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第四話:アレクシアとの特訓

 ジェラルドと魔族言語に関する文通をし始めるようになって一週間ほど過ぎた。ロビンは助教授に推薦された本を読み、感嘆したものだった。最初に読んだ入門書よりも遥かにわかりやすい。筆者は何を思ってあの本に入門書と名付けたのだろう。専門的な言葉が多すぎて、全然わからなかった。ロビンは良き師に出会い――とは言っても文通ではあるが――めきめきと魔族言語に対して理解を深めていった。カーミラほどではないが、彼の頭脳も人並み以上の優秀さなのである。


 さて、魔族言語の勉強に励んでいるからと言って、アレクシアの特訓が手加減されることはない。それはロビンを始め、誰しもが容易に推し量ることのできる事実であった。


 今日もロビンは朝からアレクシアに引っ張り出され、学院の前庭で特訓を受けていた。いつもと違うことといえば、たまたま予定が空いていたグラムとアリッサが見物に来ていることぐらいだ。


「さて、ウィンチェスター。今日も訓練を開始する。準備は良いか?」


「サー、イエッサー」


 力なくロビンが答える。声が小さいと言われ、もう一度、叫ぶように「サー、イエッサー」と言う。最近正式に学院の教師になったこの女性はどうにも体育会系で軍人気質なノリが好きなようだ。


「大変そうだね」


「あぁ、哀れになってくるな」


 かすかに聞こえてくるアリッサとグラムの声は無視する。これから地獄が待っていることをロビンは身を持って知っているからだ。


「では、まずはマナを全身に広げろ」


 これまで、毎日のように繰り返されているため、少しは勝手が分かってきたロビンが、はい、と言って、身体の中にあるマナを探り始める。身体の中心にあるそれを、魔素臓から引き出し、ゆっくりと全身に広げていく。


 さぁ、ここからが高いハードルだ。これまで一度も一人で成功していない。身体中にマナの薄い膜が張ったような感覚に、ロビンは気合を入れる。


 最初の授業で、アレクシアが外側から無理やりロビンの身体に行った操作が、身体にマナを馴染ませるという工程である。彼女のマナの操作能力は優秀だ。他人のマナを操作するということは恐ろしく難易度の高いことだ。といっても、操作される側が受け入れなければ、そもそも他人のマナの操作等できないということもあるのだが。


 あの日、彼女がしたことは、本来長い時間をかけてマナを変化させ馴染ませていくという工程を、無理やりマナを変質させることで、ロビンの身体に馴染ませたのだ。


「マナを自身の筋肉、骨、臓器に適応するように、変化させるのだ。感覚は覚えているだろう」


 ロビンの身体を撫で回しながら、アレクシアが無理難題をふっかけてくる。そんなこといっても、できないものはできないのだからしょうがない。


 まず、自身の身体にマナを馴染ませるように変質させるというのがロビンにはよく理解できていない。アレクシアもそれを上手く説明できない。彼女は筋力強化に関しては天才肌であり、何故できないのか、とよくのたまう。できない生徒の気持ちが全然理解できていないのだ。ロビンは何度心のなかで目の前の女性に対して「この脳筋が!」と言いたくなったかわからない。


 勿論、身体にマナを馴染ませるという工程が人それぞれ違ってくるということもある。人間の筋肉の組成や、骨の密度、臓器の状態などなど、個人差があって当然である。そのため、馴染ませるためにマナを変化させるといっても、その方向がアレクシアとロビンでは全然違うのである。


 イメージが全然つかめない。ロビンは困り果ててしまった。


「地味だねぇ」


「地味だなぁ」


 再度かすかに聞こえてくる見物人の声を、ロビンは再び無視しようとする。傍から見れば、アレクシアとロビンが向かい合って突っ立っているようにしか見えないだろう。その実は、高度なマナの操作がロビンの身体の中で行われているのだが、目に見えないためどうしても地味な絵面になってしまう。地味なのはしょうがないじゃないか。無視することには失敗したらしいロビンは、心の中で思わず毒づいてしまった。


「うーむ。やはり、ここが上手くいかないな。イメージしろ。自分の筋肉とマナを同じものとして扱うんだ」


 そんなこと言われても……。ロビンは全身に張り巡らせたマナを必死に維持しながら、アレクシアの言葉をなんとか自身の身体で再現しようと試みる。


「まずは腕を意識しろ。腕の筋肉は何でできている? 無数の細胞だ。その細胞の一つ一つに適合させるようにマナを操作するんだ」


 腕か。ロビンは自身の右腕を見る。筋肉が絶望的についていないその腕を悲しげに見つめると、自身の身体をマナで探っていく。マナによる知覚。それも筋力強化には必要となる技術であった。


 はっ、とロビンは気づく。マナで探った筋肉の細胞一つ一つがどんな形をしているのか。それが今日に限っては、ありありと脳内にイメージできた。なんでなのかはわからない。


 細胞が持つ色、細胞が持つ能力。それらが積み重なって筋肉が構成されている。マナをどう変質させるかという方向性が何となく理解できた気がした。


 ロビンはゆっくりとマナを変化させていく。まずは右腕からだ。目の前の鬼教官の最初の授業で覚えた感覚を思い出す。そうだ、あれはこんな感じだった。


 マナが筋肉に馴染んでいくのがわかる。マナが骨に馴染んでいくのがわかる。


 アレクシアがロビンの右腕を撫で回し、驚きの声を上げる。


「ウィンチェスター。部分的ながら成功だ。地面を思い切り殴ってみなさい」


 鬼教官の指示に、ロビンはマナを霧散させないように注意しながら、ゆっくりとしゃがみ、腕を振りかぶり、思い切り地面に突き立てる。


 地面を構成する硬い土が、奥にある粘土質のそれが、衝撃でえぐり取られロビンの拳を中心に罅が入る。芝の生えた大地に深く突き刺さった自身の腕を、ロビンは信じられないようなものを見る目で見つめた。あまりの驚愕に右腕どころか全身に馴染ませていたマナが霧散してしまったのはご愛嬌である。


 外野から、おー、という声とまばらな拍手が起こり、ロビンの耳にも届く。


「驚いたな。まさかここまで早く部分的な成功まで至るとは思っていなかった」


 アレクシアが未だに地面に突き刺さったままで抜けないロビンの右腕を、無理やり引き抜く。無理やり引き抜かれたものだから、すごく痛かった。ロビンは腕を振って、骨などに異常が無いことを確認する。


「やはり、貴君には才能がある。もしかしたら、私以上かもしれないぞ」


「えっと、恐縮です」


「うむ、それでは、ここからはもっと厳しくしよう」


 ニヤリと獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべたアレクシアにロビンが戦慄する。鬼だ。やっぱりこの女は鬼だ。いつか相対したヘルハウンドよりも、今、ロビンはこの女性のしごきに恐怖を抱いていた。


「ではもう一度、身体全体にマナを張り巡らせるところからだ」


「さ、サー、イエッサー」


 結局、その後も訓練は続いたが、残念なことにロビンが筋力強化に成功することはなかった。身体にマナを張り巡らせ、そして限界の時間を迎え、霧散させる。そのルーチンが何度となく繰り返された。一度成功したのになんでできなくなったんだろう、と途中までは疑問に思ったが、何度もルーチンが繰り返される度に、その疑問が疲労によってかき消されていった。


 最初の二時間ほどは、地味だ地味だ、とぼやきながら見学していた二人もいつの間にか姿を消していた。鬼教官のしごきでマナを空っぽにしたロビンは、最後に盛大に胃液を逆流させた。マナが空になる感覚にはまだ慣れない。


 何となく空を見上げると、日が暮れ始めている。疲労で霞む目に、夕日が眩しい。こんな光景もロビンにとっては見慣れたものだった。


「一度ではあるが、部分的に成功した。このペースなら夏休み中には短時間の筋力強化ができるようになるだろう」


「は、はぁ」


「あと、マナを毎日空になるまで酷使しているのだ。貴君のマナの保有量も徐々に成長していくだろう」


 楽しみにすることだ、とアレクシアが無表情のままで言う。


「そ、そうですねぇ」


 ヘロヘロになった身体をなんとか支えながら、なんとかアレクシアに返事をする。


「今日の訓練はここまでだ、身体をゆっくりと休ませるように」


「ふぁい」


 ロビンはもう、言葉もおぼつかない。こんな状態で自室に戻って、魔族言語の勉強までするのだから、彼の気力は大したものだ。彼が筋力強化の訓練以外に魔族言語の習得に腐心していることはアレクシアにも既知のことである。彼女は密かにこの少年の根性を心中で称賛する。決して言葉にはしないのが彼女らしいといえば彼女らしいが。


 ロビンはフラフラとした足取りで、寮へ帰っていった。その後姿を見ながらアレクシアは考える。一週間。一週間で今日成功した部分的な筋力強化を形にしてみせようと。


 彼女のその考えは、ロビンにとっては地獄が灼熱地獄になるようなものなのだが、ロビンに彼女の考えを知るすべはない。






 その後、一週間に渡り、それまでとは別次元のスパルタな訓練が続いた。雨の日も風の日も特訓は続いた。ロビンは胃の中のものどころか、血反吐を吐きながら、その訓練に耐えた。


 しかし、中々成功しない。感覚は思い出せるのだが、その感覚を再現しようとすると途端に難しくなるのだ。ロビンは段々と心が折れそうになっていた。


 勿論、魔族言語の勉強も続けている。ヘロヘロになった身体に鞭打って、ジェラルドに推薦された専門書を読み、大事そうなことをノートに書き連ねる。勉強に疲れた段階で、その日のわからなかったこと、こういう理解であっているのか、等を手紙にしたため、ジェラルドに送った。返事は必ず次の日の朝に返ってきた。


 そして、激動の一週間が過ぎ、今日もまたアレクシアとの訓練が開始された。


「では、訓練を開始する。まずは、いつもどおりマナを全身に張り巡らせるところからだ」


 何度も聞いたその言葉に、なんとなくうんざりしながらも、ロビンはいつも通り、マナを全身に張り巡らせる。数秒かけて、全身にマナを行き渡らせたのを確認したところで、アレクシアが身体を撫で回し、ロビンのマナの状態をチェックする。


「ふむ、マナを全身に張り巡らせる工程にも慣れてきたようだな」


 最初はこの工程にも、数分程度かかっていたことを考えると、自身の成長が実感でき、ロビンはちょっとだけ嬉しくなった。それ以上に、異常なまでのアレクシアのしごきが思い出されて、げんなりもするのだが。


「では、両腕にマナを浸透させろ」


 ロビンは、最初のアレクシアの授業で感じた感覚、一週間前に右腕だけとはいえ成功した感覚をイメージする。


 なんだか、今日はいつもと違う。ロビンは感覚的に昨日までとの違いを認識していた。


 なんだろう、今日はすごく調子が良い。


 マナが変質し、腕の筋肉や骨に浸透していく。ここまでスムーズにできたのは初めてだ。ロビンは驚きに目を見開く。


 ロビンの腕に手を当て、マナの動きを探っていたアレクシアもニヤリと笑った。


「ロドリゲス先生。なんか、上手くいったみたいです」


 両腕の筋力が間違いなく強化されている。両腕だけが熱く火照り、燃えてしまいそうな感覚に少しだけ眉をひそめた。


 アレクシアがロビンの両腕を撫でる。


「素晴らしいぞ。一週間で形にしてみせようと考えていたが、本当に形になるとは思わなかった」


 おい、今なんて言った? 初耳だぞ。ロビンはアレクシアの言葉に内心でツッコミを入れる。一週間でここまで成功させようとしていたのか。彼はこの一週間の灼熱地獄を思い返す。何度血反吐を吐いただろうか。心の底からげんなりしたが、集中を失いかけ、せっかく成功した筋力強化が解けてしまいそうになったため、思考を放棄した。


「全身に筋力強化をかけるには、常人であればあと三ヶ月はかかるだろう」


 アレクシアがそう言った後に、ニヤリと笑う。


「だが、そんなことは許さん。一ヶ月で形にしてもらう」


 ひいぃ。ロビンは内心で悲鳴を上げた。


「では、今日のこれからの訓練についてだが、何度か今やったことを繰り返してもらう。昼食後、その状態を長時間維持する訓練に入る。一旦、強化を解きなさい」


 アレクシアの言葉に、ロビンは両腕の筋力強化を解く。


「ではもう一度」


 イメージが完全なものになったのか、今回の試みもスムーズに成功する。


 両腕の筋力が強化され、ロビンは少しだけ嬉しくなった。


「ではもう一度」


 アレクシアがまた同じことを言う。ロビンは同様に強化を解き、また両腕を強化する。


「ふむ、両腕の強化に関しては、完全にマスターしたようだな。よくここまで頑張った」


 アレクシアが切れ長の目を細めながら、珍しく褒め言葉をロビンに送った。


「では、少し早いが昼食とする。昼食が済んだら、強化を長時間維持する訓練に入る。心しておくように」


「サー、イエッサー」


 一週間前と比べて、ちょっとだけ元気になったロビンの声が学院の前庭に響いた。






 その後行われた、筋力強化の維持訓練であるが、驚くほどに順調であった。あのアレクシアが感嘆のため息を着いたほどだった。


 ロビンは予想外のことが起きなければ、一時間ほど筋力強化を維持できるようになり、特訓の成果に少しだけ微笑む。


「ウィンチェスター。貴君は本当に才能がある。普通は一時間強化を維持するまでに一週間はかかるものだ。誇っていい」


 あの鬼教官が、今日はロビンを褒めっぱなしだ。なんだかくすぐったくなるのと同時に、今後のことを考えると少しだけ空恐ろしくなった。


 アレクシアは、顎に手を添え、少しだけ考えるとこんなことを言い始めた。


「明日は課外授業、という言葉が正しいのかはわからんが、外に出る。実際に筋力強化を使って野獣と戦う訓練だ」


 戦い方もそろそろ覚えておかなければならん。実戦に勝る訓練はなしだ。鬼教官がまた鬼のようなことを言い始めた。


「返事は?」


「さ、サー、イエッサー」


 明日のことを考えると、非常に気が重くなるが、仕方ない、とロビンは諦めた。

アレクシアは鬼教官です。体育会系です。

ゲロ吐かせるまで走らせる部活のコーチとかいましたよねぇ。

私は手を抜いてたので、ゲロは吐きませんでしたが。


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