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第二話:魔族言語の勉強とヘイリーの襲来

「やぁ、カーミラ」


「あら、ロビン」


 大勢の女生徒とお茶会をして二日後の夕方、図書館で相変わらず調べ物をしていたカーミラに話しかけたのはロビンだった。なんだかヘロヘロになっている気もするが、アレクシアとの特訓のせいだろう。今日は何回ゲロを吐いたのかしら。カーミラはそんな疑問を頭の隅に追いやった。


「すごい疲れてるみたいに見えるけど、調べ物?」


「そんなに疲れてる風に見える? いや、確かに疲れてるんだけどさ。調べ物って言うより勉強だよ」


 ロビンは片手に携えていた数冊の表紙をカーミラの前に見せた。


「魔族言語? あんたそんな難しいこと勉強しようとしてるの?」


「うん、自分で魔術を組み立てられたら、コスパの良い攻撃魔術とか作れるかな、と思ってさ」


 魔族言語は、基本的には魔術大学で学ぶものである。王国の公用語とはまるっきり文法も単語も違う上、古代文字で書かれるそれは、魔術学院の学生達には荷が重すぎる学問であった。また、長い歴史で魔族言語の発音の仕方は失われている。更に言うと、大陸共通語が表音文字で構成されている一方で、魔族言語は表意文字で構成されている。如何に学ぶのが難しい学問なのか、そのことは魔術を学ぶ者たちにとって誰でも知っている常識であった。その上、魔術を自分で開発するという目的がなければ、覚える必要もないものであるので、学院で魔族言語を学ぼうという学生は当然皆無に近かった。ロビンが持っている本が埃塗れになっているのが、その証拠である。


「魔術を開発って、随分大それたことを考えるのね」


「君に約束した努力の一環ってとこかな」


 カーミラはロビンから本を一冊受け取り、ぱらぱらと捲る。カーミラの優秀な頭脳を持ってしても、魔族言語の入門書は非常に難解に感じられた。はい、とカーミラがロビンに本を返す。ロビンは本を受け取って、苦笑いしながら、ちょっとさっき読んでみたけど習得できる気がしないんだよね、と言った。カーミラは、ふふ、と笑って、頑張りなさい、とロビンの肩をバシンと叩いた。


 ロビンは、カーミラと少し離れたところの席を陣取り、本の表紙を丁寧に開き、ノートを隣に置いた。ふーっと大きな息を吐き、ゆっくりと集中する。マナも空っぽで、身体も疲れ切っているが、脳味噌はまだ疲れていない。


 無言でページを捲る音だけが図書館に響く。夏休みの図書館は学業から開放された学生にとって立ち入る必要のない場所だ。それに、今は夕方である。もうすぐ閉館のこのタイミングで図書館にいるのは、ロビンとカーミラだけだった。


 魔族言語は、その名の通り、魔族が話す言語である。魔族は亜人の一種であり、この世界の先住民族だとされている。


 神話の域の話となってしまうが、元々この世界には魔族のみが住んでいた。そこに、人間が外世界から移住し、大きな大戦が起こった。これを人魔大戦と呼ぶ。多くの犠牲を出したその戦いを憂いた戦いの神が、地上に降り立ち、両者を仲裁した。神はまず人間の長と魔族の長を婚姻させ、子を作らせた。そこから人類と魔族の平和な交流が始まり、人と魔、それぞれが混じり合っていった。神はそれを見て安心し、天界へ帰っていった。


 王国だけではなく、大陸全土に伝わる神話の一節である。魔術を使える人間と使えない人間の差は、魔族の血が混じっているかどうかであると、神話では解釈されている。


 歴史学的には、全く別の学説もあるが、如何せん数千年も昔のことである。歴史を文献に残すという文化が無かった時代に何が起こったのかを把握するのは非常に困難である。近年になって、考古学という学問が普及し、それまで畏れ多いとされていた遺跡の調査が禁忌ではなくなったり、地質の調査をしたりして、ちょっとずつ人類のルーツが分かってきているという話だが、完全に人類のルーツがわかるのはしばらくあとになるだろう、というのが王国の研究者達の意見だった。


 その魔族であるが、現在は王国のあるガンダルシア大陸から姿を消している。人間と魔族の交流が途絶えた正確な年表は判明していないが、何かが起き、そして別の大陸に一斉に移住したのだろう、というのが今の学説である。何が起きたのかについては詳細な情報がまるで得られていない状況だった。五百年前、この大陸を短期間ではあるが統一した唯一の国家、モゴルニア帝国が知識人を処分し、文献を燃やしたのだ。焚書から逃れた本も勿論沢山あるのだが、モゴルニア帝国の皇帝の意向なのか、魔族に関する文献については一部を除き徹底的に排除されていた。そのため、歴史学としても、その間魔族に何が起こったのかについて把握できていないのだった。


 魔族は一般的に、大陸の西に位置する大西洋を挟んだ魔大陸に住んでいるとされている。その広い海洋は、魔族と人間との交流をきっぱりと絶つことに成功していた。


 ロビンが、魔族言語の入門書を半分くらい読み終えたところで、閉館のチャイムが鳴る。ロビンは入門書を除き、本を棚へ戻すと、入門書の貸し出し申請をした。時間外の労働ということで司書はものすごく嫌な顔をしたが、ロビンの後ろでカーミラが苦笑いしながら手を合わせているのに気づき、大きなため息を吐きながら手早く申請手続きを済ませてくれた。


 カーミラと連れ立って、図書館を出る。


「で、どうだったの? 勉強の進み具合は」


「いやぁ、ぜんっぜんわかんないね」


「そりゃそうよ。教えてくれる先生が必要なんじゃない? 独学だと限界があるわよ」


「うーん、本当はできれば独学で済ませたかったんだけど……」


 ロビンは、苦い顔をしながら、背中を掻く。


「魔族言語に詳しいっていったら、魔術学のマクラッケン先生かしら」


「いや、前に興味本位だけで聞きに行ったけど、魔族言語のことは大学時代勉強したけどもう忘れた、って言ってた」


 魔術学の教鞭を執る、バート・マクラッケンの専門は、どちらかというと如何に魔術を効率よく行使するかの方法論である。魔術の開発ではない。


「そうなると……。あっ、学院長に相談してみたら?」


「学院長か。確かに、良い伝手を知ってそうだね」


 ロビンはカーミラの助言に、今後の予定を立て直す。明日にでも学院長室に行ってみるか。学院長は夏休みでも、常に学院長室にいる。当然学院長としての多量な執務もあるのだろうが、学院全体を把握しておかなければならないという彼の義務感と、学院に幾重にも張られた結界が彼を核としているためだ。


 ロビンとカーミラは、女子寮と男子寮の分岐点に着き、お互いに手を振り合う。


「じゃあ、私部屋に戻るから」


「うん、またね、カーミラ」


 カーミラは女子寮へ続く廊下をゆっくりと歩いていった。カーミラの後ろ姿が見えなくなるまで、見送り、ロビンも自室へ続く廊下を歩いていく。


 そこでおかしな闖入者と出会った。


「ウィンチェスター。ちょっと顔を貸しなさい」


「えぇっと、君は……ヘイリー・ウィリアムさんだっけ?」


 ロビンはセミロングの金髪をハーフアップにした女生徒を知っていた。知っているだけで友人ではないのだが、侯爵家の長女ということもあって学院でも目立つ存在であった。少し垂れ目気味な瑠璃色の瞳を持った眦を釣り上げて、こちらを睨んでいる少女に、ロビンは苦言を呈した。


「ここ、男子寮だけど」


「まだ入り口です」


「そりゃそうなんだけど……」


 ロビンはなんだか妙な気迫を発している少女にすっかり困ってしまった。


「で、顔を貸せっていうのはどういう意味?」


 ヘイリーの眉がピクリと動く。


「貴方は、まず目上の者への言葉遣いを覚えるべきですわね」


「学院の中は魔術の下に平等だよ」


「建前にすぎませんわ」


 建前じゃないんだけどなぁ。まぁ、確かにほとんど話したことのないこの少女にタメ口を利いた自分にも非がある。


「えぇ、えぇ、わかりましたよ。それで、侯爵長女のウィリアム様が身分違いの僕になんの用ですか?」


「着いてきなさい」


 ヘイリーの横を通り、ロビンがやってきた方向とは逆方向に歩き出す。やれやれ、と思いながらロビンは彼女に着いていくのであった。






 ヘイリーは一番近くにあった教室のドアを開けると、教室に入り、ロビンの方を見る。ロビンは促されるままに教室へ入室した。ヘイリーは教室のドアから一番近い席に座り、隣に座れとばかりにロビンを睨みつける。ロビンは少しだけうんざりしながら、ヘイリーの隣に腰掛けた。


「それで、肝心の用件はなんでしょうか?」


 慇懃な態度でロビンが口火を切った。


「カーミラ様のことよ」


「あぁ、カーミラの」


「様をつけなさい! 下郎!」


 どうしよう、もはや苦笑いしか出ない。こういった、王国貴族の悪い面――ロビンがそう考えているだけだが――が凝縮された様な人物は彼の苦手とするタイプの人間である。ロビンは爵位にこだわらない。それ自体が無価値なものであるということを今までの経験から知っているからだ。貴族の誇りになんて微塵も興味がないし、そもそも以前までは――尤も今でもその節が少しあるが――自分自身を無価値だと考えていたのだ。反りが合うはずがない。


「わかりましたよ。カーミラ様について何が聞きたいんですか?」


 ヘイリーはしばし言いよどみ、若干悔しそうな表情を浮かべ、何度か口を開いては閉じを繰り返し、その数秒後意を決したようにぽつりぽつりと語り始めた。


 カーミラとお茶会をしたこと、途中まではいい雰囲気だったこと、女生徒の一人がロビンとカーミラの関係について尋ねたこと、そしてヘイリーがロビンを薄汚い血の混じった者であるため、カーミラとは釣り合わないと具申したこと。最後に、カーミラが怒って出ていってしまったこと。それを受けて、根本的な考え方を変えないといけないと思ったこと。


 ははーん、とロビンは納得のいった顔をした。まだ数ヶ月の付き合いではあるが、カーミラのことはなんとなく分かっているつもりだ。彼女は自分の大切なものを侮辱されるのを良しとはしない。自分がその大切なものの中に含まれていることについては、恥ずかしくなるから考えないようにしているが、カーミラはそんな性格だ。そこには爵位も身分も関係ない。カーミラであれば、たとえ相手が平民であっても、友達になったらそれを全力で守るだろう。


「ウィリアム様……もう面倒くさいから、敬語とかやめにするね。ヘイリー。君はカーミラとどうなりたいの?」


 面倒だ、と慇懃な態度を取り払ったロビンに、ヘイリーが眉をしかめる。しかし、もう言っても無駄だと思ったのだろう、突っかかってくることはなくなった。


「カーミラ様とお友達になりたいです」


「それはなんのために?」


 ロビンは再び尋ねる。ちゃんと言葉にしてもらわなくては、彼女の頭の中が整理できない。


「今までは遠巻きに見ているだけでした。でも、貴方達がカーミラ様と仲良くなっているのを見て、羨ましいな、って」


 カーミラ様の美しく、気高い姿に憧れていたのです、とヘイリーが熱の籠もった目で語りだす。カーミラのこんなところが素晴らしい、カーミラのあんなところが美しい。ロビンは呆れるを通り越して感心してしまった。これじゃあ、ただの信者だ。カーミラ教か、うん、流行るかもしれないな、信者はカーミラの美しい姿に鰻登り、そして世界を征服して……、そこまで想像して、ロビンは明後日の方向に思考が流れていっているのに気づき、目の前の少女に意識を戻した。


 ともあれ、彼女がカーミラのことを大好きだっていうことがなんとなく伝わった。なんだ、そういうことじゃん。ロビンはくすりと笑って、彼女に対する評価を少しだけ改めた。


「僕としても是非、君がカーミラの友達になってくれればいいと思ってるんだけどね」


「え?」


 ヘイリーが意外そうなものをみる目でロビンを見る。


「カーミラって、友達がいなかったでしょ?」


「はい」


「皆、自分の身分ばっかりをみて、本当の自分を見てくれなかった、ってそうも言ってた」


「私は、カーミラ様の身分に群がる毒虫ではありません」


 ロビンはニッコリと笑う。直感的にではあるがロビンもヘイリーがそんな人間じゃないと分かっているからだ。ただ、カーミラが大好きなだけのちょっとだけ貴族社会に染まってしまっている少女だ。いや、ちょっとではないかもしれないけれども。


「僕もそう思ってるよ。それで、君はカーミラにとって多分必要な人間だ。是非友達になってあげてよ」


「ですが……」


 私は嫌われてしまいました。ヘイリーがしゅんとする。垂れ目気味の眼には涙すら溜まっている。


「カーミラからはなんて言われたの?」


「『付き合う人間は、爵位、身分、生まれ、そういうものに決してとらわれず選びなさい。私のことを本心から心配し、助けてくれる人間を選びなさい。私はそう教わったの』、と。

 あとは、『私と仲良くなりたいなら、身分ではなく、私自身をもっと知ってね』、と。」


「そうなんだ、それなら単純に君もそう考えて、そうすれば良いんじゃないかな?」


「それは!」


 わかっている、とはヘイリーは口には出さなかった。わかっているし、理解もしている。しかし、あの部屋から出ていく時のカーミラの冷たい眼差しが怖かった。ロビンは深く後悔しているであろう表情を浮かべるこの少女の評価を、もう一段上げた。


「うーん、なんだかもうカーミラに話しかける勇気もないみたいだね。じゃあ、魔法の言葉を教えてあげるよ」


「魔法の言葉ですか?」


 ロビンは少しだけ得意げに、人差し指を立てた右腕を振り上げた。


「『カーミラって、意外と片付けが苦手なんだね』って」


「へ?」


 ロビンはアリッサから、カーミラの部屋の惨状についてこっそりと話を聞いていた。彼女の本性、その一部分である。誰も想像すらしないだろう、表向き立派な公爵令嬢である彼女の部屋がめちゃくちゃに汚いなんて。


「それってどういう」


「いいから、いいから。次にカーミラに会った時に言ってみなよ。『カーミラって、意外と片付けが苦手なんだね』」


 はい、復唱、とロビンがニコリと笑う。


「カーミラ様って、意外と片付けが苦手なんですね」


「よくできました」


 ロビンはにっこり笑って、じゃあ、僕は寮に戻るよ、と言った。席を立ち、踵を返して、教室を出ようとする。


「ウィンチェスター」


 後ろから、ヘイリーに声をかけられる。ロビンは立ち止まり、振り返ってから、何? と返事をした。


「貴方を『薄汚い血の混じった者』なんて言ってしまったこと、心からお詫び申し上げます」


 ほら、やっぱりいい子だ。色眼鏡なしで物事を判断できる子じゃないか。ロビンはちょっとだけ苦笑いをして、少しばかり考えてから、こう返した。


「なんだ、もう全部わかってるじゃない。やっぱり、君はカーミラに必要な人間だよ」


 僕のことを悪く言うのは別に構わないけどね、と笑いながら教室を出ていく。


「ありがとう」


 小さなヘイリーの言葉がロビンに届いたのか、届かなかったのか。それはロビンだけが知っている。

一から全く別の言語を勉強するのって難しいですよね。

魔族言語の勉強は、英語圏の人が中国語や日本語を勉強するのを想像してみてください。

日本語を母国語とする人が、アラビア語を勉強する等でも良いです。

ものすごく難しいイメージで書いています。

とはいえ、第二部の終わりぐらいにはロビンが多少魔族言語を習得しししまったりする予定なのですが。

(ロビンの優秀さが伝わると良いです)


本文でも書いていますが、魔族言語は読みがありません(当然発音記号も)。物語の舞台であるガンダルシア大陸ではもう失われています。

純粋な文字であり、さらにその文字は表意文字です。つまり読み方もよくわからない漢字に近いなにかです。

これは本文では書いていませんが、文字のイメージはアラビア語っぽい感じのミミズののたくったような文字です(アラビア語圏の人ごめんなさい)

なんだか書いてて、やべぇ、こんなの習得できるわけ無いじゃん、と思い始めてきました。


前の話で、メタメタに言われてしまったヘイリーですが、

なんとかカーミラの信頼を取り戻そうと必死です。


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