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第三話:ヘイリーとの和解と学院長への相談

 ヘイリーとロビンがちょっとだけお互いを認めあった次の日の昼前、彼女は図書館を目指して足早に廊下を歩いていた。カーミラが夏休み中、図書館に籠もる予定であるらしいことは知っている。まぁ、いなかったらいなかったで、次の日に挑戦だ。ヘイリーはどうしても、あのか細く美しい少女と友達になりたかった。


 その生まれから見下していたロビンに対しての評価もがらりと変わっていた。彼女は外聞や噂、レッテルなどで人の印象を決めることが間違いであった事に気づき、少しだけ変わった。ロビンは真剣に彼女の話を聞いてくれたし、魔法の言葉も教えてくれた。とはいえ、魔法の言葉については些か懐疑的でもあったが。


 一旦、あの変わり者の少年の言ったとおりにしてみよう。だめだったら、彼にささやかな文句を言えばいい。


 図書館に近づくにつれて、ヘイリーの足取りが重くなっていく。カーミラがあの日、自分に向けた冷たい眼差しが忘れられない。尊敬し、憧れている人間から敵意を向けられるのは誰だって嫌なものだ。ヘイリーはまたあんな目で見られることを想像すると、怖くなって、悲しくなって、歩みが止まりそうになる。止まりそうになる足を、必死で前へ前へと動かした。


 そうこう考えているうちに、図書館についてしまった。大きな扉がヘイリーの前に立ちふさがる。いつもであれば気にもならないその扉の大きさが、今日に限ってはいやに大きく、迫力のあるものに感じた。


 意を決して、扉を開ける。入り口付近に座っている司書が、こちらをじろりと見つめ、また自身が読む本に目を落とす。そんな司書の目は無視して、ヘイリーは図書館の中を見渡す。この図書館のインテリアは読書スペースの全体を入り口から見渡せるようになっている。相変わらず大量の本を積み上げたカーミラを探し出すのに苦労はしなかった。


 すごい集中してますね。ヘイリーはカーミラの尋常じゃない集中力に舌を巻く。自分だったら、図書館に誰かが入ってきたら、そちらを思わず見てしまうだろう。カーミラの優秀さに、さすがカーミラ様、と心の中で拍手を送った。


 なにはともあれ、話しかけないと始まらない。ヘイリーはいつもより数倍重く感じる足を一歩一歩動かして、カーミラの近くまで歩いた。ヘイリーとカーミラの間の距離がちょっとずつ狭くなっていく。どうしよう、どうしよう、と考えながらもヘイリーはその足を止めはしなかった。


「カーミラ様」


 集中しているカーミラにしては珍しいことに、一声かけただけで、こちらを見てくれた。ただ、ヘイリーにとって不運だったことは、カーミラが彼女の姿を確認した瞬間に、その目が酷く冷たい色を帯びたことであった。


 カーミラはヘイリーを数秒睨みつけると、話すことはない、とばかりに、再度読んでいた本に目を落とした。


 ヘイリーはそんな彼女の態度が悲しくて、泣きそうになってしまった。でも、今は言わなければならないことがある。魔法の言葉。ロビンが彼女に教えたこの魔法の言葉が、少なからずヘイリーに勇気を与えていたのだった。


「カーミラ様」


「なに? 今忙しいの」


 すみません、帰ります、と言ってしまいそうになるのをぐっとこらえる。ここだ、ここで魔法の言葉を言うんだよ、練習したでしょ、と頭の中のロビンがヘイリーを励ます。


「か、か、カーミラ様って、意外と片付けが苦手なんですね」


 ちょっとだけどもりながらも言うことができた台詞に、カーミラは数秒硬直し、ギギギと音が聞こえるようなぎくしゃくとした動きでゆっくりとこちらを見た。先程の氷のような目つきはどこへ行ったのか、目が左へ右へ泳ぎ、うろたえている様子がありありと分かった。


「だ、誰に聞いたのよ」


 まさか、本当に片付けが苦手だったのですか? ヘイリーはその事実に驚きを禁じ得ない。ロビンの単なる冗談みたいなものだと思っていたのだ。


「えっと……ウィンチェスターから」


 カーミラはまた数秒フリーズし、そして唐突に頭を抱え始めた。


「ロビンー、この子に何を吹き込んだのよー。っていうか、アリッサに口止めしてなかったっけ? なんで知ってるのよ。まさか、アリッサがロビンにチクったの!?」


 公爵令嬢としての仮面が完全に剥がれ落ちていた。あぁ、自分はカーミラ様の表面しかみていなかったのですね、とヘイリーは理解した。ロビンが教えてくれたのは、カーミラの本質を悪辣に暴き出す、まさしく「魔法の言葉」だったのだ。


「忘れなさい」


 カーミラがしゅたっと立ち上がり、ヘイリーの肩をガシッと掴む。普段のカーミラからは考えもつかない勢いに若干引く。


「えっと、私も片付け苦手ですよ?」


「私の部屋がめちゃくちゃに汚いなんて、私のイメージが崩れるじゃない。別にイメージを大事にしたことは無いけど、恥ずかしいものは恥ずかしいの。忘れて、ね?」


 カーミラが早口でまくしたてる。ヘイリーはただ、魔法の言葉を言っただけで、カーミラの部屋がメチャクチャに汚いなんて知らない。カーミラは迂闊にも自ら自身の部屋の惨状をゲロっている。そんな彼女を見て、ヘイリーは、ふふ、と笑った。


「カーミラ様」


「何? 忘れてくれるの?」


「あの日カーミラ様が仰った言葉の意味が本当の意味で理解できました」


「へ?」


 白銀の少女がキョトンとした顔をする。そんな表情を浮かべたまま、力が抜けたようにゆっくりと椅子に座った。こんな表情もするのだ、カーミラという少女は。気高く、美しく、そして誇り高い。そんな面ばかりを見ていた。でも、彼女のコロコロ変わる表情を見て、ヘイリーは認識を改めた。この少女は確かに、気高く、美しく、そして誇り高い。だが、それ以上に気さくで、片付けが苦手で、そして人並みに慌てることもある。


「私、カーミラ様とお友達になりたいのです。カーミラ様のだらしない姿をもっと見せてください」


 ヘイリーはロビンの魔法の言葉からもらった最後の勇気を振り絞って、カーミラにそう告げた。断られるだろうか、また冷たい目で見られるだろうか。ヘイリーの心中は穏やかではなかった。


「……その情報をロビンから聞いたってことは、ロビンと色々話したんでしょ?」


「はい」


「ロビンっていい人よね」


 ちょっと変わり者だけど、とカーミラが得意げな顔をする。どうして得意げなのか、ヘイリーにはとんと見当もつかなかったが、ロビンが好感の持てる人間であることは昨日話してなんとなくわかっていた。


「私の話を真剣に聞いてくれて、魔法の言葉も教えてくれました」


「魔法の言葉?」


 あ、これはネタばらししちゃだめなやつです。ヘイリーは慌てて何でもない、と言う。


「今でもロビンのことを薄汚いとか思う?」


「いえ、カーミラ様の仰った通り、人を身分や生まれで見てしまった私が愚かでした。ウィンチェスターと話して、彼の人となりを理解して、私が如何に傲慢な考えを持っていたのか身にしみてわかりました。

 彼には感謝しています」


「そ」


 カーミラは最後に一言だけ相槌を打って、また本を読み始める。やっぱり駄目だったのだろうか。ヘイリーは不安になった。数秒ほど無言の時間が続き、本から目を離さずにカーミラがヘイリーに優しく語りかける。


「まずは、一緒にお食事でもしましょっか。お互い何も知らないものね。ヘイリー、貴方はきっと私の表面しか見えてなかったのよ。でも、今は私がそんなに立派な人間じゃないってちょっとだけわかったでしょ?」


「いえ、それでも私はカーミラ様を尊敬しています」


「尊敬してる、って言われて悪い気はしないんだけどね」


 カーミラが苦笑いを浮かべながら、白銀の髪をわしゃわしゃする。


「アリッサと初めて話した時に、アリッサったらこう言ったの」


 カーミラは再び、本から目を離しヘイリーの方をみて、下手くそなアリッサのモノマネを披露する。


「『友達になるのって、誰かに友達になってほしいってお願いされてなるものじゃないでしょ? 仲良くしてて気づいたら友達になってるものだと私思う』。ですって」


 ふふ、と笑ったカーミラがヘイリーの手を取る。


「ヘイリーが私のことを尊敬してくれて、すっごく嬉しい。だから、私にも貴方のことを尊敬させて」


 お互い尊び合う、それが友達でしょ? とカーミラが悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべる。


 ヘイリーはカーミラの表情を見て、すごく嬉しくなって、なんだか泣きそうになってしまった。というか、もう泣いていた。


「ちょ、ちょっと、ヘイリー。泣かないでよ」


「いえ、申し訳ございません。カーミラ様にそう言っていただけて嬉しくて」


 カーミラはヘイリーにハンカチを差し出し、椅子から立ち上がって優しく頭を撫でる。


「とりあえず、お昼ごはんまで一緒に本でも読みましょっか」


 鼻声で、はい、とヘイリーが返事をしたのは、その数十秒後のことだった。






 一方その日の昼過ぎ。ロビンはアレクシアに頼み込んで特訓を短めに切り上げてもらい、学院長室まで来ていた。短めに切り上げたおかげで、アレクシアのしごきがいつもの数倍増しになったことは言うまでもなく、それによっていつもどおりロビンがヘロヘロになったことも言うまでもない。


 ふらつく身体に喝を入れながら、学院長室の扉をノックする。


「入りなさい」


 いつもどおりの優しげなハワードの声が聞こえ、ロビンは扉を開け、学院長室に入る。


「ウィンチェスターか、なんの用かな?」


 書類仕事をしていたハワードは、一旦手を止め、黒曜石のような瞳でロビンを見つめた。


「えっと、折り入って相談がありまして」


「相談かね?」


 はい、とロビンが返事をする。


「実は、魔族言語の勉強を始めたのですが」


「ほう、魔族言語か。あれは難しいだろう。儂も若い頃覚えるのに死ぬほど苦労したよ」


 もう忘れてしまったがな、とハワードが笑い声を上げる。


「学院長も魔族言語に造詣が深いのですか?」


「昔のことだ。今はもう魔術開発には興味がなくてな。ここで生徒たちの成長を見守るのが儂の生きがいだよ」


 学院長が目を細めてにっこりと笑う。


「あぁ、済まなかった話の腰を折って。して相談とは?」


「魔術言語に詳しい先生とかいらっしゃらないかな、と思いまして」


 ハワードは少し考え込む。


「学院の教師には魔術言語を専門に研究している者はいない」


 やっぱりそうか。ロビンは少し肩を落とす。


「まぁそうがっかりするでない。魔術大学に伝手がある。学院に招く、とまではできないだろうが、手紙でやり取りをする、などはできるはずだ」


 儂がお願いしておこう、とハワードは人懐っこい笑顔を浮かべる。ロビンは、さすが学院長だ、と顔を輝かせた。


「ありがとうございます」


「うむ、生徒の学習意欲を促すのも仕事の内だ、気にすることはない。

 魔術大学のジェラルド・ウェイという助教授だ。

 魔術言語の研究が専門でな。人に教えるのも得意な男だよ」


 ウェイ先生か。なんだか、文通で学問を教えてもらうのも不思議な気分だが、専門家であれば、きっと色々教えてくれるに違いない。


「ウェイ助教授にはすぐに連絡をしておくよ。今夜中に君のところに返事が来るはずだ」


 一般的に魔術師同士の連絡は手紙に配達の魔術を使って行われる。手紙が鳥などに姿を変え、猛スピードで受取人のところまで飛んでいくのだ。ロビンも初めて配達の魔術を使った時はそのスピードにびっくりしたものだ。


「用はそれだけかね?」


「はい、ありがとうございました」


 失礼します、と踵を返して、ロビンは部屋を出る。


 今日はアレクシアとの特訓ももう無い。時間もまだまだある。自室に戻って、本でも読んでいようか。いや、魔族言語の入門書をもっと読み込むか。ロビンは今後の予定についてあれこれ迷った末、魔族言語の勉強をすることに決めた。


 そうと決まれば、さっさと自室に戻ろう。ロビンは寮へ戻る廊下を足早に歩き始めた。






 自室に戻り、机の上で入門書とノートを広げ魔族言語の習得に励むロビンの耳に、聞き慣れた、コツンコツン、という音が窓から聞こえた。あぁ、カーミラか、とロビンは思い至ると、すぐに窓を開けた。


 いつもどおり、一匹のコウモリが窓から入り、その後で無数のコウモリが部屋の中に入ってくる。コウモリは集まって、数秒かけてカーミラの姿になった。


 カーミラを一人ぼっちにしない、と誓った夜から、だいたい一週間に一度位のペースで、カーミラはロビンと雑談をするためにこうしてやってくる。今日もなんか他愛もない話をするんだろうな、とロビンは姿を表したカーミラを見遣る。


 しかし、予想と反してなんだかご立腹な顔をしている、僕なにかしたっけ? とロビンは不思議に思う。


「ロービーンー? あんたヘイリーに何を吹き込んだの?」


 あぁ、そのことか、ロビンは昨日の出来事を思い出した。朝起きたときはちょっとだけ行く末を気にしていたのだが、アレクシアの特訓によってその考えはいつのまにか忘却の彼方に消えてしまっていた。


「ヘイリー、いい子でしょ? 仲良くなった?」


「そりゃ、仲良くなったけど」


「じゃあ、良かったじゃない。完璧超人なカーミラ様よりも、ちょっと無様な部分があったほうが親しみやすいでしょ」


「無様とか言うんじゃないわよ」


 ははは、とロビンが笑い、ベッドに腰掛ける。カーミラもいつものように既に彼女専用となってしまっている椅子に腰掛けた。


「すごーく恥ずかしかったのよ!」


「ごめん、ごめん。悪かったよ。でも、友達が増えたでしょ?」


「それは……そうだけど」


「じゃあ、良いじゃない」


「うん、ありがとう」


 怒りをあっさりと収めたカーミラに、ははぁ、これはただの照れ隠しだな、とロビンが得心する。この少女は本当は、ただ新しい友達が増えたことの報告と、その結果をもたらしたロビンにお礼を言うためだけにやってきたのだ。ニヤニヤと笑うロビンに、カーミラが渋い顔になる。


「どういたしまして」


 そんな会話を繰り広げていた矢先、開けっ放しにしていた窓から、一羽の真っ白なフクロウが入ってくる。配達の魔術だ。フクロウをモチーフにするとは、中々古典的な魔術師像をお持ちな人らしい。フクロウがロビンの手元まで移動すると、手紙に姿を変え、ロビンが掲げた両手にパサリと落ちる。


「誰からの手紙?」


「魔術大学の助教授で、ジェラルド・ウェイって人。学院長の知り合いなんだってさ」


「魔術大学!?」


「うん、魔族言語の勉強に行き詰まってるって相談したら、話をつけてくれたみたい。しかし、さすが学院長。仕事が早いね」


 ロビンはベッドから立ち上がり、机の前まで移動すると、引き出しを開けレターナイフを取り出す。装飾も何もない質実剛健そうな手紙の風を開けると、中身を読み始めた。


「なになに?

 初めまして、ウィンチェスター君。学院長から、連絡をもらったジェラルド・ウェイだ。君が魔族言語に興味を持ってくれてとても嬉しい。何分魔族言語はその難解さから忌避されがちな学問でね。残念なことに魔術の開発者も年々減っていっているのだよ。

 私の持っている知識で君の手助けができるならば、何でも協力しよう。

 魔族言語の学習で詰まったら、疑問点でもなんでも手紙を送ってくれたまえ。

 また、比較的易しい内容の本を紹介しておく。学院の図書館にも蔵書されていると思う。

 入門書と銘打っている本が入門書として全然読めたものじゃないことは魔族言語の本ではよくあることでね。寧ろ、専門書を先に読むのをおすすめする。

 だってさ」


「へぇ、凄いじゃない、ロビン。魔術大学の助教授とお知り合いになれたなんて」


「魔族言語を勉強しようって人があまりにもいなさすぎるんだろうね」


 ロビンは苦笑いを浮かべる。これで、魔族言語の勉強も捗るはずだ。そう考えて、やる気に満ちたロビンは、両手で頬をぱちんと叩いた。


「じゃあ、僕はそろそろ寝るよ。カーミラも早めに寝たほうが良いよ」


「そうね、今日はこんなところでお暇するわ。明日図書館に来るでしょ?」


「そのつもり」


「じゃあ、また明日ね」


「うんまた明日」


 そう言って、カーミラはロビンの部屋を後にした。


 魔族言語の勉強に強い味方がついたな、とロビンは明日からの勉強に思いを馳せた。


 ベッドにゴロンと横になると、手紙に書かれた本の名前を何度も目でなぞる。あ、この本は、最初に読もうとした本の中にあったな。他のはタイトルが難しそうで手が伸びなかった本だ。


 そんなこんなを考えているうちに、ロビンは自然と眠りについたのだった。

第二話から続く「魔法の言葉」の下りですが、すごく悩みました。

一言でカーミラとヘイリーを仲良くする一言にしようと思いましたが、

悩んで悩んで悩み抜いた結果、この台詞となりました。


ヘイリーが無事、仲良し四人組に入り、仲良し五人組になりました。

やってねカーミラ! 友達が増えたよ!


読んでくださった方、ブックマークと評価、よければご感想等をお願いします。

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