第十六話:不穏な空気
放課後、ロビンはアレクシアの部屋の前に来ていた。アレクシアに対する苦手意識は払拭できてはいないが、授業は懇切丁寧であったため、その際に多少の認識を改めていた。だが、何故自分なんかが呼び出されたのだろうか。確かに、あの授業の中で、筋力強化をアレクシアの補助があったとはいえど成功させたのは自分だけだ。アレクシアが個人的に学生を呼び出す教師には見えない。ロビンはそう考えていた。彼女は教えている学生に微塵も興味を持っていない。その目と表情からロビンはアレクシアをそのように評していた。アレクシアが何をもって自分に興味を抱いたのか、それを考えると空恐ろしくもあった。
まぁ、曲がりなりにも、臨時とはいえ学院の講師だ。取って食われることはないだろう、とロビンは自身の原因のはっきりしない不快感を振り払い、扉を軽く数回ノックした。
「ロドリゲス先生。ウィンチェスターです」
扉の向こうから、入れ、という声が聞こえた。彼女の声は研ぎ澄まされたナイフのようだ。ロビンはそんなことを考えながら、扉をゆっくりと開けた。
アレクシアの部屋は非常に簡素だった。生活感がないと言ってもいいかもしれない。余計なものが一つもなく、必要最低限のものだけが申し訳程度に用意されている。臨時講師だからこんなものなのかな、とロビンは思う。
「それに座れ。部屋のどこでも構わん」
アレクシアは手で部屋の隅にある椅子を指差す。ロビンは椅子を持ち上げ、アレクシアの机の前に置き、腰掛けた。
「さて、貴君は気づいていないかもしれないが、貴君の筋力強化の才能は突出している。将来的に私に匹敵する使い手になる可能性もある。だが、悲しいかな、私は臨時講師がゆえ貴君の訓練を全て見ることができないのだ」
アレクシアはそう言いながら、立ち上がった。話の前に茶でも入れようか、と告げ、食器棚からカップを二つ取り出した。
「私がいれた紅茶は誰に飲ませても不評でな。味の保証はしない。まずかったら残しても構わない」
そう言いながらテキパキと紅茶を淹れるアレクシアをぼうっとロビンは見つめた。スラッとした体躯、男の自分よりも高い身長。そして一つ結いにした真っ赤な髪の毛。どれを取っても講師というより、歴戦の戦士という方がしっくりくる。そんな彼女が紅茶の準備をしている様に、なんだか違和感を感じた。
「紅茶が入ったぞ。まぁ、飲め」
ロビンは手渡された湯気の立ち上がるカップを口に運ぶ。味の保証はしないと言っていたが、悪くはない。とは言っても、ロビンも自身の舌に自信があるわけではない。紅茶なんて飲めれば何でも良いのだ。
「さて、筋力強化を習得する意志があるのであれば、今日の授業で行ったことを毎日訓練することだ。ハードルは身体全体にマナを浸透させる部分だが、今日の私の補助で感覚はつかめたろう。その感覚を忘れるな」
「ロドリゲス先生の補助なしにあれができる気が全くしないのですが……」
「なに、慣れの問題だ。感覚を忘れなければ、何度も繰り返すうちにできるようになる」
アレクシアが自身のカップに口をつけながらそう言う。あの感覚は確かに覚えている。というか、強烈な経験だったため忘れようがない。先程アレクシアに告げたように、自分ひとりであそこまでもっていける気はしないが。
「私は筋力強化以外の魔術の才能がなくてな。簡単な魔術であれば扱えたのだが、如何せん実戦には役に立たないものだった。杖もとうの昔に捨ててしまったよ」
アレクシアが、ははは、と笑う。しかし、目が笑っていないことにロビンは気づいた。
「まぁ、訓練あるのみだ。古代の人間は皆使えていた魔術だ。本来であれば誰でも使える技術なのだがな。杖と魔術式に頼り切りの今の王国の魔術師にはどうにも難しい代物のようだが」
「その話は歴史学で学びました。資料集に小さな女性がその身体には見合わないほどの大きな荷物を持つ絵が載っていましたね」
「そうだ。授業でも話したとおり、筋力強化は寧ろ魔法に近い技術だ。
この王国では使い手はもう数えるほどしかいないと聞いている。
帝国では寧ろ一般的な技術なのだがな」
「帝国? 先生は……」
「あぁ、帝国の出身だ。訳合って今は王国にいるがな」
「帝国は攻撃に特化した魔術を重視していると聞きますが」
「戦争が好きな国だからな。自然と魔術も戦争に役立つものばかりが研究されている」
アレクシアが遠い目をする。今までとは違い、無機質なガラス玉のようなものではなく、過去を懐かしむような瞳だった。こんな表情もするんだな、とロビンは心中で驚いた。
しばらく、無言の時間が続いた。アレクシアが紅茶を飲み、そして机にカップを置く、そのことり、とした音だけが室内に響く。ロビンはなんとなく気まずさを感じたが、アレクシアに自身から提供する話題も無い。黙って渡された紅茶を飲んでいた。
「……ところで、リュピアの森にヘルハウンドが出たという噂があってな」
静寂を破ったのはアレクシアだった。箝口令が敷かれていたはず。ロビンはなんで知ってるんですか、という言葉を飲み込む。僕を含め、あの場にいた四人はそのことは知らない、そういうことになっている。
「……知りません」
アレクシアがニヤリと嗤う。ロビンは背筋が冷たくなっていくのを感じた。
「この学院の学生四人がそれを打倒した、なんて話だ」
「へぇ、そうなんですか」
ロビンは硬直しそうになる顔を必死に抑え、笑顔を取り繕った。
「だめじゃないか。普通は『リュピアの森にヘルハウンドなんてでるはずがないですよ』、と言うべきところだ」
アレクシアの頬が釣り上がり、歯が露わになる。思わず、ひっ、と音を立てて息を吸い込んでしまう。
「貴様もその場にいた。そうだな」
「な、なんのことやら」
「他にいたのは、ハンデンブルグ、ホワイト、ジギルヴィッツ」
この女は全部知っている。王宮からも箝口令が出ていると学院長から聞いていた。何故? ロビンは心臓が激しく脈打つのを感じた。冷や汗が背中を伝う。
「まぁ、聞け。
魔獣は解体されていた。まだ使えそうな素材を根こそぎ採集したんだろう。まぁ当然だな。ヘルハウンドほどの魔獣になると素材も高く売れる。
だが、解体されていても、その魔獣になにが起こったのかはわかる。少なくとも私にはな」
アレクシアが椅子から立ち上がる。ゆっくりとロビンの後ろにまわり、扉に鍵をかけた。ロビンは蛇に睨まれた蛙のようにピクリとも身体を動かせないでいた。
「筋力強化には、繊細なマナのコントロールと知覚能力が必要となる。普通の魔術師では気づかなかったろう。
魔獣はな、魔術で滅多刺しにされていた。騎士達もそう判断していたよ。致命傷は複数の上級魔術によるものだと」
ビクリと、ロビンが震える。やばい、と思ったときにはもう遅かった。ロビンは自身の迂闊さを呪った。ほう、とアレクシアが感嘆の声を上げる。
「その反応を見るに、それを指示したのは貴様だな」
なかなか賢いやつだ、アレクシアは感心したように呟く。ロビンは答えない。違いますと言おうが、そうですと言おうが結果は変わらないからだ。
「私の見解ではな、致命傷は魔術ではない。強力な膂力によって、心臓を一突きされたものだ。しかも心臓はえぐり出されている。長い爪を携えた腕による一撃だ」
アレクシアがロビンの両肩に手を置く。
「そんな人間離れした力を出せる存在に、心当たりはあるか?」
「い、いえ。ありません」
「嘘は良くない」
ロビンの肩に添えられた手に力が込められる。
「筋力強化した私の力を以てすれば、貴様の肩を容易く砕くことができる。もう一度聞こう、心当たりはあるか?」
ロビンは答えることができなかった。ここで首を縦に振れば、芋づる式にカーミラにたどり着く。いや、既にこの女性はカーミラにたどり着いている? どちらにせよ、ロビンは沈黙を選んだ。
アレクシアは、ふっ、と笑い、ロビンの肩から手を離した。
「いけないいけない。学院長から釘を刺されていたのだった。罪なき学生に手を出すな、と」
全身に寒気を感じる。恐怖によって引き起こされたそれは、ロビンの身体全体を硬直させていた。
突如、ロビンの目の前にアレクシアの顔が現れる。はたから見れば、口づけでも交わす直前のような距離だが、現実にはそんな甘やかなものではなかった。それは獰猛な肉食獣が獲物を追い詰める、そんな図式だった。
「カーミラ・ジギルヴィッツ。奴が化け物だ。そして貴様はそれを知っている。そうだな」
アレクシアのガラスの様な無機質な瞳から目が離せない。数分前から歯の根は合わず、カチカチと音を立てている。
「すまないが、貴様には餌になってもらう。カーミラ・ジギルヴィッツを誘い出すための」
ロビンは鳩尾に強い衝撃を感じた。肺に溜まっていた空気が全て押し出され、ぐぇ、っという声が溢れる。痛みを感じる暇もなかった。ロビンの意識はそこで途切れた。
夜、カーミラは部屋の片付けに勤しんでいた。今日の放課後アリッサに怒られたためだ。たまには掃除しないとどんどん汚くなっちゃうよ! と、目を三角にしたアリッサに長々とお説教をされたのだ。はぁ、とため息が溢れる。どうにも掃除は苦手だ。実家では使用人が全部やってくれていたため、自身で掃除や片付けをする習慣というのがカーミラには無かった。勿論、他の貴族の子女らも同じ状況であるのだが、普通は学院に入り、しばらくして自分でやらなければ部屋が汚いままになってしまう、ということに気づき、片付け掃除を自身で行うというのが習慣となっていくものだった。つまり、カーミラの掃除嫌いは単純に性格であった。
床に散乱している服を一つ一つハンガーにかけ、クローゼットにしまう。しばらく着ていなかった服を拾い上げ、あらやだ、この服はしわくちゃだわ、と独り言を言い、洗濯カゴに放り込む。しわくちゃでない服など一着も無かったが、特にその服がひどかった。
一通り床のものを片付け終わると、次は机だ。教科書や参考書が山のように積み上がっているその場所をみて、気が遠くなる。上から一冊一冊取り出すと、本棚にしまっていく。その作業は非常に慎重にやらねばならないことをカーミラは分かっていた。乱暴に本を取り出したとたん、山が崩壊してしまうのが自明のことだったためだ。
「あら、まずいわね。これ図書館から借りてきた本じゃない」
貸し出し期限はとっくに過ぎていた。督促があってもおかしくないのだが、よく図書館に顔を出すカーミラとその図書館の司書は顔なじみだ。お目溢しをされていたのだろう。これは明日返すもの、と扉近くの棚に置く。
徐々に綺麗になっていく自分の部屋に、思わず鼻歌が溢れる。部屋の惨状がどうしようも無い時は、片付ける、という作業に激しいアレルギー反応を起こす彼女だったが、ある程度部屋が綺麗になった今、片付けも悪くないかもしれない、と思い始めていた。勿論思うだけで、それが習慣になる訳ではないのだが。
机の上の片付けも、もう少しで終わる、といった時だった。扉の向こうに妙な気配を感じた。誰かしら、と振り向くと、扉と床の隙間から一枚の手紙が差し込まれていることに気づいた。扉を開け、誰がこの手紙の差出人だろうと、廊下を見渡す。しかし、差出人と思しき人物は見当たらなかった。
何かしら、と思いながら、机の上におかれたペーパーナイフで手紙の封を開ける。三枚折にされたそれをゆっくりと広げ、中に書かれている文字を読むと、カーミラの顔色は真っ青になった。手紙がぽとりと落ちる。
「どういうこと?」
カーミラは信じられない、といった表情で、落ちた手紙を見、そして時計を見る。机にあった杖を手に取り扉を開け、鍵をかけるのも忘れ慌てて部屋から走り去っていった。
手紙にはこう書かれていた。
『貴様の大事なものは預かった。
貴様の秘密を共有する者だ。
その者の命が惜しければ、今すぐ、学院の裏庭まで来るがいい。』
手紙を読んで真っ先に思い浮かんだのは、ロビンの顔だった。何者かは知らないが、ロビンに命の危険が訪れている。学院の裏庭までは、走って十分ほどだ。コウモリに変身して飛んでいけば早いのだが、カーミラはそれすら失念して、裏庭までの廊下を走る。
大切な友達を失ってしまうかもしれない、その恐怖と戦いながらも。
裏庭に着いた。
「まさか、貴方が」
「ようこそ、カーミラ・ジギルヴィッツ。いや、化け物といったほうが良いか」
「ロドリゲス先生……」
カーミラはロビンの姿を探す。アレクシアの後ろにうつ伏せで倒れている学生がいた。背格好も雰囲気も一致する。きっとロビンだ。
「安心しろ、気絶しているだけだ。もう数分もすれば元気に目を覚ます」
「どうして、こんなこと……」
カーミラはゆっくりとローブから杖を取り出しながら、アレクシアに問いかけた。
「私は王家に雇われた怪物処理人、と言っても貴様にはわからんか。
私は貴様のような化け物を殺すことを生業としているものだよ」
アレクシアがニコリと笑った。笑みを浮かべながらアレクシアが全身にマナを纏う。
カーミラはその笑顔がとてつもなく邪悪なものに見えた。
アレクシアは怖いです。私だったら小便チビリます。
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