第一話:人気者カーミラ
図書館で本を読み始めたカーミラの集中力は凄まじい。本を斜め読みし、本の隣に並べたノートに本のタイトルと気になった部分のページ数を書き記す。本を読むスピードも尋常ではない程に早い。常人の数倍の速度でページを捲り、ページ全体を見渡し、そして次のページに進む。気になった単語や、文章を見つけ、忘れないようにペンを走らせる。彼女の癖であるこの読み方は、その頭脳の優秀さを雄弁に物語っていた。
勿論、このような読み方を全ての本で行っているわけではない。小説や物語でこの様な読み方をすることは、作者に対する冒涜だということも、彼女はよく分かっていた。飽くまで資料や、学術書、教科書などの書籍を読む時だけだ。
金色の瞳が、本の見開きを左斜め上から右斜め下まで舐めるように動き、時折右手の下にあるノートに目を移す。数分に一度のペースで、可愛らしいうめき声を上げ、白銀の髪の毛を掻き毟る。一冊目は読み終わった。気になるページや単語は書き写したし、後でその部分はじっくりみよう。次の本だ。カーミラは机の中央に積み上げた本の中から、一冊を引き抜き、また同じ作業を繰り返し始める。
ページを捲り、ざっくりと読み、ページを捲り、時折ノートにペンを走らせる。
作業が四冊目に差し掛かる頃、作業を続けながらも、カーミラは多少の徒労感を感じていた。本当なのか嘘なのかわからない伝承が多すぎるのだ。吸血鬼は人類の敵とされている。敵を知ることがまず、敵を打倒する第一歩ではないのか。何故こんなにもよくわからない伝承が多い。カーミラは段々と頭が沸騰に向かっていることを感じた。自分でも気づかないうちに小さなため息が漏れる。それでも集中力を切らさないあたり、やはり公爵令嬢の優秀さは一味違った。
「これもきっと嘘。これは~、わからないわね、他の文献に書いてるかも、ノートにメモメモ、っと」
ぶつぶつと独り言を良いながら、目と手を忙しなく動かす。
作業が十冊目を超えた頃、周囲から人間の――それも複数の――声が聞こえてくることに気づいた。普段であれば、そのようなことで集中力を乱されることはないが、如何せんカーミラの頭も既に沸騰間近となっていた。あぁ、うるさい。作業の速度が段々と遅くなっていく。それに反比例して、彼女のイライラ指数は徐々に高まっていく。
そして、ついにイライラが爆発した。
「……さま。……ヴィッツ様」
「うるさいわね! 読書の、じゃ、ま、よ……?」
カーミラの怒声は、周囲を確認したことでか細くかき消えていく。カーミラを中心に人だかりができていることに今更ながら気づく。人だかりの中心、つまりカーミラの目の前に立つ少女がしきりに「ジギルヴィッツ様」と声をかけている。この少女は見覚えがある。また、カーミラが十数人ほどで構成された人だかりを構成する女生徒達を見回すと、半分くらいは知っている顔だった。
「えぇっと、貴方はヘイリーさん?」
「まぁ、覚えててくださったのですね! ジギルヴィッツ様」
何やら感動している。カーミラは訳がわからなくなった。周りを取り囲む女生徒達から、黄色い声が上がる。やばっ。カーミラは顔なじみの司書を見遣る。彼女は不機嫌そうに眉を潜めていた。図書館は静かに。それがルールだ。自身がこの人だかりの中心である以上、彼女に悪感情を抱かれかねない。それは困る。これまで何度もお目溢しを受けてきた恩もあるのだ。勿論実のところだらしのないカーミラは、これからも司書のお目溢しを欲している。
「えっと、図書館では静かにね」
カーミラが人差し指を口に持っていき、女生徒達を見回す。それぞれが、はっとしたように、自身の迂闊さに気づき、申し訳無さそうな顔をしている。
「それで、こんなに集まって私に何か用?」
「私達、ジギルヴィッツ様と是非お話ししたくて、ジギルヴィッツ様が図書館にいると聞いて、ここまで馳せ参じたのです」
ささやくような小声ながらも、興奮を隠しきれていない少女にカーミラは少しだけ困った顔をする。うーん、今調べ物の最中なんだけれど……。カーミラは少しだけ逡巡し、作業が行き詰まっていることに思い当たると、本日の自分のこれからの予定を全て諦めた。
「えぇっと、私自身楽しいお話なんてできる訳じゃないけど、それでも構わないなら、良いわよ」
今度は控えめに黄色い声が上がる。まぁ、いい子たち、みたいね。カーミラは自身の忠告を素直に受け止める彼女らにちょっとだけ好感を覚えた。
「場所を移動しましょうか。図書館だと迷惑になっちゃうしね」
図書館司書に目配せをすると、早く出ていけとでも言わんばかりに一睨みされた。彼女はカーミラを睨んだ後、自身がそれまで読んでいた本にまた没頭し始めた。心中でちょっとだけ嘆息する。
「確か、お茶会用の部屋があったわよね。そこでお茶会でもしましょうか」
カーミラは進行方向で立ちすくむ女生徒に、ごめんね、と言ってどいてもらいながら机に高く積まれていた本を手早く片付ける。部屋の片付けは苦手だが、本に関しては義務感がある。ちゃんとそれぞれの本を元々あった位置に差し込んでいった。
「じゃあ、行きましょうか」
興奮からなのか、顔を紅潮させた彼女らに小さく促すと、カーミラは女生徒達を伴って図書館を後にした。
少なくない人数の女生徒を伴って歩くカーミラは、恥ずかしさのあまり死んでしまいたくなった。学生とすれ違うたびに、びっくりしたような、珍獣を見るような目で見られるのだ。二年間一人きりで学院生活を送ってきたカーミラが大勢の人間を引き連れて歩いている、無理もない話だ。カーミラが羞恥に顔をひきつらせながら歩くこと数分間、お目当てのお茶会用の部屋の前に到着する。
お茶会か。初めてだ。お茶会用の部屋にたどり着いたカーミラは勝手がわからず、頭を悩ませることとなった。どうしようかしら。カーミラはうんうん唸りながら考えた。お茶会には、お茶が必要でしょ、それからお茶請けのお菓子も必要よね。あらやだ、必要なものが全然揃ってないわ。カーミラは頭を抱えてしまった。
「……えぇっと、ごめんなさい。私、お茶会って初めてで、勝手がわからないの」
最後の手段として女生徒らのリーダー格らしいヘイリーに、申し訳無さそうな顔でカーミラが謝罪する。
「まぁ、とんでもございませんわ。では、私達が準備させていただきますね。ジギルヴィッツ様はそこの椅子に座ってらして」
上座を指し示され、おとなしく従い、椅子に座る。
ニッコリと笑ったヘイリーが、周囲の女生徒にテキパキと指示を出していく。あるものには自室までお菓子を取りに行かせ、またあるものには紅茶の葉を取りに行かせた。指示を与えられた女生徒は、異常な熱意で走り去っていく。廊下を走るのは危ないのだけれど……、とカーミラが苦笑いを浮かべた。
その間にヘイリーが大きなケトルを棚から取り出して、水を魔術で生成して納め、湯沸かし器の上に置いた。彼女が発火の魔術を使うと、湯沸かし器の下に設置されている、火の魔石が彼女のマナを吸い込み、ケトルへの加熱を始めた。
カーミラは感心しながら、その様子をぼうっと見ていた。このヘイリーとかいう少女は、確か侯爵家の長女だったはずだ。人間を動かすことに長けている。また、それでいて自身で行う作業を厭わない。素晴らしい才能だわ。彼女はヘイリーの様子に感嘆した。
間もなくして、お菓子と茶葉を取りに言った女生徒が息を切らせながら戻ってきた。肩で息をしてはいるのだが、その表情には疲れというものが全く感じられない。どんだけ私と話したいのかしら、この子たち。カーミラは少しだけ末恐ろしくなった。
「お茶が入りましたわ。ジギルヴィッツ様」
あっという間に、お茶会の準備が整った。その間約十分。凄まじいまでの速さだ。カーミラは心中で惜しみない拍手を彼女らに送った。
女生徒らが思い思いの席に座り、ヘイリーが人数分入れた紅茶を配る。お茶菓子も、各テーブルに配置され、かくして完璧なお茶会が開始された。
紅茶を一口だけ口に含む。こういった場では身分の高いものから飲むのが慣習だ。それぐらいはカーミラもわかっていた。カーミラが紅茶を飲んだのを皮切りに、女生徒達も思い思いにお茶を嗜んでいった。
「ところで、『ジギルヴィッツ様』って呼ぶのやめてほしいのだけれど」
お茶を飲んで一息ついたカーミラが、隣に座るヘイリーに言う。家名で呼ばれるのあまり好きじゃないのよね、とカーミラが呟く。
「まぁ、申し訳ございません。気を悪くされたのであれば、謝罪させていただきます」
「いやいや、そこまで畏まらなくてもいいわ。『カーミラ』って気軽に呼んで頂戴」
「では、『カーミラ様』と、そう呼ばせていただきますわ」
「その畏まった喋り方もやめてくれると助かるのだけれど……」
「そんな畏れ多いこと、できませんわ。ご意向に添えず申し訳ございません」
どうやら、彼女は根っからの貴族らしい。身分を弁え、誇りとプライドに生きる。それが王国貴族というものだ。カーミラは仲良し四人組を思い出す。ロビンもグラムも、アリッサも、最初から畏まった態度ではなかったなぁ、いやロビンは最初敬語だったかしら。あれこれ思いを馳せるが、奴らが学院の中でも有数の変わり者であったことに思い当たる。これが普通なのねぇ。なんて紅茶を飲みながらぼんやりと思った。
お茶会で話されるのは他愛も無い話ばかりだ。ロマンス小説の話、勉強の話、好きな人の話、婚約者の話。とりとめのない話題に、カーミラはニッコリと受け答えしていく。なんだか、質問攻めにあっているような気もしないではないが、彼女らとはほぼ初対面である。しょうがない、と割り切った。
そんな中、女性との中でも年少の小柄な少女がカーミラに声をかけた。
「カーミラ様、ウィンチェスターとはどういったご関係ですか?」
藪から棒にロビンとの関係について聞かれ、カーミラは目をパチクリさせた。
「えぇっと、ロビンは、大事な友達ってところかしら」
お茶会室がざわめく。なんだか嫌な感じだ。カーミラは唐突に変わった部屋の雰囲気に戸惑った。ヘイリーが少しだけ困った顔をしながら、カーミラの方を向く。
「カーミラ様、僭越ながら意見を申し上げます」
「なぁに?」
「ウィンチェスターのような人物と親しくするのはあまり褒められたことではありません」
「それって、どういう……」
「彼は、子爵家でしかも妾の子です。薄汚い血が混じった者は、公爵家のカーミラ様には相応しくないと愚考しております」
大切な友人を愚弄するような言動をされて、カーミラはカッと頭に血がのぼった。思わず、あんたたちになにがわかるのよ、と言いそうになってその言葉を飲み込む。カーミラにはよく分かっていたのだ。それは王国貴族としては、当然の意見である。彼女はステロタイプな貴族、ただそれだけ。そしてそういった思想は王国では珍しくもない。大部分の貴族らが彼女と同じ意見をのたまうだろう。その脳味噌に染み付いた思想を怒りのままに叱りつけても無駄だ。カーミラは公爵家の令嬢という立場の経験からそのことを十分に分かっていた。十秒ほど押し黙り、自身の怒りを抑え、カーミラは静かに言った。
「ヘイリー、貴方の意見は王国の中ではありふれたものだと思うわ。でも、私は両親からそうではない教育を受けました」
愛想笑いではあるが、今まで笑顔だったカーミラが突然真顔になったことに、ヘイリーは首を傾げた。まだ自身がカーミラの地雷を見事に踏み抜いたことに気づいていないようだった。
「付き合う人間は、爵位、身分、生まれ、そういうものに決してとらわれず選びなさい。私のことを本心から心配し、助けてくれる人間を選びなさい。私はそう教わったの」
カーミラの父親、母親は人格者だった。彼女はそんな両親を心から尊敬している。両親の貴重な教えがあって、今の自分がいるのだと自覚していた。
「ロビンはとってもいい人よ。少しぼんやりしていて、変わり者だけど、私のことをいつだって案じてくれているわ」
カーミラは話しながら、自身の怒りが再燃するのを感じた。まぁ良いか。ちょっとだけストレス発散に付き合ってほしい。彼女は自身の怒りを受け入れた。こいつは私の大切な友人を、薄汚い、とまで言ったのだ。
「貴方の意見はこの王国ではありふれたものかもしれない。でも、私の大切な友人を馬鹿にされるのは、鼻持ちならないわ」
カーミラの金色の瞳に睨まれたヘイリーは、ひっ、と短く息を吸い込んだ。ざわめいていた他の女生徒らも、今はしんと静まり返っている。
「も、申し訳ございませんでした。出過ぎたことを申しました」
ヘイリーが平身低頭といった様子でカーミラに謝罪の言葉を告げる。
「貴方達が私とお友達になりたい、っていう気持ちは今日十分伝わったわ。でもね、私の友人を悪く言う様な人と私は友達になるつもりはないの」
ごめんなさいね、とカーミラは付け加え、椅子から立ち上がる。
「お、お待ち下さい。先程の発言は撤回します」
カーミラは振り向いて、彼女らに冷たく言い放つ。
「私と仲良くなりたいなら、身分ではなく、私自身をもっと知ってね」
私の本性って貴方達が思っているほど立派じゃないわよ。カーミラはそう冷笑し、足早にお茶会室から出ていった。
後には、しんとした部屋に顔を真っ青にした女生徒達が残された。
「ヘイリー様……」
発端となった少女が涙ぐみながらヘイリーに声をかける。
「貴方は悪くないわ。私が悪かったのよ」
青ざめた顔でヘイリーが女生徒の頭を撫でる。生まれたときから貴族として特別扱いされ続けた彼女は、カーミラの言っていることに衝撃を覚えた。
ヘイリーは白銀の少女を尊敬していた。今までは遠巻きで見ているだけだったが、ロビンやグラム、アリッサと楽しそうに話すカーミラを見て、自分もあの気高い少女と友達になりたい、と感じたのだ。
その尊敬する少女が言った言葉である。十分に考え、理解しなければいけない。薄汚い血と思っていたロビン、貴族としての品性に欠けるグラム、魔法薬ばかり作っていて誇りも何もなさそうなアリッサ。彼らと私達の違いはなんなのか。憧れの公爵令嬢は今日、ヘイリー達に、お前らには私の隣に立つ資格はない、そう言ったのだ。カーミラの隣にいられる資格。きっとそれは、今日カーミラに告げられた言葉自体が答えなのだろう。
「根本的な考え方を改める必要がありそうです」
ヘイリーはボソリと呟いた。まずは、ロビン・ウィンチェスターと話してみよう。ヘイリーはこれからの予定をそのように決めた。
女子生徒に人気な女性っていますよね。
カーミラの身長は小さいですが、キリッとした顔立ちや、凛とした姿があって、普通にしていれば「お姉さま」とか呼ばれちゃう、そんな女の子です。
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