基本的には黙って見ているように。手助けが必要だと私が感じたら、声をかける」
はぁい、と三人の返事が重なる。
「では森の中へ入る」
アレクシアの号令で、ロビンとアレクシアを先頭とした一行が、森の中へ入っていく。
グラムが以前そうしたように、アレクシアが通り過ぎる木々にナイフで傷をつけていく。森の中で迷わないための常識だ。勿論、帰り道を示す魔術もあるにはあるが、今回のメンバーでその魔術を使える者はだれもいなかった。
「で、筋力強化の訓練の進捗はどうなんだよ、ロビン」
グラムが何となくアレクシアをぼうっと見ながらロビンに話しかける。
「なんとか、両腕の筋力強化ができるようになったってところ。今の所一時間しか維持できないけどね」
「一時間も維持できれば十分なんじゃねぇのか?」
グラムの素朴な疑問にアレクシアが振り返りもせず答える。
「十分ではない。例えば戦争が起きたとしよう。私も軍務の経験が無いので聞いた話と推測でしかないが、一人の兵が行軍や戦闘状態を継続させる時間は、長いもので二十四時間に及ぶこともあると聞く。
勿論、その間延々と戦闘行為を継続している訳ではない。兵士にも活動できる限界というのがあるからな。
だが、それでも少なくとも起きている間は常に筋力強化を維持できることが望ましい。
私は帝国出身だが、帝国では寝ている間も含めて、一週間は強化を維持できる化け物もいると耳にしたことがある」
私は、精々十八時間程度が限界だがな。アレクシアがそう言って、回答を締めくくる。
グラムは予想以上の回答に驚いた顔をした。
「途中でマナが切れてしまうって可能性もありますよね?」
今度はアリッサがアレクシアに尋ねる。
「対峙しているものによって、考え方が変わってくる。野獣や魔獣、怪物などの存在と相対する場合、短期決戦が基本となる。野獣や弱い魔獣ならともかく、強力な魔獣や怪物、奴らは硬い。中途半端な量のマナで筋力強化しても、致命傷を与える事ができない。自身の全力全開を投入し打倒するのが基本的な戦術だ。
しかし、対人戦となると話が変わってくる。人間を殺すのに、過剰な膂力は不要だ。そのため、白兵戦を基本に考えると、常に微量なマナで、相手よりも少しだけ頑強な身体を作り上げるというのが基本的な考え方となる。魔術の攻撃にさらされた場合は、ピンポイントで強度を高め、ヒットの瞬間だけ耐久力を上げる、といった塩梅だ」
アリッサは自身の疑問に対する回答に、「人間を殺す」等という表現が出てきたことに、少しだけ嫌そうな表情を浮かべる。人を殺す。長期間の平和な時代を謳歌している王国民にとって、人を殺すという概念はあまりに遠い、他人事のような世界だった。
そんなアリッサの感情を気配で察したのか、アレクシアが補足する。
「まぁ、諸君らがこれから相対する可能性があるのは、野獣や魔獣だ。王国と帝国の間に戦争はしばらく起き得ない」
帝国と王国の間に大山脈があるからな、と言いながら、アレクシアが振り返り、アリッサをちらりと見る。
アリッサはそれを聞いて少しだけホッとしたような表情を浮かべた。
「よし。練習台を見つけた。ここから、三分ほど北に歩いた位置に狼の群れがいる。ウィンチェスター、両腕を強化しろ」
ロビンは、はい、と返事をし、昨日何度も繰り返した両腕の強化を試みる。数秒ほどかかったそれは、確かに成功し、彼の両腕は野獣等容易く屠ることができるほどの頑強さを得た。
「筋力が強化されても、当たらなければ意味がない。一時間がリミットだ。狼の群れを全て打倒しなさい」
そう言って、アレクシアはロビンを狼の群れの方へ導く。ロビンは少しだけ心臓をいつもよりも脈打たせながら北へ歩を進める。アレクシアが数歩離れてそれに続き、他の三人はアレクシアの後ろにピッタリとくっつく。
「そういえば、生態系とか壊れないですか?」
ロビンは以前グラムが言っていたことを思い出し、アレクシアに問いかける。
「安心しろ。狼程度なら掃いて捨てるほどいる。一人で生態系が崩れるほど狩り尽くせはしない」
ふぅん、そうなのか、とグラムの方を見遣ると、グラムは違う違うという顔をしている。
「えっと、グラムがそんなことはない、って顔をしてますよ」
「そうなのか? ハンデンブルグ、貴君の意見を聞かせてくれ」
アレクシアが首だけをグラムの方に向ける。
「えっとですね、数歩先の狼の群れは俺の予測として、だいたい二十匹前後です。二十匹も殺すと、将来的にこの森の生態系がダメージを受けると思います」
「ほう、そうなのか。生態系にダメージ、か。考えたこともなかったな」
なんと、アレクシアの先程の言葉は全くの考えなしに吐かれた言葉であった。ロビンは、この人って本当は戦いと筋力強化以外ポンコツなんじゃないのかな、と苦笑いする。
「では、ロビン。殺さなくても良い。何度か強化した腕で殴り続けると、群れは逃げていくだろう。多少加減してやれ」
怪我をさせるのも生態系に多少のダメージがいくんだがな、とグラムは苦い顔をするが、もうこの女には何を言っても無駄だろう、と諦める。確かに怪我をさせるくらいであれば大きな生態系の変化は起きない。グラムは無理やり自分を納得させた。
「来るぞ」
百数十歩ほど北へ向かったところで、アレクシアがニヤリと笑いながらロビンに告げ、同時に彼の背中をドン、と押す。
うわっと、という情けない声を上げながら、一歩、二歩、三歩と大股にバランスを崩し、なんとか体勢を整え、前を見る。
唸り声を上げながら、こちらを威嚇する狼の群れがロビンの目に映り、次の瞬間、狼の中の数匹がロビンへ襲いかかる。
「ウィンチェスター。貴君の強化は両腕だけだ。走る速度も身体の頑強さもひ弱な貴君では普通の人間よりも劣る。奴らの全ての攻撃は両腕で防御しろ」
そんなこと言われなくても分かってる、とは口に出せずに、狼の攻撃を両腕で凌ぐ。爪によるもの、牙によるもの、様々な攻撃が雨あられとロビンを襲うが、おっかなびっくり両腕を前に出すと、それだけで狼の攻撃が弾かれていく。ロビンは味わったことのない感覚に目を見開く。
爪も牙も、彼の両腕を傷つけるには至らない。その事実に気づいているのかいないのか、狼は躍起となって彼を傷つけようとする。
「えぇっと、せーの」
飛びかかってくる一匹の狼に合わせて、右の拳を叩きつける。技も何もあったものじゃない攻撃を受けた狼は悲鳴を上げ、ボールのようにバウンドを繰り返しながら、吹っ飛んでいった。
これすごっ。ロビンは自分の右腕を見つめる。
「ウィンチェスター!」
やばっ、油断した。アレクシアの叫び声にハッとする。ロビンは自分の迂闊さを呪った。仲間を打擲されていきり立った狼の数匹がロビンの目前に迫り、彼を傷つけようとその鋭利な爪を振りかざす。
回避も防御も間に合わず、右肩から胸にかけて切り裂かれる。血飛沫が舞い、傷口がじくじくと痛みだす。
カーミラの叫び声が遠くから聞こえる。しかし、ロビンの耳にはその声ははっきりと届かなかった。一度傷を受け、再度彼は目の前にいる敵に集中しはじめたのである。
狼達の攻撃をいなし、弾き、防御する。そして隙を見つけて、ぶん殴る。技も何もあったものではないが、何度か狼にテレフォンパンチが直撃し、次第に狼の戦意が失われていくのがわかった。とはいえ、狼らも自分たちに数の利があることを本能的に理解している。攻撃の苛烈さは少しずつ失われていったが、ロビンから逃げてしまう程には至っていない。頻度は減っているが、次々とロビンを傷つけようとその爪や牙を振りかざす。
勿論、全ての攻撃をロビンが両腕で防御できるはずもなく、何度か爪や牙による攻撃を受けてしまっていたが、運が良かったのかどれも深刻な被害には至らなかった。
一時間経って、ロビンの強化の限界が来る頃には、狼の群れも息絶え絶えの状態といった有様だった。
「そこまでだ」
アレクシアがロビンと狼達の間に潜り込むと、地面を思い切りぶん殴った。地面は拳で打ち据えられたとは思えない程に抉れ、罅入り、そして腐葉土の塊をあたり一面に撒き散らした。
狼達はその様子をみて、自身が相対する相手が恐ろしい何かであることに気づき、散り散りになって逃げていった。
一時間にも渡る狼の群れとの戦いに、ロビンは肩で息をしていた。後ろにアレクシアがいた事で不安は無かったが、それでも不味いと思う一瞬はあった。
カーミラが彼のもとに走りより、治癒魔術をかけ始める。正直、お礼を言う体力も残っていない状態ではあったが、なんとか、ありがとう、の一言をカーミラに掛ける。
「ふむ、狼を追い払えなかったのは業腹ではあるが……。ウィンチェスター、どうだった?」
アレクシアがロビンの前に立つ。
「い、いえ。も、もう必死で」
「筋力強化を極めた者からすると、体術や剣術、そういった技術は、極端に言えば必要ではない。生兵法の貴君でも、今日奴らと戦ってみてそれが分かったのではないか?」
確かにそうだ。戦い方なんて何一つ知らないロビンが、両腕のみの筋力強化で狼と対等に一時間やりあえてしまいるのだ。恐ろしい技術だ、そう感じた。
「筋力強化に長けたものは、ただその膨大な膂力を振りかざすだけで、相手を圧倒する。勿論全身の強化が必要となってくるがな。眼を強化すれば、動体視力が跳ね上がる。脚の強化をすれば、走る速度が跳ね上がる。筋力強化とはそういった類のものだ」
実感しただろう? と、ロビンを目を細めて見遣るアレクシアに、彼は首を上下に振ることで返答した。
「もう、マナも尽きただろう。戦闘中のマナのコントロールが甘かった。今後の課題だな」
鬼教官がまた新しい訓練メニューを考え始めたようだ。ロビンは未だに整わない息を煩わしく思いながら戦慄した。
「さて、今日の課外授業はこれで終わりだ。学院へ帰還する」
アレクシアがそう言い放ったのは、カーミラの治癒魔術によって身体中にできた無数の傷が癒えたころだった。
いつもよりも早めに終わった訓練に、四人は久しぶりに食堂へ集まっていた。ヘロヘロのロビンはテーブルに突っ伏し、少しでも体力を回復させようと努力している。
「いや、しかし筋力強化を使った戦いはすごかったな」
グラムが感心したように呟く。
「グラムなら、あの程度の野獣なら瞬殺でしょ?」
「瞬殺とまではいかねぇよ。それでも二十分くらいあれば全部やっつけられるのは確かだな」
「その方が凄いじゃない」
「いや、今日のお前は俺からするとだな、技術もねぇし、体捌きもなっちゃいねぇし、てんで駄目駄目だ。筋力強化が無かったら十分ぐらいで殺されていたのはお前だったんだぜ?」
グラムが末恐ろしいことを言い始める。でも確かにそうだ。腕で防御した攻撃は数しれない。そのどれもが、ロビンにダメージを与えていたならば、十分と持たずロビンはカーミラの治癒魔術のお世話になっていたことだろう。
「でも、もう今日みたいのは懲り懲りよ。課外授業はやめにしましょう、ってロドリゲス先生に言わなきゃ」
いつロビンが大怪我するんじゃないかって、冷や冷やしたわ、とカーミラが眉をしかめる。
「まぁ、ロドリゲスがいたから、そこは問題ねぇだろ。あの女、いつでも奴さんどもをぶん殴れる体勢でロビンの後ろに立ってたぜ」
だから、全然心配はしてなかった、とグラムがカーミラに言う。
「私は、ロビンが強くなってくれたらリュピアの森に素材採集に行ける日が増えるし大歓迎だよ」
アリッサは相変わらず自分の利益ばっかりを考えている。ロビンは、こいつ本当に僕の婚約者になりたいと思ってるのか、と疑問に思った。勿論、婚約なんて御免こうむるところなのだが。
「まぁ、魔術も器用貧乏で、戦い方も知らねぇロビンが、狼と対等にやりあえてたっていうのがすげぇんだよ。筋力強化、俺も習得しようかな」
「やめときなよ。普通の人間なら、一日中訓練するのを一年以上続けてそれでも習得できるかどうかだってロドリゲス先生が言ってたよ」
君にそんな余裕ないでしょ、とロビンがグラムをじろりと見る。
「確かにな、なんだかんだで夏休みが終われば授業もあるしなぁ」
「よくわからないけど、僕は才能があるんだってさ。このままあの鬼教官のしごきに耐え続ければ、夏休みが終わる頃には、多少モノになってるだろう、って言われたよ」
「それはなんというか、凄いとも思うが、同情を禁じえねぇよ」
常人があのシゴキについていけるはずがない。ロビンも常人ではあるので、当然ついていけないということになるのだが、そこはそれ、アレクシアが逃してくれないのだった。
「夏休みの間に、僕、死ぬかも」
ロビンのそんな言葉に、他の三人は声を上げて笑った。
それを聞いていたのか、聞いてはいなかったのか、四人に近寄る一人の人影が合った。
「カーミラ様、ウィンチェスター、折り入ってご相談がございます」
セミロングの金髪をたなびかせながらやってきたのは、ヘイリー・ウィリアム、その人であった。
狼の群れと練習試合です。
単純に身体能力が「異常に」高ければ、基本的には体術とか技術とかいらないと思うんですよね。
速いスピード、強い力、頑強な身体。
「虎はなにゆえ強いと思う?」、「もともと強いからよ」理論です。そうです、花の慶次です。
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