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プロローグ

 夏季休暇。それは、学生らにとって学業から開放される唯一の期間である。あるものは旅行に行き、あるものは趣味に没頭する。勿論、宿題もどっさりと出されているわけだが、それも気にならないほどに夏季休暇というのは学生にとって魅力的な期間だ。


 また、学院の教師らにとっても夏季休暇は魅力的な期間であることは変わらない。普段学生たちに自身の得意とする学問を教授するという使命から、一時ではあるが開放されるのである。教師らの多くはそれぞれ自身の研究分野を持ち、暇を見つけては学会に論文発表をしたり、新しい技術の研鑽に努めるのであった。


 リシュフィール魔術学院は、当然教育機関としての側面が強い施設だが、同時に魔術大学ほどではないが研究機関としての一面も持ち合わせているのである。学生たちも最終学年になると、教師の下につき、何かしらの研究を行うこととなっている。研究の成果によって、微量ながらも研究費が国家から捻出され、それによって次の研究を行う。それがこの学院に所属する教師らの第二の使命でもあった。


 さて、夏季休暇と聞くと、実家に戻る学生が大勢いるのではないかというのは想像に難くないが、実際は実家に戻る学生は少ない。理由の一つは実家に帰省するとなると、それこそ大旅行じみた費用がかかるためだ。魔術学院は王国の直轄領に存在しているが、貴族の子女らの実家はそれこそ国土の広い王国の隅から隅まで配置された領地に存在する。余程の理由がない限り、例えば実家から即時帰還せよとの命令等だが、貴族舎の学生は夏季休暇を学院で過ごすのが通例となっていた。勿論学院から比較的領地が近い者もいるが、そもそも王国の直轄領がだだっ広い。理由のもう一つは、学生の大半が実家に帰らず学院に残ることから、実家に帰ってもやることがないのである。学生というモラトリアムの期間にしか許されない、夏季休暇という期間を友人らと一緒に過ごしたいと考えるのは当然のことであった。


 一方で平民舎についても、同様の理由で学院で過ごす学生が多かった。こちらは貴族よりも切実だ。王国に魔術学院はリシュフィール魔術学院唯一つである。全国から魔術の素養のあるものたちがなけなしの学費を払って、魔術学院に在籍している。有り体に言えば、帰るお金がそもそもないのである。王国は学院から卒業した平民には帰還費として、必要な経費を支給するが、夏休みの帰省にまでその経費を払う気はないのであった。


 帰省するという一点を考えるならば、転移魔術という便利な魔術があるにはあるが、資格制であり、学生たちの年齢では資格をとることすら許されない。転移魔術はコントロールが難しく、場合によっては命に関わるためである。「いしのなかにいる」、ではないが、転移の際に座標などを間違え、障害物などのある場所に誤って転移すると、障害物はそのままに無理やり転移することとなる。例えばハンガー掛けのような物体の場所に転移したとしよう、ハンガー掛けの棒が身体に突き刺さり、場合によっては致命傷を負う。その様な理由から王国は転移魔術に厳しい使用制限を掛けており、厳しい試験に合格したもののみがその使用を許されている。


 夏季休暇の最初の日、例によって仲良し四人組が朝早く食堂に集まっていた。食堂は広くて、夏休み中の学生の集い場にもなっている。四人もその例に漏れず、食堂を集合場所と決めたのだった。


「で、やっぱりお前らも滞在組なんだよな?」


「当然でしょ。夏休みのたびに帰省してたら実家が破産するよ」


 アリッサがテーブルに頬杖をついて、暑い暑いと、首元を手で扇ぎながら答える。夏真っ盛り、魔術による多少の空調は夏休みでも機能しているのだが、平時と比べるとその威力は弱めに発揮されている。


「右に同じく」


「私も実家には帰らないわ」


 続いてロビンとカーミラが答える。ロビンは夏の熱気に当てられて、テーブルに突っ伏している。カーミラを横目で見て、よくこの暑さで平気だな、とボケーッと見つめる。


「じゃあ、せっかくの夏休みだ、色々しようぜ!」


 グラムが、夏の暑さに負けない力強い一言で皆を奮起させようとするが、それは失敗に終わった。


「ごめーん、私パス。夏休み中に魔法薬作りまくらないと。試験勉強を真面目にやりすぎたおかげで、納期がやばいのよ」


「へぇ、もう仕事じみたことをしてる人は言うことが違うね」


 ロビンは感心した様な声色で、アリッサを褒める。声色によっては皮肉にも聞こえかねない台詞であったが、そこは長い付き合いでアリッサも心得ていた。


「百本くらいポーション作らないといけないんだ。夏休み全部使っても終わるかどうか……」


 うんざりした目でアリッサがロビンを見る。大変だなぁ、とロビンは同情の眼差しを送る。


「ロビンはどうなんだ?」


「僕は、ロドリゲス先生の特訓が毎日あってね」


 アレクシアによる筋力強化の特訓は、期末試験が終わった後から毎日行われていた。彼女は手加減というものを知らない。毎日マナが空っぽになるまで筋力強化の魔術を繰り返し使わされていた。


「筋力強化か。絶対スパルタだよな」


「スパルタだよ。だってあの人、ゲロ吐かせるまでやらすんだよ?」


「おぉ、こえぇこえぇ」


 グラムがニヒヒ、と笑ってロビンを茶化す。カーミラは未だにアレクシアの話題になると、小鼻をふくらませるが、それでもここ数週間でましになってきた。


「カーミラは?」


「私は夏休み中にちょっとした調べ物をしようと思ってるのよ。ごめんなさいね」


 グラムはそれを聞いて、大きなため息を吐くと、顔を俯かせ、ぷるぷると震え始めた。


「お前ら皆予定有りかよぉ。せっかくの夏休みなんだから遊び呆けるって考えはないのかよ」


 どうやらグラムには予定という予定が無いらしい。悲しいやつ。ロビンは哀れみの視線を送った。とはいえ、ロビンの予定もアレクシアとの訓練という、結構殺伐とした予定であるため、同情心は一切沸かなかった。


「まぁ、皆の予定が空いたときにでも、王都に遊びに行くとかさ。いいかもね」


「この暑い中?」


 アリッサが抗議の声を上げる。既に夏バテに陥っているアリッサの声色からは、どこにも行きたくなさそうな様子が伺えた。


「思い出が何もない、っていうのもつまらないじゃない。たまには僕もロドリゲス先生の特訓から逃げる口実がほしいしね」


 隣でカーミラが激しく頷いている。予定があるとはいえ、友達との思い出は残したいらしい。


「ロビン、お前良いこと言うじゃねぇか」


「お褒めに預かり光栄だよ」


 ロビンはグラムの褒め言葉に、言葉だけの返礼をする。心が一切籠もっていない。誰も彼もこの暑さに参ってしまっているのだった。


「ウィンチェスター! ウィンチェスターはいるか!」


 聞き覚えのある声が段々と近づいてくる。ロビンは尖ったナイフのような声に顔を青ざめさせた。特訓の時間だ。遠くから、のっぽで真っ赤なポニーテールの女性が早足でこちらに歩いてくるのが見える。


「お呼びみたいだ。骨は拾っておいてね」


 ロビンが他の三人にうんざりした顔でそう告げたとき、ロビンを見つけたアレクシアが彼の後ろに立った。


「ウィンチェスター。ここにいたか。訓練の時間だ」


 いってきま~す、と力ない声を発しながらロビンは鬼教官に引きずられていった。夏休み初日。授業があった昨日までとは違い、訓練は放課後ではなく終日行われる。死ぬなよ、ロビン。グラムは心のなかで悪友にエールを送った。


「ロビン、良いやつだったな」


「うん、惜しい人を亡くしたね」


「ロビンを勝手に殺さないの」


 縁起でもないブラックなジョークを吐く二人を、カーミラが諌める。このような会話も彼らの中では定番となっていた。ロビンはいじりやすい。それがグラムとアリッサの共通認識だった。そして、それを優しく諌めるのもカーミラの定番の仕事となっていた。どこからともなく、笑い声が上がる。カーミラはここにいないロビンも含めて、この四人組でいるのが大好きになっていた。


「じゃあ、私は早速自分の部屋で作業するね。ばいばい」


 アリッサが相変わらず暑そうな表情で席を立ち、椅子を丁寧に戻すと、寮へ続く道へ歩き去っていった。


「グラムはどうするつもりなの? 夏休み」


 カーミラが残されたグラムに声をかける。今まで出てきた情報を整理すると、特に予定がないのはグラムだけだ。


「うーん。考え中だ。剣術の稽古でもできればいいんだけどな」


「あら、それなら確か」


 ロニー・ラドク。リシュフィール魔術学院で歴史学の教鞭を執っている教師だ。彼は元軍人だったと、休み時間に近くの学生らが話していたのを聞いた覚えがある。カーミラはよく覚えていたものだ、と自分で自分を褒めた。


「ラドク先生に相談してみたら。歴史学の」


「ラドクか? なんでまた?」


「あの人、元軍人よ。剣の扱いにも詳しいんじゃないかしら」


 推測だけどね、とカーミラがウィンクする。グラムはそれを聞いて、早速即断即決したのか、立ち上がった。


「よっしゃ! 俺も特訓だ! じゃあな、カーミラ。思い立ったが吉日だぜ!」


 ガタガタと、乱暴に椅子を戻し、グラムが走り去っていった。やれやれ、男の子ね、とカーミラが少しだけ呆れた顔をする。


「皆いなくなってしまったし、私も行きますか」


 カーミラはゆっくりと立ち上がり、椅子を戻すと図書館の方へ歩いていく。道すがら、見たことのある女子生徒数名とすれ違い挨拶をされた。ごきげんよう、と返すと、女子生徒に驚いた顔をされた。そういえば、挨拶も返したことなかったわね。カーミラは昔の自分を思い出した。


 数歩歩いた背後から、黄色い声が聞こえる。何かしら、そんなにはしゃいで。私に挨拶されたのがそんなに嬉しいのかしら。変なの。カーミラは少しだけ首を傾げた。


 カーミラは知らなかった。カーミラがロビンと知り合い、アリッサ、グラムと友誼を交わし、いつも一緒にいるようになるにつれて、自身の表情が昔の彼女と比較して数段柔らかなものになっていることを。人間誰しもが自分の見た目の変化になんて気づかないものであるが、いわんや表情の変化ともなると容易に気付けるものでもない。


 カーミラの表情の柔らかさと比例して、カーミラの評判は徐々に回復していった。誰をも寄せ付けないオーラを出していた公爵令嬢が、柔らかな雰囲気を纏い、ウェルカムな様子を醸し出しているのだ。


 そして、これもまたカーミラにはうかがい知ることのできないことであるが、小さめの身長ではあっても、凛とした表情とキリッとした顔立ち、そして公爵令嬢らしいしゃんとした立ち居振る舞いと喋り方、それらによって彼女の女性人気は鰻登りだった。


 小さく愛でたくなるような体躯と、完成された大人の女性のような表情のアンバランスさは、見るもの全てを魅了していた。後輩の女子生徒からは、「お姉さまと呼ばせてほしい、抱きしめてほしい」ともっぱらの評判であり、年長の女子生徒からは、「ハグして髪の毛をもふもふくんかくんかしたい」ともっぱらの評判だった。いささか変態的な評判にも感じられるが、女性同士であることを鑑みると、変態とも言い切れないのかもしれない。


 何もかも知らないカーミラは頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、図書館への道を足早に歩いていった。


 図書館の扉を開け、古いインクの臭いを鼻腔を通して肺いっぱいに溜め込む。カーミラは図書館の空気が好きだった。夏休みということもあって、試験前とは比べ物にならないくらい閑散としている。顔なじみの司書に小さく礼をすると、目的の棚までゆっくりと歩いていく。


 目的の棚は、古今東西の怪物、異形、魔獣に関する書籍が集められた棚だ。まずはここから。カーミラはふん、と鼻から奮起の息を吐くと、棚にある本の背表紙を指でなぞっていった。


 「ワーウルフの生態」、違う、「ゴブリンと人間の敵対の歴史」、違う、「ハルピュイアと人間の恋」、違う、というかなんでそんなロマンス小説みたいなタイトルの本がここにあるのだろうか。


 どうやら、この棚は非常にざっくりとした分類で押し込まれた棚であるらしい。学院の蔵書数は、国立図書館、魔術大学に次いで多いとの話だが、本の整理という面においては他の図書館には少々劣るようだ。どうしても、まだ若い学生が利用する場所であるため、本の返却の際に誤った場所に差し込んだり、適当な場所に差し込んだりされてしまうのだろう。カーミラは遠い昔両親に連れて行ってもらった、国立図書館を思い出す。あの場所は本が整然と並べられていて非常に良かった。


 だがしかし、整理整頓できない、という気持ちは非常にわかる。わかりすぎる。カーミラはめちゃくちゃに本が並べられた棚に憤りながらも、激しく同意していた。片付けなんていう概念、なければ良かったのに。カーミラは益体のない方向へ思考が進んでしまっていることに気づき、気を取り直して棚を再び眺める。


「あった」


 少女が棚から取り出したのは、「吸血鬼と人間」というタイトルの本だった。入学当初吸血鬼になってしまった時、散々読んだ本だ。


「まずはここから」


 カーミラの調べ物、それは吸血鬼が人間に戻る方法。学院長は、探してくれる、と約束してくれたが、全てを他人任せにするのは、彼女の良しとするところではなかった。


 自分でも調べて調べて調べまくる。カーミラの優秀な頭脳と真面目な性格はそんな選択肢を選んだのであった。カーミラは他にも数冊ほどあたりをつけ、本を持つと読書スペースへと歩いていった。古い装丁の表紙を丁寧に開き、本に書かれている知識に溺れていく。カーミラの優秀さはその集中力にある。誰よりも早く、深く、自身を集中した状態に持っていくことは、彼女の得意なことの一つであった。


 かくして、思い思いの夏休みが始まった。

第二部が開始しました。夏休みの話です。

夏休みだからといって、遊び呆けることができるとは思うなよ。


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